2026年冬アニメのうち、2026年1月4日深夜に録画して1月5日に視聴した作品は以下の5タイトルでした。
青のオーケストラ Season2

第13話を観ました。
今回はクリスマスコンサート前の練習のお話の続きとなります。前回、オケ部と合唱部の合同クリスマスコンサートでオケ部員たちが合唱にも挑戦することになり、皆で合唱部と合同で「もろびとこぞりて」のコーラスの練習をしてみたところ、佐伯がとても上手で褒められて、一方で歌が苦手な青野はライバル心理を刺激されるという展開が描かれました。
それを承けて今回は12月の寒い冬の朝の登校時に佐伯が1人でスマホの音源で「アヴェ・マリア」を聴くという場面から始まります。「アヴェ・マリア」というタイトルの楽曲は多数ありますが、これはその中でも最もポピュラーな「グノーのアヴェ・マリア」という曲です。1859年にフランスの作曲家のシャルル・グノーがバッハの曲を伴奏にしてラテン語の聖句「アヴェ・マリア」を歌詞に用いて完成させた歌曲です。
ここで佐伯が聴いている音源はその「アヴェ・マリア」の原曲である「ピアノ伴奏+歌唱」で構成されているものだが、後の場面で佐伯と青野の2人でこの曲の歌唱部分の旋律をヴァイオリンが奏でるよう編曲されたバージョンの練習シーンもある。ここで2人は楽譜を見ながら練習しており、更にこのバージョンに歌唱を加えたバージョンも存在しているので、おそらくクリスマスコンサートで演奏される「オケ部が演奏して合唱部が唄う」という方の曲はこの「アヴェ・マリア」の「ヴァイオリン+合唱」のバージョン、あるいは更に編曲してオケ部全体で演奏して合唱部が唄を合わせるというバージョンなのかもしれません。
「アヴェ・マリア」は海外では結婚式や葬式の定番曲でありますが、クリスマスソングとして使われることもありますので、クリスマスコンサートで演奏するにはピッタリの曲といえます。もともとこの曲の歌詞として使われている聖句「アヴェ・マリア」はカトリック教会における聖母マリアへの祈祷の文句でした。歌詞の冒頭部分は「ルカによる福音書」の中の「大天使ガブリエルがマリアに受胎告知の挨拶を行う場面の冒頭の句」であり、つまり簡単に言えば神の御子イエスの誕生を祝う言葉です。イエス・キリストの誕生日がクリスマスということになってますから、この曲もクリスマスのお祝いの曲として確かに相応しいといえます。そういうわけでクリスマスコンサートで選曲されているのでしょう。
ただ、間接的に「イエスの誕生」を祝う曲ではありますが、この曲は直接的には聖母マリアへのお祝いの唄といえます。カトリック教会では昔から聖母マリアへの信仰が根強いので、聖母マリア信仰の唄と言っていいでしょう。その聖母マリアといえば「父親無しにイエスを私生児として産んだ女性」ということになり、なんだか佐伯の母親と似た境遇ともいえます。佐伯の父親は青野の父親であるバイオリニストの青野龍仁であり、ドイツでソプラノシンガーをしている佐伯の母親は龍仁の浮気相手だったのだが、佐伯を私生児として産んだ。龍仁は佐伯を自分の子供として認知していない。そもそも自分の息子として佐伯の存在を認識していたのかどうかも不明ですが、龍仁のスキャンダルがさんざん報道された時に隠し子の存在も報道されていると思われるので、少なくとも現時点では龍仁も息子が生まれていることは承知しているはずです。
ただ、何にしても佐伯と龍仁にはこれまで一切の接触は無く、佐伯は自分のことは「私生児」だと認識している。だから佐伯はイエスと似ていなくはない。そして佐伯の母は聖母マリアに似ていなくはない。厳密にはマリアは処女受胎で神の御子を産んでいるという設定だから全然違うんですけど、そんなことは佐伯も重々承知ではあるんでしょうけど、登校時に「アヴェ・マリア」を聴きながら、ついドイツに残してきた母親のことを思い出します。
その理由の1つは、前回も描かれた「もろびとこぞりて」の合唱の練習時に皆に「唄が上手い」と褒められた際に母親のことを久しぶりに思い出していたからだった。佐伯は子供の頃から毎日、ソプラノシンガーであった母親が家で発声や歌唱の練習をしているのを見てきたので、そりゃあ他の人よりは歌については詳しい。遺伝もあるだろうし、普通の人よりは上手であるのは当たり前だった。皆に歌を褒められて、佐伯はそうした自分の過去をつい思い出し、母親のこともつい思い出した。
