2024冬アニメ 3月8日視聴分 | アニメ視聴日記

アニメ視聴日記

日々視聴しているアニメについてあれこれ

2024年冬アニメのうち、3月7日深夜に録画して3月8日に視聴した作品は以下の3タイトルでした。

 

 

ダンジョン飯

第10話を観ました。

今回はまずダンジョンの地下4階から地下5階に降りるためにテンタクルスの生い茂った階段を降りる途中でライオス達が大ガエルの群れに襲われる話です。武器を奪われてピンチに陥ったライオス達を助けるためにチルチャックが倒した大ガエルの表皮ならばテンタクルスの毒を防げることに気付いて自分の手に大ガエルの表皮を巻いてテンタクルスを壁から引っこ抜いて罠を起動させて大ガエルを倒す。それで大ガエルの表皮の有効利用を思いついたライオスは倒した大ガエル達から表皮を剥ぎ取り、それを使って大ガエルの着ぐるみを作って皆で着て、そうしたらテンタクルスを避ける必要も無くなりスムーズに階段を降りて地下5階に到達した。だがカエルの皮をなめすヒマが無かったので血がこびりついて固まり、全員がカエルの着ぐるみを脱げなくなってカッコ悪くなってしまった。

その後、このダンジョンがもともとエルフ領だったのが引き渡されたもので、エルフが再び取り戻そうとしているとか、その理由はこのダンジョンにかけられた「死なない術」を解明すれば大儲け出来るからだという、なんだか世界観の説明っぽいのがあって、とにかく最下層にいる狂乱の魔術師が持っている「死なない術」の設計図を手に入れればよいという話になる。これはおそらくレッドドラゴンを倒した後の後半パートの物語の伏線なのでしょう。

そして、やはり前半クールのクライマックスはレッドドラゴンとの対決になるみたいで、遂にレッドドラゴンの居る地下5階に到達したライオス達がレッドドラゴンを倒してファリンを救い出すために作戦を立てる場面が描かれます。そうしてレッドドラゴンを誘き寄せて罠に嵌めて仕留める作戦が立てられて、いざレッドドラゴンとの対決というところで今回は終わり次回に続きます。前半クールのクライマックスらしさが出て盛り上がってきましたね。カエルの着ぐるみのくだりも面白かったです。

 

 

勇気爆発バーンブレイバーン

第9話を観ました。

今回は遂にブレイバーンの正体が明かされる衝撃展開で、神回でしたね。といっても、ブレイバーンの正体がスミスであるということ自体はそこまで凄い衝撃だったとか、意表を突かれたというほどではない。ここまでかなり丁寧に伏線は張られていましたから、ブレイバーンとスミスの間に何らかの関係があるのだろうということは想像はついていた。

ブレイバーンが何故か最初からイサミのことを知っていたという謎はずっと残っていました。またブレイバーンとデスドライヴズとの間に過去の因縁のようなものも全く描かれていなかった。だからブレイバーンが宇宙の彼方からやって来たわけではなく地球で生まれた存在であり、イサミと繋がりのある人物と関係があるのだとすれば、まず考えられるのはイサミと過去に因縁のある誰かがブレイバーンの正体なのだろうということになるが、イサミの過去は物語終盤に近付いても全く描かれることはなかった。そうなると既に登場しているイサミと因縁の深いキャラがブレイバーンに深く関わっているということになり、そうなれば最も納得感のあるキャラはスミスということになる。

だからブレイバーンの正体がスミスだと聞いてもそこまで凄い衝撃があるとか、全く予想していなかった意外性があったとか、そういうわけではない。かといって間違いなくそうであると思っていたわけでもない。そもそもスミスがブレイバーンになる方法が全く不明だし、これまでのブレイバーンの描写で説明がつかない点が多すぎる。だから仮にスミスがブレイバーンであったとして、その種明かしが「その時、不思議なことが起こった」みたいな雑な説明になってしまうんじゃないかと危惧し、そんなのになるのであればむしろ正体はスミスでない方がいいとすら思えた。

じゃあ逆に、ムチャクチャ納得できる説明がつく何かがブレイバーンの正体であったとして、それが良いと思えるかというと、それも微妙で、今更ポッと出の「誰?」みたいなキャラがブレイバーンの正体であったとしたら、それが納得のいく説明であったとしても盛り上がらないだろう。奇をてらえば良いってもんじゃないのであって、最近はとにかく視聴者や読者の予想出来ないことをやればいいみたいな傾向があって、それをやったら「天才だ」とか持て囃す人も多いので、メインキャラをどんどん殺して作品まで殺してしまってる凡作もよく見られます。

やっぱり王道展開が一番良いのであって、大事なのはその王道展開をちゃんと納得感ある描き方を出来るということと、その王道展開で退屈させない工夫があるということです。その2つがちゃんと出来ていたから今回は神回だったのです。単にブレイバーンの正体がスミスであると明かされたから神回だったわけではない。まぁそれだけで神回だと思える人はそう思えば良いし、別にそれをバカにしたり非難しようとは思いません。

