2024春アニメ 5月23日視聴分 | アニメ視聴日記

アニメ視聴日記

日々視聴しているアニメについてあれこれ

2024年春アニメのうち、5月22日深夜に録画して5月23日に視聴した作品は以下の1タイトルでした。

 

 

怪異と乙女と神隠し

第7話を観ました。

今回はまずシズクの子供の頃の回想場面から始まります。前回のラストシーンはシズクと乙の居る部屋に紅衣小女孩が襲ってきて、しかもその正体がシズクが探しているトモコなのだという衝撃的な展開だったので、その続きが気になるところですが、その前にまずシズクというキャラの背景が描かれます。怪異となってしまっているのはトモコの方ですから、トモコの背景を描くのかと思いきや、ここでシズクの方の掘り下げとなりました。

シズクというキャラは行方不明になった親友のトモコを探している友達想いのキャラとして描かれていますが、少し違和感のあるキャラでもあります。前回明らかになったのは、シズクはトモコと同郷で一緒に上京してきて少し一緒に暮らしていたが、トモコが美容師の専門学校に通うようになったことがきっかけで別々に暮らすようになり、ここ3年ぐらいは交流もほぼ無かったようです。トモコが行方不明になった日に久しぶりにトモコから連絡があってシズクはコンビニの前でトモコと会って立ち話をして、トモコから美容師として店頭に立つことになったので髪を切りに来るようにと言われたりして、ちょっと雑談して別れ、その日の夜にトモコからビデオ通話の電話があって、赤い服の子供が自分を狙っているという謎の話をしたトモコがそのまま失踪して、その後シズクは1年間ずっとトモコを探し続けていたという。

トモコは自分の身に変事が起きた時に証拠として残るようにビデオ通話をシズクに送ってきたのですが、どうしてあえてシズクに送ってきたのかは謎です。シズクは自分もトモコも天涯孤独だと言っていたが、実際はトモコは結構交友関係は広かった。どうしてシズクが董子や乙にそんな嘘を言ったのかも不思議だが、他に親しくしている友人が複数存在したトモコがどうして3年会っていなかったシズクにわざわざ自分の命に係わるようなビデオ通話を送ってきたのかも謎です。

そして、そのビデオ通話はトモコが「自分の身に何かあれば警察に持っていってほしい」という趣旨で送ってきたものですから、シズクに自分を探してほしいと依頼はしていない。あくまで警察に解決してほしいとトモコは言っているのであり、シズクはまずは警察を頼ったはずです。そして警察の捜査ではトモコは見つけられず事件は迷宮入りとなり、普通はそこでシズクは諦めて当然です。ところがシズクは3年会っていなかったトモコを探すために1年走り回っていた。しかもシズクは途中からこの事件が得体の知れない怪異「紅衣小女孩」の仕業によるものだと認識していた。普通はそんな危険なものに関わるのは躊躇するところであり、ましてや3年間疎遠だったトモコを探すためにそんな危険を冒すというのはどうにも不可解です。

また、些細なことだが、前回はシズクの性格についてメイド喫茶の同僚たちの証言がありましたが、社交性は高くて面倒見も良いのだが、どこか他人を寄せ付けないクールなところがあって「野良猫の親分みたい」と評されていた。確かに董子や乙に対しても打ち解けてからはラーメンを奢ってくれたりお菓子をくれたり気さくに接してくれているが最初はかなり警戒的で攻撃的な感じでしたし、現状においてもやはり本心は見せていない印象はあります。そんなクールで他人と距離を置きたがるシズクがトモコに対してだけは異常に執着しているのも不可解な点ではあります。シズク自身は共に天涯孤独で絆が深いからだというようなことを言っていたが、それは嘘だった。どうもそういう嘘をついていたのは、シズクがトモコに執着する本当の理由を他人に隠すためだったのではないかと思われる。

そのようによく分からないところのあるシズクだが、今回の冒頭の過去回想シーンで、小学生の頃のシズクはトモコと同じクラスだったが仲が良くはなかったということが語られる。トモコはクラスの人気者で誰からも好かれており、片やシズクはクラスの厄介者であり、皆に嫌われていた。だからシズクの方がトモコのことを嫌っていたようです。シズクは自分は皆の嫌われ者だから当然トモコも自分のことをどうせ嫌っているのだと思っており、自分と正反対に皆に好かれているトモコへの僻みもあって、トモコのことを嫌っていたようです。

