2024春アニメ 5月16日視聴分 | アニメ視聴日記

アニメ視聴日記

日々視聴しているアニメについてあれこれ

2024年春アニメのうち、5月15日深夜に録画して5月16日に視聴した作品は以下の1タイトルでした。

 

 

怪異と乙女と神隠し

第6話を観ました。

今回はまず董子が乙を蓮のもとに返すためにきさらぎ駅に行きますが、その際に街の中にある奇妙な赤いオブジェの周りを乙が月に関する内容の変な詩を朗読しながらぐるっと回ると、辺りの景色が変わってきさらぎ駅の入り口が現れるという不気味な描写があります。董子はそれを見て驚きますが、もともと蓮と乙が普通の人間ではないことは察していますから、別に騒ぐようなことはしません。まぁ確かにあのきさらぎ駅の出口が普通に他の人間が出入り出来る場所にあったら、間違えて入ってくる人もいるでしょうし、あのきさらぎ駅の周囲の空間は現実世界とはちょっと異質な空間なんでしょうね。但し、そこは蓮や乙が戻りたがっている「異界」つまり現実世界とは別個に存在する「別の世界」というわけでもない。

おそらくは、何らかの事情があって普通の人間が立ち入れないようにしている、現実世界と繋がって存在している結界的な異空間なのでしょう。この場合は「きさらぎ駅に普通の人間が入ってこれないようにするため」という目的で作られた結界空間と考えればいいと思います。そう考えると、前々回のエピソードで蓮が路地から入り込んで時空のおっさんと会った無人の街のような謎の空間も、そうした「現実世界と重なり合って存在する結界空間」と考えればいいような気がする。そこはどういう目的で作られているのかは分からないが、時空のおっさんが何らかの活動をするために作られた空間なのかもしれません。そういう空間には時々普通の人間が迷い込んできて、時空のおっさんはそういう人を元の現実空間に戻るよう促しているのでしょう。蓮の場合はワザとその空間に入ってきて時空のおっさんと会い目の治療の相談をしたというところでしょう。

前々回において時空のおっさんは「ここは新しい町だから」「新しい土地には新しい神が宿る」と言っており、それは時空のおっさんの居たあの無人の街のことを指しているみたいに見えたのですが、今回のエピソードでは蓮は同じセリフを現実世界の東京の街に対しても言っている。つまり、時空のおっさんも現実世界の東京の街のことを言っていたのであり、時空のおっさんや蓮はあの無人の街の空間と現実世界の東京の街とを同一の存在と見なしているみたいです。だから、やはりあの時空のおっさんの居た空間は、あくまで現実世界に付随して作られた結界空間のようなものだと考えるべきなのでしょう。そして、それはきさらぎ駅から切符を使って電車に乗って行くような「本物の異界」とは別個の空間ということになります。

董子は乙が奇妙な詩を詠んで結界空間に入っていくのを見て驚いていたということは、おそらく結界空間から現実空間に出る時は特にそうした儀式は必要なく、歩いて普通に出られるのでしょう。以前に董子は乙と一緒にきさらぎ駅からコオネ女学院に行ってますが、その前にきさらぎ駅に来る際は董子は気絶した状態だったのでオブジェの周りで詩を詠んで結界空間に入る儀式などは見ていなかったのでしょうね。

とにかく、そうして乙と一緒にきさらぎ駅に入っていき、董子はそこで待っていた蓮と会い、預かっていた乙を返すと、続いて先に連絡していたシズクの件の話をすることになります。シズクが1年前に行方不明になった友人のトモコを探しているという一件ですが、そこにどうも怪異が絡んでいるらしいので蓮に連絡したのです。そしてシズクから聞いた話を伝えたところ、蓮には心当たりがあるようなので、戻ってきて話をしたいというので、それでこうして董子も乙と一緒にきさらぎ駅で蓮と会うことになったわけです。