ただ私は、まず奇をてらわず王道展開を描いてくれたことを評価したいし、それをちゃんと説明がつく形で描いてくれたことが凄いと思う。決して完璧な説明ではないが、それでも納得が出来るのはここまでの物語の積み重ねがあってこそです。それでも説明不足感はある。また「なんだ、やっぱりスミスか」というちょっと退屈さを感じる面もある。そこをカバーしてくれるだけの圧倒的なケレン味と勢いがあったのがまた素晴らしかった。しかもこの圧倒的ケレン味と勢いが1話の時のようにギャグになっておらず、ちゃんと感動出来るようになっているのは、これもまたここまでの物語の丁寧な積み重ねゆえなのです。

物語やストーリーというものは、確かに深い内容であったり高度な内容であったり、話の展開が予想外で緻密で惹き込まれるものであったりするのも素晴らしい。実際、私もそういう物語を描いた作品は好きです。物語の出来そのものを重視する傾向は強いと我ながら思います。そういう観点ではこの作品は決して一番の作品ではない。おそらく物語の完成度を競う土俵においてならば「SYNDUALITY Noir」の方が上でしょう。

しかし、作品の目的が物語の完成度を競うことではなく、見た者を感動させるということであるならば、要所の王道展開の完成度を上げるために物語を積み重ねていくという手法もアリなのであり、そういう意味ではこの作品は歴代のそうした感動作品の最高峰の仲間入りが出来るほどのレベルに達していると思う。もちろん物語の完成度がそれなりに高いレベルに達していなければそれも不可能なので、決して物語の完成度が低いわけではないが、この作品はそこで勝負しているのではなく、更にその先のところで勝負しているように思えるのです。つまり「細けぇことはいいんだよ!」と言い放って、それで納得させてしまえる地平に立っているということです。

まず冒頭は前回のラスト展開で、ヴァニタスとペシミズムを相手に苦戦中のブレイバーンに乗るイサミのもとにスミスからの通信が入る場面から始まります。クーヌスに最期の突撃を敢行したスミスは「イサミ、勇気だ」「勇気爆発だ」と言い残して、至近距離で大型ミサイルをぶっ放してクーヌスと共に爆発して消えていく。この前回のラスト展開がアバンで繰り返されてOP曲が始まります。そうしてOP明け、クーヌスとスミス機の居た場所には大きなクレーターが出来ており、クーヌスの姿もスミス機の姿も残っておらず、イサミの元にはブレイブナイツのヒビキからスミス機が消滅したという連絡が入り、イサミは慌ててスミスに無線で呼びかけるが応答は無い。

まず、ブレイバーンの苦戦についてですが、前回はブレイバーンがスミスに起こる事態をあらかじめ知っていて、その邪魔をしないで済むようにワザと苦戦してスミスの助太刀に行けないようにしていたのかもしれないとか考えていましたが、どうもそういうことではないようです。ブレイバーンがスミスに起こる事態を知っていたのは間違いないのですが、別にワザと苦戦していたのではないのだと思います。

苦戦の理由は、まず第一に本当にヴァニタスとペシミズムが強敵であったことが挙げられる。そして苦戦の最大の理由は、イサミが戦いに集中出来ておらずブレイバーンとシンクロしていなかったからでしょう。イサミが集中出来なかった理由は、3本の塔が出現して3体のデスドライヴズが襲ってきているはずなのに自分の前には2体のデスドライヴズしか居らず、もう1体が別の場所に出現していることが心配だったからです。

前回迷い込んできたスペルビアとは違って、塔とセットで出現している完全体のデスドライヴズですから「ルル」も摂取した状態であり、ブレイバーン以外では対処できない。だから仲間たちの命が危ない。そう思ってイサミは最初から気が散ってしまっていた。更に戦闘中にブレイブナイツの通信が逐一入ってきて、どうやらスミス達ブレイブナイツがもう1体のデスドライヴズと戦って大苦戦していることも分かってきて、イサミはますます焦り集中を欠いてしまったのです。そんな状態ではヴァニタスとペシミズムの攻撃の前に劣勢となるしかなかったのが実情だったのでしょう。そしてスミスが戦死したと思われる状況となり、イサミは混乱してしまい、更にブレイバーンは劣勢に追い込まれていったのです。

一方、スミスの方ですけど、クーヌスと相打ちのような形で爆発して消滅していきましたが、これはどういう状況だったのでしょうか。クーヌスとスミス機を巻き込んだ大爆発自体は現実世界で起きたことですけど、その爆炎がその直後に空間に搔き消えるように消滅していったのは現実的な現象とはちょっと異質な印象です。クーヌスが空間を操る能力を持っていたので、クーヌスが実は死んでおらず空間に消えていっただけではないかとも思いましたが、この後クーヌスが確かに死んでいる場面になるので、やはり大爆発の際にクーヌスは死んでおり、死んでいる以上は能力は使えないと思われ、あれはクーヌスの能力による消滅ではなく、本当に消滅したようです。

ただ地球の生き物や乗り物が爆発して死んでもあんな消え方はしないので、あれはデスドライヴズの死に伴う特殊な現象なのでしょう。クピリダスもブレイバーンに殺された時は(実は死んでいなかったようだが)粒子状になって消滅していきましたから、デスドライヴズは死ぬと残骸は残さずに消滅するようです。そして今回、死んだ後のクーヌスが描かれ、スミスと共に別空間のような場所に居ましたから、死ぬとすぐに消滅するわけではなく、一旦は別空間に移動するようです。だから、あの大爆発の後の消滅現象はクーヌスの死に伴って起きた現象であり、あの時にクーヌスは死んで別空間に移動し、どうやらそれにスミスも巻き込まれたようです。

