2023秋アニメ 12月21日視聴分 | アニメ視聴日記

アニメ視聴日記

日々視聴しているアニメについてあれこれ

2023年秋アニメのうち、12月20日深夜に録画して12月21日に視聴した作品は以下の4タイトルでした。

 

 

Helck

最終話、第24話を観ました。

今回で最終話だったわけですが、物語はやっぱり完結しませんでしたね。どうやら原作は全12巻みたいで、今期やった分は第7巻ぐらいまでの内容だったようです。半分ぐらいだったみたいですね。2期の告知も特に無かったみたいですが、このまま終わるということもないと思うので、いずれ2期も放送もあって、そこで物語は完結するのでしょう。

てっきり今期で完結するのかと思って期待していたんですけど、途中から完結しなさそうだなとは思っていました。過去編が終わったあたりから、どう考えてもまとめきれるとは思えなくなってきてましたから。ただ、今期の最後はもうちょっと感動展開になるかとは思っていたんですが、ちょっと予想とは違いましたね。てっきり今回の最終話ではヘルクとアリシアの戦いがあって涙腺崩壊するような展開になるんだろうとか思っていたんですが、ヘルクとアリシアは再会はしましたけどマトモには戦いませんでしたね。

今回描かれたのは、ヴァミリオがヘルクの本人すら気付いていない本当の想いに気付き、大きな方針転換をしたことです。これは確かに物語の大きなターニングポイントであり、感動的ではありました。ただ「ここから一気に盛り上がっていくぞ!」というタイプの感動であったので、最終話にこれをやると壮大な「俺たちの戦いはこれからだエンド」になってしまい、むしろ残念感が高まってしまいました。まぁ単話として見れば面白かったし盛り上がったんですけどね、求めていた最終話ではなかった。確かにキリが良い部分なので、一旦切るとしたらここが適切なんでしょうけど、お預け感が凄いですね。そういう意味では今期の満足度はちょっと損なわれてしまいました。最終話でかなり盛り上げると見込んでいたぶんはちょっと期待外れではありました。

ただエピソードの内容的には凄く良かったです。ヘルクはきっと大丈夫、暴走なんかしないと信頼して戦うヴァミリオであったが、どうしても一抹の不安が拭えない。そんなヴァミリオにラファエドは執拗に「ヘルクは弱い男なのだ」と強調する。ヴァミリオはヘルクのことを理解していないのだとラファエドは非難します。仲間を自分の手にかける苦しみに人間や、ヘルクは耐えられるはずがないのだとラファエドは言う。

それでヴァミリオは、もし自分が魔族の仲間を手にかけたと考えると、自分もその苦しみに耐えることなど出来ないと気付く。ヴァミリオはずっと人間は自分とは違う、ヘルクは自分とは違って特別なのだと思ってきたが、それは間違いだったのだと気付く。ヘルクだって本当はその苦しみに耐えられるはずがない。それなのにヘルクが人間と戦おう、かつての仲間と戦おうとしていたのは、かつての仲間を殺すことで自分の心を壊して暴走して自我を喪失して楽になるためだった。そうして暴走した自分を殺して全てを終わらせてもらおうとしてヘルクは自分に「勇者殺し」の魔剣を持たせたのだということにヴァミリオは気付いた。

そうしてヘルクはアリシアと対峙して、自分の手でアリシアを殺して自分の心を壊そうとします。だがヴァミリオはそれもまたヘルクの本当の想いではないのだと気付き、ヘルクを制止します。それは一時はまた黒いオーラが吹き荒れて、ヘルクの心が暴走しかけているかのように見えていたのだが、アリシアの兜を取って、素顔のアリシアと向かい合った後、ヘルクの黒いオーラの暴走が止まったからです。そしてヘルクは優しくアリシアを抱きしめて、自分のせいで苦しみを与えてしまったことを詫び、「すぐに俺の手で終わらせるから」と言う。それを見てヴァミリオは、ヘルクが本当に望んでいるのは暴走によって自分の未来を閉ざすことではないのだと知った。アリシアとの平穏な未来を願っているのだと分かったのです。

思えば、単に自暴自棄になっているだけならばヘルクは魔族と関わったり、新魔王決定戦などに出る必要は無かったはずだ。自分を助けてくれた魔族を守りたいという気持ちは確かにあったのであろうけど、それも結局は暴走してしまうのならば意味の無いことだった。だから、やはりヘルクが真に望んでいるのは暴走ではない。では、なぜ魔族と共に人間と戦う道を選んだのか?ヘルクにとっては苦しみや絶望でしかない「人間との戦い」に関わるのは暴走するためではないのだとするなら、「人間との戦い」にヘルクが関わる理由は何なのか?それは辿り着いてみれば至って単純な答えだった。

ヘルクはどうにかして人間を救いたいと思っていたのです。そのために魔族に助けてもらいたかったのです。それがヘルクの本当の気持ちだったのだとヴァミリオは気付き、それこそがヘルクの強さの本質だったのだと気付く。そうしてヴァミリオはヘルクに向かい「人間を救おう」と言う。大切な仲間なのであれば諦めてはいけない。きっと何か方法があるはずだ。諦めるな。抗おう。そう必死に訴えるヴァミリオの声にヘルクが反応し、ヴァミリオは「大丈夫!お前は一人じゃない」とヘルクに手を差し出す。それにヘルクが笑顔で応えると、ヴァミリオ自身の迷いも完全に晴れた。誰に命じられたのではなく、自らの意思で「人間を救う」と決めたのでした。「人間を救う」という道こそが自分の仲間であるヘルクを救うただ1つの道だと分かったのでした。

それでも絶望を植え付けようとするラファエドはアズドラが死んだと告げるがヴァミリオはアズドラはしぶといから死なないと言う。実際アズドラは死んでいなかったのだが、ヴァミリオはそれを確かめたわけではない。ただアズドラが死んだと言うことによってラファエドが実はいい加減なことを言っているのだと見抜く。というか決めつける。いや実際ラファエドはいい加減なことを言ってヘルクを絶望させようとしているだけの嘘つきなのでしょう。そうしたカラクリを見破ったヴァミリオはヘルクにアズドラに人間を元に戻す方法を相談すればいいと勝手に話を進めてラファエドの植え付けた絶望を消し去り希望を広げていく。