そうして蓮に話を聞いたところ、蓮は2014年に台湾で起きた不思議な事件の話をします。80歳の老女が旅先で行方不明になった事件ですが、老女は4日後に激流を渡らなければ辿り着けない場所にある洞穴の中で発見され、その場所は老女の身体能力では行くことは不可能な場所だった。また、老女は「赤い服の少女に連れられて行った」と証言しているが、防犯カメラに映っていた失踪時の老女は1人で歩いていたという。

この「赤い服の少女」というのが今回のトモコの失踪事件と共通項なのです。トモコは雨の日にドアをノックして部屋に入ってこようとする謎の相手を確かめようとして一度ドアを開けてみたところ、赤い服の子供の姿が見えたと言っている。そしてトモコが失踪した時のビデオ通話にも、通話が切れてトモコの消息が途絶える直前に画面に赤い小さな影が横切っていた。そのビデオ通話の映像は董子と乙だけがシズクに見せてもらっており、蓮は直接は見ていない。董子たちも一瞬見ただけなのでその赤い影がハッキリと「赤い服の少女」だったと確認出来たわけではないが、とりあえずそれだけの情報で蓮はおそらくそれは台湾の2014年の事件の「赤い服の少女」と同一の怪異なのだろうと推測したようです。

その「赤い服の少女」の怪異とは「紅衣小女孩」という台湾で最も有名な都市伝説だという。董子もオカルト好きなので名前ぐらいは聞いたことがあった。都市伝説としての「紅衣小女孩」の始まりは1998年のオカルト番組への投稿であり、その後類似の事例が報告されて広く知られるようになった。「きさらぎ駅」や「時空のおっさん」と似たパターンです。ただ、「紅衣小女孩」の場合は、もともと台湾では同じように「人を連れ去る怪異」についての言い伝えはあったのだという。

それらは「紅衣小女孩」ではなく様々な別の名で言い伝えられており、その代表的な例が「魔神仔」というもので「モシナ」と読む。この「魔神仔」は悪戯好きな妖怪で、山や森で人を迷わせて帰れなくしたり子供をさらったりするという。山の中で宴会をして美味しいものをご馳走になっていたと思ったら牛の糞を食わされていたという魔神仔の被害例もある。何だか日本の民間伝承にある「狸に化かされた」という類の話に類似しており、「ムジナ」と「モシナ」という読み方も似ていることからも同系統の妖怪だと思われる。

ただ日本における「ムジナ」との大きな違いは、日本では「狸に化かされた」なんていう事件はもう報告されていないが、魔神仔は現在でも現実に被害の報告があるという点です。まぁ日本でもそんな大昔に遡らなくても昭和30年代ぐらいまでは「狸に化かされた」という事件は報告されており新聞記事になったりもしている。実際に人を化かす狸やムジナのような妖怪が存在していたのかどうかはともかく、昭和30年代ぐらいまでは日本でも「ムジナ」は立派な「都市伝説」だったのです。だが時代が変わり、街も新しくなって「ムジナ」の都市伝説は廃れた。時空のおっさんが言うように「新しい町」が出来たので、「古い神」はそこには存在出来なくなったのです。そこには「きさらぎ駅」や「時空のおっさん」のような新しいタイプの都市伝説、つまり「新しい神」「新しい怪異」が宿ることになる。

しかし台湾ではまだ「古い神」である「魔神仔」の都市伝説もなんとか生き残っていて、更にそこから新しい都市伝説である「紅衣小女孩」も派生してきているのです。魔神仔の特徴は子供のように小さくて、身体の一部に赤い色が目立つ特徴になっていて、それは「紅衣小女孩」と似ており、行動が似ていることもあり、両者は同系統の都市伝説と見ていいでしょう。

