2026年冬アニメのうち、2月22日深夜に録画して2月23日に視聴した作品は以下の5タイトルでした。
正反対な君と僕
第7話を観ました。
今回は鈴木たち同じ中学出身者が近所の公園に集まって理人が中学時代を懐かしむ話を延々聞かされる。そうした話を山田が谷や平にしたところ、谷がもう鈴木と理人が一緒に遊んでいても気にしていない様子なのを見て、平は自分だけ取り残されているように思って落ち込む。更に山田も文化祭以降妙に上機嫌な様子なので、平は山田が「連絡先を聞きたい人がいる」と言っていた相手と何か進展があったに違いないと思って妬み、そんな自分に自己嫌悪する。
実際、山田に何があったのかというと、前回の文化祭のエピソードで山田が写真部の展示スペースで西さんとバッタリ会った場面が描かれて、その続きが描かれていませんでしたが、今回その続きが描かれました。あの時、山田は西さんと一緒に写真部の展示を見ましたが西さんが黙ってしまい会話が上手く続かず、山田は自分が考え無しに行動してしつこく連絡してしまい西さんが迷惑に思ったのかと思って謝る。だが、それを聞いて西さんは自分はスマホとか使い慣れないのでどう返信したらいいか、失敗が怖くて考えすぎてしまい返信がなかなか出来なかったのだと言って謝り「でも嫌だったわけじゃないんです」と言い「私はもっと考えすぎないようになりたい」と山田に伝えた。それを聞き、山田は自分と西さんは正反対だと気付く。そして自分は細かいこと何にも気にしてない人間だから「俺で失敗したらいい」と言ってくれる。それで西さんは気楽になり、2人の仲はちょっとだけ前進していたのだ。
それ以降、山田と遭遇するとドキドキしてしまうようになった西さんだが、山田にドキドキしているのか、山田に失敗覚悟で思い切って話しかける状況にドキドキしているのかよく分からなくなってしまう。ただ、そのことを相談された本田は「シチュエーションに萌えてても問題ない」と指摘する。何故なら、どうせ西さんは山田以外に話しかける男子が居ないから「山田以外でもドキドキするかもしれない」という仮定で悩むのは無意味だからです。それならば現実に山田に話しかける状況に対して自分がどう思っているのかを考えた方がいい。それならまずは緊張せずに山田と話せるようになり、そうすればそのドキドキが何に対してのドキドキなのか分かってくるようになると本田は西さんに助言します。
その日の放課後、図書委員の仕事が終わって谷と一緒に廊下を歩いていた西さんは鈴木たちに誘われて一緒に下校することになり、山田とも一緒になる。そこで山田の言うことが面白くて笑っているうちに緊張がほぐれてくるが、それでも山田を見ているとドキドキしてしまう。それで、やっぱりこれはシチュエーションにドキドキしているのではなくて山田にドキドキしているのだろうかと思えてきてどんどん恥ずかしくなってくる。
翌朝、登校していて下駄箱のところで谷にバッタリ会って挨拶した西さんは谷の背後に鈴木と山田が登校してきたのが見えて、山田に対するドキドキした気持ちで動揺して顔を真っ赤にして走り去ってしまう。すると、その後、鈴木が鋭い目つきで谷に西さんのことをしつこく追及してくるようになる。谷はそのことが気になって平に相談すると、平は「その図書委員の子と浮気していると思って嫉妬されてるに決まってる」と言う。
谷はそんなことで鈴木がモヤモヤしているなら解消しなければいけないと思ってモヤモヤし、一方で西さんは山田の顔を見て逃げてしまったことを反省し、ちゃんと話しかけようと思ってモヤモヤする。そうして2人ともモヤモヤしながら図書委員の仕事を終えて下校すると校庭で鈴木や山田たちがシャボン玉で遊んでいて、鈴木が駆け寄ってきたので谷が西さんとは何も無いのだと説明しようとすると、鈴木はいきなり西さんをシャボン玉遊びに誘う。