色々と疑問点が多いのですが、まずどうしてクーヌスは死ぬことが出来たのでしょうか。ここでデスドライヴズの「死」について整理しておかないといけないでしょう。そのためにはクピリダス戦を振り返る必要があります。クピリダスはブレイバーンが何度真っ二つにしてもすぐに復活してきた。あれはおそらくデスドライヴズにとっては「死」には含まれないのだと思います。その後、ブレイバーンにブレイブアックスで塔ごと両断されて粒子状になって消えていったが、あれは「死」なのでしょう。あれこそがクピリダスが求めていた「死」でした。だが、その後クピリダスは母船で再び復活しました。つまりデスドライヴズは「死」を迎えても、それでもなお母船がある限りは死ねないのです。

そしてクピリダスはそれを喜んでおり、それに関してはヴァニタスもペシミズムも同じでした。つまりデスドライヴズは「死にたい」のではなくて、「死の快楽を何度でも味わいたい」のです。しかしクーヌスだけはちょっと考え方が違うようで、「死の快楽」については貪欲に求めてはいるが、それ以上に「死ぬこと」も求めており、「死の快楽」は一度限りで良いと考えている。そして一度限りの死の快楽だからこそ、それを極上のものにしたいという気持ちが強い。たった一度の極上の死の快楽を味わった後は死んで消えてしまいたいと思っている。

だからクーヌスは「死」の後で復活しないように母船を破壊したのです。ついでにクピリダスも破壊されて消滅しましたが、このクーヌスの行為に対してのヴァニタスとペシミズムの反応を見ると、クーヌスのせいで何度も死の快楽を味わうことが出来なくなって怒ってはいましたが、そこで再復活が出来ないことを恐れて撤退しようとはせずブレイバーンと戦いを継続しているところを見ると、別に死ぬことが怖いわけではなく、基本的には死にたがっており、死の快楽は求めているのです。何度も死の快楽を味わえるのならそれに越したことはないが、別に一度で終わっても構わないように見える。つまり、クーヌスとヴァニタス達との違いは、ちょっとした趣味嗜好の違い程度みたいです。ちょっとした嗜好の差はあれども、基本的にはデスドライヴズは死の快楽を求めて戦っているのです。

そして今回はたまたまクーヌスが自分の嗜好で母船を破壊したのでクーヌスは一度の「死」で消滅することが出来た。同様にヴァニタスもペシミズムも後でブレイバーンに倒されて一度で死んで消えることになりました。ただ、ここでクーヌスの「死」について検証すると、クーヌスが再復活せずに消えることが出来たのは母船を破壊したおかげですけど、それはその前にちゃんと「死ぬことが出来た」ということが大前提です。そのクーヌスの「死」はスミスの特攻攻撃によってもたらされたのですが、ブレイバーンではなくスミスがクーヌスを殺すことが出来たのは何故なのでしょうか。

まぁデスドライヴズの戦う場所に必ずブレイバーンが存在しているわけではないので、デスドライヴズは相手がブレイバーンでなくてもそれなりに強力な攻撃を受ければ死ぬことは出来るのでしょう。スミスが至近距離でミサイルを撃った攻撃はデスドライヴズを殺すには十分な威力ではあったのだと思います。ただブレイバーンがハワイでスペルビアを撃破した後でスペルビアが復活したのは母船のおかげであってあの時はちゃんと一旦死んでいたのだとしても、ブレイバーンがクピリダスを何度も倒して殺せなかった際の攻撃がスミスのクーヌスへのミサイル攻撃よりも威力が劣っていたとも思えないので、物理的な攻撃の威力だけがデスドライヴズの死の条件ではないようです。

それについては、スペルビアの話を聞く限りでは、デスドライヴズは「ルル」のエネルギーを摂取することで全力で強敵と戦う必要があるようです。そして、そのデスドライヴズの全力をも凌駕するような敵の攻撃を喰らうことで死ぬようです。クピリダスはその死をもたらしてくれる相手としてブレイバーンを推奨したが、クーヌスはブレイバーンではなくてスミスを相手に選んだ。そしてクーヌスは死ぬことが出来たのだから、クーヌスの判断は間違いではなかったということになる。スミスにはその資格が確かにあったのです。ならば、クーヌスはスミスに何を見出したのでしょうか。

それについてクーヌスは死後の異空間のような場所でスミスに向かって「そなたの熱情」「有機生命体の生のリビドー」と表現している。それを受け止めることでクーヌスは死ぬことが出来たようです。それと同じことがブレイバーンにも出来たわけだが、ブレイバーンは有機生命体ではないので、それはブレイバーンが成し遂げたことではなく、搭乗しているイサミが成し遂げたということになる。実際、イサミが搭乗していない状態のブレイバーンはスペルビアに歯が立たなかった。つまりデスドライヴズに死を与える資格を有していなかったということになる。デスドライヴズに死をもたらしたのはイサミの熱情であり、イサミの生のリビドーだった。クーヌスは単にイサミの熱情よりもスミスの熱情の方が好みだったということなのでしょう。

そうなると「有機生命体の生のリビドー」がデスドライヴズに死をもたらすということになる。そう考えると、デスドライヴズが「ルル」を摂取して戦いに臨むということの意味が分かってくる。「ルル」も有機生命体であり、そこには「有機生命体の生のリビドー」が詰まっている。デスドライヴズも「ルル」を摂取することによって、単にパワーアップするだけではなくて、「有機生命体の生のリビドー」を身体に漲らせて戦いに臨み、同じように「有機生命体の生のリビドー」を漲らせた敵と戦い撃破されることで納得して死を迎えることが出来るのです。

