2024冬アニメ 3月14日視聴分 | アニメ視聴日記

アニメ視聴日記

日々視聴しているアニメについてあれこれ

2024年冬アニメのうち、3月13日深夜に録画して3月14日に視聴した作品は以下の3タイトルでした。

 

 

外科医エリーゼ

第10話を観ました。

今回を含めて残り3話ですが、今回は良かったですね。やっぱりリンドン皇太子とエリーゼが絡むと話が面白くなる。エリーゼは病院勤務が休みの日も医師試験に備えて家で勉強していたが、次兄のクリスに気分転換をするようにと言われて外に放り出されてしまう。するとエリーゼの足は自然にテレサ病院に向かってしまい、休みなのになにをやっているのかとエリーゼは自分に呆れる。すると、そこにエリーゼが風邪をひいていたと長兄のレンから聞き気になって仕方なくなったリンドン皇太子がやってくる。但しお忍びなのでアーティファクトの力を使ってロンの姿に変装している。

それでテレサ病院の前でバッタリ出会った2人は、ロンが借りを返したいと言ってエリーゼを洋菓子屋に誘いケーキを食べさせる。そしてエリーゼが興味を持っていたお芝居を、ロンは自分も芝居を見たかったと言って一緒に観劇する。そうした時間を共に過ごしながら、エリーゼはロンに何故か親近感を覚えて、ただの患者のはずのロンのことを以前からよく知っているように思い、男性として意識するようになっていく。これはもともと前々世からずっと愛していて夫婦にまでなったリンドンとロンが何故か重なって見えてしまった結果、生じた感情だった。

つまり、今でもエリーゼはリンドンのことを愛しているのだが、リンドンの方は前々世の記憶など無いので、エリーゼとはまだ出会って間もなく、突然に自分との婚約を破棄して医者になりたいなどと言い出すエリーゼはきっと自分のことを好きではないのだろうと思っている。その上でエリーゼに片想いしているリンドンは、こうしてロンの姿でいる時しかエリーゼと楽しい時間を過ごすことが出来ない。そして、エリーゼがロンに好感を抱いていることはリンドンも気付いているが、それはあくまで本当の自分ではなく偽物の自分に対する好意なのであり、偽物の自分の姿になってまで本物の自分を嫌っているエリーゼに会いに行く自分をなんて情けない男なのだろうと思っている。

そうしていると劇場が火事になってしまい、エリーゼやロンの先導で観客たちは無事に脱出することが出来たが、子役の男の子が柱に足が挟まって逃げられなくなってロンが助けるために居残り、エリーゼは非常に心配し、ロンが男の子と共に無事に脱出出来たと知って大いに喜び涙して、2人の仲は深まった。だがこの無理が祟ってアーティファクトの力が尽きてしまい、リンドンはその場は上手く正体がバレずに姿を消したが、当分の間はロンの姿になることは出来なくなり、リンドンはこれを機会にもう女々しくロンの姿になってエリーゼに会いに行くのはやめて、エリーゼのことは諦めようと決意するのでした。こういう2人のすれ違う心情がなかなか良かった話でしたが、これで残りは2話で、医師試験がどうなるかも気になりますが、2人の仲がどうなるのかも気になりますね。

 

 

魔法少女にあこがれて

第11話を観ました。

今回も含めて残り3話ですが、今回でロード団との戦いは終結して、そうなると残り2話は今回復活したトレスマジアとの戦いが描かれて今期は終了という形になりそうですが、原作漫画も連載中ですから、戦いの決着がつくわけでもないでしょうし、どういう形で今期の締めとするのか気になるところです。また、ヴェナリータが何やら怪しげなムードも醸し出してましたけど、そのあたりもラスト2話で何か触れられるんでしょうかね。2期もあるのかもしれませんけど、そうだとしても今期は今期で綺麗な締め方はしてほしいところですね。

今回の内容としてはロード団との戦いの決着が描かれて、全体的にバトル描写が多めで盛り上がりましたが、この作品の特徴である歪んだ性癖関連の描写に関しては今回は薄めではありました。そもそも今回の敵であるロードエノルメとシスタギガントというのがそういう性癖関連の描写に乏しいキャラで、割とガチの悪役キャラなので、普通の魔法少女モノみたいな感じになっています。まぁ主に描かれてるのは悪の組織同士の内紛なんですけど。だからバトル面では充実しているエピソードでしたけど、この作品の本質といえる性癖絡みの話は薄めでした。ただ、それを逆手にとってベーゼが本来の自分を取り戻して再覚醒しての大逆転劇を面白く描くことが出来ていて、そこが更にまたエロくて笑えたので、しっかりハイレベルなエピソードにはなっていました。こういうのを神回と言う人も多いようで、私は神回とまでは思いませんけど、十分に面白かったし神回と言う人がいるのも分かります。物語的にはロード団に勝利して大団円で、ベーゼがエノルミータ総帥に就任とか、トレスマジア復活とか、ホテルを建てるとか、派手な展開が多くて盛り上がったし、まぁ最高潮の盛り上がりだとは思います。