そうしてラファエドやアリシアや翼の兵士たちは去っていき、残されたヘルクはヴァミリオに「君の言葉を聞いて押し殺していた感情が甦った」と言い「人間を救いたい」と本当の気持ちを打ち明ける。そうしてヘルクとヴァミリオは共に人間を救うことを誓い合う。そしてヘルクとヴァミリオがとりあえず翼の兵士の攻撃を撃退したシン城に向かうという場面で今期の物語は終幕となります。続きはいつか2期という形でやるのだろうと信じて待ちたいと思います。

 

 

ウマ娘プリティダービー Season3

第12話を観ました。

今回も含めて残り2話です。今回はキタサンブラックが年内での引退を表明して世界中とか商店街に衝撃が走ります。残るレースはジャパンカップと有馬記念の2レースとなり、キタサンは練習に励みます。しかし、そんなキタサン引退の報を受けて、キタサンに一度も勝っていないシュヴァルグランはモヤモヤした気分で、そうしてジャパンカップのレース当日を迎え、逃げるキタサンに追いすがるシュヴァルはキタサンへの想いを爆発させてキタサンを抜き去り始めてのGⅠ勝利を掴みます。そんなシュヴァルをキタサンは祝福し、残るは有馬記念の1レースのみとなります。

今回はシュヴァルグランの心情描写は良かったですね。シュヴァルは陰キャの弱キャラなわけで、そんなシュヴァルが陽キャの人気者のキタサンにずっと劣等感を抱いていたけど、本当は憧れていたし好きだった。キタサンがいたから自分も頑張れたというストーリーはベタだけど共感は出来ました。キタサンの「みんなをお祭りみたいに笑顔にするために走る」とかいう北島三郎に忖度したようなセリフよりはよほど生身のキャラっぽくて共感出来ましたよ。ちなみに聞いた話によると、この3期の脚本は北島三郎さんが事前チェックしているとのこと。そんなことしてるからダメなんだろうと納得いきました。

さて今回はここまでで次回はいよいよ最終話。引退レースとなる有馬記念を描いて有終の美を飾って終わるのだろうと思います。あとは続編の告知があるのかどうかですが、ウマ娘アニメは一応各シーズンは独立した物語なので次回で物語は完結し、この3期の続編というのは無いんですが、ウマ娘アニメシリーズとしてはいずれ4期が別の物語で作られるのであろうから、それに関して何らかの告知はあるかもしれませんね。あるいはRTTTみたいな短編とかが作られるのかもしれない。個人的にはシンデレラグライをアニメ化すればいいと思いますけどね。てゆーか3期も普通にシンデレラグレイで良かったと思うんですが。まぁあれは「プリティダービー」じゃないので別枠ということになってしまいますけどね。逆にオグリキャップの物語をシンデレラグレイに取られてしまってるのでプリティダービーでオグリがメインで話を作れないんですよね。それでキタサンブラックの物語を作ってしまったけど、やっぱりもともとの話が面白くないんですよね。それを無理に介護して擁護するようなことはしたくないし、元の史実がつまらない以上、アニメそのものをあんまり批判もしたくないし、どうしてもレビューもシンプルになります。

他のアニメ作品は自由にストーリーを作れるけどウマ娘は史実の制約を受けるわけで、1期や2期は史実そのものが面白かったから良かったけど3期は史実がつまらないのだから、他のアニメと比較するとどうしてもフェアな勝負にならなくて気の毒になるレベルです。アニメスタッフはストーリー以外の部分で盛り上げようとして精一杯頑張ってたと思いますよ。そこが評価出来るからこそ、こうして最終話まで完走はしようとしてるわけで、決して駄作ではないですが。

つまり最大の失敗は「キタサンブラックを主人公にしたこと」に尽きるんですが、これはアプリでキタサンブラックをメインで推してるというしがらみによるものであり、1期や2期の頃は普通のオリジナルアニメだったのが、3期では完全なるソシャゲアニメになってしまった以上、劣化するのは仕方がない。

そしてアプリでキタサン推しをしてる理由も「キタサンブラックという史実」に忖度してのことであり、「キタサンブラックという史実」も、例えば「トウカイテイオーという史実」「オグリキャップという史実」のようなドラマチックな物語としての魅力があるわけではなく、単に「北島三郎という人気芸能人の持ち馬が凄く強かった」という事実に日本中がお祭り騒ぎをしてヨイショしていたという物語に過ぎない。だからキタサンブラックという馬だけ単体で物語にしても全く面白くない。

つまりは、「オグリキャップの時代」「トウカイテイオーの時代」と「キタサンブラックの時代」の競馬文化の違いを理解出来ていなかったところが3期の敗因なのでしょう。以前に2期の総評をした際に私は「ドラマチックな史実の熱気を共有してる制作陣によって作られるのでクオリティが上がる」と言いましたが、そういう熱気のある史実の物語を作ったのは、あくまで昭和から平成初期の競馬ファンや競馬メディアだったのです。オグリに反骨精神を、テイオーに不屈の闘志を仮託して物語を作り上げた平成初期の競馬ファンと、北島三郎を持ち上げてお祭り騒ぎをしたかっただけの平成末期の競馬ファンの作った物語は質が違う。オグリやテイオーの時代の競馬ファンは社会の日陰者で、だからこそ物語には深みがあった。この令和の時代には失われた「何か」がある。だからこそ観る価値があった。キタサンの史実の物語はそれに比べるとお調子者が騒いでるだけの随分と薄っぺらく、この令和の時代にはありふれたものに見えました。そんな史実を共有して作り上げたウマ娘のドラマではクオリティも劣ったものになるのは仕方ないでしょう。