ただ、「紅衣小女孩」はあくまで台湾の都市伝説なのであり、いくら台湾では最も有名な都市伝説だといっても、日本では最近になって知られるようになったものに過ぎない。仮に「紅衣小女孩」という赤い服を着た少女の怪異が存在していたとしても、それは台湾に居るもののはずです。それがどうして日本に来て失踪事件を引き起こしているのか不可解だと董子は言います。しかし、それに対して蓮は「新しく知られるようになった」からこそ、この街に「紅衣小女孩」は現れるようになったのだろうと言う。それは、この街が「新しい町」であり「新しい土地」だからだという。つまり時空のおっさんが言っていたように「新しい土地には新しい神が宿る」のであり、台湾では比較的昔から馴染のある怪異である「紅衣小女孩」ですが、日本では馴染が薄くて最近知られるようになったからこそ「新しい神」として「新しい土地」に宿りやすいということなのでしょうか。更に蓮はもう1つ、「紅衣小女孩」には「ノック」や「雨」の要素は無いはずなので、それも気になると言う。

このあたりの考察の続きは後に回すとして、この2014年の「紅衣小女孩」の事件の話を聞いて、乙はその老女が無事に戻ってこれたのかを気にします。蓮が老女は無事だったという話をすると乙は安堵したようで「きっと、ずっと探してくれている人がいたから無事に戻ってくることが出来たんだ」と言う。確かにその老女の家族は4日間必死に老女を探し回り、警察も懸命に捜索をしていた。そうやって本人が皆に必要とされて、帰ってくる場所を用意してくれていたから老女は生きて戻ってくることが出来たのだと乙は信じたいようです。

だが実際は「紅衣小女孩」の絡んだ事件や「魔神仔」の絡んだ事件にしても、失踪した人が遺体で発見された事例はあるし、失踪したまま戻ってきていない事例もある。だから「ずっと探してくれている人」が居たからといって無事に失踪者が発見されるとは限らないのだが、乙は頑なにそう信じたいみたいです。だから、トモコだってシズクが探し続けているのだからきっと無事に戻ってこれるはずだと信じたいし、自分もシズクを手伝ってトモコを探せば、いっそうトモコが戻ってくる確率が上がるはずだと言い出し、乙はシズクの手伝いをしたいと言います。

乙がそこまで頑なに「ずっと探してくれている人がいれば無事に戻れる」という考え方に固執する理由は、おそらく乙自身が異界からこちらの世界に神隠しに遭った失踪者だからなのでしょう。そしてなかなか元の世界に戻ることが出来ず焦っていて、それは元いた世界で自分を心配して探してくれるような人がおらず、自分の戻る場所を誰も用意してくれていないせいだと思い不満を抱いていたのでしょう。だから、シズクがトモコを懸命に探しているのを知って、元の世界でも自分のことをこんなふうに必死に探してくれている人がいるかもしれないと希望を持つことが出来たのが嬉しかったみたいです。それでシズクのことを応援したくなったみたいです。

だが蓮は乙には荷が重いからダメだと言って反対します。しかし乙はそもそも自分を元の世界に戻すために蓮が無茶をして目を傷めたりしているのを心配してこういう考えに至っているので、その想いを無視して蓮に子供扱いされて何もするなと言われてしまうと腹が立ってしまう。それで乙はヘソを曲げて自分で勝手にやるとか言って出ていってしまう。蓮は目に包帯を巻いていて今は目が見えない状態なので乙を止めることが出来ず狼狽えてしまい、結局は董子に乙のことを任せることになります。そして董子は乙にシズクへの連絡先を教えてやり、乙がシズクに連絡し、董子は乙と一緒にシズクのバイトする店に行くことになりました。結局、董子はとりあえず乙の好きなようにやらせて満足させてあげつつ、自分が監督することで乙が危険な目に遭うことを防ごうと考えたようです。普段ならそれは蓮の役目なんでしょうけど、今の蓮は目が見えないので動ける状態ではないので董子が代行するしかない。

そうしてシズクのバイト先に行くと、そこはメイド喫茶でした。シズクはそこでメイド服で接客をして「メイド長」という役職で働いており、要するにバイトリーダーみたいなものです。そこで乙はシズクにトモコを探すのを手伝いたいと申し出るが、シズクは「バカにしやがって」と不機嫌な様子です。どうやら乙が子供なので、子供が興味本位で面白がって首を突っ込んできてると思って、真剣にトモコを探しているシズクは自分がバカにされているように感じて腹が立ったようです。だが乙が自分は怪異の痕跡を目で見ることが出来ると打ち明け、トモコの立ち回り先を教えてくれれば痕跡を発見出来るかもしれないと食い下がるので、シズクも半信半疑ながらトモコの関係先を教えてくれた。

