2024冬アニメ 2月8日視聴分 | アニメ視聴日記

アニメ視聴日記

日々視聴しているアニメについてあれこれ

2024年冬アニメのうち、2月7日深夜に録画して2月8日に視聴した作品は以下の3タイトルでした。

 

 

外科医エリーゼ

第5話を観ました。

今回はエリーゼ(偽名ローゼ)が前回の脾臓摘出手術を執刀したということをグレアム先生が病院長や皇帝侍医のベン子爵に報告して、それでエリーゼは医師資格試験を受験するための推薦状を書いてもらえることになった。これで皇帝との賭けに勝てる可能性が出てきてエリーゼは喜ぶ。しかも医師になれたら皇室十字病院という帝国最高峰の病院で勤務してほしいとベン子爵は言ってくれてエリーゼは嬉しい。ただ今年は皇帝の意向で医師の試験問題を難しくしているらしいので難関ではあるようです。それでも賭けの期限は半年と決まっているので1回限りのチャンスですから頑張るしかない。まぁエリーゼは前世の医学知識があるから大丈夫でしょう。

ただ、もし医師になれたとしたら、これで完全に皇后になる道は消えるので、前々世で夫婦であったリンデン皇太子とは完全にお別れになってしまう。現時点ではまだお互いのことをよく知らない政略結婚の相手でしかないのだが、もともと前々世のエリーゼはこの時点でリンデンのことが好きであったし、こうして転生し直して前々世の死までの記憶もある状態では、せっかく夫婦となったのにリンデンに愛されることなく処刑されてしまった悔いもある。だからこのまま今回の人生でリンデンと離れ離れになってしまうのは寂しくはあったが、皇后となってもリンデンを失望させるだけの自分がリンデンとの夫婦生活のやり直しに執着するよりは、前々世の反省と前世の経験を活かして医師になる方が正解なのだとエリーゼは自分に言い聞かせます。

一方、リンデンは現時点ではエリーゼのことは単なる政略結婚の相手のワガママ令嬢としか思っておらず特に愛情は抱いていなかったが、いきなり婚約破棄して医師になりたいと言い出したりしたことに驚き、勤務先のテレサ病院に変身して姿を変えて視察に行こうとしたところ侍従が重傷を負ってしまいエリーゼが執刀して脾臓を摘出して救命してもらい、それ以来エリーゼのことが気になって仕方なくなってしまう。それでまた変身態のロンの姿になってテレサ病院に行ったところ、エリーゼに見つかってしまい持病の頭痛の診察を受ける羽目となる。

エリーゼはロンの正体がリンデンだとは知らず、自分がエリーゼだという正体をロン(リンデン)が気付いていることも知らない。あくまで見習い医師のローゼが皇族の一員らしいロンという青年を診察するという形なのだが、エリーゼは丁寧に問診や触診をしてリンドンは距離が近くてちょっと照れてしまう。ここの場面でエリーゼが良い医者なのだということが伝わってくる。外科医として腕が良いのを描く場面はあったが、それは素人にはよく分からない部分です。また病院内の衛生を保つよう心がけたりする場面は医療人として基本がしっかりしていることは分かったが、それぐらいは現代医学では常識的な部分です。ただ、この診察シーンの毅然としていながら患者の心に寄り添う態度を見て、これまでで最もエリーゼが優秀な医師であることが伝わったように思う。またリンデンもちょっと浮世離れした態度も面白くて好感が持てました。

結局、エリーゼの診断でリンデンは甲状腺炎であることが分かり、2ヶ月ほど通院して薬剤の処方で治るとの診立てとなりました。エリーゼはもし通院が大変ならば皇室十字病院に紹介状を書くのでそちらに通院しても構わないと言うのですが、リンデンはエリーゼに会いたいのでテレサ病院に通院することを希望する。それで2ヶ月経ち経過も良好であったのでもう通院しなくていいと言われてリンデンは残念に思ってしまう。そしてロンの姿で散歩の途中で立ち寄ったとか言ってテレサ病院に来てエリーゼの掃除を手伝ったりするという一歩間違えたらストーカーのような謎の行動に出てしまったりする。

そんなことをして仕事をサボっているので公務の書類が溜まってしまい侍従のレンに小言を言われてしまうが、リンデンはエリーゼの兄であるレンにエリーゼの好きなものを聞いて何かプレゼントを贈ろうと考える。だが堅物のレンはエリーゼの好物のイチゴのケーキなどお菓子の話をするばかりで気の利いたことを言わない。それで他に無いのかと問うとレンはエリーゼは宝石が好きだったはずだと言う。それでリンデンは侍従の命を救ってもらった礼だと言って宝石を持ってエリーゼに会いに行くがエリーゼは受け取りを拒否する。リンデンも何となく宝石は拒否されそうだと思っていたのですんなり引き下がるが、それでも何かお礼はしたいと食い下がる。するとエリーゼはイチゴのケーキが食べたいと答え、それでリンデンはエリーゼの他の好物のお菓子の話もしたりして2人の会話は盛り上がる。リンデンはエリーゼの少女らしい可愛らしさに初めて触れて愛情を抱き、これからいくらでもお菓子を食べさせてやると笑顔で言う。エリーゼはそのロンの笑顔を見て、自分が前々世で何度か見て印象に残っているリンデンの笑顔と同じように見えて、ちょっとときめきます。