シズクがどうしてそんなに皆に嫌われていたのかというと、実はシズクは「放置子」というやつだったと自分で語っている。つまり親から育児放棄されていたネグレクト児童だったようです。母子家庭だったようですが、母親が新しい男と仲良くするためにシズクのことが邪魔になり、シズクは僅かな小遣いを渡されて家の外に追い出されて時間を過ごすようになっていき、ついには1日の大半を外で1人で過ごすようになった。そうしてシズクは公園で野良猫と遊んで過ごすことが日課となり、それで今でも猫の鳴き真似をしたり「野良猫の親分みたい」と言われるような印象の人物になったのですね。

しまいには小遣いも渡されなくなったようで、シズクは食べ物を手に入れることが出来なくなり、仕方なくクラスメイトの家に夕方に遊びに行き、遊んだ後で夕食をご馳走になったりするようになった。シズクとしては相手と友達のつもりで頼ったのですが、相手にしてみたら大して親しいわけでもないのに遊びに来て図々しく夕食を食べて帰るシズクのことを気持ち悪く思うようになり、シズクは皆に嫌われてしまった。シズクはそうして孤立して、誰からも相手にされなくなり、自分が友達だと思っていた相手も本当は自分を嫌っているのだと思うようになり、人間不信に陥っていった。シズクが他人を寄せ付けないところのあるクールな性格になったのはこういう背景があったのです。

冒頭の回想シーンはここまでであり、シズクが嫌われ者で孤立していた子供であり、親のネグレクトによって食べ物を手に入れることもままならない悲惨な状況に置かれていたことが描かれたが、トモコとの関係までは踏み込んで描かれないまま一旦回想は終わり、OP曲の後に始まった本編では前回のラストシーンの続きに戻って、現在の時点、シズクと乙が休んでいたメイド喫茶の休憩室に、屋上に出るドアを外の屋上側からノックする不気味な人影が現れて、カギのかかったドアノブをガチャガチャ回して部屋の中に入ってこようとしてくる場面となります。

シズクと乙はビックリするが、その前に董子からの電話がかかってきていて、董子はドアの外にいるのは「紅衣小女孩」であり、しかもその正体はトモコなのだと言う。そして決してノックに応じてはいけないと厳命し、すぐにそのビルから外に出るようにと伝える。それで状況がよく分からないまま、とにかく指示された通りにビルの外に出ようとして、部屋を出て廊下に出てエレベーターに乗ろうとしますが、今度は何者かがエレベーターの扉を内部から激しく叩いてくる。

そこに怪談を昇ってやってきた董子がエレベーターの扉を開けてはいけないと言って階段で1階に降りてビルの外に出るよう促して、シズクと乙はそれに従って董子と一緒に怪談を駆け下りていきます。すると3人が階段の踊り場に差し掛かるたびに踊り場に設置されている窓を何者かが外からバンバン叩いて手形をつけてくる。どうやら紅衣小女孩が執拗に追ってきていて、開閉可能な扉や窓のありとあらゆる場所で外からノックをしてきて、3人がそれに応じるように誘導しようとしているようです。エレベーターなんかはあのままエレベーター前に立っていたら自動的に扉が開いていたでしょうから「ノックに応じた」という形になっていたはずであり、董子の呼びかけでその場をすぐに離れていなければ大変なことになっていました。

とにかく建物の外に出て、ドアや窓の無い状況下に身を置けば紅衣小女孩の脅威から一旦は逃れられる。だから階段で1階まで降りて建物の外に出ようとした3人でしたが、なんとビルの出口のシャッターが閉まっていて、シャッターを外からバンバンと何者かが叩いている。もちろん叩いているのは紅衣小女孩なのだが、董子がビルに入ってきた時はシャッターは閉まってなどいなかったので、紅衣小女孩がシャッターを下ろして3人をビルに閉じ込めたのでしょう。こうなってしまうとシャッターを開けて外に出ようとすると紅衣小女孩のノックに応じたという形になってしまうので、シャッターを開けて外に出ることは出来なくなってしまい、3人はビルから出られなくなってしまった。それで仕方なく3人は再び階段を昇ってメイド喫茶に入って、そこで入り口のドアをテーブルや椅子でバリケードを作って塞ぎ、外からノックしてくる紅衣小女孩が強引に入ってくることが出来ない状態にして、しばらくその場を凌ぐことにして善後策を考えることにした。

そこでまず董子が現在の状況をシズクと乙に伝える。それによると、紅衣小女孩が狙っているのはシズクではなく乙なのだという。紅衣小女孩の正体がトモコだというから、てっきりトモコがシズクに何か用があって襲ってきているのかと思っていたのですが、そうではなかったのです。董子の言うには、この紅衣小女孩は「ノックに応じた者」を襲うのだそうです。乙は真奈美の家に居た時に一度、紅衣小女孩のノックに応じてドアを開けてしまった。だから紅衣小女孩は乙を狙っているのだそうです。どうしてドアを開けた時に乙が襲われなかったのかは不明ですが、おそらくタイミングが微妙にズレたからなのでしょう。

