2023年冬アニメのうち、2月6日深夜に録画して2月7日に視聴した作品は以下の4タイトルでした。
虚構推理 Season2
第17話を観ました。
今回から短編の1話完結話が続くみたいで、雪女の出番は終了で、これで雪女目当てで観てた人達は脱落でしょう。まぁ話の内容よりもキャラ目当てでアニメを観る人は多いし、元来アニメというものはそういうものかもしれません。私だって子供の頃アニメを観始めた頃は話の内容なんかどうでもよくてキャラばっかり見てました。だからアニメ鑑賞とはそういうものだという考え方の方が常識的なのかもしれません。特にそういう子供の頃の鑑賞スタイルが濃く残っている若い人はそういう傾向が強く、話の内容そっちのけでキャラの話題ばかりで盛り上がる傾向が強い。まぁネット全盛時代の今の若い子のアニメ鑑賞スタイルというのは昔みたいに1人で楽しむものではなくて大勢で共通話題で盛り上がるものですから、話の内容をどうのこうの言うよりも、キャラが可愛いだの何だのと盛り上がる方が話題の共通項を見つけやすくて手っ取り早いというのもあるでしょう。
まぁ私も若くはないし、ネットで皆で盛り上がる主義でもないですけど、それでも確かにキャラ目当てでアニメは観ます。今期でも「お隣の天使様」なんて真昼というキャラがヒロインでなければ絶対に観てないですし、「最強陰陽師」だってイーファやアミュ目当てで観てますし、「英雄王」もイングリスが主役だから観てるようなものです。ただ、それはストーリーがイマイチ級の作品の場合にキャラが救いになっているという話であって、この「虚構推理」のようにストーリーが良い作品の場合はキャラ次第で視聴を続けたり切ったりの判断をするというのはあまりにも勿体ない。確かに雪女は魅力的なキャラでしたが、雪女が離脱したとしても、この作品はストーリーだけで今期のトップクラスの作品です。
ちなみに、ちょっと原作のネタバレになってしまいますが、原作では雪女は再登場しますので、これで出番は終わりではありません。但し、この雪女編の続きが描かれるというわけではなく、雪女が別のエピソードに再登場するというだけのことです。ただチョイ役で登場するわけではなく、そのエピソードもまた雪女がメインのお話なので、雪女ファンには大いに楽しめる話です。まぁ割と最近のエピソードなので、このアニメ第2期で描かれる可能性は低いと思います。たぶん前回のラストで流れた予告編を見る限り、この第2期の終盤で描かれる長編話は別の話になると思われます。そういうわけで、このアニメ第2期では雪女の出番は終了かもしれませんが、第3期がもしあれば、おそらく雪女再登場の可能性は高いでしょう。
それはともかく、雪女というキャラも確かに魅力的でしたが、雪女編のストーリーも極めて完成度が高いものでしたから、雪女編が終わってしまって短編の1話完結話の中盤に入ってストーリー的にも勢いが落ちるんじゃないという危惧は私にもありました。実際、今回のエピソードは確かに雪女編に比べて格落ち感はありました。ただ、それは雪女編が良すぎただけの話であって、むしろ、とても良い感じに格落ちしたという印象でした。
中編の雪女編のような充実感は無いのですが、この充実感の無さがまさに「虚構推理」の短編の味わいといえます。この何ともモヤッとした後味の悪さこそが「虚構推理」のクセになる味であり、1週間おきに毎回この後味の悪さを喰らわせてくれることこそが私が「虚構推理」という作品のアニメに求めていたものでした。つまり、1話完結のオムニバスドラマとしての面白さこそが「虚構推理」の真骨頂といえます。そして、その作風こそが1クールアニメに最も合っているのです。
だからアニメ第1期が始まった時はまさにそれを大いに期待していたのですが、なんと3話から最終話まで鋼人七瀬編という長編に終始してしまい、とんだ期待外れとなってしまった。「鋼人七瀬編」という小説自体は出来が良いのでしょうけど、第1期みたいに変に毎回ラストの引きが良いのは「虚構推理」のアニメの魅力じゃないのです。アニメ作品としての「虚構推理」は毎回しっかりオチがついて、しかもそのオチが後味が悪い方がいいのです。その点、この第2期は中編の雪女編から始まりましたが、雪女編は毎回しっかり話の内容が独立してオチがついていて、短編の面白味が感じられました。そして今回の短編話を観て、まさに私が「虚構推理」のアニメに求めていたものはこれだったのだと思い出すことが出来ました。
もちろん純粋に点数をつけるならば今回の話は雪女編よりも低い点数にはなります。ただ「虚構推理」の短編エピソードをここまで上手に絶妙な塩梅でモヤッと後味悪く30分アニメとして仕上げてくれたのを見て、この1クールに安心感を持つことが出来たのです。中盤もしかしたらガクッと勢いが落ちるんじゃないかとかも思っていたんですが、それはどうやら杞憂に終わりそうです。こんな感じの短編エピソードで中盤を乗り切ってから終盤に中編で締めるのならば安心感があります。まぁ他の上位作品の出来次第ですし、さすがに中盤では他の作品の方が上回ってくる可能性が高いですけど、短編話がずっと今回みたいな完成度を維持してくるなら、依然としてトップに肉薄した形で終盤に突入するでしょうから、最後は終盤勝負ということになるでしょう。少なくとも大きく順位を落としたりSランクから落ちたりする可能性は低いと思います。
まぁそれで今回のエピソードですが、雪女編に比べたら落ちるとか言いましたが、それは雪女編がハイレベル過ぎたからであり、今回のエピソードだって他の作品のどのエピソードと比べても全く遜色ないハイレベルなものでした。現代風の怪談話のようでいて、それを鮮やかに合理的に謎解きをしたかに見せて、実際は謎と不気味さをしっかり残していて、視聴者に答えを与えようとしない不誠実なところを頓智で誤魔化すところもこの作品らしさがあって、しかもこの作品独自の設定を使った考察要素も隠されていて、相変わらずホントに徹底してロジカルに組み立てられた充実感があります。何と言っても、第1期と違って、琴子と九郎と、そして今回から登場した六花というようなメインキャラの物語を描こうとしないところが良いですね。雪女編も含めてですが、あくまで事件がメインとして描かれて、謎解き要員としてメインキャラが登場する。ただ、その中で実はちょっとずつメインキャラ3人のドラマも描かれているという、これぐらいの塩梅がちょうどいいのです。この3人はキャラが濃すぎるので、これぐらいの薄い扱いがちょうどいいスパイスになるのです。その点、サブキャラが大事になるのですが、雪女編の室井と雪女ほどではなかったが、今回のサブキャラの2人も結構良い感じでした。
まず冒頭は7月の中頃、琴子と九郎が一緒に川辺で手持ちの花火に興じている場面が描かれる。ここで2人は姿を消した九郎の従姉の六花が何処へ行ったのかという話をしている。琴子の言うには六花が姿を消して1年になるというから、第1期の最終話、鋼人七瀬編のラストから1年後の場面ということになります。なお、この「虚構推理」の各エピソードは時系列が明らかではなく、必ずしも時系列順に物語が組み立てられているわけではないので、今回のこの冒頭の場面が前回の雪女編の後なのか前なのかは分からない。まぁ服装や細かな言動から色々と季節や時期など推察することは出来るが、各編は独立した話なのでそこを推察することは物語上そんなに重要ではないので、通常はそういうところはあえて考えないようにしています。ただ、ここではあえて「鋼人七瀬事件の1年後」と明示されているので触れておきます。