最後は皇帝と側近のベントの会話の場面ですが、どうやら今年の医師資格試験の問題を難しくするよる命じるように皇帝に進言したのはベントだったようです。それはエリーゼが優秀な皇后になると見越して、何としてもエリーゼを医師になる道を諦めさせてリンデンと結婚させようという意思によるものでした。更にベントは皇帝の誕生会の場でリンデンとエリーゼの婚約を発表するよう進言する。実は前々世はそのように歴史は進行したのですが、今回の人生ではエリーゼが皇帝と賭けをすることになったのでそれはお流れになったはずです。しかしベントはそれを強行してしまおうと考えており、それを正当化する名案があるみたいです。このようにエリーゼの医師試験の雲行きもちょっと怪しくなってきたところで今回は終わり次回に続きます。

今回はこんな感じの内容でしたが、エリーゼとリンデンの絡みが増えて一気に面白くなってきましたね。エリーゼの医師としての印象もリンデンと絡むことで更に魅力を増しましたし、リンデンもちょっと浮世からズレた感じが面白くてかなり好感度がアップしました。ストーリーも単なる医療ドラマじゃなくて、ちょっと宮廷ドラマとして波乱が出てきそうで盛り上がりが期待出来そうです。キャラの魅力はもう十分合格点で、ストーリーはまだ「面白い」と言い切れるほどではないが、今後かなり期待出来そうになってきたという印象ですね。

 

 

魔法少女にあこがれて

第6話を観ました。

今回はマジアマゼンタこと花菱はるかの赤ちゃんプレイというマニアックなプレイとなりました。いつにもましてイカレたプレイ内容でしたね。マゼンタがエロいと感じてしまった時点でちょっと性癖を歪まされてしまったかもしれない。また、プレイだけでなく今回はストーリー展開自体が不条理の連続で、とてもカオスなエピソードで非常に面白かったです。そして、これだけムチャクチャでエロくて笑える内容でありながら、それでもしっかりそれなりにイイ話になっているのが凄くて、この作品がギャグアニメとして非常に優秀である所以です。

ネロアリスのドールハウスの能力でマゼンタが赤ちゃんになったというふうに認識操作されてしまってネロアリスによって赤ちゃんプレイさせられてしまうのですが、これが単にこりすのエロい願望にはるかが巻き込まれてしまうという描き方ではなくて、はるか自身の潜在的願望もそこには反映されているという描き方なのですよね。最初はこりすの願望によって始まるプレイなのですが、そこに捕らわれた側のはるかの願望も反映されてプレイが進行していくというのがネロアリスの固有能力の基本スタイルみたいですね。

前回の最初の家族ごっこみたいなプレイも、最初はこりすの願望によるママゴトみたいな展開から温泉で全裸で身体を弄られるような展開に発展していったのは小夜の願望が反映されたように見えるし、その後のお医者さんごっこも最初はこりすの願望だったのが、その内容がどんどんエスカレートしていったのはうてなの嗜好が反映されていたように見える。よく考えたら、こりす自身はそんなに性知識があるわけではないので割と無邪気な子供の遊びのようなものをしようとしてるだけなんでしょう。だがドールハウスに捕らわれた相手のエロい願望がその中で現実化していくという仕組みになっているように思える。

まぁそこで「エロい願望」が特に現実化していくということ自体が、こりすの能力が基本的にエロ特化能力ということなのであり、そこがこりすの人形遊びに関わる歪みであり悪の才能なのでしょうけど、こりすの能力は要するに「遊び」の能力なのであり、「遊び」である以上はこりすだけが一方的に楽しむのではなく、捕らわれた相手も一緒に楽しめる仕様になっているのでしょう。そうして遊んだことで相手は精神的にも肉体的にも浄化されて、気持ちがスッキリしたり病気が治ったりする。ただ、それが常に「エロ」を伴っているので羞恥も感じることになり敗北感はあるわけです。こりすの方は勝ち負けには興味は無く、ただ単に相手と遊びたいだけなのだと思う。今回はそうしたこりすの奇妙な遊びに巻き込まれたはるかがその中で自分の潜在的な願望を実現して日頃ちょっと無理して溜まったストレスを発散させるという、カオスなギャグ回でありながらもちょっとイイ話になっているのです。

まず冒頭、前回うてなに修繕してもらったアンティーク人形を抱いて歩くこりすが児童公園に行くと、そこでははるかが子供たちと一緒に砂場で遊んでいた。ここではるかは砂でエノキ茸を作っていて子供たちにウケていますが、いったいどうやって作ったのか目を疑うような高々と伸びたエノキ茸でした。なんちゅうものを子供に見せてるんだ。なんか謎にキノコ推しみたいで、はるかってやっぱりトレスマジアの3人の中で一番アホの子ですね。

ただ、以前にも児童公園でマジアベーゼを待ち伏せしたりして、子供の遊び場が好きみたいで、子供と遊ぶのも好きみたいですね。そして子供に混じって、子供にも笑われるようなアホなことをしているところを見ると、はるかは子供っぽい性格なのだと思われます。しかし年長者ではあるので自然に子供の世話をすることも多くなり、本人は子供と遊んであげている世話焼きお姉さんという感覚であるようです。それでこりすがいつも1人で人形遊びをしていると聞いて、はるかはこりすと一緒に人形でママゴト遊びをしてあげて、こりすも何だか嬉しそうにしてくれます。もちろん変身時にはお互い認識阻害の魔法で守られているのでお互いが敵同士だということは気付いていません。