乙は紅衣小女孩のノックにすぐには応じずワンテンポ遅れてドアを開けたため、乙がドアを開けた時点では紅衣小女孩は隣の部屋のドアをノックしていた。それで紅衣小女孩が混乱して乙を標的として認識することが出来ずにその場は立ち去ったのだと思われる。しかし後で乙が確かに自分のノックに応じてドアを開けていたのだということを再認識した紅衣小女孩が改めて乙を標的に認定して、再びドアを開けさせて襲おうと考えて、それで乙のいるビルにやって来たところ、そこにたまたまシズクも居たのでしょう。ただ紅衣小女孩がこのビルにやってきた動機はあくまで乙を狙うためではあるが、ノックに応じる相手であれば誰かれ構わず襲うので、仮に董子やシズクがノックに応じてドアを開ければ襲われるのであり、危険なのは乙だけではありません。この場に居る者全員が命の危機に晒されていると言っていい。

だが、シズクが最も知りたいことはそんなことではなく、董子が紅衣小女孩の正体がトモコだと言ったことの真偽です。トモコは紅衣小女孩に襲われて行方不明になったはずです。もしかしたらトモコは紅衣小女孩に殺されてしまったかもしれないとはシズクも半ば覚悟はしていました。しかし、紅衣小女孩に襲われたはずのトモコの方が紅衣小女孩であったというのは全くの想定外の展開でした。つまり、今まで自分はトモコが被害者だと思って行方を捜していたのに、トモコの方が加害者であったというのなら話は全く違ってくる。もしかしたら自分はずっとトモコに騙されていたのかもしれない。そんなふうに思ってシズクは感情が昂って董子の胸倉を掴んで説明を求めました。

だが、董子はそういう話ではないのだと言い、今回の事件の構造を詳細に説明し始める。まず董子は「今回の紅衣小女孩は怪異のキメラなのだ」と言う。これについては前回も董子と蓮との電話での会話である程度の説明はされていたことだが、ここでもう一度整理されて説明される。まず紅衣小女孩はもともとは人を攫っても殺したりはせずイタズラをするだけの「魔神仔」と呼ばれる台湾土着の怪異であり、そんなに危険なものではなかった。前回も紹介された2014年の老女失踪事件でも老女は危害を加えられていなかった。

しかし怪異というものは人から人へ伝播していく過程で別の怪異のイメージが組み合わさって変貌していくのだという。前回、蓮が調査して判明した台湾の大学の怪談に出てくる紅衣小女孩はドアをノックしてきてノックに応じてドアを開けた者を殺す特徴を持っていたが、それはもともと大学に「ノックに応じた者を殺す怪異」の怪談があり、それと従来の紅衣小女孩のイメージが合体して新たな怪談が作られて、その中でより紅衣小女孩がより危険な存在に進化したのです。まぁこれは単に怪談の内容が進化したというだけの話なんですが、この作品の世界観ではそうして生み出された新たな怪異のイメージが実体化するので厄介といえる。集合無意識が実体化するような感じです。

そうして、より危険な存在となった紅衣小女孩がまた伝播していく過程で「水鬼」という怪異のイメージも組み合わさったのだと董子は言う。厳密には蓮からそう聞いたのですが、「水鬼」は台湾で言い伝えられている水辺で人を襲う妖怪であり、だから今回の紅衣小女孩は雨の日に現れて、水浸しになった屋外から人を襲う特徴を持っているのです。「紅衣小女孩」と「ノックに応じた者を殺す怪異」と「水鬼」の3つの怪異がキメラのように合体して「雨の日に現れて外からドアをノックして人を襲って殺す赤い服の子供の怪異」が生まれたのです。

ただ、この「赤い服の子供」というイメージですが、これは紅衣小女孩の特徴ではあり、トモコは赤い服の子供を見たと言っており、台湾でもそうした目撃例は確かにありますが、今回の乙の事件では赤い服の子供は目撃されていない。乙が目撃したのは水浸しの足跡だけを残す透明人間のような奇妙な存在でした。どうにも不定形なおぼろげな存在なのですが、これは実は水鬼や魔神仔のイメージにも合致している。

そもそも紅衣小女孩のイメージの元になった魔神仔も、目撃例の中には「身体の一部が赤い小さな姿」というものもあるが、その一方でボンヤリしていて姿がハッキリしないという証言もあり、どうやら実体を持った怪物というよりも幽霊的存在に近いようです。だから目撃された姿もかなり多彩で、不定形みたいであり、ボンヤリしていて姿がよく分からないという目撃例も多い。おそらく幽霊のようなものなのでしょう。