それに加えて、こうして「母の愛」が主題となっている「アヴェ・マリア」を聴き、その女性シンガーのソプラノボイスが母親のそれを思い出させ、更に冬の朝の厳しい冷え込みがドイツの田舎町で過ごした厳しい冬を思い出させる。こうして早朝の通学路を歩いていると他に人影も見えず静かで、どことなくあのドイツの田舎町の冬を想起させるのです。そしてその寒さの中で自分に温もりを与えてくれた母のことをついつい思い出させる。
そんな想い出に懐かしさを覚えつつ、佐伯はその想い出に対して何故か否定的な解釈をし始める。子供の頃から祖父にバイオリンを教えられていた佐伯は、当初は母親に上手くなったのを聴いてもらいたくてバイオリンの練習に励んでいた。しかし母親はシンガーの仕事が忙しくて家を留守にしていることが多く、なかなか佐伯はバイオリンを聴いてもらえなかった。そんな頃のことを思い出して、「今にして思えば」佐伯は「母親は自分の存在が迷惑だったのかもしれない」と考える。
シンガーとして成功したいと思っていた母親は息子に構っている時間はもったいなかったに違いない。そもそも、もともと産みたくて産んだのではないかもしれない。青野龍仁と関係を持ち、捨てられて妊娠していると分かって、堕胎することも出来ず仕方なく産んだだけなのかもしれない。だからあまり息子を愛していなかったのかもしれない。ましてやその「龍仁の息子」が自分を捨てた龍仁と同じバイオリンを弾いて自分に聴かせようとしてくるなんて母にとっては苦痛でしかなかったかもしれない。
そんなふうに佐伯が考えてしまう、それに足るだけの冷たい態度が母親にはあったのも事実ではある。実際、母親が佐伯に構う時間が少ないことで祖父母が非難してよく親子喧嘩をしていた。その挙句に佐伯は最終的には祖父母のもとで暮らすようになったのだが、佐伯はそこに至るまでずいぶん長く抵抗していた。その理由は「母親を1人にしたら可哀想だから」というものだった。しかし「今にして思えば」それも自分の一方的な想いだったのかもしれないと佐伯は思う。
自分は本当は母親に愛されていないかもしれない。そんなふうな不安が根底にあったから、バイオリンを上手く弾いて母親の歓心を買いたかったのだ。本当は母親に愛されていないと認めたくなかったから「母親は自分と一緒に居たいと思っているはずだ」「だから自分が出ていったら母親が悲しむ」と、そう思い込もうとしていたんじゃないか。そんなふうに佐伯は考えて、母親と暮らしたドイツでの日々がつまらないもののように思えてくる。だが同時に、こうして千葉の冷たい朝の空気の中を歩いていると、無性にあの息苦しいほど冷えた空気の中で暮らしていたドイツでの日々が恋しくもなってくる。そう思わせてくれるだけの、寒さの中で母親が与えてくれた温かい想い出だって実際は幾らでも存在はしていたのだ。
ここの場面の佐伯の心情は一見すると不可解です。確かに佐伯の母親は完璧な母親ではなかったかもしれない。でも確かに佐伯に対して愛情は抱いていたはずです。それなのに佐伯はあえてそれを否定して、ドイツでの思い出の価値そのものを否定しようとしているように見える。いや厳密に言えば「そうしようとしていた」といえる。佐伯は意識的にドイツでの思い出を忘れようとしていたのです。ところが「もろびとこぞりて」の合唱練習をきっかけに母のことを久しぶりに思い出してしまい、更に「アヴェ・マリア」を聴いたことでより鮮明にドイツでの日々を思い出して恋しく思えてしまった。だから佐伯はあえてドイツでの日々を無価値なものであったかのように歪曲して自分に「あんなものは忘れた方がいい」と言い聞かせようとしているのだ。
どうして佐伯がそのような歪な考え方をするようになってしまったのかというと、それは青野のせいだと言っていい。第1期で青野の母親が過労で倒れてしまった際に佐伯が青野に対して明かした自分の過去の話によれば、佐伯はドイツで自分が青野龍仁の隠し子だと知った後、一緒に暮らしていた祖父の死によって祖母が故郷の日本に帰国することになり、それに同行することになったが、その際に自分と同い年のもう1人の青野龍仁の息子である青野一に会いたいと思っていた。