そうしてOPの後、戦闘場面に変わり、戦っているのはトレスマジアの3人と、エノルミータ側はベーゼとレオパルトの2人でネロアリスは居ません。ベーゼが鞭で生み出したと思われる糊の魔物でトレスマジアの3人は壁に貼り付けにされてしまい、更にこの糊が服だけ溶かすというベーゼの願望を具現化したような性能で、それでトレスマジアの3人は裸にされて辱められる。これがまず今回のエロシーンその1です。

その戦いの後、糊でベチョベチョになった下着を公衆トイレの洗面台で洗う裸の3人。これがエロシーンその2ですけど、エロいんだけど何ともいえない侘しさもあって笑える。なんで公衆トイレやねん。トレスマジアってエノルミータみたいにアジト的な場所は無いみたいですね。それで戦いの反省会となり小夜と薫子が口論になり、それをはるかが仲裁すると薫子がはるかのことを「おかんみたい」と言い、それを聞いたはるかは変なスイッチが入ってしまったみたいで、自分はトレスマジアのお母さんになろうと決意する。

そうして翌日からはるかは学校で何かと小夜と薫子の世話を焼き、まとめ役として2人を引っ張ろうと頑張り始める。しかしやはり謎のキノコ推しで、特製キノコ弁当を作ってきて2人に食べさせてパワーをつけさせようとしたりする。いやキノコでパワーはつかないでしょう。小夜と薫子ははるかの意味不明行動に困惑した様子です。また、はるかが新しい攻撃のフォーメーションを考えてきたというが、アホなので説明が要領を得なくて聞いてても意味が分からず、更に役に立つかどうかも分からない変なダンスレッスンもやらされたり小夜も薫子も困ってしまう。どう見てもはるかは自分の能力を超えたことを無理にやろうとして破綻している印象です。

それでもはるかは常に前向きで明るく、下校途中で児童公園に行くと、またこりすと人形遊びをしてあげます。そしてお母さん志向が強くなっているはるかは、人形遊びでお母さん役をやってあげて、こりすはお母さんに世話される赤ちゃん役を楽しみます。そうしてはるかは帰っていきましたが、公園に残ったこりすははるかのお母さん役に憧れの気持ちを抱き、今度は自分も人形遊びでお母さん役をやってみたくなってネロアリスに変身します。ネロアリスに変身すればトレスマジアが反応を探知してやって来るので、またドールハウスに捕えて赤ちゃんにしてしまい、自分はお母さん役になって遊ぼうと考えているのです。

はるかの方は謎の鼻歌を唄いながら八百屋に行って小夜と薫子のための弁当用のキノコを物色したりしていたがママゴト遊び中にドリンクを飲み過ぎていたため急に尿意を催してしまう。ちなみに八百屋さんのビジュアルが無駄に個性的で笑えた。だが、その時エノルミータの反応を探知して急いでマゼンタに変身して反応のあった場所に向かうと、そこはさっきまでこりすと遊んでいた児童公園であり、そこにネロアリスが現れる。そしてマゼンタはあっけなくドールハウスに捕らわれてしまう。

そしてマゼンタは認識操作で赤ちゃんにされてしまい、ネロアリスが変身した大人の姿のお母さんにお世話されてしまう。正確には自分が赤ちゃんだと思い込まされてしまっただけであり実際に赤ちゃんになったわけではなく、中学生の姿のままで催眠状態の身体を子供の姿のネロアリスに弄ばれているだけなのだが、マゼンタの自意識では自分は赤ちゃんの姿になっていてお母さんに甘えている状態となっている。もちろん自分がトレスマジアであることも忘れていて、自分はただの赤ちゃんであり、目の前にいる母親の子供だと思い込んでいる。またネロアリスの方もこのドールハウスの中では自分が母親になったというように自己催眠がかかった状態で楽しんでいると思われる。

しかし、このマゼンタの赤ちゃん姿が非常に可愛い。通常シーンの作画が今回かなりヤバかったんですけど、こういうシーンはやたら気合が入っている。そのあたり適切にメリハリが効いていて良い。ただ赤ちゃんマゼンタはビジュアルも良いが、やはり心から楽しそうにしているのが可愛い。やっぱりはるかは日常生活の中では行きがかり上や魔法少女ヒーローという立場上でお姉さん的に振舞ったりお母さんポジションになろうと頑張ってはいるけど、本来はまだ子供っぽい人間なのであり、子供として大人に甘えたりするのが一番心が休まるのでしょう。

そうして心が癒されていったはるかでしたが、変身前から尿意を我慢していたのでオシッコを漏らしてしまう。ただ赤ちゃんなのでオムツを履いているので、ネロアリスお母さんが優しくオムツを替えてくれる。もちろんそれはドールハウス内の設定上そういうことになっているのだが、実際に催眠状態のはるかもオムツを履かされた状態なのでオシッコが床に撒き散らされるような大惨事にはなっていない。まぁ中学生でお漏らしという時点で十分に大惨事だが。

そうしてオムツを替えてもらいながら、はるかは赤ちゃんなので何もしないで済む状態を幸せだと実感するが、そこで小夜と薫子のことを思い出し、小夜と一緒に薫子をトレスマジアに勧誘した日のことを思い出す。転校生の薫子のことが気に入って友達になりたいと言ってまとわりついていたはるかであったが、ある日、薫子がエノルミータの戦闘員に襲われて返り討ちにしてシバキ倒している場面に出くわして、自分は最初から薫子と一緒に魔法少女をやりたかったのだと気付き、薫子に正体を明かして勧誘したのです。その時の気持ちを思い出したはるかは自分が魔法少女であることを思い出し、赤ちゃんではないのだと気付いて催眠状態から自力で覚醒します。