実は鈴木は昨日の下校時の山だと西さんを見て、山田の好きな相手が西さんだと気付いていた。更に今朝、西さんが山田の顔を見て真っ赤になって逃げたのを見て2人が両想いだと確信し、2人をくっつけてやろうと画策して鋭い目になり、それで西さんと同じ図書委員の谷にしつこく質問して情報収集をしていたのでした。そうして放課後2人が下校してくるのを待ち伏せして山田も足止めしてシャボン玉で遊んでいた鈴木に誘われ、山田とちゃんと話そうとしていた西さんも喜んで遊びに加わり、谷は1人で勘違いしていた恥ずかしさで思わず膝をつく。そういうところで今回のお話は終わり、次回に続きます。
青のオーケストラ Season2
第20話を観ました。
今回を含めて残り2話となります。今回はジュニアオーケストラの席順替えのオーディションの続きで、いよいよ青野と小桜の組の順番となります。このオーディションは普通のソリストのコンクールやオーディションとは一風変わっていて、「自分の希望の席を指定してから演奏する」「2人1組でオーディションを受ける」「ピアノの伴奏に合わせて演奏する」という特徴があります。例えばこれに先立つ組でオーディションを受けた昴と佐伯の2人は、2人ともコンマス席を希望していました。
しかし、この青野と小桜の組の場合は「希望の席にまず座るように」と指示されると、小桜はコンマス席の隣に座りました。前々回のエピソードで青野に「私は青野くんがコンマスになったらそれを隣の席で支えたい」と決意を伝えた小桜でしたので、その決意を承けて青野がコンマス席に座ってくれて、自分はその隣の席に座るという席順を想定していたのです。ところが青野は第5プルトの表の席、つまりコンマスの後ろ5列目の席に座った。それは現時点で青野が座っている席であり、青野は現状のまま席順を変更しないという希望を出したということになります。
これを見て小桜が驚いていることには青野も気付いており、先日電車の中で小桜が決意を述べていたのも覚えているのでちょっと驚かせてしまって演奏に悪影響が出たら申し訳ないとは思いますが、青野としてもこの最後方の席で演奏することにはちゃんと意味があるので譲ることは出来ない。「俺はこの席がいいんだ」と青野は決意している。
おそらく昴や佐伯も青野がこの最後方の席を希望したと知ったら意外に思うことでしょう。実力者である青野はてっきりコンマス席を希望するだろうと2人とも予想していたはずです。確かにこのジュニアオーケストラには絶対的なエースである昴が居て、昴は現在コンマス席に座っており、今回のオーディションでも当然ながらコンマス席を希望し、コンマスに相応しい素晴らしい演奏を披露した。よほどのことが無ければコンマスは昴で決まりでしょう。青野はその昴のオーディションを見たわけではないが、それは誰でも予測のつくことでした。だから青野は日和って現状維持を選択したのかというと、それは違う。青野はこのジュニアオケに参加してからずっと座っているお馴染みの最後方の席で「新しいこと」に挑戦しようとしており、それが今の自分に一番必要なことだと思っているのです。
オーディションはまずこのオケの世界ジュニア大会での演奏曲である芥川也寸志の「交響管弦楽のための音楽」の第1楽章をピアノの伴奏に合わせて2人で一緒に弾き、次いで第2楽章をピアノの伴奏に合わせて1人ずつ演奏していく。ピアノの伴奏はオーケストラの他の楽器の演奏の代用となっています。このあたりは前回描かれた昴と佐伯の組の時と同じ手順です。
ただ今回の青野と小桜の第1楽章の演奏は、審査員である巌虎たちを感心させた。それは2人の奏でる音が完全にシンクロしていたからです。2人が正確な演奏をしているとか、2人の相性が良いとか、そういうレベルではここまで完全にシンクロするということは有り得ない。2人の座っている位置が違うので、どうしても審査員たちが座っている客席に届く音は僅かにズレるはずだからです。青野が最後方に座ったことに小桜が驚いていたぐらいだから事前に2人で打ち合わせをしていたとも思えない。おそらくこれは青野が一瞬早く弾いて小桜の音にピッタリ合わせているようだということに審査員たちは気付いた。