そして水鬼となるともっとハッキリと「溺死者の幽霊」とされている。「溺死者の幽霊が人間を襲って水に引きずり込んで溺死させようとする」という怪談は世界中に共通して存在し、台湾における水鬼もそうした怪異の一種なのでしょう。幽霊ですからその姿はボンヤリしていてよく分からない。というか普通は幽霊の姿が見えない人の方が多いので、透明人間みたいなものでしょう。ただ、溺死者の幽霊なので水浸しの姿をしており、足跡だけが水浸しの形で残ったのを乙が目撃したのでしょう。

乙が目撃した紅衣小女孩の姿が「水浸しの足跡を残す透明人間」であった理由は、このように今回の紅衣小女孩に「水鬼」のイメージも組み合わさっていたと考えると納得は出来る。ただ、董子が蓮から聞いた話によると、「水鬼」にはもう1つ恐るべき特徴があり、これが今回は見過ごせないのだという。それは、もともと溺死者の幽霊である「水鬼」には「替死鬼」という怪異のイメージが組み合わさっているからだそうです。

「替死鬼」というのは台湾の怪異だが、同種の怪異は世界中に存在しており、かなり普遍的な怪異のイメージです。それは「幽霊が襲った者を殺すことによって自分は成仏して、殺された者が新たに同じ怪異となってまた別の誰かを襲って殺す」という殺人のリレーを延々と続けていくというものです。前回、董子が過去3年の行方不明者の調査をして発見した「まるでリレーだ」と言った奇妙な法則性がこれに当てはまる。これが今回の紅衣小女孩の仕業だったのです。

今回、董子が発見した法則は「誰かが行方不明になると別の誰かの死体が発見される」というものだった。ここで「死体が発見さされる」というのがポイントで、それはそもそも溺死者の幽霊である「水鬼」がどうして人を溺死させようとするのかという問題に関わってくる。溺死者の幽霊は古今東西だいたい凶悪なイメージだが、どうして溺死者の幽霊はそんなに危険なのかというと、成仏できない恨みが強いからです。ではどうして溺死者の幽霊が成仏が難しいのかというと、それは死体が発見されずちゃんと弔ってもらえないことが多いからです。だから溺死者の幽霊は誰か他人を襲って溺死させて身代わりとすることで自分が成仏しようとするのだという言い伝えが昔から多く、それゆえ溺死者の幽霊である「水鬼」のような怪異と、身代わりを殺すことで自分が成仏しようとする「替死鬼」のような怪異のイメージが伝播の過程で組み合わされるケースは世界中に普遍的に存在する。例えば日本では「七人ミサキ」というそういうタイプの怪異が存在する。

前回のレビューで私が蓮が思い浮かべていたと推測していた怪異はこの「七人ミサキ」だったのですが、これは日本では割と有名な都市伝説で、水辺に現れる溺死者の幽霊なのですが、常に7人の集団で行動し、1人の人間をとり殺すと7人のうち最も古い者が成仏して、代わりにとり殺された者が新たに7人のうちの1人になるのだという集団怪異です。私はてっきり台湾から日本に今回の紅衣小女孩が伝播してくる過程でこの「七人ミサキ」のイメージが組み合わさったという話を蓮がしたのかと思っていたのですが、蓮は日本での「替死鬼」の類似例として「七人ミサキ」を挙げただけであり、今回の紅衣小女孩に伝播の過程で組み合わさったのは「替死鬼」のイメージの組み合わさった水鬼だと言っていました。確かに今回の紅衣小女孩は別に7人組で行動しているわけではないので、普通に「とり殺した幽霊が成仏して、代わりにとり殺された者が幽霊になる」という「替死鬼」の方がしっくりきます。

溺死者の幽霊が成仏できない原因が「死体が発見されないこと」なのですから、今回の一連の失踪事件で「誰かが行方不明になる=誰かが紅衣小女孩に殺されて新たな紅衣小女孩になる」と「誰かの死体が発見される=死体が発見されて弔われることによって前の被害者(今の紅衣小女孩)が成仏する」という構図になっているのでしょう。死体が発見される場所が海や川ではなくて山中であるというのは、これは「人間を山中に連れ去る」という「魔神仔」の要素が出ているのでしょうね。