まず最初はマジアベーゼがナハトベースに入っていってロードエノルメと対峙する場面がちょっと描かれた後、レオパルトとシスタギガントとの戦いが描かれますが、星3つのビーストモードに変身したレオパルトは圧倒的火力でシスタギガントを圧倒します。しかし勝利目前でレオパルトは急に吐血してしまい動きが止まってしまう。どうやらレオパルトは魔力を上手く扱えていないようです。それで膨大な魔力を使うと身体に負担がかかってしまい吐血したりするようで、そんな戦い方をすれば死んでしまう可能性が高い。だからレオパルトはこれまで自分が星3つであることを隠していて、星無しと偽ることで少しの魔力しか使わない戦い方で済ませてきたようです。

だが今回、どうしてもシスタギガントを倒したくなって星3つのビーストモードになることを決意したようです。それは前回の描写では単にシスタギガントへの敵愾心とか、仲間のために戦おうとか、そういう動機であるかのように見えていて、ベーゼに「この戦いが終わったらホテルに行こう」と言っていたのもカッコつけて死亡フラグっぽいことを言っただけみたいに見えていましたが、実際は単にベーゼとホテルに行きたかっただけみたいです。

自分がこの状況でシスタギガントと戦うと言って死亡フラグっぽい感じで「この戦いが終わったらホテルに行こう」と言えば、普段はホテルに誘っても断ってばかりのベーゼでもOKするだろうと思ってああいうことを言ってしまい、それで実際にシスタギガントに勝つためには普段は使わないビーストモードになるしかないが、途中で吐血したりするのをネロアリス達に見られてしまうと戦いを止められてしまいベーゼとホテルに行けなくなってしまう。だから仲間がいない場所に行ってからビーストモードになったみたいです。

ただ結局は体調不良で戦えなくなって負けてしまったり死んでしまったりしたら元も子も無い。だからレオパルトがホテル行きたさに無茶なことをして愚かに見えてしまいます。張り切って戦いながらレオパルトは次第にフラフラになってきて射撃の狙いもロクにつけられなくなり、シスタギガントに弾も命中しなくなり周囲の地面に外れていきます。それでシスタギガントも勝利を確信してレオパルトにトドメを刺そうとしますが、レオパルトがベーゼとホテルに行けるチャンスをそんな簡単にフイにするつもりなどあるわけがなく、ちゃんと勝算のある戦い方をしていたのです。

ネロアリスに「考え無しじゃない」と言っていた通り、レオパルトは自分の身体の限界も計算に入れて、それを逆手にとってシスタギガントを油断させることも含めて巧妙に罠を仕掛けていた。フラフラになって外れていたように見えていた弾はシスタギガントの周囲の地盤を崩壊しやすくするために撃ち込まれていたものであり、シスタギガントは巨大化した身体の重さが仇となって、そうしてレオパルトが仕掛けた地盤の崩落によって落とし穴に嵌り込んだようになって身動きが取れなくなり、顔が地面から出るような形となって、そこにレオパルトが勝ち誇って近づく。

シスタギガントは泣き声を出して降参しますが、レオパルトは全銃口をシスタギガントの顔面に向けて「ウソ泣きはやめて本気で泣いてみろ」とカウントダウンを開始する。そしてシスタギガントが本気で泣いて許しを乞うてもカウントダウンを止めず、シスタギガントは泡を吹いて失神してしまうが、実はもうレオパルトの身体も魔力も限界で、弾は撃てなかったのであり、シスタギガントはレオパルトのブラフで失神したのでした。そうして完全勝利を収めたレオパルトであったが、もう身体は限界を超えており、「やったよ、うてなちゃん、これでホテルに、興奮してきた」と言って真っ白な灰となって座り込む。まぁ死んではおらず、単にあしたのジョー的演出で力尽きて意識を失っただけなんですが。

一方で残りの魔物の群れと戦っていたネロアリスとロコムジカとルベルブルーメですが、ネロアリスのドールハウスに魔物を全部閉じ込めてその場を凌いでいた。しかしネロアリスが眠くなってしまい変身が解けてこりすの姿に戻り、ドールハウスも無くなってしまい、魔物たちが飛び出してきて攻撃を喰らったロコムジカもルベルブルーメも変身が解けて真珠とネモの姿に戻ってしまう。そうして3人は魔物に追い詰められて絶体絶命の窮地となってしまうが、そこにトレスマジアの3人が颯爽と登場する。

トレスマジアの3人は特訓合宿から戻ってきたところみたいですが、普段は認識阻害の魔法でこりすがネロアリスだとは認識していないし、真珠やネモとはそもそも初対面だし、彼女らがエノルミータの構成員とは気付かず、逃げ遅れた一般人と見なして助けただけでした。真珠とネモはこりすを抱えて、いきなり敵である魔法少女のトレスマジアに助けられて驚きますが、とりあえず自分たちの正体がバレていないようだと分かると、そそくさと逃げていった。

そして魔物の群れに相対したトレスマジアの3人であったが、このロードエノルメの生み出した魔物はロードエノルメ本人を倒さない限り倒せないとヴェナリータは言っていた。それをどう倒すのかと思ったら、自ら志願したアズールが1人でなんか凄い浄化技で魔物たちを消滅させてしまいました。技の詳細は不明ですが合宿で新しく編み出した技みたいですね。しかし、前回や前々回の合宿シーンではほとんど精彩を欠いていて成果など得られそうになかったアズールは一体急にどうしたのでしょうか。合宿で彼女に何があってダメダメっぷりが払拭されたのか気になるところです。