なんか結構な酷評してるみたいに見えますけど、これでもだいぶ甘い評価をしてるとは思ってます。「史実がつまらないから仕方ない」なんですからね。実際は細かい点をアラ探しすればたくさん問題点はあると思います。でも、こんなイマイチな作品に細かくダメ出しするのもなんか嫌なんですよね。

 

 

16bitセンセーション ANOTHER LAYER

第12話を観ました。

今回も含めて残り2話となり、次回が最終話で今回は最終話1つ前のお話となりますが、今回も変わらず超展開で面白かったです。この作品はオリジナルストーリーですから先の展開がいつも予想が出来ない。ただでさえそうであるのに、いつも奇想天外すぎる展開なので先の展開を予想するのが大変です。結局ここまでの予想はほとんど的中していません。まぁこれは作品の性格上仕方がないです。それにこの作品の場合、どうせ予想が外れると分かっていても、予想することも含めての楽しむタイプの作品なので、これも仕方ないことです。去年も「恋愛フロップス」でさんざん同じ目に遭いました。

それでもさすがに残り2話、いや今回を観終わったので残り1話ともなると、「恋愛フロップス」の時もそうでしたけど、大体はどういう話であったのか判明してきました。同時に自分の予想の大部分が外れていたことも判明して恥ずかしい限りですが、それでもしっかり面白い話であることが分かって嬉しい気持ちの方が大きいです。そして、あとたった1話であり、大体どんな話か分かったと思っていても「恋愛フロップス」の最終話で度肝を抜かれたように、この作品の最終話も度肝を抜かれるような内容になるのでしょう。いや「恋愛フロップス」の時以上に最終話の内容は予測不能です。むしろ「恋愛フロップス」の時は大体予想がついていてその予想を超えてきて度肝を抜かれましたが、この作品の場合は最終話の予想がついていないぶん、不安も未だに大きくて、その反面で期待も大きいです。ちゃんと着地出来るのかどうか、まだちょっと怖いですね。

たった1話分しかないけど、たった1話でもかなりのことが出来ることは「恋愛フロップス」の最終話の例でも知ってますし、この作品でも何度もそれは経験してきました。おそらく再び1999年に戻って更に1985年に行って、とかそういう展開ではなく、何か一気に解決するような方法が描かれるのでしょう。ただ、それが全く予想が出来なくて困る。8話でエコー達が言っていた内容がヒントになると思うんですが、私の知識ではちょっと理解が追いつかない高度な内容なので、もう最終話を残すだけになった以上、こうなったら下手な予想はせずに次回を待とうと思います。

そういうわけで今回の内容についてだけ触れていき、今まで私が予想していたことがどれだけ間違っていたのかということも触れていき、そしてこの作品がどういう作品であったのかということもちょっと考えることになると思います。但し、それもまた次回の最終話で全部ひっくり返る可能性は十分ありますけど。

まず冒頭は守が何者かに連れられたコノハの行方を追うために倉庫内の大量のPC-98を一斉起動させる場面から始まります。これはおそらく1999年に「ラストワルツ」制作時に守が組み上げたPC-98を8台連結した物の超発展形のようなもので、倉庫中の膨大な数のPC-98が全て連結されていて一種のスーパーコンピューターと化しているのでしょう。それによって秋葉原の様々なネットワークをハッキングして、守はコノハが建設途中の秋葉原スタジアムに連れていかれたことを突き止めます。

ただ、どうも怪しい連中が工事現場には居るようであり、何者がどういう目的でコノハを誘拐したのかも分からず、コノハがスタジアムの工事現場の何処に居るのかも分からない以上、正面突破は不可能と思われ、守は別ルートで工事現場に潜入することにしました。それは「常磐新線」の秋葉原駅の工事現場跡地から未使用の地下道に入って、そこから秋葉原スタジアムの地下の工事現場に入るというルートでした。

「常磐新線」というのは「つくばエクスプレス」の正式名称です。もともとの2023年では現実世界と同様に「つくばエクスプレス」は秋葉原と筑波の間を結ぶ鉄道であり、2005年に開業している。だが守の言うには、この歴史改変された世界においては開業直前に秋葉原を通らないルートに変更されていて、当時建設されていた地下の秋葉原駅は廃駅となり、そのまま放置されて2023年になっても残っていた。だから秋葉原の地下街からその廃駅に繋がる通路も残っており、そしておそらくスタジアムの地下の工事現場でも作業の利便性のためにその廃駅を経由して秋葉原地下街に出る通路を確保しているはずだと守は予想し、そのルートを使えば地下からスタジアムの工事現場に潜入出来ると考えたのでした。

守の言うには、常磐新線の秋葉原駅が使用されないと決定したのは2005年の開業の直前でした。その後、秋葉原のオタク文化はアメリカのCUU文化に押されて徐々に衰退していき、秋葉原に電波塔を建てる計画が浮上し、今から十年ほど前に「秋葉原スカイタワー」という電波塔が開業し、その後は秋葉原の再開発が進んで高級住宅街となったという。この「秋葉原スカイタワー」というのは、おそらくもともとの世界では2012年に墨田区の押上に完成して開業した「東京スカイツリー」のことです。歴史改変によってもともとは押上に作られるはずだった電波塔が秋葉原に作られたのです。

前回、私はこの電波塔や高級マンションに何か仕掛けがあるのではないかなどと深読みしましたが、残り1話になってまだそのあたりに触れられていないということは、どうやらそれは考えすぎであったようで、この電波塔や再開発というのは秋葉原廃駅と合わせて、単に劇中で歴史改変を象徴する「アイコン」として使われているだけみたいです。

コノハが1999年において「ラストワルツ」を作ったために歴史改変が生じて、常磐新線が秋葉原を経由しなくなり、電気街が廃れて代わりに電波塔が建ち、秋葉原は高級住宅街に変わったのです。「ラストワルツ」の出現だけでそんなに大きな変化が生じるものなのかというと、それは十分にあり得るでしょう。