それは言い換えると、金属生命体であるデスドライヴズがその瞬間だけは有機生命体になることにより、有機生命体同士の戦いの末に死ぬことが出来るということになる。逆に言えば、金属生命体のままでは死ねないのでしょう。金属生命体は基本的に死ぬことが出来ない生命体であり、有機生命体になることによって永遠の生から解放されるのでしょう。まぁ本当に有機生命体になることは出来ないので「ルル」を摂取して「有機生命体の生のリビドー」を身体に満たして疑似的に有機生命体となることによって、死を受け入れることが出来る下地となるのでしょう。しかし、それだけでは不足であって、同じように「勇気生命体の生のリビドー」を持った敵の「熱情」のこもった攻撃を喰らうことによって死ぬことが出来るようです。

どうしてそうなるのかというと、おそらく金属生命体が「死ねない生命体」であるのに対して、勇気生命体が「極めて死にやすい生命体」だからでしょう。死ねない金属生命体は死を恐れないぶん生への執着も弱くて、生の実感も希薄なのでしょう。一方で死にやすい有機生命体は常に死を恐れていて生への執着心が強く、生の実感も金属生命体に比して強烈なのでしょう。金属生命体は生の実感が希薄であると同時に死の実感も希薄であり、死を上手く受け入れられない。だからなかなか死ねないのだと思う。だが有機生命体は死を恐れてもいるが、そのぶん生の実感が強いので、納得いく生を全うすれば死を納得して受け入れることも出来る。だから有機生命体は死ねるのだとも言える。だから金属生命体は「ルル」を摂取して有機生命体の「生の実感」を体感した状態で有機生命体と戦い「生の実感」を込めた攻撃を受けることで有機生命体のように死を納得して受け入れることが出来て死ぬことが出来るのでしょう。

そして、その「死」がデスドライヴズにとっては「快楽」なのだという。もともと死ぬことが出来ず、永遠の生に囚われている生命体だから「死」を「快楽」だと捉えるのだとも解釈できるが、そもそも本当に「死」は「快楽」なのかもしれない。人間だって生きていると辛いことはたくさんあって、特に年を取ると身体のあちこちが痛くなる。いっそ死んだ方が楽だと思う人は少なくはないだろう。確かに死ぬ前は色々と苦しかったり痛かったりするだろうけど、死んだ後は苦痛など無いのかもしれない。「死」が苦しいものであるという概念は、誰かの「死」を受け止めねばいけない残された生者の苦しみを反映したものに過ぎないような気がする。死者にとっては「死」が安らぎであるという考え方は根強く、「死」は「快楽」である可能性は十分にあるでしょう。だからデスドライヴズが「死」を「快楽」だと見なす考え方にはあまり違和感は無い。

ただデスドライヴズが異様であるのは、「死」が「快楽」であるのなら「何度でもその快楽を味わいたい」と考えるところです。そんなことは人間には不可能なことです。いや、おそらく最初はデスドライヴズも「死は一度きり」だったのでしょう。だがデスドライヴズは死の快楽を何度も味わうことが出来るような装置を開発したのでしょう。それがあの「母艦」だったのだと思われます。今回のクーヌスの場面を見た感じでは、おそらくデスドライヴズは死ぬと霊体のような存在となるようですが、金属生命体であるデスドライヴズの場合は、その霊体すら再利用可能なのであり、「母艦」の装置はせっかく死ぬことが出来たデスドライヴズの霊体を吸い上げて再び生き返らせることが出来るのでしょう。クピリダスやヴァニタス達はその装置を利用して何度でも死の快楽を堪能しようとしていたようですが、クーヌスは極端に純粋な性格なのか、そういうのは邪道と考えていたようですね。死の快楽は一期一会というような考え方だったのでしょう。

ではクーヌスはマトモだったのかというと、デスドライヴズとしてはマトモなのか、むしろ非主流派なのか、そんなことはよく分からないが、人間側の視点で見れば、死の快楽を一度だけ味わうにしても何度でも味わうにしても、デスドライヴズのたった一度の死を迎えるためだけでも膨大な数の有機生命体の犠牲を必要とするわけですから、なんとも迷惑な存在であるといえます。だから彼らが有機生命体の命を利用して自らの快楽を求めることを止めない限りは共存は不可能に思える。

そういう金属生命体デスドライヴズの身勝手な欲望のために新たに犠牲となってしまった有機生命体がスミスであったわけですが、あの大爆発の後でスミスが目覚めると、そこは異空間のような場所で、スミスは霊体のようになってしまっており、スミスの乗っていたTS機体はバラバラになってその異空間を漂っていた。そして、座席には血がベットリと付いており、スミスの遺体は見当たらなかった。おそらくスミスの遺体は爆発の際に散り散りになってしまったのでしょう。つまりスミスは死んで霊体になって異空間に飛ばされたのですが、これはいわゆる「あの世」ではないでしょう。