すると、はるかはドールハウス内で中学生の身体のままで子供の身体のネロアリスにオムツ替えをされているところで、オムツを脱がされた下半身丸出し状態でM字開脚してネロアリスに股間を覗き込まれていた。それで大慌てで真っ赤になって飛びのき、パンツを返してほしいと言うが、ネロアリスの方はせっかくの赤ちゃん遊びが途中で終わってしまってつまらなそうにしており、異空間に去ろうとする。

そのネロアリスのつまらなそうな顔を見て、はるかはネロアリスが自分と遊んでいたのだと気付く。つまり敵意が無いということであり、それは以前にベーゼに対して感じていた違和感と似ていた。それではるかはネロアリスの真意を知りたいと思い、ネロアリスを引き留めるために赤ちゃんの演技をして、赤ちゃん遊びの続きをしようと誘いをかける。するとネロアリスは喜んで戻ってきて再び赤ちゃん遊びが始まるが、今度はもう認識操作は無しでお互い素の姿のままでの赤ちゃん遊びとなるので、もはやこれはイメージプレイとしての「赤ちゃんプレイ」そのものです。

はるかは再びオムツを装着されて、哺乳瓶でミルクを飲まされたりするが、もともとネロアリスの真意を確かめたいと思って誘いをかけたにもかかわらず、中学生の身体のままなのにズルズルと赤ちゃんプレイにハマっていってしまう。しかも認識操作されていない正気の状態で。それはやはり潜在的に赤ちゃんプレイでストレスを発散させたいという願望があったからでしょう。そうして遂には赤ちゃんという自覚も無いのにお漏らしをしたくなってしまう。それを恥じらうはるかのお腹をネロアリスがグイグイ押して尿意を促進させたりして、そういう方面の趣味は無いはずなんですが、やたらエロく感じてしまいました。そしてはるかはオムツを履いた姿でオシッコを漏らしてしまい、その快感に恍惚とします。もう完全に変態です。前田さんもなんちゅう声を出してんねん。

そしてネロアリスははるかが履いていたオシッコで濡れたオムツを脱がせますが、そこでネロアリスは眠くなってしまいドールハウスは消滅してしまい、2人は元の児童公園に放り出される。そのままネロアリスは去っていき、はるかは下半身丸出し状態で放置される。そこに小夜と薫子がやって来る。ちなみに2人がネロアリスの反応を感知した時、小夜が補習中だったのは笑えた。小夜は実はバカだったんですね。それともうてなみたいにエロいことばっかり考えてて勉強が手につかなかったんでしょうか。そして公園に駆けつけた小夜ははるかが下半身丸出し状態なのを見て羨ましがります。もうダメだこいつ。

薫子の方ははるかがお母さんぶってチグハグなことばかりやることを鬱陶しく思いつつ、そうしたはるかの不器用ながらも世話焼きな性格によって捻くれ者の自分がずいぶん救われてきたことを思い出して、トレスマジアに入って楽しくやれているのもはるかのお陰だと感謝し、はるかがトレスマジアのお母さんでも良いと思うようになっていた。そして、はるかはネロアリスの赤ちゃんプレイで気分がスッキリして、明日からまたトレスマジアのお母さんを頑張れそうだと前向きな気持ちになれたのでした。

 

 

戦国妖狐 世直し姉弟編

第5話を観ました。

今回は新たに断怪衆から氷岩という刺客が送り込まれてくる話だったが、単純に氷岩を倒すというような話ではなく、意外な展開で物語が進んでいき、人間と闇との関わり合いや、力や欲を求める人間の心の悲哀について考えさせられるお話でありました。この作品は展開そのものは少年漫画っぽくてシンプルなんですが、1つ1つのセリフに込められた意味が深い。いや少年漫画というのは元来こういうものであったのかもしれないですね。「ザ・少年漫画」という感じの作品です。読者は子供ですから全部は解らなくて良いのです。全部は解らなくてもひとまず楽しめるように作っている。それでも子供が理解できる深度までの物語なのではなく、それ以上の深いところまでしっかり物語が作ってあるからこそ、意味は分からないながらも子供が惹かれるのです。昔の巨匠といわれる人たちの描いた少年漫画はこういうのが多かった。今はそういう過去の名作の浅い部分だけトレースしたような作品が多い。そういう時代において、こういう硬派な作品はなんだか懐かしい感じがして良いですね。

まず今回の冒頭は、真介が何やらコソコソと握り飯を持って出かけていくのでたまと迅火が尾行していくと、真介は落人の洞という場所に潜んでいる雷堂斬蔵のもとを訪ねていた。斬蔵は前回の決闘で迅火に敗北して、大怪我を負って身動きがとれず洞の中で療養していたようです。それを真介が見つけて、握り飯を与える見返りに剣術を教えてもらっていたようですが、迅火に知られると面倒なことになると思ったのか黙っていたようです。ただ握り飯はたまや迅火の庵の食糧で作ったものですから居候の真介が無断で他人に与えるというのは問題がある。

それをたま達は咎めますが、斬蔵の窮状を知った以上、無視することも出来ない。斬蔵は断怪衆から送り込まれた刺客であり、基本的には敵側の人間ではありますが、前回の戦いでは最後は何だか和解したような終わり方となったし、斬蔵が悪人というわけではないということも前回の戦いの中で分かっていました。