ところが佐伯が来日した直後に青野龍仁のスキャンダルが発覚して、結果的に佐伯とその母親のせいで青野家は崩壊してしまい、青野も失意の中でバイオリンを辞めてしまった。それで責任を感じた佐伯は青野に顔を合わせられなくなってしまい、日本の中学でもバイオリンを続けた佐伯は青野が出場しなくなったバイオリンの各種コンクールで優秀な成績を残して海幕高校に進学してオケ部に入部した。だが、そこに再びバイオリンを始めた青野も入部してきており、2人は佐伯の意図しない形で出会うことになったのでした。
佐伯は自分の真実を青野に打ち明けるべきかとずいぶん迷ったが結局打ち明けることが出来ないまま日々は過ぎていき、青野の方はそんな事情は知らないので佐伯のことを良きライバルだと認めて刺激を受け、充実した日々を送っていた。ところが青野の母親が倒れてしまい、青野はそれまでオケ部の皆には黙っていた自分の家族の話を佐伯たちには打ち明けた。それを承けて、佐伯は青野が勇気を出して自分の家庭の真実を打ち明けてくれたのに、自分だけが真実を隠したままなのはフェアではないと思い、遂に青野と2人きりになって自分の真実を打ち明けたのでした。
だが、それを聞いて青野は激怒してしまい2人の関係は一旦壊れてしまった。佐伯は「やはり青野くんは俺を嫌いになってしまったんだ」と絶望したが、青野が改めて佐伯を呼び出して伝えた真意は意外なものだった。青野は佐伯のことを嫌いになったわけではなかったのです。むしろ青野は佐伯のことを本当に良きライバルでかけがえのない友人だと思っており、その関係を守りたいと思っていた。だが同時に父親のことは絶対に赦せないし、自分と母親を苦しめたスキャンダルに関するもの全てを忌避していた。だから佐伯がそのスキャンダルの元凶であると打ち明けたことで、青野は「佐伯との良い関係を佐伯によって壊された」ということに激怒していたのです。
「海幕高校で出会った良きライバルで友人」であったはずの佐伯が突然に「過去の因縁」に豹変したことに青野は腹を立てていた。酷い裏切りだと思った。だから青野は佐伯に「過去の因縁なんか抜きにして、今のお前として今の俺に接してほしい」と頼んだ。佐伯はそれを受け入れた結果、過去の経緯については忘れて、現時点の自分として現時点の青野に全力でぶつかるようになった。それまでは青野に対して煮え切らない態度が多かったが、青野に対して感情を真っすぐぶつけることも出来るようになり、オケ部内でも控えめだった佐伯の感情表現も以前よりは豊かになった。
しかし、その代償に佐伯は「過去のことは忘れた自分になろう」と心がけて、ドイツに居た頃の過去のことを考えないようになった。佐伯のドイツでの思い出といえば、主に家族との想い出だが、母親のことにせよ祖父母のことにせよ、そのどれもが青野龍仁と絡んでくる。そうしたドイツでの思い出を引きずった自分のままで青野に接してはいけないと佐伯は考えた。だからドイツに居た頃のことはあまり考えないようになり「早く忘れてしまおう」と思っていた。実際、忘れてしまっても実生活の上でほとんど支障は無かった。だが、想い出はその人間の情緒を形成する重要な要素ですから、そのぶん、やはり佐伯の感情は乏しいものになってしまっていた。
前回、鮎川先生が佐伯についてまだ物足りないと言っていたのはこういうところであった。今回も登校してオケ部の部室に1人で居た佐伯のところに鮎川先生が来て会話をすることになったが、昨日の合唱練習で佐伯の評判が高かったという話を聞いていた鮎川先生が佐伯にそのことを言うと、佐伯はまた母親のことを思い出すのでその話題には乗り気にならず「みんな大袈裟ですよ」と軽く流す。
だが鮎川先生は「褒められたら素直に喜べ」と佐伯に注意する。鮎川先生が言いたいことは単に佐伯の謙遜が見え透いているというだけではなく、「褒められて嬉しいという記憶が残った方が自信に繋がって歌や演奏がより良くなるからだ」と鮎川先生は佐伯を諭します。そして「もっと感情を表に出せ」とも言う。つまり佐伯がどうも無理に自分の感情を抑えて表に出さないようにしており、それが良い演奏をするのに妨げになっているということを鮎川先生は心配しているのです。