つまり、紅衣小女孩は雨の日に現れて誰かの部屋のドアをノックして、ノックに応じて出てきた人間を山中に連れ去って憑りついて殺して死体を隠して弔われないようにして新たな紅衣小女孩として、代わりにそれまで紅衣小女孩に憑りつかれていた前の事件の被害者の霊は死体が発見されて成仏するのです。だからトモコは1年前に紅衣小女孩のノックに応じてドアを開けてしまった時に紅衣小女孩に憑りつかれて殺されており、死体は何処かに山中に隠されてしまい、トモコの霊は今は紅衣小女孩に憑りつかれて新たな紅衣小女孩となって彷徨っており、先日の雨の日に真奈美の部屋のドアをノックした際に乙と遭遇して、それ以降は乙を狙っていて、今回こうしてシズクのメイド喫茶のあるビルに現れたのです。

そうした事実を董子に聞かされたシズクは、つまりトモコはもう死んでいるということを知った。そして着替えたいと言って休憩室に入っていくと内側から鍵をかけて董子と乙が入ってこれないようにして、屋上に出るドアの窓ガラスに張り付いてこちらを見ている紅衣小女孩、つまりトモコの幽霊と向き合った。シズクにとってはトモコが既に死んでいるということは、1年間探して見つかっていなかったので多少は予想はしていたことだった。だがシズクにとって衝撃であったのは、トモコが死んだということよりも、トモコが死後も怪異に憑りつかれて、怪異と化して苦しみ続けているということでした。だが同時に、たとえ怪異と化してしまっていたとしても、こうしてトモコと再会できたことはシズクにとって嬉しいことではありました。そしてシズクはドアの外のトモコに向かって「覚えているか?あの時ドアを開けてくれたのはお前だったんだぜ」と呼びかける。

ここで冒頭のシズクの回想シーンの続きが描かれます。家から追い出され、友達にも見捨てられ、行くあてもなく食べ物も手に入れることが出来なかった小学生の時のシズクは真冬の雪降る夜であったので道端で凍死しかけていたのだが、そこがたまたまトモコの家の前で、シズクが死にそうになっているのを見つけたトモコが家の中からドアを開けて出てきてシズクを助け起こして家に入れてくれて温かいインスタントラーメンを食べさせてくれた。それでシズクは命拾いしたのだが、トモコにとってはそれは何てことはない普通の気遣いだったのだろうと思った。

トモコは誰にでも優しいクラスの人気者で、むしろ皆の嫌われ者のシズクはそんなトモコを僻んで嫌っていた。そんな誰にでも優しいトモコだから、クラスの嫌われ者である自分にも皆に対するのと同じように親切にしただけのであり、トモコは別に自分のことが特別に好きというわけでもなく、たくさん居る友達のうちの1人に過ぎないのだろうとシズクは思った。だがシズクの方はこれまで嫌っていたトモコに命を救われて、誰もが自分を見捨てる中でたった1人だけ自分に親切にしてくれたトモコのことを「世界でたった1人の友達」として特別視するようになった。そして、もともと何の価値も無かった自分の人生全てをトモコに捧げようとその時に決めたのです。

それでシズクはトモコが上京した時にも一緒についてきてトモコと一緒に住んでいたが、トモコが美容学校に通うからと言って出ていき、その後は疎遠になっても、別に辛くはなかった。もともとトモコにとって自分はどうでもいい存在だとシズクは割り切っていたからです。どうせ自分と一緒にいるのが嫌になって、他にたくさんいる友達と一緒に居る方が楽しいと思って出ていったのだろうと思ってすぐに諦めはついた。シズクはトモコからの愛情など全く求めてはいなかったのです。ただ自分からの一方通行の愛情だけでいいのだと思っていた。シズク自身はトモコが自分をどう思っていたとしても何の関係も無く、ただひたすらトモコの幸せだけを願い続けていた。美容師になるという夢を叶えて幸せになってほしいと思っていた。そのために何か手伝えることがあれば何でもするつもりであったが、トモコから頼まれない限りは余計なことは何もするつもりもなかった。

そうしてトモコと疎遠になって3年が経ち、突然にトモコから連絡があってシズクはトモコと会い、美容師として店頭に立つことになったと知らされてシズクは嬉しかった。そして今度髪を切りに来てくれと言ってトモコは雨の降る中帰っていったが、その日の夜、雨の降る中、トモコは失踪してしまった。トモコが失踪する直前に身の危険を感じて頼ってきたのが自分であったので、シズクは自分がトモコを無事に見つけ出さねばいけないと強い使命感に駆られて走り回った。途中で得体の知れない怪異が絡んでいるようだということも分かったが、もともとトモコのために命を捧げる決意の固まっていたシズクにはそんなことは何の障害にもならなかった。