そもそも、どうしてこのオーディションは「2人1組」でやっているのか。前回のエピソードで描かれた昴と佐伯の組のオーディションを見ても、そのあたりの意味は伝わってこなかった。単に「2人がバチバチ火花を散らしている」という感じに見えただけだった。それだけならば、2人1組にする意味も、ましてや第1楽章を2人で弾かせる意味もよく分からないままです。しかし、この青野と小桜の組の演奏を見て「なるほど、確かにこれはソリストのオーディションでもなく、コンマスを決めるオーディションでもなく、オーケストラのメンバーのオーディションなのだ」と改めて理解が出来ました。
オーケストラというのは皆で一緒に演奏して作り上げた音を観客に届けるものなのだから、単独で上手であっても、それは確かに素晴らしいことではあるが、あんまり意味は無いのです。確かに演奏が上手なのは必要な条件ではあるが、最終的にそれが一体となって良い音にならなければ観客の心には響かない。昴がいくら素晴らしい演奏家であり素晴らしいコンマスであったとしても、それを支える他のメンバーがしっかりそれぞれの役割を果たしてこそ、良いオーケストラになるのです。青野がやろうとしているのは、まさにそれでした。そして、この「2人1組」のオーディション、特に第1楽章の部分は、その資質を判断するためのものであったのです。
もちろん個々の音がバラバラであるなど論外ですから、2人の音がシンクロしているのは当然のことなんですが、今回のオーディションの第1楽章での青野の演奏には明確なテーマがあった。第1楽章は静かな演奏であり、あまり強い音を出すことは出来ない。柔和で繊細な音を奏でるのが正解となる。そして、そうした柔和で繊細な音を出すという点において、小桜の方が青野よりも優れている。それが分かっているので、青野は「小桜の奏でる柔和で繊細ではあるが小さく弱いという欠点を持つ音」を観客席にしっかり届けるために強めの音をピッタリとシンクロさせるように合わせているのです。
これによって観客席に居る審査員たちは小桜の柔和で繊細な演奏を十分な音量で堪能できた。そして、それが青野の支えのお蔭なのだということも理解した。その結果、審査員たちは小桜の演奏家としての魅力を十分評価すると同時に、オーケストラの縁の下の支え役として役割をしっかり果たした青野の意識の高さとそれを裏打ちする確かな実力を確信できた。そのようにして、まずは第1楽章のパートが終わり、続いて第2楽章でそれぞれがソロパートを演奏することになる。
まず小桜が演奏することになるが、審査員たちは小桜の第2楽章については不安視していた。もともと小桜は柔和で繊細な演奏には非凡な才能が感じられて最初のオーディションで合格はしたが、巌虎が求める「飢え」や「渇き」は見られず、どうも貪欲さに欠ける印象で、バイオリンパート全員の中でビリで合格していたからです。特にこの第2楽章は強めの演奏が求められ、小桜にそうしたパワーを求めるのは難しいと予想されていた。
ところが小桜は第2楽章に入ると、さっきまでの第1楽章の演奏とは人が変わったように力強く意欲的な演奏に切り替えた。最初の入団オーディションの時はこんな演奏は出来ていなかったはずなので、ごく短期間の間に大きく小桜の演奏が変わったことに審査員たちは驚いたが、この変化は確かにジュニアオケで良い刺激を受けたというのも要因ではあるが、主に青野との関係性の変化によるものだった。
小桜は青野が後ろの席から自分をよく見て演奏してくれていると知って喜びを感じ、もっと見てもらいたい、もっと魅せたいという貪欲さがこのジュニアオケでは高まっていったのです。そして今回のオーディションでは青野が第1楽章では小桜の音に完全にシンクロさせるために音を聴くだけではなく、小桜の細かな身体の動きや息遣いまで集中して凝視しており、小桜もその視線を感じてますます「もっと自分の良いところを青野くんに魅せたい」という貪欲さが膨らんでいた。それが第2楽章で一気に解き放たれて、非常に凛とした力強い演奏に昇華したのでした。