「でも前よりだいぶマシにはなった」とも鮎川先生が言っているところを見ると、どうやら鮎川先生は入部当初から佐伯の「無理に感情を抑えるクセ」は心配していたようです。入部当初はかなり酷くて、最近はそれに比べるとだいぶマシになったと鮎川先生は見ているのだが、それは要するに入部当初は青野にどう接したらいいのか分からず戸惑っていたが、夏に青野に過去を打ち明けた結果「過去を切り捨てて青野に素直に接することが出来るようになった」という意味で「マシになった」ということを表している。但し、それでもまだ鮎川先生から見たら佐伯が完全に感情を表に出せてはいないと見えているのは、やはり「過去に関する感情を切り捨ててしまっている」からに他ならない。
ただ佐伯としては「今の時点で青野くんと素直な気持ちで交流するためには過去は忘れるべきだ」と思っているので鮎川先生の「嬉しいという記憶が残った方が演奏が良くなる」という言葉に反発するように「過去の楽しかった記憶だって、どうせいつかは忘れてしまうものですよね」と言い返す。だから今褒められて嬉しかったという記憶だって、どうせ将来は忘れてしまって演奏に活かすことだって出来なくなるんじゃないかと佐伯は反論したわけです。
佐伯としては今の自分の演奏を良くするものは現在の青野とのライバル関係なのであり、過去の記憶などではない。青野とのケースのように、現在の人間関係をより良くするために過去の因縁はむしろ邪魔になることだってある。将来だってきっとそうなのだ。だったら過去の記憶をいつまでも覚えておくことよりも、現在の目の前の相手との関係の方を重視する方が演奏を良くするにも人生を有意義にするためにも必要なのではないかと佐伯は思っているのです。
それに対して鮎川先生は「記憶はいつか忘れていくもの」という佐伯の言葉を否定はしなかった。「おそらく忘れていくんだろう」と鮎川先生は言う。何を忘れたかは具体的には分からない。忘れてしまったものが何であったのか、もう思い出すことは出来ないからだ。「知らないうちに自分の中で消えていった記憶も多いんだろうなと思うよ」と鮎川先生は過去の失われた記憶を惜しむようにしみじみと言う。しかし続けて先生は「でも、そういう忘れていったものこそ、今の自分の血肉になっているんじゃないか?」「そういう意味では完全に忘れるってことは無いのかもしれないな」とも言う。
確かに過去の出来事を詳細にずっと覚えていることは出来ない。どんな出来事だったのかすらいつかは曖昧になってしまうだろう。でもその経験はその人物を形成していく糧となり、その人物そのものの一部となって影響は残り続ける。だから「完全に過去を消す」なんてことは不可能なのだ。その出来事の詳細を語る言葉は失われていくが、何かモヤモヤした感情は残って積み重なっていく。佐伯の場合、無理に過去を忘れようとしているので実際は詳細はまだ覚えているのだが、それでも青野の前でそれを言葉にして語ることはもう出来ない。でもやはり今朝のように感情が一気に湧き上がってくることもある。それを押さえ込まなくてはいけないと思うあまり、佐伯の感情はまた表に出しにくくなってしまう。
そこに青野が朝練のために部室に入ってきたタイミングで、鮎川先生は佐伯に「お前にはそれがあるだろ」と言って佐伯の脇に置いてあるバイオリンに視線を向ける。そして「演奏に乗せてみろ」と言って部室を出ていく。もし記憶の詳細を語る言葉を失ってモヤモヤした感情だけが心の中の自分の血肉の中から浮かび上がって来て持て余しているのなら、その感情こそ演奏に乗せてみればいい。そのための楽器と、それを弾きこなす腕前が佐伯にはあるはずだと、鮎川先生は諭してくれたのです。
それを聞いて佐伯は「そうか、演奏に詰め込んでいいんだ」と気付く。これまで青野のために「過去を忘れよう」と必死になってきたが、鮎川先生に「忘れた記憶は自分の血肉になるから完全に過去を忘れることは出来ない」と諭されて、自分の今までの行為は徒労だったと分かった。いくら忘れようとしても今朝みたいに過去に関する感情が湧き上がってくるのが止められないのも納得だった。自分の血肉に変わってしまっているのでは仕方がないことだったのだ。でも言葉にして語ることは出来ない。許されることではないし、既に自分自身がそれを語る言葉を見失ってしまっているかもしれない。残るのはモヤモヤした感情だけだ。それならば、演奏に詰め込んでしまえばいい。演奏に詰め込んでしまう分には青野にも迷惑はかけないで済む。