「ラストワルツ」はおそらく美少女ゲームの歴史を10年ぐらい一気に早めてしまった。それは言い換えるならば「10年分の歴史を消した」ということになる。本来は1999年から2009年の間に様々な美少女ゲームが作られて色々な試行錯誤があり、失敗したり成功したりしてその経験が積み上げられて秋葉原の美少女文化の深みを作っていったはずなのです。それを「ラストワルツ」は全部すっ飛ばして1999年時点で10年分の積み上げの結果だけを提供してしまったので、10年分の文化の積み上げを無かったことにしてしまったのです。だから今の2023年には元の世界でコノハが知っていた有名ゲームが全部無くなっているのです。それらのゲームはその10年間の積み上げの中で、あるいはその積み上げの結果生まれたものなのに、その積み上げをコノハが消してしまったので、それらのゲームは生まれなかったのです。

そうした文化の積み上げが全く無い状態で時代に全くそぐわない名作ゲーム「ラストワルツ」だけが出現して、それが膨大な富をもたらす代物だということが分かってしまった。本来の歴史ではそんな極端に成功したゲームは当初は存在せず、失敗と成功を地味に繰り返しながら文化の蓄積を行っている間は「美少女文化」は海外資本に目をつけられることなど無かったのです。しかし、この「ラストワルツ」によって歴史改変された世界では、秋葉原に確固とした美少女文化が蓄積される機会を奪われたところに、金の成る木である「ラストワルツ」に目をつけたアメリカ資本が参入してきて、美少女ゲームのノウハウをアメリカに奪っていってしまい、日本の脆弱な美少女文化はそれに対抗することは出来なかったのです。

そうして秋葉原のオタク文化は衰退していき、それによって寂れていった秋葉原は常磐新線の構想からも外れて更に寂れていき、そこに電波塔を建てようという計画が生じて、電波塔が出来た後は再開発で高級住宅街に生まれ変わり、仕上げにスタジアムが作られようとしている。そうした歴史改変は十分起こり得ることだったのだと思います。そして、そうした歴史改変の副産物として生まれた地下通路を辿って守はコノハ救出のために秋葉原の地下を進んでいく。その方法は、そうした歴史改変に取り残された守というPC-98狂いのオタクが消えることなく持ち続けていた「遊び心」「想像力」によって地下道のセキュリティや障害を突破していくというものでした。

それにしても、このような「ラストワルツ」出現以降に生じた歴史改変の経緯がごく自然な流れであったということが分かった上で考えてみると、それは未開国家にいきなり文明の利器を持ち込んでも、それを使いこなす文化の蓄積が無いので、特権層や海外資本に占有されるだけで全く一般には普及しないという現象に似ていることが分かる。美少女文化の蓄積の無い秋葉原にいきなり未来の美少女ゲームを持ち込んでも、それは秋葉原に根付く前に単純に巨大な資本を持っている他者に奪われるだけで無くなってしまうのです。考えてみれば当たり前のことでした。

そして、その奪った者も単に金の力で奪ったに過ぎず、文化の蓄積が無い点は同じなので、ちゃんとした本来あるはずだった美少女文化を蓄積することは出来ず、単に金を生み出すための「似て非なるもの」しか生み出すことは出来ない。それがこの歴史改変された世界のアメリカ発の「CUU文化」なる物の正体です。しかし、これはもしかしたら現代の日本の「萌え文化」「美少女文化」がもし金儲け優先主義に走り続ければ陥る未来の姿なのかもしれないですけどね。

しかし「ラストワルツ」が出現して以降の歴史改変の流れがそうした自然な成り行きだったと考えるならば、もしコノハが未来知識を使って「ラストワルツ」と同じような10年以上も時間を飛び越えたようなゲームを持って1999年に再び戻ってそれを世に出したとしても、結局は同じ結果になるのではないかと思えます。もしコノハの意を受けた何者かがその新ゲームを足掛かりにして1999年以降の時代において地道に秋葉原で美少女文化を育てていこうとしても、そうした「ラストワルツ」はその新ゲームのような時代を超えたゲームの出現によって10年分の蓄積が消えてしまったこと自体は変えようがないのだし、「ラストワルツ」を手に入れたアメリカ資本による攻撃は止めることが出来ない。その結果、せっかく育てようとした秋葉原の美少女文化はやはり途中で潰されてしまう可能性が高いと思います。むしろ1999年に戻って「ラストワルツ」の製作を邪魔した方がいいのですが、その場合はアルコールソフトは1999年において倒産してしまうし、今こうして守たちが生きている2023年の世界も消えてしまう。それはしてはいけないということはコノハも分かっています。そうなると打つ手は無い。

いや、ただ1つ、打つ手はあるんじゃないかと私は思っています。それはとてもシンプルな手です。この歴史改変されてしまった2023年の世界でイチから美少女文化を作っていけばいいのです。それをコノハがやればいい。しかしこの2023年の世界には美少女文化の蓄積が無いし、この世界の影響を受けてコノハ自身の記憶や感性も改変されていきつつある。状況は絶望的にも思える。ただ、それでもその絶望的状況をも突破するだけの力が人間の「想像力」には備わっているのではないかという可能性も感じてしまう。いや期待したくなってしまう。もしかしたらコノハにタイムリープのアイテムを与えた者の意図はそのことと関係があるのではないかとも思えてくる。今回のラストでいきなりエコー2号の乗るUFOが出現したことからも、そんな気もしてしまうのだが、いつも通り全くの見当違いかもしれません。

まぁそれはともかくとして、そもそもそんなに絶望的な状況なのであれば、もういっそ諦めるという手もある。もともと今の歴史の中に元の歴史の流れを生じさせたいという話はコノハが「美少女文化を復活させたい」とワガママを言い出したからなのです。別に美少女文化など無くても、多少は違和感はあってもCUU文化に順応すればいい。実際このまま放置していればコノハは順応していくでしょう。それならそれでもう良いではないかという考えもある。ところが、そう単純には割り切れないのです。どうもこの世界はおかしい。少なくともこの世界のCUU文化というものはどうもおかしいところがあるのです。それが描かれるのがコノハがスタジアムの地下で目にした異様な装置の場面です。