こうして街の方は騒動は収まりましたが、一方でナハトベースに乗り込んだベーゼはというと、ロードエノルメの繰り出す魔物の群れと戦っていましたが、どうにも精彩を欠いていて劣勢な戦いを強いられ、遂に魔物に囚われて拘束されてしまい、勝ち誇ったロードエノルメにどうして自分に逆らったのかと説教を喰らっていました。

ロードエノルメから見れば、ここまで一方的な勝負となり、そもそも星2つのベーゼが星4つの自分に敵うはずがないのに反抗した理由が分からない。破滅主義者であったのか、あるいはまさか正義にでも目覚めたとでもいうのかと呆れて問いかける。そして、正義などには何の意味も無いと言い、この世界は強い者が弱い者から奪うだけだとか説教を垂れる。ベーゼも魔法少女も等しく弱者なのであり、強者の自分の支配されるべきだとかロードエノルメは誇らしげに言う。

ベーゼはそうしたロードエノルメの言葉を聞いてウンザリした。世界征服だとか覇道だとか、強者が弱者から奪い支配するとか、悪の組織のテンプレみたいなカビの生えたようなセリフを聞いて、全くつまらないと思った。ただ「魔法少女が弱者」というセリフにはちょっとムカついた。魔法少女が弱者であって良いわけがない。魔法少女は強くて可愛い正義の存在であるはず。そう考えて、それを冒涜するロード団の魔法少女狩りに対して腹が立ったから自分はロードエノルメに戦いを挑んだのだということをベーゼは思い出した。なるほど、正義の存在である魔法少女を狩ったロードエノルメ達に対して怒りを覚えたから戦っているのだとするなら、確かにある意味では自分は「正義に目覚めた」といえるのかもしれないとベーゼは思った。

そこまで考えて、ベーゼは「だからダメなんだ」と気付く。自分はいつの間にか正義の側に立って悪の組織であるロード団と戦ってしまっていた。だからテンションが上がらなかったのだ。自分はあくまで「強くて可愛い魔法少女」と戦ってムチャクチャにする快楽でテンションを上げて戦うことで強さを発揮してきたのだ。だが、ロードエノルメを見ていても、彼女の話を聞いていても全くテンションは上がらない。ロードエノルメは確かに強いけど全く可愛くないからです。悪の幹部のテンプレみたいな退屈なセリフを吐くだけのロードエノルメは全く可愛げが無いし、ムチャクチャにしたくなるような純粋さも欠片も無い。「強くて可愛い正義のヒロイン」が相手じゃないとベーゼは全くテンションが上がらないのです。

実際、トレスマジアと戦っている時のベーゼはもっと生き生きしていてテンションも高く、戦い方にもキレがあった。それは性欲のために戦っていたからです。だが魔法少女狩りに怒りを覚えてロード団と戦い始めてからのベーゼは怒りで戦ってしまっており、性欲のために戦っている時に比べてテンションは低めで戦いにもキレが無くなっていた。ロコムジカやロードエノルメと戦った時も本調子とはいえなかった。それでもまだロコムジカはアイドルを目指しているという可愛げがあったし、ルベルブルーメは隠れレズという弄り甲斐があったのでベーゼもそれなりのテンションは維持出来たのだが、ロードエノルメは本当に何の可愛げも無くて、ベーゼのテンションは下がりっぱなしだった。

おかげでベーゼは精彩の欠けた戦いしか出来ない状態なのだが、可愛げは全く無いクセにロードエノルメはロコムジカなどよりも遥かに強くて、このままではベーゼに勝ち目は無い。それで捕まってしまってロードエノルメの説教を喰らう羽目になってしまったのだが、おかげでベーゼは自分の本来の取り戻すべき姿に気付くことが出来た。自分はあくまで「強くて可愛い純粋な相手」を悪の幹部として虐めてムチャクチャにしたいという性欲で戦わなければいけないのだとベーゼは初心を思い出した。

しかし、目の前の敵であるロードエノルメはそうした理想の敵の正反対の存在である。このままではどうしてテンションは上がらない。困ってしまったベーゼは、だいたいロードエノルメが自分をウンザリさせるようなことばかり言うのが悪いのだと心の中で愚痴る。イイ大人にもなって「世界征服」とか、よく恥ずかし気も無く言えるものだと呆れて「まるで子供みたいだ」とウンザリしたベーゼであったが、そう言われれば確かにロードエノルメは子供じみた女だと思えてきた。すると、なんだかちょっと可笑しくなってきて、ロードエノルメがバカな子供みたいに思えて、ちょっと可愛らしく思えてきた。

それでベーゼは名案を思い付く。確かにロードエノルメには見た目に似合わず子供っぽいところがあるので、いっそロードエノルメを子供だと思ってみたらいいんじゃないかと思ったのです。見た目がもし小学生ぐらいのロリ顔の幼女で、声もロリ声で、それであんな「せかいせいふく」とか「しはい」とか「はどう」とか背伸びして強がって言っているのだと脳内イメージで再構築してみると、「これは意外と萌える」とベーゼは思った。更にそんなロリ幼女のロードエノルメを捕まえて身動き出来ないようにして生意気を言ったお仕置きとして裸にして折檻して泣き声を聞くというのを想像してみると、「これは意外にツボる」と思ってベーゼのテンションは異常に上がってきた。