それで乙と董子はトモコの関係先に出向き、そこで更に聞き込みを行いトモコが立ち寄った先を片っ端から回っていき怪異の痕跡を探したが、やはり1年も経っているからなのか痕跡は全く見つからなかった。ただ、董子は意外にトモコの交友関係が幅広いことに違和感を覚えていた。確かシズクが「自分もトモコも天涯孤独の身」と言っていたので、てっきりトモコは社会から孤立した生活を送っていたのかと思っていたのだ。ところがトモコは友人が多く、しかもみんなトモコがいなくなって心配していた。だが実際にトモコの行方を捜していたのはシズクだけだった。そのあたりは、実際に捜すほど親しい仲だったのはシズクだけだったということなのかもしれない。しかしそれだけ親しいにもかかわらずシズクがトモコの交友関係の広さを把握していなかったというのも少し奇妙です。

そうして1日中トモコの立ち回り先を回って戻ってきて休んでいると、シズクがやってきて2人を誘ってラーメンを食べに行きます。そこで董子はシズクにトモコとどういう付き合いであったのか質問する。シズクによると、シズクとトモコは同郷みたいで、共に親と折り合いが悪くて一緒に東京に出てきて同居していたらしい。家族とも縁を切って上京してきたので、確かに2人との天涯孤独の身のようなものであり、そうした孤独な2人は同居して貧乏暮らしをしていたようで、その頃は確かに最も親しい友人同士であったようです。しかし、その後、トモコが美容師学校に通い始めてからは別居するようになりあまり連絡も取らなくなったようです。そして1年前のトモコが行方不明になった日に突然久しぶりの連絡があり「ようやく美容師として店頭に立てる」と言っていたのだという。ところがその日の夕方にコンビニの前で話し込んだ後、家に帰ったトモコから例のビデオ通話があり、その直後にトモコは消息を絶ったのだという。

ここで意外な事実が分かりました。前回の冒頭のシズクとトモコが一緒にコンビニの前で喋っていた場面はてっきりトモコが行方不明になる少し前のことだと思っていたのですが、どうやらあのコンビニの場面の出来事の数時間後にトモコは行方不明になったようです。そうなると、トモコがビデオ通話でシズクに向かって「雨の日に赤い服の子供がドアをノックして入ってこようとする」という出来事が何度も起きていると言っていたのは、コンビニの前でその話に触れていたのか、あるいは突然ビデオ通話において言い出したのかのどちらかなのでしょう。

そしてもう1つ明らかになったのは、トモコが行方不明になる日まで実はシズクはトモコと3~4年ぐらいは疎遠な関係だったということです。何故なら美容専門学校に通い始めてから美容師になるまで2~3年はかかるものであり、更に国家資格を取ったからといってすぐに客の髪を切らせてもらえるわけではなく、やはり最低でも1年ぐらいは下積みがあるものだからです。シズクはトモコが専門学校に通うようになると別の部屋に住むようになり連絡もあまり取らなくなったと言っているから、1年前にトモコは美容師として店頭に立つことになったと自慢していた時点でそこから3~4年は経過しているということになる。つまりシズクはトモコと3~4年ぶりに再会して、その日にトモコから急に変なビデオ通話があり、その直後にトモコは失踪したということになります。シズクは実際には失踪前の3~4年ほどの間にトモコに何があったのか知らないのであり、だからトモコが意外に交友関係が広かったことも知らなかったのです。シズクが語っている「私たちは2人とも天涯孤独の身」という話は現在から4~5年前に2人が同居していた頃の話であり、あまり実態を反映していないのです。