それに前回のラストで言及されていましたが、斬蔵はどうやら妹を人質に取られて断怪衆の命令を拒否出来ずに迅火を殺しに来たらしい。実際1回目の戦いでは迅火を殺せたのに殺しておらず本音では人間を斬りたくない様子です。斬蔵は闇喰い人と自称していたが、おそらく闇を斬ることを生業としており、人を殺すのは本意ではないのでしょう。ただ剣の腕が立つので刺客として送り込まれただけであり、妹を人質に取られていなければ本当はこんなことはやりたくなかったようです。そうした事情も真介は既に斬蔵から聞いていたようでたま達に斬蔵のことを救ってやろうと取りなしてくる。斬蔵が重傷を負っているのはそもそも迅火が怪我を負わせたせいであるし、こうなると見捨てるのも薄情に思えてきて、たまと迅火は斬蔵を庵に運んで手当をしてやることにしたのでした。

そうして治療をしながら斬蔵の身の上話を聞くと、雷堂家はもともと霊力の強い家系で、それゆえ斬蔵も魔剣を使って霊力を操ることが出来るのだが、霊力の強い家は闇とも関係を持つことが多いので差別されて人間社会では表舞台に立つことは難しく、雷堂家はそれなりに家柄は良いのにもかかわらず日陰者として生きることを余儀なくされてきたのだという。それでも生計を立てていかねばならないので、斬蔵は霊力を活かして闇喰い人となり、闇を斬ってその肉を売って金を稼いでいた。そして斬蔵の妹の氷乃は断怪衆の一員となり闇を狩っていたのだという。だが氷乃の霊力は弱くて断怪衆の中では戦闘力は無い方であったので、断怪衆の幹部たちに生殺与奪を握られているような立場であり、斬蔵は剣の腕を買われて迅火を斬るよう命じられた際にも氷乃の命を盾に脅されて従わされていたのだという。

それで前回も迅火との決闘で敗れた際も斬蔵はまず氷乃の身柄の安全を心配したのですが、決闘に立ち会った断怪衆の僧兵は意外なことを伝えた。今や誰も氷乃を殺すことなど出来ず、次の刺客が氷乃なのだと言うのです。そして今や氷乃は「四獣将」という立場にあり、その名も氷乃ではなく「氷岩」と言うのだそうです。そのことを斬蔵は初めて知ったようで、そもそも氷乃がそういう状態であったならば、わざわざ氷乃を人質にして斬蔵に刺客をさせる必要も無く最初から氷乃が刺客となれば良いわけですから、氷乃が「氷岩」となったのはごく最近のことなのでしょう。

この「氷岩」という名を聞いて、たまはそれが「灼岩」と似ていることから、灼岩と同じように霊力改造人間なのだろうと推測する。おそらくもともと霊力の弱い氷乃は霊力改造術式を受けたことによって強い霊力を得て霊力改造人間「氷岩」となり、迅火を討つための刺客に選ばれたのでしょう。おそらく「四獣将」ということは氷岩の他に同格の霊力改造人間が他の3人居ると見た方が良さそうですね。

迅火も迎え撃つ気は満々で、別に斬蔵の妹だからといって手加減する気は一切無いようで、殺すつもりで迎え撃つと言う。斬蔵も妹が刺客として来る以上はそれも仕方ないという考えのようで、別に迅火に妹と戦わないでほしいとか、妹を殺さないでほしいと言うつもりもないようです。そもそも霊力改造人間が相手となれば、迅火が負ける可能性だって十分にあるのです。そもそも別に斬蔵だって迅火の味方になったわけではない。だが自分の任務が終わった以上はもう断怪衆の味方というわけでもない。妹の身は案じてはいるものの、基本は中立の立場です。

すると、庵に迅火の友である闇がボロボロの姿でやって来て、女がやって来て襲われたのだという。そして、その女は迅火に来るように伝えろと言ったのだそうだ。氷乃に間違いない。それで迅火は友を傷つけられたことで激昂して「必ず氷乃を殺す」と言って氷乃の待つ場所へ向かう。斬蔵も怪我の身体を引きずって後を追い、たまもついていくが、たまに留守番をするように言われた灼岩は自分も行くと言う。どうも怪我を負った闇の身体にこびりついた氷乃の匂いを嗅いで何か思い当たるフシがあったようです。それで真介だけが居残って闇の介抱をすることになった。

そうして一行は氷乃の待つ場所に着き、迅火は精霊転化して妖狐の制霊体となる。それに対抗して氷乃も霊力改造人間としての真の姿「氷岩」に変身する。それは巨大な岩の塊の上に氷乃の身体がくっついたような奇怪な姿であり、そのベースとなっている岩の塊の姿だけを見れば灼岩の暴走していた時の姿とよく似ていた。この姿になった上で氷乃は斬蔵に向かって「この任務を必ず成功させて雷堂家を表の世界に」と言う。つまり、どうやら氷乃が霊力改造人間となったのは自分の意思によってであったのであり、それは断怪衆で実績を上げて出世することで雷堂家を表の世界で成功させようという想いからであったようです。それを聞いて斬蔵は驚き呆れたような反応を示す。