そうして小桜の第2楽章の演奏が終わり、続いて青野の第2楽章の演奏となる。ここで青野は非常に音圧の高い密度のある強い音を響かせる。昴にも決して引けをとらない実力を見せつけたわけだが、これだけの実力がありながらコンマス席を希望しないということが逆に不思議にも感じられた。実際、巌虎などは最初に青野を最後方の席に配置したのは昴と青野とで天秤にかけてどちらをコンマスにするかは再オーディションで決めようと思っていたようだ。だから「これだけの実力を持ちながらコンマス席を希望しない」という点をどう評価するかは難しいところだった。謙虚さが評価を受けるような世界ではない。果たしてこのジュニアオケのために、そして青野自身のためにその選択が正しいのかどうかが評価されるのだ。
だが青野の中でそれについての答えは既に出ていた。青野は当初は最後方の席になった時は釈然としなかった。子供の頃からソロをやってきて、高校に入ってからも前の方の席で演奏してきた青野は「やっぱり前の席に行きたい」という気持ちが湧いてきてしまい、そのために今の自分の席での役割を上手く果たせていないということに気付き、それは長くソロでやってきた自分の弱点なのだと気付いた。自分には出来ないことや知らないことがたくさんあるということを自覚した。
そこで最後方の席で演奏していたこともあるという3年の原田先輩に「今の自分を受け入れて後ろの席だからこそ出来ることをやってみたい」と言って相談したところ、原田先輩は一瞬早く音を出してみたらいいなどと助言してくれて「青野くんほどの実力者が後ろからパートを支える意識で演奏すれば、皆はより演奏しやすくなるはず」と言ってくれて、青野は「新しい世界」が開けたように感じた。
それは、これまでソロでバイオリンを弾いていた時や、前の方の席でコンマスをただ追いかけて演奏していた時とは全く異なるオーケストラの演奏の世界だった。それはこのジュニアオケでしか経験することの出来ない世界であり、今はそれを経験できる貴重なチャンスだと思えた。すると、子供の頃、ソロでバイオリンを弾き始めた頃と同じような新鮮な喜びの気持ちが溢れてきた。そうした子供の頃の感動はいつしか色褪せて、更に父親のスキャンダルのせいで忌まわしい記憶にまでなってしまっていたが、こうして最後方の席で「新しい世界」を知ったことで久しぶりに父親の抑圧から解放された真っ新な感動を取り戻せたような気分になった。
思えば、この最後方の席ならではの「新しい世界」は父の青野龍仁は知らない世界であった。そこで青野は父にも弱点はあるのだと知った。青野は以前に昴に「天才の父親を持つってどんな気分?」と問われた際に「2人の父親がいる気分」と答えた。青野にとっては「自分を苦しめ抑圧する父親」と「尊敬させてくれる父親」の2人の父親がいるのだ。昴は実際に天才の父親を持ったことがないので後者の「尊敬させてくれる父親」というものは理解出来なかった。だからこそ昴は「抑圧を乗り越えて新しいものを生み出す」という解釈で芥川也寸志の「交響管弦楽のための音楽」という曲を自分の中で昇華させることが出来た。
だが青野は「天才の父親」というものを知ってしまっている。それはどんなに嫌っても憎んでも「尊敬しないわけにはいかない」というほどの圧倒的な壁であり、昴の考えるように簡単に乗り越えられるものではなかった。どうしても乗り越えることは出来ないのだ。それはおそらく青野と同様に、芥川也寸志も亡き父である芥川龍之介に対してそのように感じていたはずだ。それでも、青野も也寸志も、どうにかして父親を乗り越えて自己を確立せねばならない。そこで青野は「父親が経験したことのない最後方の席という新しい世界」に突破口を見出した。
天才である父親に真正面から挑んでも勝てないのです。だから父親がやっていたのとは全く違うアプローチで、父親のやっていなかった世界で父親を乗り越えようと思ったのです。父親は天才ゆえに1つのことしかやらなかった。だから自分は父親がやっていなかった全部をやって父親を超えてやろう。青野はそう思ったのだ。そして、それが結果的に青野に新たな世界を開拓させ、青野の世界を広げることに繋がる。そうして青野は父親を超えることになるのだ。高さは決して超えないかもしれない。だがきっと最終的には父親よりも大きな人間になるだろう。