コノハはいきなり変な男たちに眠らされて拉致され、気がついたら変なプラグスーツを着せられており、スタジアムの地下施設の中で巨大な装置に遭遇した。そこには自分と同じプラグスーツを着た多くの人々が水槽のようなものの中に閉じ込められていた。それを見て驚くコノハの前に何体もの作業用ロボットのようなものが現れて迫ってくる。恐怖に慄くコノハであったが、誰かがロボットを止めてくれて危機を脱することが出来た。それでロボットを制止する言葉を発してくれた人の方を見ると、そこに立っていたのは46歳になった冬夜だった。

冬夜は現在「シューティングスターズ」というゲーム会社の社長だが、「プラネットゲームズ」というアメリカの大手ゲーム会社と経営統合したばかりであり、この秋葉原スタジアムに新しいオフィスを構えて、これからプラネットゲームズと組んで何かをやろうとしているところみたいです。そうした動きの中で冬夜はこれまで24年間ずっと行方不明であったコノハをプラネットゲームズが身柄を確保してこのスタジアムの地下施設に連れてきたのだと聞き、それで慌てて此処にやって来たようです。

そうしてコノハがロボットに襲われそうになっているのでそれを制止したわけですが、冬夜はコノハが24年前と全く変わらぬ姿のままであり、全く年を取っていないことにまず驚きました。こういう様子を見ると、この2023年の世界の冬夜もコノハがタイムリーパーであるということを知らないということが分かります。

コノハは相手が冬夜だと分かると、この装置は何なのかと質問します。コノハは冬夜との電話で待ち合わせていたところを車に乗せられて此処に連れてこられたので、てっきり冬夜が自分を此処に連れて来させたのだと思っているみたいです。まぁ実際、冬夜から見れば、自分のビジネスパートナーがコノハを此処に連れてきたのであり、その目的も承知している立場であり、その目的に反抗することも出来ない立場であるようですから、冬夜がコノハを此処に連れてきて何かをやらせようとしているようなものでした。冬夜はコノハを助けるために此処に来たのではなく、むしろビジネスパートナーであるプラネットゲームズの手先として此処に来たようなものでした。そのことが申し訳なくて冬夜はコノハの質問に答えず黙り込む。

すると、この装置を設置してある地下空間に別の男の「ようこそ我がプラネットゲームズへ」という声が響き、上を見上げると大きなモニターに見知らぬ外国人の男の顔が映し出されていてコノハは驚く。その男はプラネットゲームズの日本支社長のグレンであったが、グレンは自己紹介もしないまま「ようこそ秋里コノハさん」とコノハの名を呼び、初対面なのにコノハが「ラストワルツ」を作った天才クリエイターだとか言っている。そして、グレンもコノハが若い姿のままであることに驚いており、グレンもプラネットゲームズもコノハがタイムリーパーであることは知らないということが分かる。

これは考えてみれば当たり前のことであり、もしコノハがタイムリーパーであると知っていたならば、「ラストワルツ」も未来の知識を利用して作ったものだと分かるはずだから、コノハのことを「天才クリエイター」だなどとは言わないはずだからです。それに前回、冬夜もグレンも、いや世界中のゲーム関係者が24年間ずっとコノハの行方を探していたとも言っていた。これもコノハがタイムリーパーだとは知らないという証です。つまりこの世界のゲーム業界の人間は誰一人としてコノハがタイムリーパーだということは知らず、コノハのことを「天才クリエイター」だと勘違いしていて、コノハを見つけ出そうとして探し続けていたのです。ここでそのことを再度強調するのは、つまりプラネットゲームズをはじめこの世界のゲーム関係者、いや世界中の人々の誰もが、あの「エコーソフト」の連中とは無関係だということを確認しておきたかったからです。

それは言い換えると、この世界の歴史改変にはあのエコーソフトの関係者は関わっていないということです。更に言い換えると、この世界の歴史改変には、あの守の1985年へのタイムリープは関係しておらず、この世界の歴史改変はコノハが1999年で「ラストワルツ」を作ったことのみに起因しているということです。そうなると、この歴史改変された2023年が元の世界よりもAIが発達していることも「ラストワルツ」のみが原因だったということになる。

前回、私はそういう可能性は確かにあるとは言いました。だが同時に、そうではなくて1985年の守とエコー達の出会いに起因する可能性も高いとも言った。どちらかというと後者の可能性の方が高いというのが前回の私の意見だったのですが、今回の話が終わって残り1話を残すのみの段階でエコー達と歴史改変の繋がりが言及されておらず、今回ラストのエコー達の登場の仕方などを考えると、歴史改変にはエコー達は無関係と考えた方がよさそうです。グレンや冬夜の言動からも世界の誰もがエコー達と関係を持っていないようであることも分かるし、やはり歴史改変はエコー達や守のタイムリープは関係なく、コノハが1999年にタイムリープして「ラストワルツ」を作ったことのみに起因して起こったのだと考えた方が良いようです。もちろん、そのコノハのタイムリープの背後にはエコー達が居ると思われるので、エコー達も間接的に歴史改変には関与しているんですけど。

問題は、コノハが1999年において「ラストワルツ」を作っただけでこんな急激なAIの発展という歴史改変を引き起こし得るものなのかどうかという問題です。これについては今回のグレンのセリフなどから、十分にあり得ることだと判断してもいいと思いました。グレンは今回「この数年でAIは人間を凌駕し、全てのクリエイティブな物事はAIが担うようになった」と言っています。つまり、この歴史改変された世界でもAIの知性が人間の知性を超えたのはほんの数年前なのです。更にグレンは「AIには想像力や爆発力というものが全く無い」と嘆いてもいる。つまり、この歴史改変された世界ではAIはほんの数年前に人間の知性を超えたと言われているものの、未だに足りない点も多いのです。

そう考えると、この改変後の2023年は元の2023年とそんなに大きな差は無いということが分かる。それはおそらくせいぜい10年ぐらいの差ではないかと思われる。現実世界の10年後を想像してみると、だいたいこの作中の歴史改変後の2023年の描写と重なって見える。今から7~8年後には「AIは人間を超えた」なんて言われてクリエイティブな分野の作業を担うようになっていき、10年後の世界で自動運転の車が走ったりしていて「でもAIって想像力とか足りないよね」なんて言われているのは容易に想像がつきます。