そう考えて佐伯は青野に「練習に付き合ってほしい」と頼み、冬の朝の校舎の寒い廊下に出て、2人で「アヴェ・マリア」のバイオリンの演奏の練習をすることにした。青野は「なんでわざわざこんな寒いところで練習するんだよ」と抗議するが、佐伯は「故郷の寒さを思い出すかと思って」と答える。そうやって出来るだけ故郷のドイツの田舎町で暮らしていた頃の感情を思い浮かべて演奏に乗せようと考え、佐伯は青野と共に「アヴェ・マリア」を弾き始める。
そうして演奏していると、理性で屁理屈をこねて貶めようとしていた過去の記憶は佐伯の奏でる音の中に本来の美しい姿を取り戻していく。冬の静寂の中、数々の優しい記憶があったことが思い出されていく。佐伯はそれらの記憶たちに「忘れないよ」と優しく声をかける。言葉にして残したいとはもはや思っていない。「一音、一音、俺の中に刻むから」と、佐伯は自分の血肉と化した演奏の中にこれからもそれらの記憶を永遠に刻み込もうと誓うのでした。
そして、青野も佐伯の演奏が急に柔らかく感情が豊かになって良くなったことに驚いていた。それで思わず佐伯の演奏に見入ってしまうが、佐伯は自分が過去のドイツでの暮らしを思って弾いている演奏が青野を魅了していることが何とも言えず嬉しかった。以前に自分のドイツでの過去の話をした際に青野は激怒し、それは現在の自分たちの関係にとって邪魔でしかないと忌避していた。その青野が言葉ではなく演奏に感情を乗せたら全く違う反応をしていることが佐伯には面白かったし嬉しかった。演奏の力というものを知ることが出来たとも思えたし、青野に自分の故郷の良さを理解してもらえたように思えて素直に嬉しかった。
ただ、廊下での練習が終わって部室に引き上げてきた際に青野がさっき佐伯が「故郷の寒さを思い出すため」とか言ってたことを思い出して「故郷ってドイツのことか?」と佐伯に質問してきて「ドイツでの暮らしはどんなだった?」と聞いてきたのは、これはやはり佐伯の演奏の力だけではないだろう。青野自身も以前とは変わってきているのだ。
思えば青野も秋のコンクールの前に「バッカナール」の主題である「怒り」の解釈を突き詰めた際に、父親の龍仁に対する感情は変化している。「自分にとって大切な存在だったからこそ裏切られた怒りが激しかったのだ」と理解できるようになった。だから自分自身を知るためには父親から逃げ続けるわけにはいかないことももう分かっており、佐伯の過去に対する拒否感も以前ほど激しいものではなくなりつつあるのだ。だから佐伯はそんなに苦しむ必要は無かったのだが、その苦しみがあったからこそ佐伯の演奏は一皮剥けたのだと言っていいでしょう。そうした佐伯の頑張りに青野はじめオケ部の皆も合唱部の皆も刺激を受けて準備万端整ってクリスマスコンサート当日を迎えたところで今回のお話は終わり次回に続きます。
花ざかりの君たちへ

第1話を観ました。
この作品は1996年から2004年にかけて「花とゆめ」で連載されていた学園少女漫画が原作。2007年には「花ざかりの君たちへ~イケメンパラダイス」というタイトルで実写テレビドラマ化されており、堀北真希の男装とイケメン若手俳優総出演で話題となったので、こっちの方が有名かと思われるが、アニメ化は意外にも初めてみたいですね。テレビドラマの方はぶっ飛んだ内容で大人気となったが、バカバカしく荒唐無稽ではあるものの何だかんだ話の方も名作だったと思うので、アニメ化しても割と見れる内容になるんじゃないかと思う。ただ、やはり古いといえば古い。良い意味で古くて、今では考えられないような荒唐無稽な設定を押し通してしまえるエネルギーは確かにあるのだが、それでも全体的に古さは感じる。あまりに古すぎて実写版と比較されて貶されるということもなさそうなので、それは良いとは思うが、まぁどうなるか様子見ですね。まぁこの作品はもちろん正統派少女漫画的な魅力も十分ありますが、やはり全体的なバカバカしさを楽しめるかどうか次第でしょう。
第1話の話の中身の方はやっぱり面白かったですよ。主人公の芦屋瑞稀は高校1年生の女の子なのだが、何故か全寮制の男子校である桜咲学園にわざわざ髪を切って男装して編入してくる。一体どうやって女子だとバレずに編入して来れたのかよく分からないが、なんか海外からの編入生だという。それで、なんで瑞稀がそんなことをしてるのかというと、どうも瑞稀は陸上競技をやっていたらしくて、日本の高跳びの有名選手だったらしい佐野泉という男子生徒のファンみたいであり、その佐野が通う桜咲学園に編入して佐野と友達になりたかったようです。今の時代なら立派なストーカーなんですが、まぁ20世紀はおおらかな時代だったのでこういうのはセーフでした。