ここはおそらくデスドライヴズが死んだ後、霊体になって一旦留まる異空間なのでしょう。普段ならばここに来た霊体は母艦に吸い上げられて再利用されるのでしょうけど、クーヌスがあらかじめ母艦を破壊した結果、クーヌスの霊体はこの異空間で徐々に解体されて無に帰する、つまり完全なる「死」を迎えるようです。人間の世界でもこういう概念は存在する。死んだ人間の霊体はそのまますぐに「あの世」に行くのではなく、しばらくこの世の中空のような場所に留まってから「あの世」に行くのだといわれる。その間は現世に一定の介入も可能で、霊現象を起こしたりする。私も少々経験はあるので、そういうことは本当にあるのだと思う。まぁ真偽はともかく「人は死んだ後はしばらく霊体が現世に留まり現世に介入することは可能」という概念があるということは覚えておくとします。また、そのようにして一旦は現世に留まった死者の霊体のうち、ごく一部だけ現世に強い執着を残した霊体は「あの世」に行かず現世に留まり幽霊になることもあるということも覚えておきます。そしてデスドライヴズの霊体は条件次第では復活も可能としておきます。

スミスは死んだ後、霊体となって本来は人間の霊体が死後に行くそういう場所に行くはずだったのですが、クーヌスと共に死んだためにデスドライヴスの霊体が死後に行く異空間に一緒に行ってしまったみたいです。そこにはクーヌスの持つ空間を操作する能力の影響もあったのかもしれない。クーヌスが死の瞬間までスミスを欲していたことも影響しているのでしょう。そういうわけでスミスは奇妙な状況となってしまったのですが、それでもすぐに自分が死んだことは理解して悔しがります。

ここでスミスの回想場面となり、子供の頃にヒーローの玩具で遊んでいる姿が描かれる。スミスはヒーローに憧れていたということを示す場面だが、その手にしていた玩具が、変身ヒーローなのかロボットなのかは定かではないが、ブレイバーンによく似たデザインであった。それがスミスが憧れたヒーローの原点であった。だがスミスは同時に軍人の両親のこともヒーローだと思って憧れていた。その両親が死んで、死因については明確な描写は無かったが、スミスは軍人となり、自分なりのヒーローを目指した。だが子供の頃に憧れたヒーローとは違って人間であるスミスの能力には限界があり、ヒーローにはなれなかった。それでスミスはTSのパイロットになればヒーローになれるんじゃないかと思ってパイロットになったりもした。

だがハワイで演習している時にデスドライヴズの侵略が始まり、自分では世界を救うヒーローにはなれないと痛感した。そんな時、突然ブレイバーンが出現し、その姿が子供の頃に憧れたヒーローに告示していて驚いたが、ブレイバーンが搭乗者として求めたヒーローはスミスではなくイサミだった。スミスはそれが口惜しかったが、それでもイサミやブレイバーンと一緒に戦って世界を救えるのなら、それで自分なりのヒーローになれると思っていた。そして最期はヒーローとしてクーヌスに特攻して相打ちで倒すことも出来た。確かにスミスはヒーローとなったのです。

だが、まだ世界を救ってはいない。デスドライヴズはまだ残っており、イサミとブレイバーンの戦いは続く。彼らと共に戦うと約束したのに、その約束を果たせないまま死んでしまった。そのことがスミスは悔しかった。まだ死にたくないと思った。そうした「生への執着」こそが有機生命体の「生へのリビドー」なのであり、それを受け止めることによってクーヌスは死ぬことが出来た。だから首尾よく無に帰そうとしているクーヌスは歓喜してスミスに感謝する。そしてスミスに共に逝こうと呼びかける。ムーヌスにとって、こうして霊体が分解していき無に帰していくのは快楽であり、それは当然スミスにとっても快楽だと思ったのです。いや実際、スミスもクーヌスが快楽だというのを否定しなかったところを見ると、スミスにとっても快楽だとは感じられたのだと思います。だからクーヌスはスミスに一緒に無に還ろうと親愛の情を込めて呼びかけたのでした。

だがスミスはその快楽に抗った。死は確かに快楽であり解放であったが、それでもスミスにはやり残していたことがあったからです。スミスの「生のリビドーと熱情」を利用して死ぬことに成功したクーヌスであったが、スミスの「生のリビドーと熱情」はクーヌスの想定したものを遥かに超えていたのです。だからクーヌスはスミスが何を言っているのか分からず「はい?」と問い返す。しかしスミスは「俺はまだ世界を救ってねぇ!」と叫び、死を拒絶する。そうしたスミスの「生き返りたいという強い意志」の力が異空間内で分解し始めていたクーヌスの霊体を吸い寄せて再利用を開始する。それは普段ならば母艦の装置でクーヌスの姿に再利用されて復活するのだが、スミスの意志を介在しているので分解され吸収されたクーヌスの霊体はスミスの持つイメージに再構築され、更に異空間に漂っていたTS機のコクピット等の残骸も取り込まれて再構築されていく。

そうして、スミスの霊体はクーヌスの霊体を再利用することで再び実体を持ち、デスドライブズの金属生命体としての能力と記憶も引き継ぎ、その外見はスミスの「世界を救うヒーロー」としての憧れのヒーロー像の原点のデザインに近く、内部にコクピットを備えたものとなった。そうして、気が付けばスミスはハワイの上空を落下しており、真下にはデスドライヴズの侵略を受け、塔からの攻撃を受けて絶体絶命の危機にあるイサミの姿が見えた。それはスミスにとって見覚えのある光景だった。