そして、先だって私はコノハが1999年において「ラストワルツ」を作って進めた歴史は10年分ぐらいだろうと概算した。10年分進んだゲームが世界に出現して、それが大ヒットして、それと同じレベルのゲームが他にも多く作られ世界中でプレイされるようになった結果、PCやAIの時間も10年分進めることになったというのは十分にあり得ることです。つまり言い換えると、この物語で今こうして描かれている2023年の世界というのは、我々の住む現実世界の10年後を風刺的に描いているのだと言ってもいいのではないかと思います。というか、それがこの「16bitセンセーション」という作品のテーマなのでしょう。

その10年後の世界の風刺と言い換えてもいい、この作中の歴史改変後の2023年の世界に現れたこの異様な装置とは何なのか、それについてグレンはコノハに「この装置はゲームの開発室だ」と説明します。水槽のような物の中に閉じ込められている人たちはゲーム開発のために働いているのだと言う。それをグレンは「CIの養分」と言う。「CI」とは「サイバネティックス・インテリジェンス」の略称で、それはプラネットゲームズ社の誇る総合エンタテインメント開発室だという。更にグレンはコノハには「隠し事せず一切お話します」と言っており、言い換えるとこういう装置は社外秘であり、プラネットゲームズ以外にはこのようなものは無く、一般的には使われていない装置みたいです。だからこんな地下施設に隠してある。冬夜はそのことを承知しているのだが、グレンの話を聞きながらコノハにそれを知られてしまい居心地が悪そうにしているところを見ると、冬夜はこのような装置が非合法で不道徳なものであることを承知していながら、その計画に加担しているみたいです。前回、冬夜がグレンに「貴方は我々と同じ側の人間だから警察に通報は出来ない」とか言って脅していたのは、つまりそういうことなのでしょう。

では「サイバネティックス・インテリジェンス」とは何なのかですが、まず「サイバネティックス」とは「人間と機械の相互関係を統一的に扱うこと」という意味です。そして「インテリジェンス」とは「知性」です。つまり「人間と機械を統合した知性」という意味なのだが、もともとは「人間が機械を扱うことによってその知性を拡大させていく」という概念でした。例えばパソコンを使うことによって人間の知的活動はそれ以前に比べて格段に進化したといえます。そういう概念でした。そして、それはあくまで知的活動を行う主体が人間であり、機械がその補助的役割をするという前提での概念でした。

だが、この作中の歴史改変後の2023年の数年前の時点でAIが人間を凌駕して、ゲーム開発現場での知的活動を行う主体は人間からAIに変わった。そうして人間が作っていた時よりも安く効率的にゲームが作れるようになった。だがAIには想像力や爆発力という物が無くて同じようなものしか作れない。そうなると「より安く早く大量にゲームを作った企業が勝利する」という消耗戦に逆戻りしてしまったのだとグレンは言う。

ここでグレンが「逆戻り」と言っているのは注目であり、グレンは「AIがゲームを作ること」がブレイクスルーとなってそういう消耗戦を解消してくれると期待していたようです。それは言い換えると、数年前より以前の人間が作業を担っていた時代も「より安く早く大量にゲームを作った企業が勝利する」という消耗戦の時代だったということになります。これは元の世界のゲーム業界とはだいぶ違います。つまり「ラストワルツ」出現以降にアメリカで発展したCUU文化というのは、そもそもが資本力にモノを言わせて「より安く早く大量にゲームを作った企業が勝利する」というやり方だったのだということが分かる。そこではもともと人間の持つ「想像力」や「熱量」というものは軽視されていたのでしょう。

そうした大企業同士の消耗戦に疲れたプラネットゲームズは、AIに作業を任せることでそうした消耗戦に終止符を打つことを期待したのでしょうけど、結局はAIには想像力が無かったので消耗戦に逆戻りしてしまい絶望した。そこでプラネットゲームスは、今度は人間がAIの補助的役割をすることによって、新たな形の「サイバネティックス・インテリジェンス」、すなわちCIを作ろうと考えた。知的活動を行う主体はAIだが、AIの苦手分野である「想像力」や「爆発力」を人間の脳に補助的役割をさせることで補おうと考えたのです。そのためにこのような装置を作って、水槽の中に人間を入れて、その脳や神経をコンピューターに接続して、CIがその感性を参照することによって独創的なゲームを作れるシステムを作り上げたのです。

なお、こうして装置の中に閉じ込められている人々は24時間、365日こうしてCIに脳内の精神活動を参照されているわけだが、別に誘拐されてきた被害者というわけではないようです。元々はゲームクリエイターであり、仕事として装置の中に入っていてギャラも支払われているという。しかしこんな地下施設で極秘で運用しているような装置ですから、本当に合意の上なのか怪しいものです。そもそも、どうしてプラネットゲームズは本社のあるアメリカではなく、わざわざ日本の秋葉原にこんな施設を作っているのでしょうか。このスタジアムの地下に装置を作っているのは、たまたま元の工事主体が経営難でスタジアムを売りに出していたので買い取って、その地下空間を利用しようと思いついたからだというのは分かりますが、そもそも最初から日本でこの計画を進めていた理由は別にあるのでしょう。それはおそらく冬夜の経営するシューティングスターズ社の協力が不可欠だったからなのでしょう。

先程のグレンのセリフから、CUU文化の本場であるアメリカではもともとゲーム制作現場では「想像力」などは軽視されていたのが分かる。そうなるとクリエイターは育たない。一方で「ラストワルツ」を生み出した美少女文化発祥の地である日本にはまだ多少は想像力のあるクリエイターは残存していたのでしょう。例えばアメリカに移ったというアルコールソフトでも今でもAIではなく人間がゲーム制作する体制を残していると言っていたように、日本系のゲーム会社にはまだクリエイターが育つ土壌はあったのだと思います。シューティングスターズにもそうしたクリエイターは存在しており、冬夜も個人的にクリエイターの人脈も持っていたのでしょう。