するとベーゼの魔力はかつてないほど膨れ上がり、ベーゼはロードエノルメに対して自分は正義に目覚めたのではないと言う。正義の味方はあくまで魔法少女の役割なのであり、自分はその魔法少女のような強くて可愛くて純粋な存在の敵として戦う者「マジアベーゼ」なのだと言い放つ。ロードエノルメはどうしてベーゼが自分にそんな話をするのか意味が分からず困惑する。まさかべーゼが悪の権化である自分をそんな「強くて可愛くて純粋な存在」に見立てようとしているなど想像もしていないからです。だが、そういう反則的な妄想でベーゼの性欲は独りよがりに膨れ上がり、それにつれて魔力も膨れ上がっていき、遂にはロードエノルメの魔物たちを吹き飛ばして拘束を解き、ベーゼは最強形態に進化した。

ベーゼの顔には星が10個以上も刻まれており、ロードエノルメは魔物を繰り出して攻撃してくるが進化したベーゼには全く通じず、ベーゼの目にはロードエノルメの姿は元の大人の姿ではなく、ベーゼ視点の妄想の産物であるロリ幼女化した姿に映っていた。そうしてベーゼは魔物を操って逆にロードエノルメを捕えてしまう。現実にはベーゼよりも背の高いロードエノルメがベーゼを見下ろしたまま囚われているのだが、ベーゼにはロリ幼女のロードエノルメを捕えたようにしか見えていないので、ベーゼがそこに無いはずのロードエノルメのロリ顔を見降ろして話しかけるという奇妙な構図となる。

そうしてベーゼはロリ幼女化したロードエノルメを手足を縛ったまま膝の上に寝かせて全裸にひん剥いて、お仕置きだと言ってお尻ペンペンしたり、色んなところを弄って楽しむ。そして可愛い泣き声を堪能するのでした。だが、これはあくまでベーゼの脳内妄想に過ぎないのであり、現実にはイイ歳した大人の女であるロードエノルメが中学生のベーゼに全裸にされてお尻ペンペンされて泣いているのであり、これ以上ない屈辱と敗北感をロードエノルメは与えられることになってしまった。そうしてロードエノルメは完全に敗北してベーゼに屈服したのでした。

こうしてベーゼ達は皆で完全勝利を喜び合い、一方で敗者となったロードエノルメは悔しがって逃げていこうとする途中でヴェナリータによって粛清されてしまう。ヴェナリータの言うには、ロードエノルメの魔力は彼女自身の才能によって生み出された能力ではなくヴェタリータの魔力を貸し与えていたに過ぎないのだそうだ。「才能」というのはこの場合、ベーゼやレオパルト達の魔力の源泉となっている「特殊な性癖」を指すのでしょう。そういう魔力を生み出す特殊な性癖がロードエノルメには無い。では、どうしてヴェナリータはそんな彼女にわざわざ自分の魔力を貸し与えていたのかというと、どうやらベーゼやレオパルト達のような特殊性癖という「真の才能」を持つ悪の幹部たちを覚醒させるための当て馬として利用するためだったみたいです。そういう意味ではロードエノルメは見事にその役目を果たしたのであり、役目を果たした以上は用済みになったので粛清されたということです。ちなみにシスタギガントも同じくヴェナリータの魔力を貸し与えられていた者のようですが、こちらはヴェナリータの影の腹心的存在であるようで、ヴェナリータの密命を受けて上手くロードエノルメを煽てて躍らせる任務を遂行していたようです。そして最後にヴェナリータの命令でロードエノルメを粛清したのもシスタギガントでした。

そうしてロード団との戦いは終わり、実は全てヴェナリータの仕組んだシナリオに踊らされていただけだったのですが、ベーゼ以外はそのことを気付かず大いに勝利に盛り上がって、ご褒美にレオパルトはホテルを作ってほしいと言ってヴェナリータも了承してくれます。ベーゼだけは今回の件の最初からヴェナリータが怪しいとは睨んでいたのですが、とりあえずは勘繰らないことにして日常に戻っていきますが、最後にヴェナリータがベーゼをエノルミータの総帥にっすると発表して皆が驚くところで今回は終わり次回に続きます。

 

 

戦国妖狐 世直し姉弟編

第10話を観ました。

今回を含めて残りは4話です。3月中の放送日では残りは3話なんですが、迅火たちの世代を主人公とした「世直し姉弟編」は全13話なので4月3日深夜の放送が最終話ということになる。そういうわけで今回も含めて残りは4話あり、今期の作品の中では一番最後に終わる作品ということになります。「戦国妖狐」という作品自体は3クール作品ですからその後も続くのですが、とりあえず4月3日深夜放送の「世直し姉弟編」の最終話までを今期分、つまり2024年冬アニメとして扱います。

残り4話ありますから、最終盤のバトル展開は次回から始まるっぽくて、今回は山の神による修行編の後編ということになります。まぁ今回も神雲とガッツリ戦ってますからバトル回ではあったんですが、あくまで山の神の掌の上という感じであり、とことん戦って決着がつくという感じではなかった。印象としては「戦い」や「強さ」というものがかなり相対化されているように思えます。勝つためには戦うことが全てではないし、強さを極めることだけが勝利の条件ではない。そういうことが描かれているようなエピソードであり、少年漫画っぽくないようにも思えるが、それこそが王道の少年漫画なのかもしれない。最強を目指してもキリは無いわけで「ドラゴンボール」みたいにひたすら強くなっていく話も面白いですけど、弱いヤツが強いヤツに勝つために工夫する話の方が少年には刺さるのかもしれない。それに戦って相手を殺すこと以外に勝つ方法があるのなら、それに越したことはないでしょう。本来、良心的な少年漫画とはそういうものであったのだと思います。