つまりスミスは第1話のイサミの大ピンチの場面に戻ってしまったのです。位置もハワイに戻って時間もさかのぼってしまったわけだが、これはおそらくクーヌスの時間と空間を操る能力を取り込んだ影響だったのでしょう。そうしてスミスはイサミのピンチに上空から飛び降りて間一髪間に合って「待たせたな!イサミ!助けに来たぞ!」と声をかける。つまりスミスはブレイバーンになってしまったのです。そうして第1話のブレイバーン登場シーンに繋がり、イサミを搭乗させたスミスはブレイバーンとして戦いハワイの塔を撃破したのです。

スミスは自分がブレイバーンになったことには上空から落下する段階ですぐに気付き、今まで自分が見てきたブレイバーンは自分自身だったのだと理解していた。そして自分が今までずっとイサミを身体の中に抱いて、イサミと共に戦ってきたのだと理解した。そうして今回、改めて第1話の場面に戻ってイサミをコクピットに乗せることで単にクーヌスの金属生命体の力を引き継いだのとは比較にならない強大な力が湧き上がるのを感じた。そして、それが「有機生命体の熱情」つまり「熱い魂」なのだと気付いた。イサミの「熱い魂」をスミスは体内に感じたのです。そして、自分を強くしてくれる「熱い魂」の持ち主が自分の中に居ると感じることで、この「熱い魂」の持ち主を絶対に守り抜きたいという想いもスミスの中に強く湧き上がってきた。これが「熱い魂」の共鳴であり「愛」なのだとスミスには思えた。このイサミへの愛の力こそが自分を更に強くしてくれる。「熱い魂」を持つ者を乗せて共に戦うことがこんなにも自分を強くしてくれるのだと知ったスミスは、だから魂の無い「ルル」を何の愛情も無く摂取しているだけのデスドライヴズではブレイバーンに歯が立たなかったのだと理解出来たのでした。

そうして第1話の戦闘シーンとなりますが、こういう流れで見ると、ブレイバーンが妙に戦いに不慣れであったり自分の能力がよく分かっていなかったりしたのも辻褄が合って見事な伏線回収となります。まぁ第1話でずっと唄が流れていたのはどう説明がつくのかよく分からんが、まぁ勢いが凄いので細かいことは言いっこなしでいいでしょう。そして塔を破壊した後の名乗りの場面でスミスが自分の名前を「勇気爆発、ブレイバーン」と言うところは、スミスの人間だった頃の最期にイサミに伝えた「勇気爆発だ」をそのまま使っていて良い繋がりでした。イサミに最も伝えたかった言葉「勇気爆発」から「ブレイブバーン」で「ブレイバーン」という名にしたんですね。

ブレイバーンがデスドライヴズに何故か詳しくスペルビアとも旧知みたいにしていたのはクーヌスの記憶を引き継いだからであり、イサミとの関係を変なポエムみたいに語っていたのは、本当にイサミを乗せた時に熱い魂の共鳴に感動したからというのもあるが、自分がスミスだとバレないように誤魔化すためでもあったのでしょう。序盤の頃にイサミの気持ちがよく分からず揉めていたのは、この時期はスミスがイサミとそんなに親しくなかったので、ブレイバーンとなったスミスにはこの時期のイサミの心情に関する予備知識が無かったからなのでしょう。また、ブレイバーンがスミスを乗せるのが「生理的に無理」と言ったのは自分自身だから気持ち悪かったからでしょう。そしてブレイバーンが変にヒーロー好きだったりオタク趣味だったのは正体がスミスだったからであり、ルルに対して優しかったのもスミスだったからです。またブレイバーンがイサミにスミスと仲良くするよう結構しつこく言っていたのもスミス本人だからであり、スミスを最期の戦いに送り出す時に「また会おう」と言ったのは、後で時間をさかのぼってブレイバーンとなったスミスがハワイで再びスミス自身と会うことになることが分かっていたからです。

ここで今回の前半パートが終わり、後半パートになると時間が現在に戻って、ヴァニタスとペシミズムに苦戦中のブレイバーンとイサミの場面になる。スミスが死んでショックを受けたイサミは冷静さを欠き、ブレイバーンはイサミに冷静になるよう檄を飛ばす。しかしブレイバーンは実はスミスなので、ブレイバーンは自分はスミスであり死んでいないと言ってイサミを元気づけても良さそうなものだが、ブレイバーンはそのようにはしていない。ハワイ以降もブレイバーンは自分がスミスだとは打ち明けてはいない。まぁ確かにスミスが生きている間はそんなことは言えなかったのだろうとは思うが、こうしてスミスが死んだ後ならばブレイバーンは自分がスミスだと打ち明けてもよさそうにも思える。だが、そうしないのは、まずやはりイサミに自力で立ち直ってほしいからなのでしょう。スミスが居なくてもスミスの遺志を引き継いで1人でも世界を救ってみせるという熱い魂を持ってほしいと思っているからなのでしょう。イサミがそういう熱い魂を持ってくれていてこそブレイバーンも強くあれるし世界も救うことが出来るのです。