それこそがプラネットゲームスがシューティングスターズと手を組むメリットだったのであり、プラネットゲームズは冬夜に経営統合で資金援助をする見返りに日本に居るクリエイターを「CIの養分」として差し出し斡旋することを要求したのでしょう。冬夜はこのようなおぞましい計画を知って最初は反発したようですが、資金援助をして貰わねば会社が潰れてしまう状況だったため、仕方なくこの非人道的な計画に協力してきたようです。この装置の中に閉じ込められている人達は200人だそうですが、おそらく全員がクリエイターというわけでもないのでしょう。中には非合法な手段で閉じ込めている人もいるのかもしれない。いやクリエイターであっても騙して閉じ込めている人もいるのかもしれません。もはや冬夜は取り返しのつかないところまで悪事に足を踏み入れてしまっていると言っていいでしょう。

そんな冬夜でも、まさかコノハを害しようなどと思っていたはずはない。だがプラネットゲームズ社が他の日本のゲーム会社をこの計画の協力者に選ぶのではなく、あえてシューティングスターズ社と手を組むことを決めたのは、実は冬夜が「ラストワルツ」を作った謎の天才クリエイター「秋里コノハ」の数少ない関係者の1人として知られる人物だったからでした。プラネットゲームズ社は冬夜の身辺を探ればコノハを手に入れることが出来ると企んでいたのです。その目的はコノハを「CIの養分」としてこの装置に入れることでした。そうすることによって世界最高の「想像力」をCIを通してゲーム制作に活用することが出来て、プラネットゲームズ社は世界のエンターテインメントを支配することが出来る。彼らはそのように考えたのです。

そして、今となってはプラネットゲームス社に逆らうことの出来ない冬夜は、彼らの意向を受けてコノハに「この装置に入ってください」と頼む。装置の中に入っても苦痛は無いのだという。だから大丈夫だと冬夜は言うが、コノハには苦痛があるかどうかなど二の次で、そもそもこんな人間をAIの奴隷みたいに扱う異常な装置になど入りたいわけがない。別にこの歴史改変後の2023年の世界でこんな装置は一般的に使用されているわけではなく、プラネットゲームズが世界でただ1つ、この地下施設で非合法に運用しているだけなのだから、コノハに限らず、この歴史改変後の世界の他の住人たちだっていきなりこんな装置に入れと言われれば嫌がるに決まってる。その気持ちは冬夜にだって痛いほど分かる。分かっていながらこれまでにも冬夜はこの装置に何人も人間を入れてきた。

コノハは冬夜のあまりの豹変にビックリしてしまい、昔はそんなことをする人間ではなかったはずなのに、どうしてそんなことをするようになってしまったのかと問いかけます。それに対して冬夜は自分の会社を守るためだと答える。しかしコノハを巻き込むつもりはなかったのだとも言う。こうしてコノハに装置に入るよう強いるのは心苦しい。でもそうしなければ会社が潰れてしまうのだと冬夜は辛そうに言う。

冬夜の言うには、1999年に「ラストワルツ」が大ヒットして、それをコノハが作ったと知り、ずっとコノハに憧れ、コノハを目標に頑張ってきたのだという。コノハが凄いゲームを作って世の中を変えたように、自分も凄いゲームを作って世の中を変えたかった。でも自分にはそれは出来なかった。自分にはコノハのような才能は無かったのだと冬夜は言う。大したゲームを作ることも出来ず、アメリカの大資本の発売するゲームとの競争に負け続けて経営は悪化していき、自分の会社を残して社員たちの生活を守り、ファン達のためにゲームも作り続けたい。だからそのために資金援助目当てに悪事にも手を染め、恩人であるコノハも生贄に差し出さねばならない。そのことが申し訳なくて冬夜は涙をボロボり流して「ごめんなさい」と何度も謝ります。

しかし、本当に申し訳ない気持ちであったのはコノハの方でした。コノハは冬夜はゲーム作りの才能も情熱もあることを知っている。ゲーム会社の経営をする才能だってある。自分なんかよりもよっぽど冬夜の方が本当は才能があることをコノハは知っている。自分は才能なんか本当は無い。本当の自分は未来のゲームに詳しいだけの凡人でしかない。そんな自分が過去に戻って「ラストワルツ」を作ったせいで歴史が改変されて、才能や想像力よりも資本力が優先される世界を作ってしまった。たぶん元の世界のままだったら冬夜はその才能を活かして成功していたはずなのです。シューティングスターズはプラネットゲームズの言いなりになる必要なんか無かったはずなのです。自分みたいな凡人が余計なことをして歴史を変えてしまったばっかりに、オタクや美少女の秋葉原を潰し、美少女ゲーム文化を消してしまっただけじゃなく、冬夜の才能も未来も潰してしまった。そのことが申し訳なくてコノハは大声を上げて号泣します。

そして、コノハは自分が改変してしまった世界がこんなふうに人間を機械の奴隷みたいにしてゲームを作る世界になってしまったことにショックを受けて、こんな世界は嫌だと言う。こんな世界でゲームを作るのは嫌だと言う。自分はパソコンを使って絵を描くのが上手になった。だからコンピューターには感謝していた。でもこんな世界になってしまうのならもうコンピューターなんて要らない。こんな世界でゲームを作っても何も嬉しくないとコノハは泣きわめく。そして、それはもともと自分のせいなのだと重い責任感を感じて、コノハは「こんな世界、絶対に塗り替えてやる!」と自らに強く使命を科す。そして「コノハがみんなが幸せになるゲームを作ってやる!」と叫ぶ。

ここで注目すべきは、ここでコノハがそれまで「私が」と言っていた一人称が再び「コノハが」に戻っていることです。このCIという異常な装置を見て、この歪んだ世界の現実を直視したことでこの世界を変えなければいけないという強い使命感が湧き上がってきて、コノハを本来の姿に戻したのでしょう。