そして、きっと芥川也寸志も同じだったのだろう。父である龍之介と同じような「孤高の天才」として音楽を究めることでは父を超えられないという事実に藻掻き苦しみ抜いた末、也寸志は父が決してやろうとしなかった「大勢の仲間と共に作り上げる芸術」という新しい世界に身を投じて父親を超えようと考えたのだ。そうして也寸志は「オーケストラ」という新たな世界に活路を見出し、オーケストラ、すなわち「交響管弦楽」のための音楽を作ったのだ。それがこの「交響管弦楽のための音楽」という曲なのであり、青野は自分の父を超える戦いをその曲に託した也寸志の想いに重ねて演奏をした。それは昴とはまた違った「新しいものを作ってやろう」という巌虎の求めた方向性に合致した解釈であった。そして、むしろ作曲家の芥川也寸志の想いに沿っているのは青野の方であるようにも思えた。
それで巌虎はオーディションを終えて退出しようとする青野を呼び止めて「コンマスにならないのか?」と問いかけてみた。だが青野は「今は俺にとって、この席が一番自分のためになると判断しました」と答える。そうして青野が退出していくのを見送り、新しいものに挑戦しようとする青野の貪欲さを評価して巌虎は「あれはまだまだ伸びるぞ」と太鼓判を押した。
そうして翌日、オーディションの結果が生徒たちに伝えられ、1stバイオリンは最前列のコンマス席は昴となり、佐伯はコンマス席のすぐ後ろの第2プルト表の席、小桜はその後ろの第3プルト表の席と、いずれも希望の席ではなかったが、とにかく降り番とはならず演奏メンバーには入れた。そして青野は希望通りに最後方の席である第5プルト表の席を勝ち取った。残念ながら敦美先輩は降り番となってしまったが、巌虎は「音楽は生き物だ」「常に変化し続ける」「今回降り番となった物はその瞬間に最善を出せなかっただけだ」「腐らず練習を続けて虎視眈々と乗り番を目指せ」と、降り番となった生徒たちにも自信を与えて喝を入れた。そして「今回のオーディションでは、世界に向けて新しい音楽を作れることを確信した」と言い、生徒たちに向かって「指揮者として、改めてこのオーケストラで指揮棒が振れることを心より感謝する」と言い、深々と頭を下げるのであった。
そうして本番の世界ジュニアコンサートまで残り1ヶ月となったところで今回のお話は終わり、次回の最終話へ続きますが、原作漫画の物語は完結はしていないのでもちろん次回で物語は終わらない。ただ原作ストックは十分とはいえない。それでもマトモに描けば次回の最終話で世界ジュニア大会が終わるとも思えないので、3期があるようにも思える。ただ次回で強引に物語を終わらせることも不可能ではないので、次回を見てみないとちょっとどうなるか分かりませんね。
花ざかりの君たちへ
第8話を観ました。
今回は梅田先生の姉の経営する葉山のペンションでの住み込みバイトの話の続きです。瑞稀はちょっと胸が大きくなってきたので男装するための胸の締め付けが苦しくなってきてペンションで息苦しくなり倒れてしまう。佐野は慌てて瑞稀を相部屋の自室に運び寝かせて、瑞稀が女だとバレないようフォローしますが、既に瑞稀が女だと気付いている様子の大学生バイトの蒔田は、佐野が瑞稀が女だと気付いていることや、それを瑞稀にバレないようにしていること、また、瑞稀のことが好きであるということにも気付いたようです。
瑞稀は佐野を引き留めて看病してもらったり、風呂に入っていると中津も入ってきて慌てるが中津が鼻血を噴いてぶっ倒れて正体は何とかバレずに済んだりする。そんな中、佐野に神楽坂の妹の珠美がベタベタしているのを見て瑞稀は嫉妬してしまうが、一方で佐野も瑞稀が蒔田に対して無警戒すぎるのでイラつく。神楽坂は瑞稀が男でありながら佐野を好きだと思い込んでいるので、遠慮せずに佐野にアプローチすればいいのだと元気づけてくれたりする。蒔田も瑞稀の正体には気付いている様子ではあるが、瑞稀に対しては紳士的で親切に接する。それで瑞稀は佐野に蒔田のことを悪く言われてムカついて、珠美との関係でヤキモチみたいなことを言って佐野と喧嘩してしまい、「恋人でもないのに。恋人になんてなれないのに私何言ってんだろう」と後で1人で反省したりします。