とはいっても、今回のエピソードと鋼人七瀬事件とは何の関連もありません。今回のエピソードの中で鋼人七瀬事件に関する言及も一切ありません。ただ、これまで物語の中で主人公である岩永琴子の恋人である桜川九郎の従姉である桜川六花が登場したのは鋼人七瀬事件を描いたエピソードだけであり、あの時に描かれた六花というキャラの特徴は今回のエピソードの中身に深く関わってきます。
六花はかつて人魚の肉と件という妖怪の肉を喰った結果、不死身の能力と未来決定能力を持つようになった者であり、これは従弟である九郎も同様なのであるが、その結果2人は怪異たちから化け物のように怖がられている。この2人はどんな怪我をしても病気をしても死ぬことはなく生き返り、一旦死ぬことによってそのたびに自分の望む未来を決定することが出来るという特殊な力を持っています。そして人間でありながら怪異たちの知恵の神である岩永琴子は九郎を自分のパートナーとして選び恋人としており、かつては自分の屋敷(琴子の実家は財閥の大金持ち)に六花を一緒に住まわせたりして世話をしていたのだが、六花は岩永家から出ていって行方をくらましてしまい、その後、鋼人七瀬事件を起こしたりして、琴子と九郎がその事件を解決したりしましたが、再び六花は行方をくらましてしまいました。それが第1期の話であり、今回の冒頭で琴子が「六花が姿を消して1年」というのはこの鋼人七瀬事件の解決から1年という意味です。
鋼人七瀬事件というのは、事故死したアイドル七瀬かりんの亡霊が鉄骨を振り回して人々を襲うという都市伝説が現実になったという事件で、その実態は、六花がネット等を駆使して大衆の想像力を煽って「鋼人七瀬」という架空の怪物を現実世界に具現化させて暴れさせていたという事件でした。ここで重要なのは、六花が「人間の想像力が怪異を生み出す」という考え方を持っているということであり、その考え方が正しいことは鋼人七瀬の出現によって立証されたといえる。言い換えれば、六花はそうした自分の仮説の正しさを確認するために鋼人七瀬事件を起こしたといえる。
では、どうして六花はそんな質の悪い実験をしているのかというと、彼女の究極の目標は自分と九郎を元の普通の人間の身体に戻してくれる怪異を新たに生み出すことなのです。そのために、まず多くの人間の想像力によって強大な力を持つ怪異を生み出すという実験をしたのが鋼人七瀬事件でした。つまり六花が本当に作りたかったものは鋼人七瀬ではなく、鋼人七瀬はあくまで使い捨ての実験体であり、六花の目指す怪異を生み出すためにはまだ何段階もの実験を積み重ねていかないといけない。そして、六花自身には悪意は無くとも、そうした六花の実験によって鋼人七瀬事件のように死人まで出るような騒動が何度も引き起こされることになる。六花は自分と九郎の幸せのためにやろうとしているのだが、九郎はそんな世の中を混乱させるようなことは望んでおらず、怪異たちの知恵の神である琴子もそのような怪異を使って世の中を騒がせるようなことは許すことは出来ず、六花を止めようとする。だから六花は琴子と九郎に邪魔されたくないので、岩永家から姿を消して、潜伏して移動しつつ実験を繰り返そうとしているのです。
とはいっても、琴子と九郎と六花の仲は別に険悪というわけでもない。六花は九郎のことを大事に想っているし、九郎も六花を慕っている。そして琴子も六花には親切に接していた。だが六花にとっては自分と九郎の幸せは普通の人間に戻ることであり、九郎を人間に戻したいと思っている。だが琴子は人外の能力を持つ者であるという点も含めて九郎のことを愛しており、九郎が普通の人間に戻ることは望んでいないし、そもそもそんなことが可能だとも思っていない。だから六花から見れば琴子と一緒にいると九郎は不幸になるようにしか思えず、六花は琴子が九郎と交際することを快く思っておらず、常にケチをつけてくる。このように背景には壮大な事情があるのだが、表面上は従弟の恋人をイビる小姑のような六花に嫌味でお返しする生意気な小娘のような琴子がイガミ合っているというしょうもない場面のように描写されるところがこの作品の面白いところです。
まぁそういうわけで一緒に暮らしていた頃は下らない言い合いをしながら互いに牽制し合っていたのですが、六花が姿を消して鋼人七瀬事件を起こした後は、いつまた六花が同じような騒動を起こすかという不安が常に琴子と九郎を襲っていました。だから1年間ずっと全国の怪異たちに指令を出して六花の目撃情報を探らせているのですが、なかなか有力な手がかりが得られない。六花も怪異の姿が見えますし気配も察することが出来ますし、怪異に見つかったら琴子に報告がいくことも分かっているので怪異の少ない場所を選んで潜伏しているようですし、情報があっても断片的なものばかりということは、どうやら1か所に長く留まることはないようで、どうにも六花が用心深くて琴子も苦労しているようです。
ここで九郎が琴子に六花との関係がどうだったのかと問われて、琴子は屋敷で一緒に暮らしていた頃に六花に嫌いな物が何なのか質問された時の思い出話をします。ここでその回想シーンとなりますが、琴子は「熱いお茶が一杯」が怖いと回答し、六花に叱られてしまう。相手の真面目な質問を落語のサゲ、つまりオチではぐらかすのは失礼だということです。「熱いお茶が一杯」というのは「まんじゅうこわい」という有名な落語のサゲなのです。
「まんじゅうこわい」という演目では、怖いものは何なのかという話で盛り上がっている場で、ある男が饅頭が怖いと言い出したので他の男らが面白がって饅頭を勧めまくったら男は美味しそうに食べてしまい、それで騙されたと知った他の男らが怒って本当は何が怖いのかと責めると、男は饅頭をたらふく喰った後で「このへんで濃いお茶が一杯怖い」と答えるというオチとなる。そのオチを流用して琴子は「怖いものは何?」という六花の問いに「熱いお茶を一杯」と返して、六花の真面目な質問を落語の演目扱いするという、いかにも相手を小馬鹿にした琴子らしい性格の悪さを見せますが、その一方で小粋な演出でもあります。
そして、そうした琴子の無作法を咎めつつ、それが「いきなりサゲを言うのはネタばらしになる」という点も咎め、その後の琴子との会話の中でクモ、ヘビ、昆虫の順番で琴子の怖いものを探っていく六花のセリフも非常に小粋といえます。何故なら、「まんじゅうこわい」の演目の中では冒頭の怖いものが何なのか探っていく場面ではまずクモ、次いでヘビ、そしてアリなどと言い合う場面になっているからです。六花は琴子がいきなり順序をすっ飛ばしてサゲを言ったことを無作法と咎めつつ、ちゃんと自分は演目の冒頭部分を語るという形で琴子を質問攻めにしていくというのが何とも小粋な構成になっており、2人の性格が対照的であることもしっかり表現されています。
結局、琴子はクモもヘビも昆虫も怖くないということで、更に六花は「九郎に嫌われること」「九郎に捨てられること」が怖いのではないかと問い、よく考えたら嫌われているようなもの、捨てられているようなものだったわねなどと、意地悪な小姑みたいなことを言って琴子をイビリます。これに対して琴子は自分は嫌われてないと言い返し、嫌われても何とでもなるとも言って胸を張る。そんな琴子にまるでストーカーのようだと六花が呆れるという、このあたり終始コミカルな嫁姑漫才のようなノリなのですが、この回想場面は実は結構重要なシーンなのではないかと思う。いや、この回想場面は今回の本編の内容とほぼ無関係な内容なので、むしろ重要な意味が無ければわざわざ挿入しないはずです。単に落語ネタを絡めて嫁姑漫才で遊びたかっただけというのも、普通の作品ならばそれだけでも十分にハイレベルな試みではあるんでしょうけど、超ロジカルなこの作品の場合は、それだけの理由でこんなシーンを挿入するとは思えない。