ここでコノハが言っていた「パソコンを使って絵を描くのが上手になった」というのは、まさに本来の意味での正しい「サイバネティックス・インテリジェンス」だといえます。だが、その行く末には人間が機械の奴隷となり想像力を搾取されるような倒錯した「サイバネティックス・インテリジェンス」の世界が待っているのかもしれない。この作品はそうした未来への警鐘を鳴らす意図があるのかもしれません。1996年編でも守がコノハにウィンドウズへの移行に反対する理由として「パソコンと対話が出来なくなるから」と言っていたが、利便性に安易に流されることは人間が機械を適切に使いこなす能力を奪い、人間が機械の奴隷に堕する危険を孕んでいるということ、そしてそれは想像力の喪失に繋がるのだという警告をこの作品は一貫して発し続けているように思えるのです。そして、そうした失敗を防ぐために意識すべきことを、この場面で覚醒したコノハが言っています。それは「みんなが幸せになるため」なのです。「人間が幸せになるため」という方向性が大事なのだと解釈したいところです。ただ、これはおそらくこの作品の最重要テーマだと思われるので、おそらく次回の最終話でもっとしっかり突き詰められると思いますから、次回に注目しましょう。

この後、業を煮やしてグレンが強行手段に出てコノハを装置に入れようとしたところ、地下施設のデバッグルームで奴隷のように働かされている人々を見つけた守が、デバッグルームのパソコンをPC-98でハッキングして施設の制御を乗っ取って、電源を落とした隙にコノハを連れて逃げ出し、ハッキングしたロボットを動かして警備員たちを倒したりして施設からの脱出を図ります。冬夜もコノハを見逃すようグレンに訴え、自分をコノハの代わりにCIに繋ぐよう直訴しますが、グレンには冬夜ではコノハの代わりにならないと言われてしまう。しかし実際はコノハは凡人であり冬夜の方が才能はあるはずなんですが、グレンも冬夜もそんなことは知らないのですよね。とにかくグレンはコノハさえ手に入れてCIに繋げてしまえば、もう冬夜やシューティングスターズ社など何の利用価値も無いと見なしており、なんとも非情なものです。

そうしている間に守とコノハは搬出用エレベーターを使って地上に脱出しようとして、地上や空が見えるところまで上がって来ますが、そこでグレンによって施設の電源を落とされてしまいエレベーターも途中で止まり、そこをグレン率いる警備隊に取り囲まれて絶体絶命となる。このままではコノハはグレンに囚われてCIに繋がれてしまうという状況となる。ところが、そこでコノハが「もう止めてよ!!」と秋葉原の夜空に響く大声で絶叫すると、なんと次の瞬間、秋葉原の上空に巨大UFOが出現し、そこからエコー2号の声でベートーベンの「第九」のメロディを鼻歌で口ずさむ声が響いてきたのでした。今回はここまでであり、この超展開の続きは次回の最終話で見ることにしましょう。最終話の展開は正直言って、全く予測不能です。

まぁ8話でのエコー達の言葉を思い返すと、エコー達の背後にいる者の正体は宇宙人なのか未来人なのかは分からないがは、彼らは人間の想像力に期待している側だから、コノハが彼らと接触することでこの想像力を失った歴史改変後の2023年を良い方向に変えていくような、何か肯定的な方向に向かうんじゃないかとは思える。

また、守が1985年にタイムリープしてエコー達に会ったのが自分で良かったのだろうかと悩んでいましたが、今回の最終話前のラストシーンでのエコー達の出現を受けて考えると、それは正解だったと考えたいです。今回の守のPC-98との見事な連携を見る限り、守ほどAIと「会話」することが得意な人間はいない。つまりエコー達がAIだったとするなら、守だけがエコー達に「想像力」というものを教えることが出来たのだと思う。それはコノハには無理で、守にしか出来なかった。その結果が今回のラストシーンに繋がり、最終話の展開に繋がっているのだと私は思いたい。このように何となく方向性は見えてるような気もするんですが、この作品の場合はどうせまた予想は外れるので、次回はもう最終話ですし、このまま予想はせずに次回を待とうと思います。

 

 

ブルバスター

最終話、第12話を観ました。

今回は竜眼島の北神湖での波止工業の巨獣駆除とか、塩田の不正を暴くためのサンゴのサンプル採取作業などが描かれました。ここでサンプル採取までは順調に出来たのですが、塩田が産廃業者を使って巨獣を大量発生させるために湖の近くに動物を捨てていたので湖の中で巨獣が大量発生し、それを電気ショックで駆除したり、更に規格外の大型の巨獣が出現して絶体絶命になりますが、これも駆けつけたアル美や沖野の必死の頑張りで駆除成功します。

そうしてサンプル採取、巨獣の駆除、巨獣の発生原因のサンゴの除去にも成功し、その後で島にやってきた塩田の常務が田島からサンプルを奪おうとするが、既にサンプルを入れたケースはすり替えてあってドローンで運んでおり、波止社員を誹謗する常務に田島が啖呵を切って爽快に島での作業パートは終了しました。その後、サンプルを使って塩田の不正を告発して、塩田は警察の捜査を受ける羽目となり、竜眼島での作業は出来なくなり、島は波止と共に復興への道を歩みだしました。しかし塩田の専務はサンゴのサンプルを入手しており海外に高飛びし、いずれどこかで巨獣を作り出すかもしれず、それを阻止するために徹底的に追い詰めると田島が決意するところで物語は終わります。

最後はかなり高度な話になりましたが、基本的には中小企業が意地で頑張るみたいな話を貫徹したので、それはそれで面白かったんですが、話の内容が高度になった割に話が大きく広がっていく感じではなかったですね。ただ中小企業頑張る物語としては最後は綺麗に盛り上げて締めたと思います。しかし前半のギスギスというかグダグダした感じ、キャラが際立って魅力があったわけではない点、スケール感の少なさ、ロボットバトル描写がそれほど良くはなかった点などはやはり全体評価の脚を引っ張った感はあります。それでも終わりが綺麗だったぶん、ギリギリ「満足」といえるのではないでしょうか。