つまり、トモコは1年前のある日、突然にシズクの前に現れて、その直後に姿を消したということになる。その話を聞いて董子は本当にその日にトモコはシズクの前に現れたのだろうかと疑念を抱いた。実際にシズクはトモコと会っているし、ビデオ通話も残っているから、そんな疑念を抱くこと自体がナンセンスなのだが、何せ怪異が絡んでいる事件ですから常識では考えられないことも起こり得る。そこで董子はシズクがトモコからビデオ通話を受けてトモコが失踪したという日時を聞いた上で、その日に起きた出来事を調べるために翌日は市の図書館に籠って新聞記事のデータベースを漁ることにした。

すると、そこで奇妙なことが分かった。ビデオ通話の時刻から割り出したトモコ失踪の日時と同じ日時に別の場所で女性の遺体が発見されていたのですが、それはトモコとは全くの別人の女性であったが、半年前に消息を絶って捜索願が出されていた女性だった。この偶然の一致に興味を抱いた董子は、データベースで3年分の行方不明者をリストアップして調べてみたのだが、すると誰かが失踪した日に過去の行方不明者の遺体が発見されたケースが6件もあり、しかもそれが全て雨の日だった。失踪日の確定していないケースも多いので、おそらく他にも同一事例はあると思われる。つまり、「誰かが消えると誰かが見つかる」ということだと董子が蓮に連絡してこの調査結果と共にそう伝えると、蓮は「まるでリレーだ」と応じる。それを聞いて董子は何かに思い当たったようで愕然とします。

一方で蓮の方も「紅衣小女孩」について改めて調べたと言い、その結果を董子に報告する。それは「紅衣小女孩」の都市伝説には「ノック」や「雨」の要素が無いという違和感についての話でした。まず「ドアをノックする」という事例についてはよく調べてみると「紅衣小女孩」の報告例の中にあったそうです。夜になると赤い服を着た少女が現れて遊びに誘ってくるのだが、遊びに応じると命を落とすという怪談が台湾の大学に言い伝えられているのだが、その怪談の中で赤い服の少女がドアをノックして呼びに来るという話があり、事の真偽はともかく、都市伝説としてそういう要素はあったということになる。

そして「雨」の方は「紅衣小女孩」にはそういう要素は無く、それは台湾の伝統的な妖怪「水鬼」のイメージが反映されたものなのだろうと蓮は言う。「水鬼」というのは日本における河童と似た感じの妖怪で、水辺で人を襲うのだそうです。その「水鬼」のイメージが「紅衣小女孩」の都市伝説に継ぎ足されて、「紅衣小女孩」の都市伝説はこちらの街に伝わる過程で変質したのだろうと蓮は言う。「怪談として怖くなるように語られていくうちに継ぎ足されてそうなった」のだと。

つまり都市伝説は伝播していく過程で他の都市伝説や昔の伝承とイメージが重なり合って、より怖くて刺激的な都市伝説へと進化していくのです。そうして生まれた「より新しい都市伝説」でなければ「新しい土地」には宿らないのでしょう。ここまでの話だけならば「都市伝説とはそういうものなのだろう」と納得できる話ではあります。ただ、この作品の場合問題なのは、そうして生まれた都市伝説が実体化することなのです。

今回の蓮の話を聞く限り、そう解釈するしかない。私はこれまではこの作品において登場する「怪異」というものは、この現実世界とは別次元に存在する「異界」で生まれたものであり、現実世界とはもともと無縁のものだと思っていた。そういった「異界」由来の異物のような「怪異」にたまたま現実世界で遭遇した人がそれを都市伝説や昔の伝承のような形で言い伝えたのだろうと思っていた。しかし、怪異のイメージに別の怪異のイメージが組み合わされて新しい怪異が生み出されて、それが現実に現れて人を失踪させているとなると、ちょっと話は違ってきます。「怪異」というものは別の世界で実体をもって存在しているものがこっちの世界に迷い込んできたものではなく、こっちの世界で想像上で作られた空想が実体化したものということになる。例えば牛鬼や塵輪鬼なども過去の伝承が実体化したものなのでしょう。一種の集合無意識の実体化したものであり、神や悪魔もこの作品の世界観では実体化して何処かに居ることになるのかもしれない。ならば「異界」とは何なのかという話になるが、もしかしたら「異界」もそうして空想が実体化した「怪異」の一種なのかもしれない。その「異界」で生まれた蓮や乙は空想の産物なのかというと、それは違うのだと思う。空想から生まれたとしても実体化した以上は現実世界と同様の現実の世界なのであり、そこでは普通に人間が生まれて暮らしているのでしょう。もちろん神や悪魔の住む「異界」も存在するのかもしれない。あるいはこの私たちの住む現実世界も誰かの集合無意識が実体化した世界なのかもしれないですね。