ここでは確かに「まんじゅうこわい」のネタに絡めた部分は純粋に言葉遊びでしょう。そう考えると、それを省いて残る「九郎に嫌われること」「九郎に捨てられること」が琴子にとって怖いものであるかもしれないという部分がこのシーンの核心ということになる。実際、琴子は冗談で返しているので分かりにくいけど、この2点に関してはクモやヘビや昆虫の場合と違ってハッキリと「怖くない」とは言っていない。だからたぶんそれが琴子の怖いものなのでしょう。
そして、この回想シーンにおいて最重要なのは、六花が琴子の怖いものが何なのか探ろうとしていることです。六花は落語のサゲで対応した琴子を叱る際に自分の質問が「真面目な質問」だったと言っており、六花が本気で琴子の怖いものを調べようとしていたのだということが分かる。この時点での六花はまだ鋼人七瀬事件を起こす前であり、琴子の家で大人しくしていた頃なのだが、この時期から六花は琴子と戦う準備をしていたことになる。琴子も警戒していて六花にハッキリと自分の怖いものを教えないようにはぐらかしているが、六花はおそらく九郎に嫌われたり捨てられたりすることを琴子が怖がっているということに気付いた。いや実際にそうなのかは分からないが、六花は少なくともそう思ったのでしょう。おそらく、ここで重要なのは実際に九郎が琴子を嫌ったり捨てたりすることではなく、そういうことを琴子が潜在的に怖がっているということの方なのでしょう。そこが琴子の弱点に繋がるのかもしれない。そして、そのことに気付いて琴子の弱点に関する情報収集を終えた後、六花が姿を消して琴子との戦いを開始したということも重要だといえます。
いや、実は今回のエピソード内でこの琴子の弱点に関しては何も描かれないので、この回想シーンから考察される「岩永琴子の弱点」に関してはもっと先のエピソードに繋がる伏線なのであって、今回のエピソードでは回収されることはない。おそらく原作の方でもまだハッキリした形で回収はされていないと思います。だから今回のエピソードにおいてわざわざ言及する必要は無かったのかもしれないが、この謎の回想シーンの意味合いというものを考えると、どうしても触れざるを得なかったのです。今回のエピソード内では六花が今回の事件に関与した動機の部分や、琴子と九郎の将来に関する漠然とした不安の描写など、通常のエピソードに比べると割とメインキャラ関連の伏線が多いエピソードといえます。それもやはり六花の再登場エピソードだからなのかもしれませんね。
ともかく回想シーンの方は、最後は琴子が「あなたは何が怖いんです?」と六花に問いかけ、六花が「あなたが一番怖いわ」と琴子に返すという描写で終わり、これは本質的には六花が琴子を敵視しており九郎を不幸にする者だと警戒していることの表現なのですが、これを琴子は「まんじゅうこわい」にひっかけて、「怖い」=「好き」だから、六花が琴子のことが本当は好きだというオチなのだと解釈して九郎を呆れさせる。琴子だって本当にそんなわけがないことは分かり切っているんですが、そういう真面目な話をあえて落語ネタで茶化してしまうところが琴子の無作法なところだと九郎は思っている。だが、同時にそうやって嘘か本当か分からないような話ではぐらかして場を丸く収めるのが琴子の役目であり、良い面でもあることも理解はしている。そして、そういうナアナアな先送り主義的なところが六花とは合わないのだろうとも分かっている。
さて、こうした琴子と九郎の場面が終わり、ここで場面はその二ヶ月前の六花の場面に遡る。つまり鋼人七瀬事件の後で六花が再び失踪して10ヶ月後ということになります。ここで六花はとあるアパートに1週間前に引っ越してきたと描写されており、伯父が所有しているというそのアパートの住み込み管理人をしている若い男、紺野和幸とその恋人である沖丸美という若い女性と挨拶を交わし、これから競馬場に行くのだと言って馬券を見せ、その場を立ち去る。それを見送った丸美は六花が入居したのがそのアパートの305号室だと気付き顔色を変えます。その瞬間、なんと和幸と丸美の目の前で六花がトラックに撥ねられて吹っ飛ばされて血まみれで倒れてしまう。
慌てて和幸が駆け寄り丸美は救急車を呼ぶのだが、六花は平然と起き上がり「みね打ち」のようなものだとかワケの分からないことを言うので和幸と丸美は唖然とする。だが一応病院には行ってもらいますが、どうやら六花が無事そうなので和幸は安堵する。実は305号室はここ1年の間に3人も自殺者が出ているいわゆるいわくつきの「事故物件」であり、悪い噂が立ってしまい借り手が見つかっていなかった。そこにやっと決まった入居者が六花であり、その六花が事故死して居なくなってしまうのも惜しかったが、それ以上にもし六花が事故死していたら「4人目」ということになり、ますます事故物件の噂が広まり入居者を探すのが難しくなるどころか、アパートそのものの評判が低下しそうだったからだった。だからどういうことかよく分からないがトラックに轢かれた六花が無事だったことで和幸は安堵していた。
そうしてその事故を目撃した後の夕方、和幸の部屋で丸美も一緒に夕飯の支度をしているとテレビでは競馬中継がやっており、さっきの事故の後で六花が持っていた馬券が道路に落ちているのを見つけて拾っていた和幸は、その馬券が万馬券であることに気付きビックリする。すると、そこに病院から戻った六花が訪ねてきて昼間の礼を言い、ビールを差し入れてくれる。和幸たちは慌てて六花に馬券を返して万馬券だと教えるが、六花は「別に珍しいものではない」と平然と受け取り立ち去ろうとする。そこで六花に興味の湧いた2人は六花を引き留めて一緒に夕食を食べようと誘い、和幸の部屋で3人で食事会となります。
ここで整理すると、六花がトラックに轢かれても無事だったのは彼女が不死身だからです。もちろん和幸も丸美もそんなことは知らないので単に奇跡的に無事だったのだろうと思っているが、実際は六花はその時に一度死んで生き返っています。そして六花が万馬券を持っていたことから、おそらく六花はワザとトラックに轢かれて一度死んで生き返ったのだと思われます。何故なら六花は一度死ぬことによって自分に都合の良い未来を選ぶことが出来るからです。トラックに轢かれる前に六花は競馬場に行くと言っていたがその時点で既に馬券を購入していた。そしてトラックに轢かれて一度死んで生き返り、その後、六花の持っていた馬券で六花が勝つと予想していた馬が勝ってその馬券は万馬券となった。これらの状況と六花の特殊能力を合わせて考えると、六花はトラックに轢かれて一度死んだ際に「自分の買った馬券の馬が勝つ未来」を選択したのだと思われる。ワザとトラックに轢かれたのは、おそらくそれが一番楽に死ねるからなのでしょう。六花といえども死ぬのは苦痛なので、自殺するといっても結構大変です。トラックに轢かれて死ぬのはかなり楽な部類なのでしょう。