今回の冒頭は迅火の修行の場面の続きからです。りんずとの戦いの中で山の神から自分の生い立ちの真相を聞かされて妖精眼が覚醒した場面の続きということになる。妖精眼の覚醒によって迅火は「霊気」「魂」のようなものが見えるようになったのだが、山の神は妖精眼覚醒直後の迅火に「それが君の要請眼」「君には何が見える?」と訊ねている。妖精眼の持ち主は迅火だけではなく、いつの時代にも稀に生まれているようですから、妖精眼の持ち主にはそれぞれ見えるものが違うようです。迅火の場合はそれがたまたま「霊気」や「魂」のようなものであったようです。

それはどうしてなのかというと、山の神は妖精眼の覚醒条件を「自らの居場所や存在を自分で赦すこと」だと言ったが、それに関連しているのだと思います。迅火は自分を不幸だと絶望して人間をやめて闇になろうとしていた。だが「自分は不幸ではない」と認めることが出来て、「人間である自分」の存在を赦すことが出来た。つまり「闇になること」へのこだわりを捨てることが出来た。その結果、妖精眼の能力が「魂を見ることが出来る」という形で発現して、「人間」と「闇」が「魂」という本質では同じだということを視覚で感じることが出来るようになったのだと思います。おそらく「自らの居場所や存在を自分で赦すこと」によって解き放たれるこだわりは人によって様々であり、それによって妖精眼で見えるものも違うのでしょう。迅火の場合は人間と闇の魂の違いに対するこだわりが解き放たれたので「魂」の本質が見えるようになったようです。

そして、その結果「霊気」の動きも見えるようになり、りんずの攻撃に敵意が無いことも知ることが出来たのです。これに関しては、山の神は妖精眼の覚醒と「霊力の向上」を1セットのように扱っていましたから、おそらく妖精眼が覚醒することによって自動的に霊力も向上して霊気の動きも見えるようになるのでしょう。つまり、山の神はワザとりんずに敵意の無い攻撃を仕掛けさせておいて、妖精眼が覚醒した迅火がそれに気付くようになるのを待ったのだといえます。

そういう山の神の真意が理解出来れば、この修行の答えも自ずと明らかとなってきます。この修行の目的は妖精眼の覚醒ですから、修行の目的を達成すれば同時に霊力の向上によってりんずの霊気を見えるようになり、りんずに敵意が無いことは分かる。そもそも迅火はりんずには戦って勝つことは出来ない。りんず自体が山の神の弟子でかなり強いので、精霊転化出来ない状態の迅火では勝てないでしょうし、おそらくこの空間の中ではそもそも迅火ではりんずに勝てないようになっているのでしょう。だから、この修行のゴールは「迅火が戦ってりんずに勝つこと」ではない。いきなり戦うようにと言われたから迅火は戦ってりんずに勝てば修行が終わると思っていたのですが、りんずが敵意の無い攻撃ばかり仕掛けていることが分かった以上、戦って勝つことが修行のゴールではないことを迅火は理解しました。この修行のあるべきゴールは、戦いを止めるようりんずを説得することであったのです。その答えに辿り着くことが妖精眼が覚醒した証となる。そのことを理解した迅火はりんずに降参してほしいと懇願し、もともと迅火に惚れているりんずは素直に従い、これで迅火は合格となりました。

だが山の神は、妖精眼の覚醒の方はそれでいいとして、まだ「意識の緒を緩める」という部分の修行は終わっていないと言う。この「意識の緒を緩める」というのは前回も山の神が言っていたことですが「己の運命を作る力」なのだそうです。「たとえ相手が強くても自分の力に限界は無いことを気付かせる」ということらしい。これは要するに「強い相手に勝つ方法」なのであり「強くなる方法」ではないのがミソですね。自分は弱いままで強い相手に勝つことが目的ということになる。そのためには、相手と同じ土俵で強くならなくても、自分の力には限界は無いということを知るのが大事みたいです。つまりは発想の転換であり、「意識の緒を緩める」というのは、自分の意識の自由な発想を縛っている先入観を緩めるということなのでしょう。

これに関してはたまも真介も修行を受けています。たまは水面を歩いて岸にたどり着くという課題を与えられており、真介は岩に塞がれた道を通って出て行くという課題を与えられており、真介の場合は岩を斬るのではなく飛び越えていけばいいという発想の転換をしたことで合格しました。これは「強敵と相対した時に戦わねば勝てない」という先入観から脱して「戦わずに勝つ方法もある」という発想の転換ということなのでしょう。そうなると、たまも何かの先入観に縛られているので未だ課題をクリア出来ていないのだと思われ、発想の転換が必要なのだと思われます。

真介の場合はその課題をクリアした後、元の現実世界に戻されて森に落下した際に闇に貰った玩具で遊んでいた千夜とぶつかってもつれ合って、真介が手にしていた荒吹の刃を千夜の喉元に押し当てるような形で馬乗りになって、千夜は完全に死に体となりました。ここで真介に付き添っていた山の神の分身体は、強敵である千夜を殺す千載一遇の好機だと言い、真介に千夜を殺すよう勧めます。千夜は強力な霊力改造人間であり、生かしておけば後の世界の災いとなり、そもそも真介たちを殺すよう命じられて来ているのですから、この好機に千夜を殺さなければ真介が殺される。だから千夜を殺すべきだと山の神は言います。