まぁそこまで大きな話はここでは置いておいて、問題はこの作品の世界観においては、そうやって様々な怪異のイメージが集合して新たに生まれたより危険な怪異も実体化して現実上の脅威となるということです。ここでは、董子が「まるでリレーだ」という蓮の言葉から連想したヤバい怪異のことを指し、そしてその怪異は蓮が「水鬼」から連想して危惧していたヤバい怪異と一致しており、蓮は董子の調査結果の「誰かが消えると誰かが見つかる」という言葉を聞いて、自分の危惧が現実化していることを確信したのだと言います。そのヤバい怪異とは何なのか、だいたい推測は出来ますが、それはどうせ次回触れられるでしょうし、私はそのエピソードで言及されていない固有名詞などに触れるのは一種のネタバレになりエチケット違反になると思うので、今回はあえてそこには踏み込みません。ちなみに私は原作未読なので私の推測が当たってるかどうかは分からないですけどね、それでも一応はネタバレになってしまわないように固有名詞を出すのは遠慮しておきます。

何にせよ、その日は雨であり、そのヤバい怪異が現れる可能性が高く、しかも何処に現れるのかについても董子も蓮も推測がついていた。このあたりの細かい理由は今回のエピソードの内容だけでは私もよく分かりません。とにかく董子は乙の身の安全を心配し、蓮から今日は大人しく学校に行ったと聞かされて董子は安堵している。つまり董子は乙が学校をサボってトモコ探しを1人で続けていないかと心配していたみたいです。言い換えると、トモコの調査のために乙が行きそうな場所が危険な場所だということになる。それはシズクの働くメイド喫茶ということになる。つまりシズクのもとにそのヤバい怪異が現れるのであろうことを董子は予想していたのです。だから乙がこの雨の中、シズクに会いに行くことを董子は心配していたのですが、実は乙は学校帰りにシズクのメイド喫茶に寄っていた。

そこで突然休んでしまったメイドのバイトの穴埋めをするために乙がメイド服を着て働く羽目になり、乙がドジっ子メイドとして奮闘するギャグシーンが描かれたのですが、その後、乙がシズクと一緒に居て、シズクから最初辛く当たったことを詫びてもらったり、乙が自分の身の上を話した上でシズクを応援したいと思っていることを伝えているところに董子から電話があり、董子が乙がシズクの店に居ると知って愕然とした時、乙とシズクがいる部屋のドアが激しくノックされる。

そのノックされたドアは誰もいないはずの屋上に通じるドアであり、一体何者がノックしているのか、非常に不気味です。ドアの窓からぼんやり見える屋上は雨が激しく降っていて水浸しであり、まさに董子が危惧している怪異の現れる条件が揃っている。その水浸しの屋上には女性が1人立っており、乙とシズクの居る部屋に入ろうとしてドアをノックし、ドアノブをガチャガチャ回してくる。その姿は乙にもシズクにも見えていますが、ドアの窓はすりガラスだから女性の顔はハッキリは見えない。唖然として女性を見る乙とシズクに対して董子は電話で「私が行くまで絶対にドアを開けるな」と伝え、更に「紅衣小女孩はトモコさん自身だ!」と驚愕の真実を告げる。今回はここまでであり次回に続きます。