そうして1年が経ち、雨の日にトモコを襲った怪異を探していたシズクは雨の夜に遭遇した赤い服を着た乙を怪異と間違えたことから、怪異に詳しい董子や乙と出会うことになったが、その際に自分がシズクを必死に探している本当の事情を話すと、自分の過去のネグレクトの話などもしなければならなくなり、まだ知り合って間もない相手に自分の過去をそこまで詳細に語るのはもともと他人への警戒心が強いシズクには出来なくて、それで「自分とトモコは共に天涯孤独で深い絆で結ばれていた」と適当な嘘を言って誤魔化していたのでしょう。

しかし、そうして乙や董子と共に行動するようになった結果、シズクはこうしてトモコに再会することが出来た。そしてトモコが既に死んでいて紅衣小女孩という怪異になってしまっており、誰か別の人間を殺して身代わりに新たな紅衣小女孩とすることによってトモコ自身は成仏できるのだということも知った。それならばシズクの選ぶべき道は決まっていた。もともとトモコのために自分の命は捧げると決めていた。残念ながらトモコを生きて救い出すことは出来なかったが、自分が身代わりになることでトモコが成仏して怪異となってしまった現在の苦しみから解放されるのなら、それを自分の命を捧げることで成し遂げられるのならば、むしろそれはシズクにとっては本望でした。あの雪の夜、トモコは死にそうになっていた自分を救うためにドアを開けて自分を家の中に入れてくれた。ならば今こうして魂の救いを求めてドアを叩くトモコを救うために自分はドアを開けてトモコを中に入れてあげるべきだろうとシズクは思った。そうした覚悟を決めて、乙や董子を巻き込まないためにシズクは2人を締め出して休憩室でドア越しにトモコと対峙したのです。乙と董子はシズクにそうした意図を知って必死に止めようとするが、シズクは乙にトモコと会わせてくれた礼を言うと、躊躇することなく屋上に出るドアを開いたのでした。

シズクは屋上に一歩踏み出し、すぐに襲われて殺されるのだろうと覚悟していたが、そうはならなかった。いつしか雨は止んでいて雨水で水浸しになった屋上は静寂に包まれており、屋上の真ん中にはポツンと1つ椅子が置いてあった。シズクがそこに座ると、何者かが後ろに立って、シズクに髪をカットし始めた。それは美容師の技術であり、おそらくトモコなのだろうとシズクは思って、振り返ることなく「トモコ、あたし探したんだぜ?でも見つけられなくてごめんよ」と涙を流す。そして「あたしが解放してあげる」と言う。ここで確かにシズクの背後にはあの最後のビデオ通話に映っていたままの服装のトモコが立っているのだが、足元の水面に映るその姿は服はボロボロで顔は白骨化している。おそらく何処かの山中に埋められた死体の現在の姿がそこに映っているのでしょう。

その後、董子と乙が休憩室に入るドアを破壊して休憩室に入り、更に屋上に飛び出してきた時には、もうそこにはシズクが1人で立っているだけでした。もうトモコの姿も椅子も無くなっており、ヘアカットが終わったシズクがトモコが手にしていたハサミを持って立っており、乙に向かって「会えたよ」と笑いかけ、そのまま身体が液体化して消えてしまい、そこには乙の目には例の怪異の標識が立ったのが見えた。つまり、シズクは結局はトモコに憑りついていた紅衣小女孩に憑りつかれて殺されてしまい新たな紅衣小女孩(溺死者の幽霊)に変えられてしまったということみたいです。

それはドアを開けた時点で十分に予想できた展開ではありますが、それならば、あのトモコによるヘアカットの場面は一体何だったのでしょうか。ヘアカットという要素はここまでの紅衣小女孩には無かった要素です。だから、あれはトモコの霊に憑りついていた紅衣小女孩ではなく、トモコの幽霊自体の持っていた心残りのようなものだったのでしょう。シズクの髪を切るという約束をしていたのに。、それを果たせないまま死んでしまった後悔がずっと残っていて、シズクと再会したことによって、トモコの霊はシズクの髪を切るという念願を果たしたのだと思われる。

それとは別に紅衣小女孩の方は予定通りにシズクに憑りついて殺してその身体を溺死者の幽霊のような液体状の透明人間のような姿に変えてしまい、その結果、代わりにトモコの霊は完全に成仏したのだと思われる。おそらく同時刻にどこかの山中でトモコの白骨死体が発見されたと思われる。そし愕然として悲しみに暮れる乙の横をあの真奈美の家の前で見たのと同じ水浸しの足跡が通りすぎていき、休憩室を通り抜けてビルの外に出ていこうとしている。その正体は新たな紅衣小女孩と化してしまったシズクの幽霊であり、また新たな獲物を探しに街を彷徨うのでしょう。