だがすぐにも迅火は戦いを開始して氷岩を殺そうとする。ところがその時、急に灼岩が進み出て、いつもと違う声色で「久しいな蒼岩!」と氷岩に向かって挨拶をする。一同は驚くが、灼岩は続けて「この娘の身体に封じられているが、分かるか?我は火岩だ」と自己紹介する。これを聞いてたまも迅火も灼岩という人間の真実に気付いた。

霊力改造人間というのは人間と闇の融合体であり、人間の中に闇を封じ込めることでその闇の持つ強大な霊力を人間が自在に使えるようになる。ここで灼岩が名乗っている「火岩」というのは灼岩の中に封じ込められた闇のもともとの名前なのです。「火岩」の言うには、灼岩はもともと「芍薬」という名の村娘の身体に「火岩」という闇を封じ込めたものであり、そうして出来上がった融合体としての霊力改造人間の名前が「灼岩」なのです。

同様に、ここで「火岩」が呼びかけている相手である「蒼岩」というのももともと「火岩」の友達の闇の名前なのであり、この「蒼岩」という闇を「氷乃」という女の身体に封じ込めて出来上がった融合体としての霊力改造人間の名前が「氷岩」なのです。氷岩と灼岩の見た目が同じ岩のような姿で似ているのも、もともと同系統の闇だからなのでしょう。ただ灼岩と氷岩には相違点は多い。灼岩は暴走時は氷岩のように上に人間の身体が出ておらず、完全に岩の化け物のような見た目であり、ほぼ闇としての火岩のままの姿であったが、現在は逆に元の芍薬としての人間の姿がベースになっていて火岩の姿は両手に出てくるのみです。一方で氷岩は闇として蒼岩の身体の占める割合が大きく、現時点の見た感じでは氷岩の方が強そうです。

そして最も大きな違いは、灼岩が人間の芍薬と闇の火岩の2つの人格が同居して入れ替わ手って表に出てくるのに対して、氷岩の方は蒼岩の意識は全く表に出ることはなく、喋っているのは氷乃の意識のみです。いや、彼女は「自分は氷乃でも蒼岩でもなく氷岩です」と言っており、氷岩の中には1つの意識しか存在しないようです。ただ喋っている内容を聞く限り、それはほぼ氷乃の意識なのであり、氷岩の言うには「蒼岩の意識など必要無いので食いつぶしている」とのことです。つまり、霊力改造人間というのは人間が闇の能力を得るための術なのであり、必要なのは能力だけなのであり、闇の意識などは不要なので人間体の方の意識によって押しつぶして消滅させてしまうみたいです。つまり、既に火岩の友である蒼岩の意識は潰されてしまっており、実質的に蒼岩は氷乃によって殺されて身体を奪われているのです。

ところが灼岩の場合は闇である火岩の意識が潰されずに残っている。それを見て氷岩は「失敗作」と貶す。だが、それに対して火岩は「芍薬は我を許し受け入れる器の持ち主だ」と言い返す。この遣り取りから、そもそもどうして灼岩が暴走したのかが分かる。それは芍薬が霊力改造術式を受けた際に、他の被験者のように自分の中に封じられた闇の意識を潰して殺してしまうことが出来なかったために身体を闇の火岩に乗っ取られたことが原因だったのです。

どうして芍薬が火岩を殺せなかったのかというと、それは芍薬の優しさゆえでしょう。芍薬は確かに「力」を求めて霊力改造術式を受けたが、それでも根は優しい少女であったので、自分の中に同居することになった化け物である火岩を殺すことが出来なかった。それで火岩の意識が残った状態となり、火岩から見れば断怪衆は自分を殺そうとする敵ですから、灼岩の身体の主導権を握った火岩の意識は当然ながら断怪衆からの脱走を図り、そうして断怪衆のアジトで大暴れして脱走した後は、火岩は自分を殺さず受容れてくれた芍薬の恩義に報いるために、芍薬が心の奥で恨んでいた故郷の村を壊滅してあげたのでしょう。結局、芍薬は優しさゆえに火岩の暴走を招き、その結果について優しさゆえに苦しむことになったのですが、芍薬の優しさによって救われた火岩は芍薬を大切に想うようになり、結局は真介やたまに諭されて芍薬が自分の弱さゆえに闇となって犯した罪を受け入れ、闇と共に人間として生きる道を選んだのを承けて、火岩も芍薬と共に2人で1人の人間であり闇でもある存在として生きていこうと心に決めたようです。そうして完成した人間と闇の共存体が現在の「灼岩」という存在なのです。

一方で氷岩は氷乃が自分の「日陰者の雷堂家を表の世界で栄達させたい」というエゴのために闇の蒼岩を殺して身体と能力を奪った存在であり、それを聞いて闇への冒涜だとして迅火は激怒しますが、灼岩の怒りはそれよりも更に大きい。芍薬も火岩も様々な苦しみの末に辿り着いた自分たちの信条とあまりにもかけ離れた氷岩の在り方に激しい怒りを覚えている上に、火岩に至っては友を殺されているのです。それで灼岩が自分たちが氷岩を倒すと言い出すと、迅火もさすがに譲るしかなかった。そして戦いを譲る代わりに今後は闇である火岩とも友にならせてもらいたいと言う迅火に対して、火岩は「芍薬と我は一体ゆえ、芍薬と友であるお主らとはもとより友だ」と応える。