今回のラストシーンでさっそく校医の梅田というイケメンメガネに女子だとバレて事情を問い詰められてたので、次回あたりで瑞稀の異常な行為の詳しい経緯や理由も明らかとなるでしょう。とにかく今回は瑞稀が桜咲学園に編入してきて、クラスでは中津という関西弁のお調子者に気に入られ、中津は色々と世話を焼いてくれる。中津は瑞稀をもちろん男子だと思っているので高校1年生の男子同士の会話の当然の流れとして猥談ばかりしてくる。瑞稀は別に「男子になりたい」とか思って男子校に通ってるわけじゃないので心は乙女のままであり、中津の猥談は耳が腐りそうで非常に嫌なのだが我慢して聞くしかない。
一方で憧れの佐野とは寮で同室となり、てっきり寮は個室だと思っていた瑞稀は焦る。お近づきになれたのは嬉しいが、いくら何でも近すぎると思い、やっぱり女子なので男子と同室は意識してしまう。いや下調べが杜撰すぎるだろ。ただ佐野は瑞稀がいきなり「好きです!友達になってください!」なんて言ったので、瑞稀のことをホモだと思って気持ち悪がる。その後、その誤解は解けてちょっと仲良くなれたが、佐野はどういうわけかもう高跳びは辞めているらしい。瑞稀はショックを受けるが、佐野は事情を語ろうとはしない。
そんな中、体力テストで瑞稀が校内で一番足が速いことが判明し、運動部がこぞって瑞稀をスカウトに来る。だが女子だとバレるリスクが高いので瑞稀は誘いを断って逃げ回る。しかしもともと校内で一番足が速いことが自慢だったサッカー部のホープである中津は瑞稀にサッカー勝負を挑み、「男なら勝負から逃げない」と挑発された瑞稀は「断ったら男子じゃないと疑われるかもしれない」と思って勝負を受ける。しかし中津の激しいボディチェックで倒れて気絶してしまった瑞稀はちょうど勝負を見物していた佐野と中津によって保健室に運ばれ、そこで校医の梅田に女子だとバレてしまう。佐野と中津を帰らせた後、梅田が瑞稀を問い詰めたところで今回のお話は終わり、次回に続きます。まぁしばらく様子見でしょうね。
違国日記

第1話を観ました。
この作品は「FEEL YOUNG」というヤング女性向け漫画雑誌で連載されていたヤマシタトモコさん作の漫画が原作であり、既に原作は完結しています。主人公は高代槙生という35歳の人見知りの女性小説家で、突然の交通事故で亡くなった姉の娘である15歳の中学3年生の田汲朝を引き取って2人で暮らし始める。そうした2人の交流を描いていく作品のようですが、今回はこの2人が暮らし始めた経緯が描かれました。とにかく空気感が最高で、初っ端からかなりのお気に入り作品となりましたが、話の内容はここから更に面白くなっていきそうなので、いきなり最高評価するのは躊躇してしまう作品です。言い換えれば、最高評価してしまいたくなってしまってるということ。
まず冒頭は槙生と朝が2人で暮らしている場面から始まる。朝が台所で食事を作っており、槙生は書斎でパソコンに向かって何かを執筆している。台所やそれに隣接するキッチン兼リビングのような空間は小奇麗に片付いている。一見普通に見えるが、これは2人で暮らし始めて一定期間が経過した場面であり、後で描かれる朝が初めてこの部屋に来た場面では台所も何もかももっと乱雑であったことが分かる。その荒廃した時期の名残は槙生の書斎には残されており、デスクの周りには本が乱雑に積み上げられており、槙生という人が整理整頓の出来ないダメな大人であるということが分かる。
ただ部屋の荒廃っぷりに比例して槙生の性格も破綻しているというわけではないようです。いや、ある意味変わり者だし、あるいは朝と暮らすようになって変化した部分なのかもしれないが、明らかに執筆作業の邪魔にしかならなさそうな朝が料理しながら歌う素っ頓狂な歌に対して、槙生は遮るような声を発し「キレるんじゃないか?」と視聴者を予想させますが、「ジャスティン・ビーバーを唄ってほしい」と変なリクエストをする。明らかに変な人なのだが、子供の変な行動に対して高圧的にキレたりしない人であることは分かる。