ただ、もう1つブレイバーンが自分の正体を明かさない理由として考えられるのは、戦いの終わった後、最終的に「別れ」があることをイサミに気付いてほしくないからなのかもしれない。現在のスミスの状態というのは、結局は霊体が未練が強くてあの世に行くことを拒絶して現世に留まっている幽霊のような状態であり、普通は実体を持たない幽霊がクーヌズの金属生命体の霊体を取り込んで再構築したことで実体を持っているに過ぎない。実際はスミスもクーヌスもとっくに死んでいるのであり、クーヌスは既に満足して心は成仏しており、スミスも世界を救ったら満足して成仏するだろう。そうなればブレイバーンも消えていくことになるのではないかと思う。もしスミスがブレイバーンになったことやその経緯をイサミに打ち明けたら、イサミは戦いが終わったらスミスやブレイバーンとの永遠の別れが来ると思ってしまう。ブレイバーンはそれが戦意に与える影響を心配しているのではないかとも思えるのです。

とにかくブレイバーンはイサミを上手く励ますことが出来ず、イサミは混乱したままブレイバーンはヴァニタスとペシミズムに押されまくる。そうしてイサミは「世界を救う」なんてスミスと軽々しく約束したことを後悔した。そのせいでスミスは死んでしまい、本当はヒーローなんてガラじゃない自分がスミスみたいな熱いヒーロー野郎と一緒だから世界を救える気分になっていたのに、こうしてスミスがいなくなると自分なんて何も出来ないと落ち込んでしまう。

しかし、そこにルルがやって来て「イサミ!」と叫ぶ。ルルは戦場の中を歩いてブレイバーンの傍までやって来たのです。そしてルルは「勇気!爆発!」とイサミに呼びかける。それはスミスが最期に残した言葉と同じであった。スミスがその言葉をイサミに伝えた時にはもうルルは「みんなを頼む」とスミスに託されて脱出させられた後であったから、ルルはスミスがその言葉をイサミに伝えたことは知らない。だが、デスドライヴズのエネルギー源として生まれただけの魂の無い存在であった彼女が今や言葉を喋り感情を持つ存在へと成長したのはスミスによってであった。スミスの「熱い魂」はルルに引き継がれているのです。だから想いは1つ、「勇気爆発」という想いもちゃんと通じている。

この「勇気爆発」という言葉を聞いてイサミはスミスに気合を入れられたように思ってハッと目を覚まし、そこにブレイバーンが「イサミ!顔を上げろ!」と言う。そして「君は何時だって諦めなかった」「君は何時だって強かった」と、これまでのイサミとの日々を思い出しながら言う。そして「君に足りないのは力ではない!勇気だ!」「信じるんだイサミ!己自身を!」とブレイバーンが呼びかけるのに応えて、イサミは操縦桿を握り「勇気!」と声を上げて押し込んでいく。「勇気」とはスミスが最期にイサミに伝えた言葉、そしてスミスが自らの死をもって示した言葉だった。それは「常に死を恐れ、生に執着する生命体」だからこそ、その死の恐怖を乗り越えて生を全うするために手にすることが出来る巨大なパワーであった。それは死を知らないデスドライヴズには持つことも出来ないものであり、人類が彼らを超えることの出来るパワーを表す言葉であった。その「勇気」を熱い魂で「爆発」させることでスミスは脆弱な有機生命体の身でありながらクーヌスを倒した。スミスは、ルルは、そしてブレイバーンは、イサミにスミスと同じように熱い魂で、勇気生命体の熱情の生のリビドーで「勇気」を「爆発」させてヴァニタスとペシミズムを倒すよう呼び掛けているのです。その想いをイサミは受け取ったのでした。

そしてスミスから受け取った「勇気!」という言葉を叫びながらイサミが操縦桿を押し込んでいき、ブレイバーンが「もっとだ!」「その先へ行け!」と励まし、ルルも「勇気!」「爆発だ!」とエールを送り、イサミはスミスを想い「勇気爆発!」と叫び、ついに謎のゲージいっぱい振り切るまで押し込む。するとコクピットが光輝きブレイバーンは力を取り戻して窮地を脱する。そしてイサミは「やってやる!この命あるかぎり!」と完全に勇気と熱い魂を取り戻す。

それにブレイバーンも「イサミ!俺たちで世界を救うんだ!」と意気を上げ、「合体だ!」と言い出す。想定外に「合体」と言われてイサミは戸惑うがブレイバーンは構わず「バーンドラゴン!」と叫んで軍港の格納庫から巨大ジェット機みたいなのを呼び出す。どうやらシコシコ内職でまたこんなのを作っていたみたいですね。それが飛んできて、ブレイバーンもそこに飛び込んでいき、イサミは遂に第1話で「まだ早い」と言われていた謎のレバーに手をかけて「合体!」と叫んで押し込む。そして「見えない未来掴むなら!」「不屈の勇気に勝るもの無し!」「爆発する勇気!「バーン!バーン!さらにバーン!」「勇気合体!バーンブレイバーン!」とコールを交互に入れていき、バーンドラゴンとブレイバーンが合体して巨大ロボットのバーンブレイバーンとなったのでした。そして、ここでなんとタイトル回収が来たのでした。

そして一同が驚愕して見守る中、バーンブレイバーンとヴァニタス&ペシミズムの最終決戦が始まり、ここがまた凄いバトルだったんですけど、最後はバーンブレイバーンのブレイブ・アブソリュート・ズバッシュが決まってヴァニタスとペシミズムを撃破した。ヴァニタスもペシミズムも面白いキャラで、バトルアクションも壮大で素晴らしかったです。そうして塔も撃破してアライドタクスフォースとバーンブレイバーンはデスドライヴズの猛攻を跳ね返し勝利したのでした。