そうして灼岩と氷岩の戦いが始まり、灼岩は人間体と闇の身体の連携が良くて健闘しますが、やはり氷岩は強い。霊力改造人間の理論としては、やはり闇の意識を不要なものとして切り捨てて、闇の霊力を直接に人間の意識でコントロール出来る方が効率が良いのでしょう。そのぶん氷岩の使える霊力は膨大なもので、それゆえ身体も灼岩に比べて巨大なのでしょう。一方で灼岩は火岩の意識下にある霊力を芍薬の身体が使う形になっているので非効率であり、それゆえ霊力の大きさや身体の大きさでも氷岩に劣っているのでしょう。そのビハインドを火岩と芍薬の2人が息を合わせた連携の妙でカバーしているのですけど、それで霊力的にやっと互角勝負にもっていけたとしても、そもそも芍薬が非戦闘員であるのに対して、氷乃はもともと断怪衆の戦闘員であり戦い慣れしており、闇と戦う霊力の技も会得している。だからどうしても灼岩の方が不利といえます。

その頃、庵で闇と共に留守番していた真介の前に神雲と千夜という2人組が現れて、真介は底知れない恐怖を感じて腰を抜かす。神雲たちは誰かを探して庵にやって来たようだが、迅火の仲間である真介には全く興味を示さなかったので、迅火を狙う刺客というわけではないようだった。ただ真介と一緒にいた闇は神雲の匂いを「竜の匂いだ」と言い、急いでたまと迅火にこのことを伝えて、全員急いで逃げるようにと言うので、真介は慌てて迅火たちのもとへ走る。

そうして真介が迅火たちに「竜」のことを報せると、氷岩は心当たりがあるようで「まさか神雲様?」と言っているところを見ると、どうやらさっきの神雲というの断怪衆の仲間のようです。ただ加勢を喜ぶという様子ではなく氷岩は真っ青になっている。また迅火も「竜」と聞くと酷く慌てて逃げようとする。こんな情けない迅火の姿を見るのも珍しい。それだけ、竜の力や、あの神雲という男の力は強大なのでしょう。

しかし迅火が逃げようとした瞬間、そこに神雲と千夜が現れ、神雲は怯える迅火には目もくれず、氷岩に対して「幕府要人呪殺請負の咎で抹殺処分とする」と告げる。それに対して氷岩はしらばっくれようとしますが神雲は問答無用で一瞬で氷岩の身体を粉々に砕いて吹っ飛ばしてしまう。この瞬間、神雲の姿が人間体から竜人のような姿になっており、神雲も霊力改造人間のように思える。もしかしたら四獣将の1人なのかもしれないが氷岩に比して圧倒的に強すぎるので、もしかしたら四獣将よりも上位の存在なのかもしれません。断怪衆の標的である迅火よりも氷岩の粛清を優先しているあたり、普通の戦闘員ではなくて内部の反逆者の粛清を任務としている特別な幹部の可能性もあります。

さっき神雲が庵にやって来たのは迅火を探していたのではなく、迅火の討伐任務に当たっている氷岩が迅火の居る場所に現れると考えて探していたのでしょう。そして、大事な任務途中の氷岩を任務終了を待たずに殺そうとするということは、「幕府要人呪殺請負」というのは断怪衆として絶対に冒してはならない規則違反なのでしょう。それを氷岩は冒してしまったようです。それで氷岩は突然に神雲に粛清されてしまったようだが、神雲は氷岩を片付けた後、ついでにお尋ね者の迅火にも手を出そうとする。だが迅火は煙幕を張って必死に逃げ、他の者もバラバラに逃げる。それを神雲があまり真面目に追いかけようとはしていないところを見ると、あくまで神雲がここに来たのは氷岩の粛清が本来の任務であったということが分かる。

そうしてたまと迅火と真介と斬蔵が落ち合う場所と決めていた落人の洞に着くと、迅火はまだ神雲に怯えていた。そこに灼岩が氷岩を抱きかかえて現れる。氷岩はまだ死んでおらず、灼岩がドサクサ紛れに救出して運んできたようです。氷岩は岩の身体のほとんどが砕けて無くなっていたが、それでも僅かに残った岩の身体にくっついた人間体がまだ何とか生きていたが、もう長くは生きられない様子であった。

そんな氷岩に向かって斬蔵は「幕府要人呪殺請負」とは一体何をやったのかと問い質す。すると氷岩は松永久秀に依頼されて幕府の管領代の三好長慶を殺したのだと答える。それを聞いて斬蔵は「霊力で表の世界に干渉するのは固く禁じられているはずだ」と非難します。つまり霊力を使える者というのは、あくまで闇と戦うためにその力を使うべきものと定められているのです。霊力を人間に向けて使うべきではないし、ましてや表の世界の政争に関わるなどあってはならないことなのでしょう。その重大なタブーを破ったからこそ氷岩は神雲によって即座に粛清されたのです。

そのタブーというのは、霊力というものが闇と関わる忌むべきものとして扱われているからです。つまりこの世界では霊力に関わる家に生まれた者は一生決して日の当たる世界で浮き上がることは出来ず、影の存在として生きるしかないのです。氷乃は長らくそういう理不尽な扱いに不満を抱いていたようです。それゆえに霊力改造人間となって得た力を使って断怪衆の中で出世して地位を高めようとしたり、表の世界で日の目を見るために松永久秀の甘い誘いに乗って三好長慶を殺したりしたのです。それは長い間不遇な目にあってきた雷堂家の地位を高めるためだと信じており、だからさっきも斬蔵に向かって嬉しそうに「この任務を必ず成功させて雷堂家を表の世界に」とか言っていたのです。