このあまりに悲しい結末に乙は泣き崩れますが、そこに蓮からメッセージが来て「僕に任せろ」と言ってくる。どうやらビルの外に来ている蓮にはまだ何か打開策があるようです。それを知って乙はまた蓮があの「呪いや怪異を消す力」を持つ目を使うつもりだと思い、蓮に無理をさせてはいけないと思い、慌ててビルの外に向かって駆け出していき、董子も後を追いかける。そうして1階に降りていくと、外に出るシャッターの手前に、シャッターを開けて中に入ってきた蓮がしゃがんでおり、その横にはシズクが倒れていた。シズクの姿はさきほどの水浸しの透明人間のような姿ではなく、元の人間の姿に戻っており、蓮が何かをしたのだと思われる。

それで乙が慌てて目を使ったのかと尋ねるが、蓮は目は使っていないと言う。代わりにこれを使ったと言って蓮が乙たちに見せたのは100点満点の答案用紙だった。一体どういうことなのかと不思議がる董子に向かって蓮は今回の怪異についての最後の謎解きをする。それは、そもそも台湾の土着の怪異である「魔神仔」がどうして伝播の過程で「紅衣小女孩」に変わったのかという話でした。魔神仔は身体の一部が赤い特徴のある子どもぐらいの大きさの怪異であり、確かに似てはいるが「赤い服の少女」ではない。魔神仔が何かとイメージが組み合わさって、赤い服を着た少女という姿の「紅衣小女孩」に変わったはずなのです。その「赤い服の少女」の姿をした怪異を、蓮は日本の有名な怪異「トイレの花子さん」ではないかと考えたのです。

「トイレの花子さん」は日本の有名な都市伝説で、台湾でもよく知られている。それは学校の女子トイレに現れる赤い服を着た少女の幽霊で、これもまたドアをノックしたり、相手をとり殺したりする。魔神仔や紅衣小女孩に似たイメージのある怪異なのです。だから蓮は台湾に伝わった「トイレの花子さん」の怪談が土着の怪談である魔神仔の話と結びついて「紅衣小女孩」が生まれたのではないかと考え、それならば「トイレの花子さん」の弱点も紅衣小女孩は引き継いでいるのではないかと考えたのです。トイレの花子さんの弱点として有名なものは「100点満点の答案用紙を見せると悲鳴を上げて消え去る」というものが言い伝えらえており、それで蓮は乙の100点の答案用紙を趣味で保管していたのでそれを持ってきて、外に出ようとして近づいてくる水浸しの足跡に向けて見せたところ、透明人間はシズクの姿に戻って気絶したようです。

だが、それで紅衣小女孩が完全に消え去ったわけではないようです。もともと100点満点の答案用紙は花子さんを撃退するためのものであり、完全に消し去るほどの力は無いみたいです。つまり現在は答案用紙を見せたことで一時的に紅衣小女孩が弱体化していて、まだ完全に殺されていなかったシズクの身体が一時的に元の戻っているが、まだ紅衣小女孩が憑りついた状態は継続しており、このまま放置しておけば、いずれは紅衣小女孩が力を取り戻して再びシズクの身体を殺して液体幽霊の姿に戻してしまい、今度こそシズクは完全に次の紅衣小女孩になってしまう。だから急いできさらぎ駅にシズクを運ぶことになりました。

蓮はきさらぎ駅で何をしようとしているのかというと、切符を買って紅衣小女孩を異界行きの電車に乗せて送り出してしまうことでシズクを救おうとしているのです。蓮の言うには、怪異というものは世界に生じた異物のようなものであり、世界はそうした異物である怪異を排除したがっているらしい。前回考察した結果、怪異というものは人間の集合無意識が実体化したようなものであり、異界由来ではなくこの世界に由来するものだという結論になったが、そうやってこの世界で生み出されたものでありながら、それが歪んだものであった場合は世界がそれを排除しようとするようです。排除する先はこの世界とは別の世界である異界なのだそうで、きさらぎ駅はそのために存在しているのだという。つまり、世界から異物である怪異を異界行きの電車に乗せて異界に送り出すための場所がきさらぎ駅なのです。

そして、そのきららぎ駅から続く電車の路線の最果てに蓮や乙の元々居た世界があるのだと蓮は菫子に打ち明け、自分と乙は「異界からの漂流者」だと告白した。この話をどう解釈すべきか難しいところだが、蓮と乙の故郷というのは怪異の捨て場所である異界とはまた異質な場所のような印象です。もしかしたら、異界行きの電車の最果てにはこの世界と対となるような世界が存在していて、その世界もまた異物として生じた怪異を排除しようとしており、蓮と乙はそうやって元の世界から排除されて電車に乗せられてこちらの世界に来たのかもしれない。