しかし真介は「今のこいつは人間のガキだ」と言って、子供を霊力改造人間にした断怪衆に怒りを示して、千夜を憐れんで涙を流して千夜を斬らずに放してしまい、荒吹も鞘に納めてしまう。真介は霊力改造人間となって人間をやめてしまおうとした灼岩のために涙を流して人間に戻るよう引き留めた男ですから、千夜が霊力改造人間だからという理由で斬るようなことはしない。また、確かに千夜は真介の敵ではあるが真介は無抵抗の相手を斬ることもない。強敵であり灼岩の仇であった烈深が動けなくなった時にも斬らなかった男であり、そういう優しさや弱さこそが「真介の強さ」だと灼岩も認めている。そんな真介だからこそ先だっての課題でも「戦わずに勝つ方法もある」という発想の転換をすることが出来た。当然、山の神の分身体もそのことは承知しているはずだ。だから、ここで分身体が真介に千夜を殺すよう唆しているのは、一種の謎かけだったのでしょう。

そうして真介は千夜を解放して、千夜に殺されるのを覚悟した。殺されても自分の信念は曲げられなかったのであり、それでいいと真介は覚悟した。しかし千夜は真介を殺さず、激怒して玩具を粉々に砕いて去っていった。確かに、玩具で遊ぶのに気をとられて真介に不覚を取ってしまった千夜は「危険な霊力改造人間」や「強敵の刺客」などではなく、真介の言うとおり「人間のガキ」だった。千夜はそれゆえ命を救われたわけだが、断怪衆の霊力改造人間として生きるよう自分に課してきた千夜としては、それは恥ずべきことだったのでしょう。だが確かに自分の不覚であったのは事実なので真介を殺すのは恥の上塗りにしかならない。それよりも千夜は二度と同じような不覚を取らないという誓いの意味で玩具を粉々に砕いて去っていったのでしょう。

一方、迅火は山の神に「意識の緒を緩める」ための修行として実地訓練をするよう言い渡される。具体的には、これから神雲と戦うことだという。それを聞いて迅火は驚き「10回やっても10回負ける」と言って拒む。そもそも神雲に追われて匿われてこうして修行を受けているのは神雲に勝てる強さを身に着けるためであるはず。妖精眼が覚醒したからといって、まだまだ到底勝てる相手ではない。これからその「意識の緒を緩める」という修行を経てようやく神雲と戦える強さを身に着けるものだと思っていたのに、いきなり神雲と戦うなんてムチャクチャだと迅火は思った。

しかし山の神は「じゃあ100回なら?」と意味の分からないことを言う。100回やってもおそらく勝てないと迅火は答えるが、すると山の神は千回、1万回ならどうかと重ねて問いかけてくる。迅火は戸惑いながらも、つい釣られて1万回戦った場合を想像して「1万回もやれば奇跡が起きて万に1つは勝つかもしれない」と答える。すると、それを聞いて山の神は「ほら勝った」と言う。想像の中で1万人の中の1人の迅火が今確かに神雲に勝ったのだと山の神は言うのです。それを聞いて迅火はバカバカしいと思う。その1人が勝つ前に9999人の自分が神雲に殺されているのだから、そんなのは無意味だと迅火は思った。しかし山の神は「万に1つが最初に起これば必ず勝てる」と指摘する。

確かに1万回に1回の奇跡が必ず1万回目に起きるとは限らない。5千回目に起きるのかもしれないし、いきなり1回目に起きるのかもしれない。そもそも実際に1万回も戦えるわけがないのであって、これは1回の戦いにおいて勝てる確率が1万分の1であるという話に過ぎない。そしていきなり1万分の1の奇跡が起きて勝てる可能性はあるということです。戦うたびに1万分の1のルーレットは回っているのであり、2回戦えば2回連続で奇跡が起きて2連勝する可能性だってある。

これは屁理屈ではなくて、実戦とはそういうものなのです。実力で圧倒的に勝っている者であったとしても、生身の人間同士で試合場などではなく自然環境の中で作戦を立てて工夫して戦う場合、たとえ霊力改造人間であっても確実に相手を仕留めることは簡単なことではない。必ずしも実力の通りの結果にならないことぐらい迅火だって分かっているはずです。例えば「10回やって1回勝てる相手」であれば迅火ならば作戦を立てて勝ちにいくはずです。ところが迅火は神雲があまりに強いので「絶対に勝てない」と決めつけてしまって作戦を考えることすら放棄している。

「10回に1回」の奇跡が1回目に起きることは期待出来るのに「1万回に1回」の奇跡が1回目に起きることは期待しないというのはおかしい。「10回に1回」の奇跡だって10分の9の確率で1回目に起きなければ死ぬことには違いないのに、どうして「10回に1回」の奇跡が1回目に起きることを期待する勇気があるのに「1万回に1回」の奇跡が1回目に起きることを期待する勇気を持つことが出来ないのか、これは道理に合わない。「10回に1回」の奇跡が1回目に起きることを期待することが出来るのなら、「1万回に1回」の奇跡が1回目に起きることを期待することは出来るはずなのです。何故なら、「10回に1回」の奇跡でも「1万回に1回」の奇跡でも、1回目に限って言えば、どちらも「勝つ」か「負ける」かの「2つに1つ」、つまり50%の確率であるという点では全く同じだからです。