そして、それを「珍しいものではない」と言っていることからして、六花は同様なことを繰り返して生活費を稼いでいるのだろうと推察はできる。確かに六花が仕事をしている描写は無く、それでも生活費に困っている様子でもないということは、自分の未来決定能力を使ってギャンブルで稼いで暮らしているようにも思える。ただ、六花は不死身なので極論すれば何も食べなくても死なないし不健康な衣食住でも死ぬことはない。実際コンビニ弁当ばかり食べているし、生活費は安くつくはずです。そして今回の万馬券で稼いだ金は実は最終的に大部分は和幸に渡されているので、六花が今回トラックに轢かれて競馬で大金を得たのは、そもそも和幸にお金を渡すためだったということになる。その理由は後で説明されるが、ここで重要なのは、それも含めて六花にとっては「珍しいものではない」ということです。つまり、六花は今回描かれたエピソード内容と同じようなことを何度も繰り返しているのだということになります。
そう考えると、今回のエピソードの内容が重要になってくるのですが、それが食事会の場面で語られていきます。まず六花は305号室が3人の自殺者が出た事故物件だということは承知で入居しているのだそうだ。そんなことは気にしないということです。和幸は六花が身元も不確かで荷物もキャリーバッグ1つで入居契約したことを知っているので、そもそも六花自身がいわくつきの人物であり、だからこそこんないわくつきの部屋しか契約出来なかったのだろうと思っており、そんな六花が事故物件のことをいちいち気にしないのはむしろ当然だとも思っている。だから六花が事故物件に平然と住んでいるのだろうとは思っていたが「私としては省けた手間もありますし」と六花が言っているのはちょっと意味が分からなかった。
ここは私もちょっと意味が分からなかったが、後でよくよく考えると分かってくる。ただこれは六花の真実の姿を知らない和幸には分からないのが当然のことであり、和幸はむしろ自分がずっと気にしていることを思い切って六花に質問します。それは部屋にいて何か幽霊のような怪奇現象を感じないのかという質問でした。実際、そういう悪い噂は立っていました。最初にその部屋で自殺した男性も天井に顔のようなものが見えるとか言っていたとか、その他いろいろ、3人も自殺しているということで、あの部屋は呪われているとか、入居者を自殺させる悪霊がいるとか、不気味な噂が立ってしまっており、和幸や丸美も商売上は困ることであるし否定はしたいのだけど、実際に入居者が続けて自殺しているのだから、自分達も怖くなってしまって半ばそういう悪霊の仕業という解釈を信じてしまっていたりする。だから、六花自身はそんなことは気にしないとは言っているが、実際に何か変な現象は起きていて、それを単に六花が豪胆なので気にしていないだけなのではないかと思い、怪奇現象の有無をこの際確認したいと和幸と丸美は思ったのでした。
しかし六花は余裕の笑みで、そういう「自殺者が連続する事故物件の偶然」というのは大抵は合理的説明がつくものだと言い、謎解きをしてみせる。まず最初に自殺した40代の男性が職場のトラブルでノイローゼ気味だったという話を聞くと、その男性はもともと自殺する原因を抱えていて部屋とは関係なく自殺しただけだろうと言う。そして、その最初の自殺のせいで家賃を下げる羽目となりワケありの入居者が入りやすい状況となったのだろうと六花が言うと、確かに2人目の自殺者となった20代後半の女性は付き合っていた男性に酷い振られ方をして引っ越してきたのだと和幸も答えます。その女性はなんとか再出発しようとして暮らし始めたが3ヶ月後に遺書も残さず自殺してしまったのだそうで、まるで前の自殺者の念に引かれたようだったと和幸が言うのを聞き、六花はもともと失恋のショックで自殺しようと思っていた人がなんとか持ちこたえたが最後には限界に達して自殺してしまったのだろうと言い、これもまた部屋に関係なくもともと自殺する原因を抱えた人だったのだと結論づける。
だが和幸は3人目の自殺者はそう話は簡単ではないと言う。この30前の男性は仕事も順調で恋人もいて自殺する理由も見当たらなかったが入居して3ヶ月で遺書も残さずに自殺したのだという。この3人目の場合は1人目や2人目と違って自殺の動機が無いわけです。しかも奇怪なことに、この男性は2人目に自殺した女性の元恋人、つまり2人目の自殺した女性をこっぴどく捨てた男性だったのです。そうなると、2人目の女性の自殺の原因となった男性が3人目の自殺者になったということになるが、その男性がわざわざ自分の捨てた女性が自殺した部屋に入居する理由も不明だし、偶然だとしてもそんな偶然があるとも思えない。何か裏があるというわけでもなく他殺の可能性も無く突発的な自殺という結論となったのだそうですが、あまりにも意味不明で不気味であり、2人連続で自殺者が出た時点で呪われた部屋だという噂は既に広まってはいたが、こんな意味の分からない状況は悪霊の仕業とでも考えないと説明がつかないということで、この3人目の事件によって悪霊が部屋にいるという噂は決定的なものになってしまったのだと丸美も言う。
これに対して六花は「合理的説明」というものを返さなかった。実際何も思いつかなかったのでしょう。それで和幸もやはり3人目の自殺に関しては合理的説明は難しく、部屋に何か悪霊のようなものが居るという噂を否定することは出来ないと思えた。そうなると1人目も2人目も悪霊の仕業である可能性は否定できない。そう思うと逆に六花を怖がらせてしまったかもしれないと思い、和幸は何か気になることがあったら相談してくださいなどと言って六花を慰める。
ここでちょっと時系列を整理すると、この1年間で3人の自殺者が出ていると和幸が言っていることから、1人目の自殺は1年前だということが分かる。その後すぐに入居者が決まったわけではないのだろうけど、新たに入居した女性が3ヶ月後に自殺し、更にちょっと間が空いて入居した男性が3ヶ月後に自殺したということになる。仮にそれぞれの空白期間を2ヶ月とすると、現在時点から1年前に1人目の自殺があり、7か月前に2人目の自殺があり、2ヶ月前に3人目の自殺があったということになり、そして1週間前にその同じ部屋に六花が入居してきたということになる。そして丸美の話に沿えば、7か月前から「あの部屋には悪霊がいるのではないか」という噂が広がり始め、その噂がどんどん広がる中で入居してきた男性が自殺した2ヶ月前の事件以降はその噂は決定的なものとなり「あの部屋には絶対に悪霊がいる」と皆が信じるようになったということになる。そして、そんな状況で六花はその部屋に1週間前に入居してきたのだということになる。
丸美が「305号室に六花が入居した」ということを昼間に知った時に顔色を変えていたのはそれが理由でした。どうしてそんな悪い噂の立っている部屋に六花がわざわざ入居したのか不思議であり不気味だったのです。確かに305号室は事故物件ゆえに格安家賃でしたが、六花は万馬券を見ても表情も変えないぐらいお金に困っている様子も無い。わざわざあんな部屋を選ぶ理由が分からないと丸美が指摘すると、六花はビールを吞みながら自分の身の上をしみじみ語り始める。