朝がベッドで寝ずに槙生が作業している書斎で寝ようとしても、邪魔者扱いせずにわざわざ部屋の灯りを落としてくれたりする気遣いも見せてくれる。そんな叔母のことを朝も「槙生ちゃん」と気安く呼び、槙生の大人げない行動に対してツッコミを入れたりする、生意気な態度は見せるものの、実際のところ朝はそうして槙生の傍で寝るのがお気に入りなのである。「私は1人、違う国の女王の玉座の片隅で眠る」「私の好きな夜」だと朝は言う。
そうしてOP曲の後、槙生と朝が一緒に暮らすようになる前に戻って本編が始まる。冒頭の場面とは打って変わって乱雑に散らかったリビングを通って外出する槙生は電車の中でスマホでネットニュースを聞きながら、自分の姉夫婦が事故死したことを知ります。しかし槙生は全く驚いた様子も悲しそうな様子も見せず、そんな槙生を非難するように亡くなったばかりの姉の実里の霊が現われて槙生に「何か言うことないの?」と問い質す。それに対して槙生が返答もせず睨み返すと、実里は「アンタがダメだから言ってやってんの、姉として」と高圧的に説教する。
もちろん実際に実里の幽霊が化けて出たわけではない。槙生の中の実里のイメージがそういう感じということです。姉妹仲はずいぶん悪かったようであり、その原因は槙生がダメな人間であり、そんな槙生のダメなところを実里が常に高圧的に否定していたからなのでしょう。そんなふうに決定的に関係の破綻していた姉の死に対して槙生は悲しみなど湧いてはこないし、何の感情も湧き上がってはこない。
ただ、それは別に槙生だけではないようです。槙生はまだ険悪だったぶん、実里への想いはある方なのかもしれない。警察署に行くと槙生と実里の実母の反応はもっと冷淡に見えた。いや案外、離れて暮らして最近はあまり会っていなかった四十路の娘が突然に事故死したと聞いたらこんな反応がリアルなのかもしれないが、諸々の手続きに追われて疲れており、実母にしてみれば遅れて駆けつけた槙生なんかよりもよほど自分の方が亡き娘のためにやるべきことをちゃんとやっているという感覚なのかもしれません。1人だけ車から離れていたので事故死を免れて生き残ったという実里の娘の朝を槙生に家に泊めてやるようにと押し付けて居なくなってしまいます。
部屋が散らかっているし予備の布団も無い槙生は嫌がり「ホテルをとる」と言うが、母親は「薄情なことを言うもんじゃない」と槙生を叱る。両親が亡くなったばかりで突然に天涯孤独になってしまった15歳の娘を1人でホテルに泊まらせるなんて、確かに薄情です。そんなことにも気が回らない槙生は確かに世間知が無いダメ人間であり、そんなダメな娘を叱った母親は自分は立派だとでも思っているのかもしれないが、そんな危なっかしい娘に可哀想な境遇の孫娘を押し付けて帰っていく母親もずいぶんと薄情なものです。そんなに気が回るのなら自分の家に泊めてやればいいのに。
槙生と朝は朝が小さい子供だった頃に一度会ったきりであったようですが、朝は辛うじて槙生のことを覚えてはいたようです。2人はとりあえず警察署から食事に出かけ、槙生は朝に優しい言葉をかけたりはしなかったが、たくさん食べさせ、ゆっくり休ませようと気遣いはします。そして朝が悲しんでいるかどうかを気にかけ、朝がまだドタバタしていて悲しみの実感が湧いてきていないことを知り、そしてそのことを「いけないこと」だと朝が考えて気が引けていることも察します。
それに対して槙生は「別に変じゃない」と言ってやり「悲しくなる時があれば、その時に悲しめばいい」と諭してやる。そして自分も姉が嫌いだったから全く悲しくないと打ち明ける。子供の落ち度を指摘するために自分の落ち度を見て見ないフリをするのはフェアじゃないと思うからだ。そこは槙生は母親とは違うし、亡き姉とも違うのかもしれない。
ただ1人残された朝が気の毒だと思うので、そういう意味では姉の死は悲しいとは槙生は言う。ただ「気の毒」とは言いつつ、やはり槙生は朝に優しい言葉をかけたりはしない。その代わりに「日記をつけるといい」とアドバイスする。誰が朝に何を言い、何を言わなかったか、朝が何を感じ、感じなかったのか、それを日記に書く。いつか、それが朝にとっての灯台になると槙生は言う。あくまで朝を前に進ませるのは朝自身の言葉であり、他人の見せかけだけの優しさの言葉ではないということです。