その翌日、皆で海に遊びに出かけ、瑞稀は当然海パン姿にはなれないので体調が悪いと嘘をついてパーカーを着て浜辺に出かけて皆と遊びます。そんな中で瑞稀と佐野はお互いに昨晩の喧嘩のことを謝ろうとしますが、邪魔が入ってなかなか話すことが出来ない。そんなことをしていると、瑞稀がナンパ男たちに女の子だと思われてナンパされてしまい、佐野は助けに入ろうとしますが、蒔田が瑞稀を助けてしまう。その夜、ひとまず2人は仲直りしますが、佐野はどうして自分はこんなに瑞稀のことを気になるのか、どうして女であることを隠してやろうとしているのか、一体自分は何がしたいのかと思い悩む。そんなところに蒔田がやってきて「男同士の話をしよう」と言ってきたところで今回のお話は終わり次回に続きます。
違国日記
第8話を観ました。
今回は亡き母の日記を見つけて腹を立てた朝が学校をサボってしまいます。そもそも朝は何に対して腹を立てていたのかというと、日記の存在を隠していた槙生と母に対してでした。ただ槙生は別に日記を隠そうとしていたわけではない。姉の遺品として朝に宛てた日記を発見し、それが「朝が20歳になったら渡す」と書かれていたので、姉の遺志を尊重して現在の15歳の朝に渡すわけにはいかないと思って、ひとまず朝に渡さなかっただけです。そして「もし姉が生きていれば朝が20歳になった時点でこの日記を渡すかどうか最終判断したはず」と考えると、たとえ朝が20歳になったとしても自分の判断で日記を朝に渡してもいいのか分からなかったし、逆に5年後に判断すべき立場だった姉が居なくなってしまった以上、現時点で15歳の朝に日記を渡した方がいいのかもしれない。槙生はそのあたりの判断に迷いに迷って判断を先送りにしていただけです。だから隠していたわけではない。
確かに現時点で日記の存在を隠していたという意味では槙生は「隠していた」ということになるのかもしれないが、「姉の遺した日記があるけど、どうしよう?」なんて朝に相談するわけにはいかなかったのですから、それは仕方ないことだと思ってもらいたいところです。むしろ、結果的に槙生と笠町の会話をたまたま聞いてしまったことによって朝は日記の存在を知ることになったわけですから、朝の方が「ごめん会話が聞こえちゃって」「日記ってどういうこと?」とでも明るく槙生に話しかければ話は拗れることはなかったのだと思います。そういう意味では日記の存在を知ったことを「隠した」のは、むしろ朝の方だといえる。
朝はどうして槙生に正々堂々と日記の話をせずに、自分が日記の存在を知ったことを隠し続けたのか。それは日記の内容を受け止める自信が無かったからでしょう。母親に対する怒りも本質的にはそこにある。自分にとって重荷となるものを遺して勝手に居なくなった母親に対して苛立っている。母が生きている間は、母親は朝にとっては「何も余計なことを考える必要も無く、ただ自分を絶対的に愛してくれる人」であった。ところが母が死んだ途端、母親は急にミステリアスで悩ましい存在となった。「どうして両親は入籍していなかったのか」「どうしてそのことをずっと自分に隠していたのか」「そもそも本当に私のことを愛していたのか」と、ずいぶんと朝は悩まされ苛立たされました。そして、その答えは日記の中に書いてある可能性が高い。しかし朝は1ページ目の時点で「分かんないよ」と言って読むのを拒絶してしまった。