それは自分の3つ下の従弟(九郎)が質の悪い女(琴子)につかまってしまい、自分と従弟がまともな人間になれば別れられる(九郎が普通の人間に戻れば怪異の神の琴子と縁が切れる)と思ってあれこれ手を尽くしたのだけど(鋼人七瀬事件を起こしたりしたけど)いちいちその女に妨害されて自分が雲隠れしなければいけなくなり、今はその女に見つからないように一時避難で身を隠しており、長くはいられないだろうという説明でした。何だか六花がずいぶん自分に都合のいい解釈ばかりしていて、そのせいで琴子が極悪人みたいな扱いになってるのが笑えてくる、ここは基本的にギャグシーンではあるのですが、ここで六花が「このままいけば従弟はあの女に酷い捨てられ方をして不幸になるだけなのです」と言っているのがちょっと気になる。まず冒頭の方の回想シーンで六花が琴子の弱点として「九郎に嫌われること」「九郎に捨てられること」を怖がっているということを気付き、その上で岩永家から姿を消して琴子との戦いを開始したことが分かるので、その流れを受けて「捨てる」「捨てられる」の話に六花がこだわっているようにも見えることです。そして、六花の入居した305号室には「捨てられた女が自殺した部屋で捨てた男も自殺した」という事実があり、それが「悪霊の仕業ではないか」という噂が立っていたが、これも果たして偶然の一致なのだろうかと疑わしく思えてくる。
そして、ここで六花は丸美の質問に答える形で自分の身の上話をしているのだが、奇妙なことにこれは丸美の質問にちゃんと答えていないように見える。六花が言っているのは「自分は質の悪い女から逃げているのだ」と言っているだけであり、一時避難的に借りる部屋は別に事故物件の305号室である必要は無いのです。丸美は「どうしてわざわざ305号室を選んだのか」と質問しているのだから六花は丸美の疑問に答えていないように見える。
だが実際は六花はちゃんと丸美の疑問に答えているのです。六花がここで言っているのは「自分と従弟がマトモな人間になるために一時避難しながら自分はあれこれ手を尽くしている」ということであり、それが305号室に入居した理由なのだと、ちゃんと丸美に遠回しに説明できているのです。六花が普通の人間になるために手を尽くしているというのは、つまり自分と九郎を元の人間に戻すための怪異を生み出そうとしているということであり、そのために六花は例えば鋼人七瀬を作った時のように「人間の想像力が生み出す怪異」に関する実験を繰り返す必要がある。そのために六花は305号室に入居する必要があったのです。何故なら305号室には既に「人間を自殺させる怪異が居るのではないか」という噂が立っており、そして実際に噂が立ってから自殺者が出ている。それならば、この305号室には本当にそうした怪異が発生しており、それは噂、つまり人間の想像力によって生み出されたものなのではないかと、六花の立場ならそう考えるのが当然でしょう。だから六花は悪霊の噂があり実際に凶事が起こっている事故物件の305号室に入居して事の真偽を確かめる必要があったのです。それが六花が305号室に入居した理由であり、丸美の疑問への回答でした。
そして、当然305号室に長居はしない。用が済めば出て行く。だが、事故物件に入居した女性が早々に部屋を退去していくとなると、世間はますます噂は信憑性が増したと騒ぎ立てることになり、ますます借り手が見つからなくなり大家は困ってしまうだろう。実際に怪異がいてもいなくてもそれは同じことです。むしろ噂が大きくなることでそれまでいなかった怪異を本当に生み出してしまうかもしれない。六花は自分の実験さえ出来たらいいのであって、徒に怪異を増やして面白がるような人間ではないし、根は善良な人間であり他人に迷惑をかけるのは好まない。だから自分が入居してすぐに退去してしまうことで生じる迷惑を補填するために管理人の和幸にお金を渡して去ろうと決めた。それで六花は自分の未来決定能力を使って競馬で万馬券を当てて、その金を和幸に渡して去ろうとしたのです。最初はわざと落として和幸に拾わせて、そのまま和幸のものになればいいと思っていたが、和幸が正直に自分に馬券を返してきたので、まぁ退去する際に改めてお金を渡せばいいと思い直したのでしょう。
そして六花が万馬券を「珍しいものじゃない」と言っていたことから、おそらく六花はこういう遣り口は初めてではないということが分かる。つまりこのパターンは何度か繰り返してきているのです。そもそも鋼人七瀬事件の後、このアパートに入居してくるまでの10ヶ月間、六花は何をしていたのか?おそらく同じことを繰り返してきたのでしょう。怪異の噂のある事故物件を探しては入居して退去しての繰り返しで、そのたびに迷惑料のつもりで万馬券あるいはそれを換金した大金を渡してきた。もちろん未来決定能力を使って手に入れた万馬券です。
そうして何度目かの実験のために1週間前にこのアパートの305号室に入居してきて、1週間経った今日、六花は万馬券を当てて迷惑料の準備を終えた。つまりもう退去するつもりなのです。それで実験の結果はどうだったのかですが、それはハッキリとは示されていません。だが、さっき六花は最初に305号室のことを和幸に話した時に「私としては省けた手間もありますし」と言っていた。これは成果があった時に言う言葉だと思われる。もし部屋に怪異がおらず何の成果も無かったら「無駄足だった」とは言うであろうけど「手間が省けた」とは言わないでしょう。
六花は鋼人七瀬事件の際は自分で怪異を作り出すためにネット廃人みたいに必死でレスしまくっていて大変な手間をかけていました。しかし、もし305号室に他人が立てた噂のおかげで既に怪異が生まれていたとしたら、六花にとっては鋼人七瀬事件の時の苦労に比べれば「ずいぶん手間が省けた」と実感することでしょう。わざわざ自分で生み出す手間をかけずとも「人間の想像力が生み出す怪異」を手に入れることが出来たのです。それで思わず「私としては省けた手間もありますし」と言ったのだとすると、六花の願望は叶って305号室には怪異が居たということになります。
では305号室に怪異がいたとして、そこで六花は1週間、何をしていたのか?普通に考えれば六花の姿を見たら怪異は怖がって逃げるはずですが、わざわざ逃がすために六花は入居したわけではないので逃がしてはいないでしょう。捕らえて何かをしていたのだと思う。ただ、何をしていたのかは分からない。だから、あえて想像すると、怪異の噂が怪異を生むのだとすると、怪異が生まれたのは2人目の自殺以降ですから、2人目の自殺がその怪異の性格に影響を与える可能性が高く、2人目の自殺が「恋人に捨てられた女の自殺」だということはあらかじめ六花は知っていたであろうから、六花は「愛する相手に捨てられた想いの生み出す怪異」に興味を持って305号室を選んだ可能性が高い。そうなると、琴子の弱点に関わる何らかの実験をその怪異を使って行おうとしていたのではないかと推測できる。そしてそれが上首尾に終わったということが「私としては省けた手間もありますし」という言葉からは滲んでくるのです。
まぁそのあたりはさすがに妄想に近い想像でしかありませんが、とにかく六花はこの入居1週間後の時点で迷惑料も準備しており退去する準備はしていたと思われます。ところが六花が実際に退去したのはそれから2ヶ月ほど経過した後でした。つまり冒頭の琴子と九郎が手持ち花火をしながら六花の噂話をしていたのとほぼ同時期でした。そして、六花の退去から少し経って、琴子と九郎がそのアパートにやって来て和幸と丸美とも会い、一足違いで六花に逃げられてしまったと悔しがります。おそらく六花が2ヶ月ほどという割と長期間そのアパートに留まっていたので琴子の配下の幽霊ネットワークによって捕捉されたのでしょう。
だが六花はそれにいち早く気付いて一足早く退去した。そして退去する際に和幸に会い、そういう事情で突然退去することで悪い噂がますます立つだろうということへの迷惑料として万馬券で儲けた大金を渡し、そうして従弟とその恋人が近くここに来るであろうこと、そしてその恋人の女が305号室で自殺者が相次いだ理由について合理的な説明をしてくれて、その後は安心して305号室を貸し出すことが出来るようになるだろうと予告して、六花は去っていきました。