そして葬儀の日、朝の父親の方の親族は誰も来なかった。そして母親の実里と朝には血縁関係が無いことも分かる。そもそも夫婦の苗字も違うし、法的には婚姻関係ではなく内縁の夫婦だったようです。朝は父親の連れ子であり、母の実里とは血は繋がっていなかった。そのことはおそらく槙生やその母親は知っていたのでしょうけど、朝が知っていたのかどうかは分からない。知っていた可能性は高いとは思うが、さすがに朝も自分と血の繋がった父親の親族とは既に関係は絶たれており、血の繋がらない母親の親族からは厄介者扱いされるようになるとまでは予想していなかったでしょう。
実里の親族たちは朝を厄介者を見るようにヒソヒソと噂話をして、朝は親族にタライ回しにされた挙句に行き場が無くなる未来が見えてくる。まだ両親の死の悲しみは実感できない。いや、それどころではない。ここで初めて朝は天涯孤独になってしまったことを実感する。砂漠の中でたった1人放り出されて、喉がカラカラに乾いている。タライいっぱいの水を飲みたくなるが、そういえばタライというのはどんな漢字を書くのかも分からない。
そんなふうに周囲の雑音に耳を塞ぎ自分の世界に閉じこもって砂漠の中を歩いていると、槙生が朝に声をかけてきて、朝は涙を流して「タライをどう書くのか分からない」と言う。周囲の親族は朝が泣いているのを「親が死んで悲しいから」だと解釈して優しい言葉をかけて慰めようとするが、槙生は朝が「周囲の冷たさに孤独を感じているから」泣いているのだと理解し、自分の偽りの優しさを押し付けようとはしない。
「私はあなたの母親が心底嫌いだった」「だからあなたにも思い入れは無い」「あなたを愛せるかどうかも分からない」と正直に伝えた上で、槙生は「でも15歳の子供はこんな醜悪な場所に相応しくない」「あなたはもっと美しいものを受けるに値する」「私は決してあなたを踏みにじらない」と言い、朝を家に連れて帰る。ついでに「タライ」は「盥」と書くということも教えてくれた。こうして2人は一緒に暮らし始めることになったのだ。
槙生は自分がダメな人間だったゆえにずっと「孤独」であり、「孤独」の中で自立する人生を送ってきた。「孤独」ゆえに自分が踏みにじられることは許せなかったのだ。自分の「孤独」を誰にも踏みにじらせたくなかった。だから朝の「孤独」が周囲の心ない大人たちによって蹂躙されることがどうしても見過ごせず、人見知りでありながら、つい勢いで朝と暮らし始めてしまった。そしてそうした周囲とは違う世界に孤高に君臨する「孤独な国の女王」である槙生の傍が朝にとってのお気に入りの場所となったのでした。そういう感じで今回のお話は終わり、次回に続きます。
拷問バイトくんの日常

第1話を観ました。
この作品はヤングアニマルWebで連載中の漫画が原作ですが、拷問や殺人が合法化された世界観で、悪人を拷問して情報を聞き出す業者でバイトをする若者たちの仕事ぶりを描くブラックコメディみたいです。ただ、こういうのはギャグが笑えないと成立しないタイプの作品なんですが、私は今回見てどうも全くこの作品のギャグが笑えなかった。拷問をやってるからとかいう問題以前に、根本的にギャグセンスが合わないみたいです。こういうタイプの作品じゃなければ、それでも他に活路は見出せたんでしょうけど、こういう作品なので、ギャグが笑えないとただただキツいだけ。そういうわけでどうもこの作品は自分向きじゃないと思ったので1話切りさせていただきます。
魔術師クノンは見えている

第1話を観ました。
この作品はなろう系ラノベが原作の異世界ファンタジーみたいです。遥か昔の魔王との戦いで勝利した英雄の子孫には時折、身体の何かが欠落した子供が生まれるという世界観になってます。その英雄の子孫として侯爵家の次男として生まれたクノンは生まれつき目が見えない。しかし魔術の才能に長けたクノンは水魔術で代用の目玉を作ればいいと思い立ち、そこに希望を見出して性格も明るく変わっていく。そういう第1話でした。メイドのイコがなかなかぶっ飛んだ性格で、その影響を受けてクノンも軽薄な紳士に成長していきます。そうして軽妙な遣り取りが増えてきて、当初は暗い話なのかと思っていたんですが、なんかライトなコメディみたいになってきました。なろう系ラノベ好きな層にはこういうの面白いんだろうとは思うんですが、ちょっと個人的には軽すぎるというか、子供向けコメディという印象。ちょっと対象年齢から外れてるのかなと思えたので、この作品は1話切りさせていただきます。