これはつまり、朝は「分かろうとしていない」のです。「母親が本当は何を考えていたのかなんて分からないよ」と朝は言うが、それは「分からないから困っている」というニュアンスではなく「分からないままでいいんだ」というニュアンスなのです。朝は母親の真実など知りたくはない。ずっと「何も余計なことを考える必要も無く、ただ自分を絶対的に愛してくれる母親」のままでいいのだと思っている。しかし、それは朝が本当に母親のことを「大切な相手」だと思えていることになるのでしょうか。単なる「母親」という記号的な存在として母を見るのと、1人の人間として何に悩み苦しんでいたのかを真正面から理解するのとでは、どう考えても後者の方がちゃんと母親に向き合い大切に想っているといえるはずです。
だが、これまでただ単に「理想の母親」に思考停止して甘えるだけの人生しか送ってこなかった朝は、1人の生身の人間としての実里に向き合うことが出来ない。だから実里が死んだ時もその死を受け止めることも出来ず、マトモに悲しむことも出来なかったのです。そんな朝が実里の遺した日記の存在を知り、自分には受け止めきれない重圧を遺して自分をもう甘えさせてくれずに突然いなくなった母親に対して苛立ち、腹を立てた。ついでにその重圧の存在を自分に教えてしまった槙生に対しても八つ当たりのように苛立ちを感じたのです。つまり「隠していた」ことを怒っているのではなく「そんなものを持ち帰ってきた挙句に隠せなかった」ことに怒っているのだといえます。
だから朝の槙生への怒りは単なるとばっちりのようなものであり、母親に対する怒りも筋違いといえます。本質は自分の問題なのです。自分がちゃんと日記を読んで、いや読まなくても、ちゃんと母親が何を考えて自分と向き合っていたのかを「知ろうとすること」が出来ればいいのです。それが出来た時に初めて朝は母親の死を受け止めて、どれだけ母親や父親が自分にとって本当の意味で「大切な相手」であったということを知り、「本当に大切な相手を失ったのだ」という真の喪失感を知り、悲しみが湧き上がってくるようになるのです。
母の日記の存在を知った時点で、朝はそういう自分のこれから気付く真の喪失感を予感し、急に寂寥感が湧き上がってきてイライラし始める。そうして「自分が失ったものをちゃんと持っている学校の友人たち」に対して腹が立ってくる。そして自分をこんな気分にさせるきっかけを作った槙生に対しても腹が立ってくる。それで朝は槙生にもえみりにも嘘をついて学校をサボる。担任教師から相談されたえみりは驚いて槙生に連絡し、そこで槙生が2日間ほど「登校したと見せかけて何処かでサボっている」ということが分かり、朝は心配になってえみりに朝の立ち回りそうな場所を教えてもらい、笠町と塔野にも手伝ってもらい朝を探し回り、遂にタピオカ屋でサボっている朝を見つけます。
この槙生と笠町と塔野の3人の朝探しの道中で、笠町の父親の話がちょっと語られる。笠町が中学の頃に学校を1回だけサボってラーメン屋に行った時、周囲は寛容だったのだが、父親だけ舌打ちして黙って怒っていて怖かったという話でした。これは笠町の父親が「息子が何を考えているのか」に向き合って会話をすることを拒み、ただ一方的に「理想の息子」像を押し付け、それに沿わない行動をした息子と向き合うことを拒否したのだということになります。
しかし、これは親子が逆の立場でも成り立つ話であり、まさに朝の実里への向き合い方は、笠町の父親の笠町への向き合い方と相似形なのだといえます。朝もまた「母親が本当は何を考えていたのか」に向き合って会話をしようとはせず、ただ一方的に「理想の母親」像を押し付け、それを単に求め続けて、本当の実里と向き合うことを拒否し続けていただけだったといえます。そんな母親は単なる記号的な存在に過ぎず、母が死んでも「どんな人か分からなくなった」と言い、朝は悲しむことも出来なかった。
とにかく槙生は朝を見つけて家に連れて帰りますが、その際に朝が日記の存在を知ったことや、それに対して過剰に苛立っていることにも気付いた。槙生が「あの日記は姉が朝を一番大事に思って書いたものだと感じた」と言うと、朝は「そんなの分かんない」と否定したので、槙生は朝が姉の本心と向き合うことを拒んでいるのだと察する。そして自分に「姉はきっとこう思っていたはずだ」という答えを求めているのだということにも気付く。その方が朝にとって楽だからである。実里が生きていた間は思考停止して「実里のくれる答え」をただ受け入れていた朝が、実里の死後はそうした「安易な答え」をくれる役目を槙生に求めようとしているのだ。