ただ、ここで六花が琴子たちに自分の居場所が気付かれたことに気付くのは不自然です。だから六花はそういう未来を知っていたと考えるべきです。いや正確には、未来決定能力によってそういう未来を選んだのです。つまり琴子が自分を見つけてこのアパートにやって来る未来を六花が選んだということになる。その未来の実現のためには六花が2ヶ月このアパートに留まることが必須だったので六花はわざわざ此処で2ヶ月無駄に過ごしたのです。そして当然、琴子たちがやって来る前に六花は一足先に逃げるので、単に六花が琴子から逃げるためだけならこんな2ヶ月も無駄にするような方法は選ばないはずです。だから六花の目的は自分が逃げることではなく、琴子をこのアパートに来させることだったといえます。つまり、六花が選んだ未来は、琴子がこのアパートに来て和幸たちと出会う未来だったのです。
どうしてそんなことをしたのかといえば、それは六花が退去する気持ちを固めたあの日、和幸たちと夕食を摂って、その時にした会話の中で和幸たちが305号室の怪異について深く気にしていることを知ったからでした。305号室の怪異については六花が入居した時点で実際には無力化されています。そしてその上で迷惑料を払えばそれで十分だろうと思っていた。だが管理人である和幸やその恋人の丸美が怪異のことを信じてしまっていてずっと気に病んだままでは良くないと思った。六花は基本的には善人なので、自分のために救急車を呼んでくれたり、正直に万馬券を返してくれたり、美味しい夕食を御馳走してくれた好人物の2人を安心させてあげたかった。それで琴子の真似をして自殺者が相次いだ理由を合理的に説明してあげようとしたのだが、どうしても3人目の自殺者の合理的説明が思いつかず、結局は和幸たちを安心させてあげることが出来なかった。それで、このまま退去するのは心苦しいと思った六花は未来決定能力を使って、自分が此処に2ヶ月留まることで琴子がこのアパートにやってくる未来を選択したのです。何故なら、怪異の知恵の神である琴子ならば、怪異の噂が立つことで困っている和幸たちを必ず安心させてくれる「虚構推理」を組み立ててくれることが分かっていたからでした。そこについては六花も琴子のことを全面的に信頼しており、自分には思いつかなかった3人目の自殺を怪異など関与させずに合理的に説明する「嘘」を思いつくはずだと確信していたのでした。それで退去する際に琴子がやって来て合理的説明をしてくれるだろうと予告していたのです。
そうして六花の退去後少し経って和幸と丸美の前に九郎を伴って現れた琴子は、さんざん六花から悪し様な噂を聞かされていた和幸たちから猜疑心の目で見られた挙句、自ら下ネタを連発してしまったことで「やっぱり質が悪い」と思われてしまうが、一応は六花と自分達の関係はそんな悪いものではないと弁明はして、その上であらかじめ下調べはしてきていた305号室の悪い噂について合理的説明をしてくれました。
まず1人目と2人目の自殺者については六花がしたのと同じように、両方とももともと自殺する原因を抱えた人だったというだけのことだと明快に説明する。そして3人目については、まずその男性がわざわざ自分が捨てた女性の自殺した部屋に入居した理由は、自分が罪悪感から逃れるためだったのだと説明する。つまり、自分が捨てた女が自殺したことで罪悪感を感じた男が、その罪悪感から逃れるために「女性が自殺したのは自分に捨てられたことが原因ではなく、呪われた部屋の悪霊に祟られて自殺させられたのだ」「だから自分は罪悪感を感じる必要は無いのだ」と思いたかったというのだ。そして、それを自分に納得させるために、自分自身が同じ部屋で暮らして、住人を自殺に導く悪霊の存在を実感する必要があった。だから男は305号室にわざわざ入居し、悪霊の存在を確信したら安心して退去するつもりだったのです。つまり、その男は悪霊が居ると分かる方が安心出来るのです。その男にとっては怪異である悪霊よりも、人間である自分の作り出した罪悪感の方がよほど恐ろしかったというわけで、まさに怪異よりも真に恐ろしきは人間の歪んだ心というわけです。そして結局、305号室には悪霊など存在せず、男は自分のせいで女が自殺したのだということを確信させられてしまい、その罪悪感に押し潰されて自殺したというのが真相だと琴子は説明します。
そして男性が遺書を残さずに自殺した理由は「自分が悪霊の仕業で死んだ」と見せかけるためだったのだろうと琴子は言う。そうすることによって2人目の女性の自殺も悪霊の仕業だったということになり、そうなれば自分は悪くないということになる。死んでまで自分の罪悪感から逃れたかったのかと思うと浅ましい限りだが、死んだ後まで悪く言われるのはやはり嫌なものだと琴子は言い、更に男性は残された自分の親族に後味の悪い想いをさせないようせめてもの気遣いをしたのかもしれないとも付け足しました。女を自殺に追い込んだ挙句に自分も罪悪感に負けて自殺した男が親族である場合と、たまたま部屋に居た悪霊に殺された哀れな被害者の男が親族である場合とでは、明らかに後者の方が残された親族としても気持ちが楽というものです。自分が罪悪感から逃れられなかっただけに、せめて親族だけでも罪悪感から解放してあげたいというのは、その男に残された最後の良心、気遣いだったのではないでしょうかと琴子は神妙に言う。
この琴子の説明が極めて理路整然としていたので和幸と丸美は納得し安堵し、これで305号室を気に病むことなく他人に貸し出すことが出来ると思い、琴子と九郎は2人に別れを告げ、アパートをあとにして帰路に着きます。だが帰り道の琴子たちの会話で、やはり琴子が和幸たちにした説明は和幸たちを安心させるための「虚構推理」であったことが分かります。実際は3人目の自殺者の男は罪悪感など感じておらず、単に安い物件に飛びついただけだったのかもしれず、たまたま別に自殺する理由を隠していただけかもしれないし、あるいは本当に怪異がいて自殺させられたのかもしれないし、死んだ女の霊に呪い殺されたのかもしれない。琴子はそんなふうに3人目の自殺については真相はよく分からないと言う。一方で1人目と2人目については特に何も言わないところを見ると、琴子が怪異の影響があるかもしれないと見ているのは3人目のケースだけだということが分かる。つまり、2人目の自殺以降に急速に近隣に広まった悪い噂が怪異を誕生させた可能性については琴子も認めているのです。
ただ今となっては真相は分からないと琴子は言う。それは、305号室には本当に怪異は全く居なかったからです。だから和幸たちに今後は安心していいと言ったこと自体は決して嘘ではない。だが今は怪異がいなくても3人目の自殺の時に怪異がいなかったという証拠にはならない。何故なら2ヶ月前に六花が入居しているからです。もしその時まで怪異がいたとしても、六花が入居した途端に逃げ出したはずです。だから今となっては真相は分からない。