ただ、きさらぎ駅の駅員の言葉によれば、蓮と乙は実の兄妹ではなく、ましてや蓮は人間ですらないのだという。そして蓮には帰る場所など無いのだともいう。だが蓮は自分はどうなってもいいから乙だけは「本当に迷子」であり「待っている者もいる」のだから返してやりたいのだとも言っており、どうやら蓮は怪異であり、乙は普通の人間であり、蓮が元の世界から排除されてこちらの世界に来た際に乙は巻き込まれただけなのかもしれない。ともかく、きさらぎ駅も含むこの異界電車システムは怪異を排除すべき異物を見なして見下しているようであり、彼ら事態は人外の得体の知れない存在ではあるが、怪異しのものではないようです。彼らは一段高みから蓮や董子のことも見下しており冷たい印象であり、もしかしたら時空のおっさんが言っていた「上」という存在と何か関係があるのかもしれない。

まぁそれらの要素は今後のストーリーに関わってくることでしょうけど、今回はどうやって紅衣小女孩を電車に乗せてシズクを救うかという話が重要です。そのために電車の切符を買わなければいけないのだが切符に交換できる怪異や呪物が蓮の手元に今は無い。そこで蓮は董子がさっきビルの屋上で何かを拾っていないか尋ねると、董子はハサミを取り出す。それはさっき董子が屋上に出た時にシズクが手に持っていたハサミだった。シズクの身体がその直後に液体化して消えて後もハサミだけは残ってその場に置いていたので董子が拾って持っていたのです。そのハサミはもともとシズクの髪をトモコの幽霊がカットした際に使っていたものだった。つまり、もともとはトモコの持ち物だったのです。トモコが成仏した際も何故かそのハサミだけは残っておりシズクに手渡されていた。つまりトモコからシズクに託されていたのです。

そのハサミはおそらくトモコの「シズクの髪を切りたかった」という強い想いがこもったものであり、その想いは遂げられたので成仏していくトモコにとってはもはや不要のものになったのでしょうけど、それがシズクに手渡されていたというところに大きな意味がありそうです。蓮が見てみたところ、やはりそのハサミは「呪物」になっていたようです。トモコの「シズクの髪を切りたかった」という強い想いがハサミを呪物と化したのでしょう。そして「呪物」であればきさらぎ駅で切符と交換出来る。だからこのハサミで切符を買えば紅衣小女孩を異界行きの電車に乗せてこの世界から排除してシズクを救うことが出来るのです。トモコの幽霊はそのことを知っていて、呪物であるハサミをシズクに託すことで、自分の身代わりとなってくれたシズクを救い、自分を殺した紅衣小女孩に復讐しようとしたのでしょう。

そうしてハサミで切符を購入して、乙が気絶したままのシズクを運んで改札の中に入ってホームに向かう。改札内は駅の様々な構造物が散乱している不気味な状態であったが、途中でシズクは目を覚まして、乙からトモコが成仏出来たということを知らされて、それならもう自分はこのまま死んでもいいのだと言います。だが乙はトモコの立ち回り先で聞き込みをした際にトモコの多くの知り合いと話をした時のことをシズクに伝える。それによると、トモコは生前、誰に対してもシズクとの思い出の話ばかりしていたのだという。つまり、シズクは「トモコにとって自分は知り合いのうちの1人に過ぎない」と思い込んでいたが、実際はトモコにとってシズクは特別に大事な存在だったのです。だからこそ早く美容師になってシズクの髪を真っ先に切りたいと強く願っていたのであり、それは呪物を生み出してしまうぐらいに、また、幽霊になってまでもシズクの髪を切らねば成仏できないほどに強い想いだったのです。そのトモコが呪物となったハサミを託してくれたのも、きっとシズクに死なないでほしいという想いの現れに違いないと乙に言われて、シズクはトモコがこんな誰からも見捨てられた自分を大切に思ってくれた想いを知り、感動の涙を流して、そんなトモコの想いに応えて自分は生きなければいけないと思った。

そうしてシズクは乙と共にきさらぎ駅のホームに行き、そこに到着した満員電車に自分の身体から引き剝がされて電車に乗せられていく紅衣小女孩の断末魔の姿を見送ることとなった。その電車はこの世界に生じた異物である怪異を異界に運ぶ電車だから、電車に乗っていた満員の人間のように見えた不気味な人影は、おそらく全て怪異だったのでしょう。いや、あるいはこの世界ではない別の世界から乗せられてきた怪異も多く居たのかもしれない。とにかく紅衣小女孩は必至で電車の閉まったドアを叩いて助けを乞うていたが、もはや誰もそのノックに応える者はおらず、空しく電車は発車してホームから消えていったのでした。