だが槙生はそんな「安易な答え」を朝に与えなかった。他人は自分と同じ悲しみを決して共有はしてくれない。自分で考えなければならないのです。そして「誰かに何かを書き残すことは大変なこと」だから、この日記に込められた母の想いは大きなものだという感想は槙生は朝に伝える。また、あくまで個人的な想いとして、槙生から見て「朝は愛情を受けて育ったのは確か」であり、もしそうであるなら「姉は幸せだったのだろう」「そうだとしたら私は嬉しい」とも伝えた。
実里は不幸であり朝を愛してなどいなかったのかもしれない。だからこそ懸命に朝を愛せる母親になろうとして日記を書き、それによって幸せを目指した。その結果、実里は幸せとなり、朝も幸せだった。それは「最初から自然に娘が好きで好きでたまらなかった」という母親よりも、より愛情が深く、より幸せだったといえるのではないでしょうか。そんな母親の孤独な人生を理解し受け止めることは、朝にとってとても孤独で苦しい道のりであった。その心の旅路のお供として朝が選んだのは、槙生が自分の孤独と向き合った旅を見知らぬ誰かに向けて書き残した小説であった。そうして遂に朝は母親の孤独を受け止め、母親と父親がどれだけ自分にとってかけがえのない相手であったのかを知り、その喪失に大粒の涙を流す。そういうところで今回のお話は終わり、次回に続きます。
火喰鳥 羽州ぼろ鳶組
第6話を観ました。
今回は四谷の紙問屋で火災が発生して新庄藩の火消組が出動しますが、周囲には寺社が多い地域なので先着していた加賀藩の火消たちは人命よりも寺社を優先して守ろうとしており、源吾はそれに腹を立て、自分たちは人命を優先すると言う。そうして彦弥が派手な立ち回りで挑発したので加賀藩も競争心を刺激され、競い合うように連携がとれました。ただ坂の上の寺の釣り鐘堂に燃え移ったので源吾たちはそれを引き倒し、火元の紙問屋を鎮火させないことには埒が明かないので星十郎が作戦を立て、大きな釣り鐘を坂の上から転がして跳ね上げて紙問屋を屋根の上から圧し潰すことにする。しかし釣り鐘を転がし始めた直後に紙問屋の中にまだ子供が残っていることが分かり、源吾は燃え盛る紙問屋の中に突っ込んでいき、釣り鐘によって紙問屋が潰される中で間一髪、子供を救出して生還を果たす。
そうして火事は鎮火したが、新之助は源吾に「無駄死にする気ですか?」と抗議する。生きてこそ誰かを助けることが出来る。誰かを助けるために源吾が死んだら意味が無いと新之助は言います。しかし源吾は「火消に無駄死になどない」と言い返す。例えば新之助の父親のように犬を守って死んだとしても、どんな死に方だって誰かの命を守ろうとしたことに違いは無い。そこで源吾は火消であった自分の父親の死んだ時の話をします。
源吾の父は火付けをした火消を救おうとして死んだのだという。それは源吾の父が「人の弱さ」を知る人間だったからです。「人の弱さを知ることで人は強くなる」と父は源吾に言い残し「多くの人を救え」と言って源吾を避難させ、自分は火の中で死んでいった。源吾はその後、火事場に立つと多くの人を救えなかった自分の弱さに打ちのめされるようになった。だが今ではそうした弱さを知ることで強くなれたと思える。もし自分がどんな相手を救うために自分が死ぬことになったとしても、父の遺志を自分が引き継いだように、自分の遺志も誰かが引き継いでくれる。だから火消に無駄死になどないのだと源吾は新之助を諭す。
そうして火事場からの帰り道、源吾は昨今の火消を「粋」だの「鯔背」だのと持てはやす風潮を批判し「人の命を救えれば、ボロを着てたっていいんだ」と言い放つ。そして「我ら、羽州ぼろ鳶組!」と宣言するのでした。そういうところで今回のお話は終わり、次回に続きます。