しかし、どうもおかしいと琴子は思う。もし2ヶ月前にあの部屋に怪異がいて六花に怯えて逃げ出していたのなら、自分の幽霊ネットワークに引っかかって、その時点で六花の手がかりが得られたはず。それなのにその時点で何の手がかりも得られなかったということは、そもそもあの部屋に怪異などいなかったということか。しかし悪霊の噂の立っている部屋にわざわざ六花が入居していたということは六花には何か目的があったように思える。そして空振りであったならすぐに退去するはずのところ2ヶ月もそこに滞在しているというのも気になる。あるいは、もし六花がわざわざ2ヶ月滞在して自分があのアパートに辿り着き「虚構推理」をするような未来をあえて選択したのだと仮定するなら、それはつまりあの部屋に怪異がいたということを意味するのではないかとも琴子には思えてくる。
そうなると、やはりあの部屋には怪異がいたのではないか。もし怪異がいたとして、その怪異は逃げ出すことも出来ず一体どうなったのか?そう考えると琴子は胸騒ぎがしてくる。夏の夜空を見上げると大きな花火が打ち上がっており、少し前に九郎と一緒に小さな手持ち花火に興じていた時の小さな危機感が、今や夜空の大きな花火のように、より明確で巨大な危機感に変わりつつあるように思えて不安になってくる。ここで共に夏の風物詩である冒頭の場面の小さな手持ち花火と、このラストシーンの大きな打ち上げ花火が対比的に描かれているのは小粋で良いですね。
そして同じ危機感を共有する九郎が琴子を担ぎ上げて抱き、琴子が怖い者知らずだという話になると、琴子は自分にも怖い物はあると言い、それは何だと問う九郎に「半鐘がいけませんね」と言い「おジャンになります」と、また落語のサゲではぐらかす。これは「火焔太鼓」という演目のサゲです。これに対して九郎はいつも落語のサゲで誤魔化すのは良くないと注意します。やはりそういうところは従姉の六花と同じで真面目です。だいたい、ここで「火焔太鼓」のサゲが出てくるというのは、花火の音がやかましく鳴っているということぐらいしか話の繋がりが無いので、いかにも安直であまり感心しません。これはあまり小粋ではない。オチとしてはイマイチだということも九郎は指摘する。それに対し、琴子はそんなことを言われてもこれしか思いつかないのだから仕方ないと甘えたように言いつつ、男女間には秘密の1つもあった方が上手くいくと言ってキスをして、結局自分の怖い物が何なのかについては九郎にも誤魔化します。ただ、その琴子の怖いこととはおそらく「九郎に嫌われること」なのであり、六花に対しては敵対者として警戒してそれを誤魔化しましたが、九郎に対しては恋人同士の円満のためにあえてそれを誤魔化したという点で、その意味合いは全く違うのでした。
そして、その琴子と九郎が見上げる花火を遠目に見やりながら六花は何処かへと去っていく。その六花が引っ張っているキャリーケースが印象的に描かれているのが妙に気になります。あのアパートに引っ越してきた時もそのキャリーケースだけ引っ張ってきていたという。しかし六花はそのケースを一杯にするほどの荷物も持っていなかったようだ。では、一体そのキャリーケースの中には何が入っているのか、どうにも不気味な引きで今回は終わりました。
ヴィンランド・サガ SEASON2
第5話を観ました。
今回は主人公のトルフィンやその相棒のエイナルも一切登場しません。その代わり、第1期の時に登場した懐かしい面々が出てきます。まずヴァイキングの王子クヌート、そしてトルケル、フローキたち、つまりもともとトルフィンの仲間だったヴァイキング勢です。まぁ厳密にトルフィンの仲間だったかというと結構微妙な連中だが、第1期の終盤には仲間みたいになってました。
第1期の終盤、トルフィンが仇として狙いつつ配下に加わっていたアシェラッドがヴァイキング王だったスヴェン王の配下という形になりクヌート王子と深い関係にあり、皆でイングランドを攻めていたのだが、スヴェン王とクヌートの対立が深まり、アシェラッドが実はスヴェン王を仇として狙う元はイングランドの王の末裔だと判明し、クヌートがアシェラッドが父スヴェン王を殺すのを黙認することで自分が王位を簒奪してアシェラッドも殺し、それでトルフィンは生きる目的を失って何処かに行ってしまったわけだが、今回第2期で再登場したトルフィンの様子を見る限りではあれから数年経過しているのは間違いない。トルフィンはいつの間にかデンマークで奴隷になっているが、数年経ってクヌートがいったいどんなヴァイキングの王となっているのかが描かれるのは今回のエピソードの趣旨となります。今回1話だけの挿話という感じでクヌートの現在の状況が描かれ、次回からはまたトルフィンの物語に戻るようです。おそらくいずれはトルフィンとクヌートが再会する展開となるので、その前に一旦クヌートの現在の状況を描いておこうというところなのでしょうけど、今回非常に簡潔に的確にクヌートの成長ぶりが描かれていて、とても出来が良く独立性の高いエピソードでありました。
クヌートは1期では心優しく弱弱しい青年でしたが終盤に一気に覚醒した感じで、冷酷な統治者に成長する兆候を見せていました。その後クヌートがどうなったのかですが、今回クヌートの物語が描かれた舞台はイングランドであり、まだクヌート率いるヴァイキング勢はイングランド制覇のために戦い続けていたんですね。
そして今回クヌートに関して印象的だった描写は、まず部下たちの住民への略奪行為を禁じており、このルールを破った兵士たちを冷酷に処刑していたことでした。1期の時とは違い、人を殺すことに全く躊躇が無くなっており、冷酷の極みのようになっています。ただ、略奪を禁じているわけで、弱者が戦火で蹂躙されるような世界は望んでいないことも分かります。クヌートの作るルールはあくまで無意味な殺戮を禁じるものであり、そのルールを破る者には容赦なく殺戮の剣を振るうという感じみたいです。
そしてクヌートが敵と和睦して戦闘を止めたことをトルケルが抗議してきた時、クヌートは無礼な態度をとるトルケルを処刑したりはせず宥めている。宥めるといっても別に媚びたことを言ってトルケルの機嫌をとっているわけではなく、トルケルが自分に直接罵詈雑言を浴びせれば気が晴れることを承知していて、好きなように言わせてやっているだけです。このあたり非常に王として度量が大きい。
ただクヌートとトルケルとは根本的に考え方が合わないのも事実です。トルケルは戦争が大好きでたまらないので戦争が止められると旗が立って仕方ない。だがクヌートは戦争に勝つことが大事なのであって、勝てば当然戦争は終わるのであり、戦争を終わらせるために勝とうとしている。戦争のために戦争をしているトルケルとは根本的に人間性が違うのです。だが両者は1つ認識を共通していることがある。それは「戦争というものは敵の大将の首を獲るまで終わらない」という点です。ただ、トルケルは「だから今は戦争を止めるべきではない」と考えており、クヌートは「だから今戦争を止めるのだ」という点で決定的に認識が違う。
ここでどうしてクヌートが戦争を半ばで止めて和睦したのかという理由が描かれる。クヌートは敵将との和睦交渉の場で敵将を恫喝し、裏切りを迫る。自分に従わなければ領地を焼き尽くすと脅しをかけ、密かに裏切らせる。そしてその敵将を使って敵の王を毒殺し、その後継者も毒殺して、敵軍を瓦解させて遂にイングランド王となり戦争に勝利する。これは非常に卑劣で冷酷なやり方だといえるが、その結果、無駄な戦を重ねることなく戦争は終わり、戦争による犠牲者は少なく済んだ。これがクヌートの目指す統治なのです。無益な戦争による死者を減らすためならどんなに卑劣なことでも冷酷なことでも実行するというのが新たなヴァイキング王たるクヌートの本質といえるでしょう。人殺しが嫌だ、怖いと言って泣いていたあの青年王子が成長した姿がこのクヌート王なのであり、その根っこの人間性は変わっていないのだといえます。