「万に1つの確率であっても、最初に起こるかどうかは2つに1つの確率に過ぎない」ということを山の神は言っている。確かに確率論としては屁理屈でしょうけど、一発勝負の実戦においてはこれは真理です。それぐらい実戦というものは神雲にとっても容易なものではない。千差万別する状況での実戦においては「強さ」だけでなく「運」によって勝敗が左右されることは多い。「どちらが強いか」という議論になれば、そりゃ間違いなく神雲が迅火より強いでしょうし、迅火は苦戦必至でしょう。でも迅火が思い込んでいるよりは、「運」次第ではずっと勝率は高いはずです。もしかしたら「10回に1回」ぐらいなのかもしれない。そもそもこれまで神雲と10回戦った者など居ないでしょうから、正確なところは分からない。ましてや神雲と1万回も戦える者がいるわけもないのだから、どうして「1万回に1回なら」とか言えるのか。実際のところ神雲に対する勝率なんて不明なのです。何故ならマトモに戦った者は全員1回で倒されているのだから。それはあまりに実力差がありすぎて初戦で「2つに1つ」の奇跡すら起こせなかったからです。だが妖精眼を覚醒させた迅火ならば「運」次第では「2つに1つ」の奇跡が初戦で起こせるかもしれない。試す価値はある。山の神は「勝て」とは言っていない。「意識の緒を緩めるための実地訓練」として、それをやれと言っている。実戦というのはそういうものだという発想を持てと言っているのです。

そこで山の神は「神雲に会っても生き延びることが出来ることを身体に教える」と言って、それで修行は終わりだと言う。そして迅火を神雲の目の前にいきなり転送する。すると、川の前で握り飯を喰っていた神雲の目の前に迅火は飛ばされ、それが川の上だったので、一瞬互いに目が合ったが、次の瞬間に迅火は川に落ちて流されてしまい、傍にあった滝に落ちてしまい、神雲はあまりに突然の出来事に対応出来ず、突然の不可解な出来事の意味を考え込んでいる間に迅火を見失ってしまった。

もし神雲が川に向かって座っていなければ迅火は川に落ちて流されることはなく逃げ切ることは出来なかったであろう。神雲が握り飯を食べていなければもっと早く動けたかもしれない。そういう意味では迅火は幸運であり、神雲は不運だった。しかし神雲も突然の出来事に狼狽して上手く対処できなかったのも事実で、常に不運を跳ね返せるほどの完璧人間ではないということです。つまり「実戦では運次第では付け入る隙はある」ということです。そのことを実感出来るのは実戦の場においてだけなのであり、だから山の神は迅火を実地で神雲と遭遇させて、そのことを実感させて発想の転換をさせたのです。これで迅火の「意識の緒を緩める」修行は終了となった。

一方、たまの方の「意識の緒を緩める」修行の方ですが、これは水の上を歩いて岸に辿り着くという修行であり、たまは霊力で水の上を歩くための集中力を試されているのだと思い、出来るだけ早く岸に辿り着いて自分の霊力の高さを示してやろうとしていた。だが山の神の分身体が邪魔ばかりしてきて失敗を繰り返していた。それでたまはそうした妨害に打ち勝ってこそ修行というものだとムキになっていたが、そんなことをしているうちに真介も迅火も修行を終えたと分身体に聞かされる。

それで、たまは自分が皆を待たせることになってしまったと気落ちし「どれぐらい待てる?」と分身体に質問する。下手したら自分だけ時間切れになって修行終了という可能性もあると危惧したのです。ところが分身体は「千年居てもいい」と言う。千年も経ったら真介も迅火も死んでしまうだろうと思ったが、修行を終えたら元の世界の時間と上手く繋ぐから大丈夫だと分身体は言う。つまり、この空間で何年過ごしても、修行を終えれば元の時間に戻れるみたいなのです。

そして分身体は「修行を終えるか精神が朽ちるか、どちらかさ」と不気味に笑う。それを見て、たまは山の神が最初からこの修行を長期戦だと想定していたことに気付いた。だから邪魔ばかりしていたのだ。つまり、早く岸に着くのは正解ではないということです。たまはてっきり早く岸に着くのがこの修行の課題だと思い込んでいたが、どうやらそれは間違いで、ならばずっと水の上に浮かんでいることが求められているのかとも思えた。だが、岸に着くまで水に浮かんでいられるだけの霊力を維持するだけでも大変なのに、何年も水の上を浮かんだままじっとしているのは無理だから、それは違うのではないかとも思えた。

だが、たまはその「無理だ」という認識を覆すのが「意識の緒を緩める」ということなのだと気付いた。「無理なことだから違う」のではなく、「無理ではないと思うことが求められているのだ」と発想を転換しなければならない。だが現実には無理であるのも事実なので、その無理を可能にすることが求められているのだ。そして時間はたっぷり与えると分身体は言っている。ならば自分のやるべきことは、水の上に何年でも浮かび続けられるほどに霊力を高めることだと思い、たまは池の真ん中の石の上で座禅を組み、ひたすら気を練って霊力を高めていった。そうして数年が経過して、たまの霊力がずっと水の上で浮かび続けることが可能なほど高まった頃に修行は終了して、たまは元の世界に戻ることが出来た。そうしてたまは時間をかければ無理なことなど無いのだということを学んだ。