そうしてイサミは涙を拭って「ありがとうな、スミス」と言い、それを聞いてブレイバーンは正体がバレたかと少し慌てるが、イサミが「お前の分までやってやるよ」と言うのを聞くと正体がバレたわけではないと安堵し、イサミが自分の遺志を継いで世界を救う気持ちになってくれたことを頼もしく思い、もう自分がスミスであると名乗る必要は無くなったと確信し「私はブレイバーンだ」と言う。そして世界を救う日まで、自分はあくまでブレイバーンとしてイサミと共に戦おうと改めて心に誓うのでした。

そうして今回は終わるのですが、最後にブレイバーンとの再戦を決意したスペルビアのもとをルルが訪れて、自分がスペルビアに乗ると言い出して次回に続きます。これについてはまた次回色々と考えたいと思います。今回かなり決定的な内容ではありましたが、しかしまだ残り3話あり、まだこれから山場はあると思われ、ルルの役割についてもまだ何かありそうですし、もしかしたらスミスが生き返る方法があるとか、そんな展開もあるんじゃないかと期待はしています。とにかく基本的には明るく終わる話なんじゃないかと思っていますので、まだ色々と紆余曲折あるんじゃないかなとは思ってます。

 

 

メタリックルージュ

第9話を観ました。

今回はまず前回から引き続き、真理部を襲撃してきたアルター勢力との乱戦の場面から始まります。インモータルナインのデザインがどうも分かり難くてゴチャゴチャして状況が分かりにくいんですが、インモータルナインを裏切ったと思っていたライコスは何故かシルヴィア達の味方をして、エデンはシルヴィア達を見限っている模様。それでシルヴィア達はジーンを攫って撤退していき、負傷したエデンは残された。シルヴィア達は簒奪者と手を組んでいたようで、簒奪者や移動カーニバルの連中の乗った宇宙船に乗って逃げようとして、ルジュはそれを追おうとするがシアンに邪魔される。そのままシアンと戦闘になり、ジーンはシルヴィア達に連れ去られてしまう。ナオミがルジュに助言するが、ルジュは自分を裏切ったナオミを信用できず無視する。しかしナオミがしつこく信じるように言うので助言を聞いてナオミの作戦で戦い、シアンの力を相殺することに成功し、シアンを捕獲することが出来た。

その後、ルジュはナオミに連れられて地球の上の宇宙空間に浮かぶ来訪者の宇宙船に行き、そこで色々と真実を聞かされます。まずナオミは地球人ではなく、来訪者が地球人と接触するために作った、地球人に似せて作られた第1号のネアンでした。来訪者は「ゼノア」という異星人であり、地球人とは異なる姿をしていた。もともとは地球人に似た姿だったらしいが、恒星間航行に適応して人魚のような姿になったらしい。

ゼノアは故郷の星を失い第二の故郷を求めて太陽系にやって来て金星への移住を望んでおり、地球人はゼノアからオーバーテクノロジーの提供を受ける見返りにゼノアの金星移住を許可して、金星をテラフォーミングすることにした。それが「金星計画」であり、その労働力としてゼノアの技術提供を受けて作られたのがネアンだった。つまりロイやエヴァはゼノアからネアンの作り方を教えてもらったということになる。そしてネアンは地球人に逆らえないようにアジモフコードが埋め込まれたが、エヴァはそれを解除するイブというコードを最初に作られた9人のネアンであるインモータルナインと、更にルジュのイドに隠したということになる。どうしてエヴァがそんなことをしたのか詳細な経緯はまだ不明だが、エデンの行動原理にはエヴァやジーンへの想いが関わっているようです。

一方、簒奪者というのはユノイドという名の異星人であり、もともとゼノアと同じ種族だったらしいが悪しき進化を遂げた文明の破壊者らしい。まぁゼノアがそう言ってるだけなんですが。それで、ゼノアの言うにはユノイドは太陽系を狙っているらしく、地球人とゼノアを滅ぼして金星を手に入れようとしているらしい。そのユノイドの支援を受けているのがアルターであり、アルターは金星を拠点にしてネアンの解放と地球人との戦争を目指している。その混乱に乗じてユノイドが侵攻してくることをゼノアは警戒している。

コードイブによってアジモフコードが解除されない限りはネアンは地球人の戦力として簒奪者と戦う兵器として活用される。だからゼノアはコードイブをアルターやユノイドに渡さないためにはルジュがこのゼノアの宇宙船に留まる方が良いと言いますが、ルジュはジーンが連れ去られた金星に行くと言う。また、ちょうどユノイド本軍が金星を強奪するために進軍を開始し、戦争の危機が高まり、ナオミはルジュの能力で事態を収拾することをゼノアに提案し、ルジュとナオミは金星に行くことにする。そうして地上に戻ると、アッシュとエデンが何やら協力してくれるみたいな感じで今回は終わり次回に続きます。

こんな感じで、だいたい謎は解けた感がありますが、ここからそんなに面白くなりそうに感じないのでちょっと困る。まぁでもつまらないということでもない。ここまでも同じで、つまらなくはないのだがそんなに面白くない感じでずっと来てますね。設定自体は面白いので、いっそ最初からこの設定を開示した上でドロドロの人間ドラマを描いた方が面白くなったような気がする。もっとストレートで勝負して良かったんじゃないかな。このままだと表面だけオシャレで深みが足りない作品という印象で終わってしまいそうです。