だから氷乃はこうして虫の息になっても、斬蔵に向かって「霊力を持って生まれた我らは大志も抱けず闇に生きるしかないのか」「私たちは幸せになってはいけないのか」と問いかけ、ずっと闇の世界に生きてきた雷堂家にとって表の世界に出て成功するのは悲願なのだと言う。だが斬蔵は「雷堂家に悲願など無い」と切り捨て、それは氷乃個人の勝手な野心に過ぎないと断じる。

氷乃は唖然として「表舞台に立ちたくないのですか?」「幸せになりたくないのですか?」と斬蔵に問うが、斬蔵は「野心を果たさなければ幸せになれないなんてわけがないだろ」と応える。斬蔵は「野心を果たすこと」や「目標を達成すること」が「幸せ」という考え方がそもそも間違っていると言いたいわけです。だからこそ雷堂家には「悲願」などというものは無いし、斬蔵にも「悲願」も「野心」も「目標」も無い。ただ闇の肉を喰らってその日その日を生きるだけでいいのです。そのままでも斬蔵は幸せなのです。

しかし、氷乃にはそれは間違った考え方だと感じられる。そんなものは長らく闇の世界に関わって日陰者として生きる生活に慣れ切ってしまったために身に沁みついてしまった怠惰な敗北主義に過ぎない。兄はそうした諦めの心境に沈み込んで這い上がってこれない哀れな人間に過ぎないのであり、自分が前向きに頑張って雷堂家と兄を闇から救い出して日の当たる世界に連れていくしかないのだと思い、再び最期の力を振り絞って立ち上がる。そして、断怪衆には戻れずとも松永久秀のもとに身を寄せればまだ再起の道は残っていると言い、そのためにまずは闇であるたまを喰らって身体を回復させようとする。だが、そうしてたまを襲おうとした氷岩は迅火にトドメを刺されて死んでしまう。その姿を見た斬蔵は悲し気に「不幸は定めじゃねぇ、心で決まるんだ」と氷乃に最期に贈る言葉をかける。

多くの人はこの場面、言葉の内容だけを比べれば斬蔵よりも氷乃の方が正しいことを言っているように思われるかもしれない。目標に向かって努力しようともせず、成功を掴んで幸せになろうともしない斬蔵よりも、氷乃のように目標のために出来る限りの努力をして幸せを目指す方が正しいように思える。そういう生き方こそが正しいのだと私たちはずっと教えられてきた。

しかし私は、真に道徳的な生き方は斬蔵の方だと思う。真に道徳的な生き方とは「幸せになろうとすること」ではなく「不幸に潰されず生きること」だと思うからです。何故なら、この世で得られる栄達の道が限られている以上は誰かの成功は誰かの失敗の裏返しであり、誰かが幸福になればその裏で誰かが不幸になっているし、そもそも誰もがいずれは病気になったり死んだりするのだから不幸から逃れられれる人間など存在しないからです。つまり、この世界は不幸や苦しみや失敗に満ちているのです。そんな世界で「幸せになること」「成功すること」だけを価値とするならば、ほとんどの人間は救われない。そうではなく「不幸の中で折れない心を持つこと」が多くの人々を救う真の道徳律だといえるでしょう。氷乃はそれが分からず、ただ成功のみを追い求めた結果、破滅したのです。対して斬蔵は自分の運命を変えて幸せになるのではなく、不幸な境遇でも屈しない心を持つことによってこそ人間は強く生きられるのだということを説いたのです。

いや、「強く生きられる」というのは語弊があり、人間が受け入れるべき最大の不幸は「死」であるのですから、死ぬことも含めて屈せず受容れる心が肝要といえます。だがあくまで幸せを追い求めて自分の運命を変えることのみに執着した氷乃は最期の瞬間もその境地は理解出来ないようで「死にたくない」と呟く。それに対して迅火が「黄泉路にお気をつけて」と送別の言葉をかけると、氷乃は最期に「人間になりたかった」と言い残して消えていった。これを聞き灼岩は悲嘆する。闇である蒼岩を殺してまで手に入れた闇の身体だというのに、最期の最期で人間になりたかったなどと言うのでは殺された蒼岩があまりに浮かばれない。ただ能力を奪うために邪魔者扱いされて殺されて、最期にはその身体すら不要だと言われる。人間にとって闇とはそこまで忌むべき存在だというのか。それならば人間と闇が共に生きようとしている我々「灼岩」は一体何なのだと、火岩も芍薬も共に嘆くのでした。

そうした灼岩の嘆き、そして氷岩の悲劇を目の当たりにして、たまはやはり霊力改造術式の非道はどうしても潰さねばならないと考える。そうして今後の計画をぶち上げる。断怪衆の研究所に行き霊力改造人間の研究を完全に潰すという目標を掲げて、その過程で研究資料を奪って神雲のような強力な霊力改造人間への対抗策を見つけ、それを駆使して逃げ回りながら時間を稼いで勝てる機会を探り、然る後に神雲を倒し、霊力改造人間の研究を完全に潰すというものでした。

そして、その前にまず灼岩の中に居る火岩が蒼岩の砕けた欠片を故郷に持っていって弔ってやりたいと言うので、まずは火岩の案内で火岩と蒼岩の故郷に向かうこととなった。また斬蔵は氷岩の方の後始末をつけると言って何処かに旅立っていった。こうしてたま達は新たな旅に出ることになったところで今回は終わり、次回に続きます。