犬になったら好きな人に拾われた。
第5話を観ました。
今回はポチ太が犬飼さんと一緒に猫谷のアパートにやって来て、隣のもともと人間だった頃の自分の家に飛び移れる機会を窺うという話。なんとか猫谷の部屋を脱出しようとするが犬飼さんが邪魔してきたりする。それを振り切って廊下に出ると猫谷が阻止しようとするので犬を怖がる猫谷をビビらせようとして吠えたりすると猫谷がすごくビビって可愛い。ヤンデレ気味の犬飼さんも面白くて好きだけど、怯えまくる猫谷の反応がどうにもクセになる。ポチ太は調子に乗って猫谷を襲うが、嫉妬に狂った犬飼さんに捕まってしまい万事休すかと思われた瞬間、あらかじめ仕込んでいた宅配便作戦がここで奏功して宅配便が来てドアが開き、犬飼さんや猫谷の気がそれる。そこを見計らって遂にポチ太は猫谷の部屋の脱出に成功し、ドアを出て自分の家のベランダへ向けて駆けていく。
だが柵が高くて困っているところに猫谷が追いかけてきたので、ポチ太は猫谷にセクハラをして嫌がる猫谷に放り投げてもらい自分の家のベランダに着地するという「そうはならんやろ」的な作戦を発動。だが猫谷の嫌がる反応が堪能できるのでこれはナイス。そして何故か作戦も成功し、ポチ太は自分の家のベランダに着地。
だが自分の部屋に家族ではない誰かがいることに気付き、それが学校の植物係の後輩である月城うさぎだと気付く。そして部屋に入ったポチ太は見つからないように月城のスカートの中に入り、月城の下着が丸見え。月城は主人公がいない間、部屋を掃除したりしてくれている様子だが、どうしてそんなことをしているのかは不明。だが主人公が帰ってくるのを待ち望んでいる様子です。そうして部屋の物色をしたりする月城だが、なんかチョコの包みみたいなものを見つける。
それはどうやら主人公が人間だった頃、犬になった事情に関係している記憶に関わるものらしいが、月城が悔しがって破いてしまったりするので手がかりが失われてしまう。その後、月城が主人公のことを想い出して泣き出したりして、更になんと主人公の机の角でオナニーまで始めてしまい大変なことになる。というわけで次回に続きます。相変わらず面白くてエロい。その上、ストーリーも謎めいてきて盛り上がってきました。次回も楽しみです。
ノケモノたちの夜
第5話を観ました。
今回はダイアナとナベリウスの戦いが描かれました。前回は話の半分ぐらいしか分からない感じでしたが、今回どういう話だったのか分かり、想像以上に暗い話でした。だが、この暗さこそがこの作品の持ち味なんだなということが分かりました。主人公のマルバスやウィステリアが明るいキャラなので気付きにくかったですが、悪魔と人間の織り成すダークな世界観と、その中での様々なキャラのそれぞれの矜持のようなものが魅力の作品なんでしょう。
前回、剣十字騎士団の団長が急に和睦交渉を提案してきたわけですが、どうも団長はブラックベル家の当主であるダイアナの兄が自殺したということを知らないみたいで、それでナベリウスが兄に化けてダイアナに同行して一緒に団長との交渉に臨み、マルバスやウィステリアも同行します。だが「今後悪魔と関わらないと約束すれば粛清はしない」という団長の提案をダイアナは「誇りを捨ててまで生きる気は無い」と拒否してしまい交渉は決裂し、それを見てマルバスは自分もダイアナの戦いを最後まで見届けたいと思い、ナベリウスも同じ気持ちなのだろうと理解する。
一方、交渉決裂も想定していた団長はスノーに命じてダイアナを狙撃させ、無益な戦争を回避しようとするが、ダイアナが誇り高き戦いをしていることを理解していたスノーは卑怯なやり方を嫌い、わざと狙撃を外してしまう。そのため団長に叱責されたスノーであったが、ここで剣十字騎士団の騎士たちも皆、悪魔に家族を殺された者たちが多かったりして、悪魔による犠牲者を減らすために誇りを持って戦っていることをスノーも実感したりする。
そして屋敷に戻ったダイアナとナベリウスは剣十字騎士団を迎え撃つ準備をするが、マルバスはダイアナがブラックベル家の誇りに殉じて死ぬつもりだと気付く。そして、そんなダイアナのことをナベリウスも気に入っていると言う。そして、それはマルバスも同じはじだとナベリウスは言う。
そうして戦いが始まろうとする時、安全地帯に退去したはずのウィステリアがやはり友達のダイアナの戦いを自分だけ安全な場所から見ていることなど出来ないと言ってその場に現れ、その結果、ウィステリアを守るためにという名目でマルバスも戦闘に加わることが可能となり、マルバスはナベリウスと共に戦うことを決意します。
そうして団長との戦闘となるが、団長はマルバスやナベリウスと同格の大悪魔アスタロトを捕らえて契約しており、アスタロトとマルバスが戦うこととなる。剣十字騎士団などと契約したアスタロトをマルバスは非難しますが、アスタロトは強い相手に屈して契約するのはむしろ悪魔としては正しく、むしろ弱い者に肩入れするマルバスやナベリウスの方が悪魔としては邪道だと非難する。これはどうも悪魔にも「どういう在り方が悪魔として誇り高いのか」という概念があるようです。その解釈は人それぞれが違うように悪魔それぞれで違うようですが、マルバスやナベリウスの持つ弱者に肩入れするような悪魔としての誇りは、滅びゆくブラックベル家に殉じて戦って死のうとするダイアナの誇りに相通ずるものがあるのでしょう。
悪魔というものは人を害するものであり、それを倒すのが剣十字騎士団の誇りだという考え方も確かに正しいが、そのために手段を選ばない団長の考え方も、それによって犠牲者を減らすという大義があり誇りもあるのだが、スノーのようにあくまで正々堂々と戦うべきという考え方も誇りある考え方といえます。そして一方で悪魔の側も、別に悪魔自体が本来人を害する存在というわけではなく、単に人よりも強大な力を持つ存在が人間が代償を払うことで契約を結んで使役されて、その契約者の人間の意思次第で人間に害を為すこともあれば人間に益をもたらすことだってあるというだけの存在です。だから悪魔にだって誇りはある。だから契約者が誇り高き者であれば悪魔だってそれに共鳴するのです。
そうして団長はダイアナの心を折るために屋敷に火を放ち屋敷は焼け落ちますが、ウィステリアの「ダイアナさんが忘れなければ家族の思い出は永遠に消えない」という励ましの言葉でダイアナは立ち直る。ウィステリアも目が見えなくなり全ての大事なものが目の前から消えても心の中でそれらを大切にして耐えているのだと思い、ダイアナは勇気づけられる。
だがダイアナは狙撃手の凶弾に倒れ、ウィステリアに自分は家族を失った悲しみから逃れるために誇りに縋っていたのだと打ち明ける。実はダイアナの兄たちは自分たちが悪魔を観る能力を持たないために王室から粛清されることを見越して、自分達の命を代償に捧げて大悪魔ナベリウスをダイアナと契約させてダイアナの護衛につけたのだという。そしてダイアナはブラックベル家の名を捨て安全に生きるよう言い残したのだが、ダイアナは家族を失い家名を失った悲しみの中で生きることよりも、誇りと共に戦って死ぬことを望んだのだという。しかし、どんな逆境でも心が折れないウィステリアを見て自分の弱さを自覚して、真の誇りというものを知ったが、時既に遅く、ダイアナは自分が望んでいた通りの死を遂げてしまったのでした。そしてダイアナを守り切れなかった自分への怒りでナベリウスは巨大化し、二度と元には戻れないという状態になってしまい、大変な状況になったところで次回に話は続きます。