そうして元の世界に戻ると、時間は真介と迅火が修行を終えた日の晩に戻っていた。そうしてたまが合流したところで山の神は、これから神雲たちを山の中の結界に数日間閉じ込めておくので、その間にたま達が断怪衆の本部を襲撃するという作戦を言い渡す。そうすれば神雲と戦わずに断怪衆を潰して霊力改造人間の計画も潰すことが出来る。邪魔になるのは野禅とくずのは、あとは道錬と烈深ぐらいであり、それなら何とかなりそうにも思えた。

だが、たまは「今が神雲を倒す最大の好機」だと主張して、この山で神雲と戦って倒すと言い出す。迅火と真介は無謀だと反対するが、たまはこの山で神雲と戦えば、山の神を戦いを巻き込むことが出来て、山の神に神雲を倒させることが出来ると言う。だから神雲を倒せる好機だと言っているのです。しかし、それは山の神にとってたまと迅火と真介が助ける価値がある相手だと思っていることが前提となる。果たして山の神がそこまで自分たちに思い入れがあるものだろうかと迅火は疑問を呈するが、たまはこうして修行をつけているぐらいだから山の神は自分たちに価値を見出しているはずだと言う。

そうして翌日、山中で神雲を奇襲して、その後は山の神の洞窟方面に撤退しながら戦うという作戦を敢行しようとして、神雲を発見して迅火がたまの血を呑んで精霊転化しようとした瞬間、千夜が現れて迅火をぶっ飛ばしてしまう。そうして迅火は精霊転化していない状態で神雲の前に転がり込んでしまい、神雲と対峙する羽目となってしまう。たまも真介も千夜に刃を突きつけられて動くことは出来ず、神雲は竜形態となり、迅火は絶体絶命の危機に陥る。

しかし神雲は迅火の動きを読み違えて一撃目を外してしまい、更に二撃目は足場が悪くて外してしまう。それで2回連続で奇跡的に命拾いした迅火は山の神が言っていた言葉を思い出して、本当にそんな奇跡が起きるのだと思うと可笑しくなってきて笑いがこみあげてきた。一方で神雲は2回連続で攻撃を失敗した不運を、迅火が計算ずくで何かを仕掛けたのかと深読みしてしまい、そこに迅火が急に笑い始めたので更に警戒して一瞬受けに回ってしまい、迅火は護符や式神を使って攪乱して、その隙にたまを確保して血を呑んで精霊転化して神雲に相対する。

すると精霊転化した迅火にはいつものように4本の尻尾ではなく5本の尻尾が生えていた。これまでは「木」「火」「水」「土」の4つの属性の尻尾だったのだが、そこに新たに「金」の属性の尻尾が増えたのです。これはたまが数年間池の上で気を練って霊力を高めた成果でした。もちろん尻尾の数だけでなく精霊転化した迅火の霊力そのものも格段に跳ね上がっていた。ただ、それでも神雲との差は絶望的に開いており、迅火は持てる最大の力を使って初手で「2つに1つ」の奇跡を起こすのを狙うしかなかった。そうして迅火は新たに生えた「金」の尻尾を巨大な刃に変えて神雲に振り下ろし、それを神雲が躱すのは計算に入れて、巨大刃を目隠しにして神雲の視界から消えた隙に5本の尻尾の霊力を全て集めた「五行魂」という巨大な霊力弾を至近距離から放つという最大奥義で神雲を倒そうとする。これを躱せないと見て神雲の渾身の霊力で迎撃し、大爆発が起こって迅火と神雲は互いに左腕を失うという重傷を負って痛み分けとなった。

神雲と痛み分けとなっただけでも快挙ではあったが、霊力改造人間の神雲と違い生身の人間である迅火は出血多量で死の恐怖に襲われる。すると死の恐怖の切迫の中、迅火に更に6本目の尻尾が現出する。それは「雷」の属性の尻尾であり、どうしていきなりそんな尻尾が生えてきたのかはよく分からないが、山の神の言葉を聞くと、どうやら迅火の師匠である黒月斎が何かを仕込んでいたようです。

これに危機感を覚えた神雲は最大奥義技を繰り出して迅火を葬ろうとし、迅火も雷の尻尾で技を繰り出して対抗しようとしますが、そこに山の神が割って入って、自分の山でそんな技を使われると困ると言って、神雲を岩の中に封じて、迅火も地面に叩きつけられる。こうして、たまの狙いは当たって、山の神を戦いに巻き込むことに成功して神雲を倒すことが出来たわけだが、どうやら山の神は最初からたまの企みには気付いた上でそれに乗っかってきたらしい。理由は、まず迅火に何かを感じたようで、迅火を生かすことに決めたらしい。詳細な理由は分からないが、何か利用価値があるのでしょう。更に山の神は「僕の利用料は高い」とも言い、利用料として迅火やたまの魂を後で喰らうとも言う。

神雲は一旦は封印から出てきたが、結局は助けに入ろうとした千夜も、それぞれ山の神によって封印されてしまった。千夜はどうやら神雲の息子だったようだと最後に判明しましたが詳細は不明です。そして迅火は山の神によって左腕の切断面に何か種のようなものを埋め込まれて出血は止まったが左腕を失い、気を失って真介に背負われて、たまと迅火と真介はりんずも伴って断怪衆の総本山に向けて旅立つこととなった。真介は今回も自分は戦うことも出来ず何の役にも立てなかったと落ち込み、せめて真介を背負うことで何かの役に立つしかないと思うのであった。そういうところで今回は終わり次回に続きます。