アニメ視聴日記

アニメ視聴日記

日々視聴しているアニメについてあれこれ

2025年秋アニメのうち、12月22日深夜に録画して12月23日に視聴した作品は以下の3タイトルでした。

 

 

笑顔のたえない職場です。

第12話を観ました。

今回を含めて残り2話となりました。次回で最終話ですが、原作漫画は連載中でありますので次回で物語が完結するわけではありません。原作は単行本で既刊13巻まで出版されており、今期のアニメの内容はだいたい6巻ぐらいまでの内容で構成されているみたいですので2期をやるだけの原作ストックは十分にあると思われます。

まぁとりあえずこの作品は素晴らしくて、「既に続編制作が決まってる」とか「まぁ当然続編は作られるだろう」という類の作品を除けば、今期で最も続編を作ってほしいと思える作品なので、次回の最後に「2期制作決定」なんていう告知があることを願いたいと思います。ただ次回のサブタイトルが「笑顔のたえない職場です」なんていう、いかにも「終わり」って感じのサブタイトルなので、あんまり2期は期待しない方がいいのかもしれない。まぁ1クールで綺麗に終われる作風だし、1クールで終わるのもそれはそれで美しくて良いとも思います。

今回はまず「昴へ」の第2巻が発売となり、双見のところにもクローバー編集部から献本が届いた場面から始まります。そこに滝沢先生から電話があり、滝沢先生のところにも「昴へ」の献本が届いていたらしくて、双見は「おめでとう」と言われる。その上で滝沢先生は双見と梨田と、更に双見の元アシ仲間の早池峰和も一緒に滝沢の家でピザパーティーをやろうと持ち掛けられます。どうも双見の2巻発売と、和のエロ漫画の単行本発売と、梨田の新連載開始を一度にお祝いしたいみたいです。

その日の夜は仕事の予定も無かったので双見はその招きに応じて梨田と一緒に滝沢先生の家に行く。すると滝沢先生と和が待っていて、ピザを注文し、それを居間で4人で囲んで乾杯します。滝沢先生はちょうどピザを喰いたくなったので1人じゃ余ると思って3人を呼んだとか言ってますが、もともとジャンクフード嫌いの滝沢先生ですから、おそらく急に3人のお祝いをしたくなって準備の要らないピザパーティーにしたのでしょう。

双見たちにとっても滝沢先生の家の居間はアシスタント時代から馴染んだ場所だったので懐かしがりますが、梨田は双見と滝沢先生が親しそうにしている和のことを自分だけが知らないことに文句をつける。和は梨田がアシスタントを辞めた後で代わりに入ってきたので梨田とは入れ違いであり面識は無かったのです。基本的にクズ人間である梨田は和と打ち解けようとしなかったが、和が梨田の前作のファンだったとかSNSもフォローしてるとか言うと簡単に篭絡される。なんともチョロい。

結局、ピザは滝沢先生が多く注文しすぎたので余ってしまい、先生も「やっぱり、ちょっとはしゃいでたのかもな」と反省する。双見たちが単行本が出たり新連載が始まったりしたのが先生も嬉しくて、ちょっとテンションが上がりすぎていたということを認めたのです。どうして先生がそんなに嬉しかったのかというと、自分のアシスタントをしていた子たちが「漫画家になれたこと」が嬉しかったのだという。

アシスタントをやっている子というのはみんな漫画が好きで、もともと漫画家に憧れて、漫画家になりたくてやっている子ばかりです。でも皆が漫画家になれるわけではない。芽が出ずに諦めて田舎に帰ったり、失踪したりする子もいる。そんな子達を滝沢先生も多く見てきたのでしょう。そんな中で同時期にいたアシスタント3人が揃って漫画家になれたということが先生は嬉しいのです。この嬉しさというのは、例えばアシスタントの瑞希が漫画家になることを諦めてしまっており、そんな瑞希に何もしてやれていない双見にはまだ未経験のタイプの「嬉しさ」だといえます。

では滝沢先生はいったい何が嬉しいのかというと、「弟子3人が成功したのが嬉しい」「才能のある弟子を持てて嬉しい」「弟子が良い漫画を描いていて嬉しい」という想いはもちろん無いわけではないのでしょうけど、主に先生が嬉しいのはそういうことではないようです。「どんな業界でもそうだけど、プロって実力だけじゃやっていけないから」と先生は言う。それはつまり、弟子たちが「実力」以外の別の要素を掴んだというのが師匠として嬉しいということを意味している。

漫画業界においては「実力」というのは「才能」を指す。漫画というのは純粋に才能の世界だからです。だが滝沢先生は「漫画を描くのは才能だけでも出来るけど、漫画家になるには才能以外の要素が必要」と言っているのです。だから先生は「弟子に才能があって成功したのが嬉しい」と言いたいのではなく、「弟子に才能に加えて別の要素が備わっていて成功したのが嬉しい」と言っているのです。もちろん「才能」があるのは最低条件であり、それはスタート地点です。だがそこから「プロの漫画家」になるためにはまた「別の要素」が必要なのです。

滝沢先生は元アシスタントの3人が自分のもとを巣立っていってからの全てを見守ってきたわけではないので、その「別の要素」を実際に3人が備えるようになったのか正確に把握しているわけではない。ただ、こうして成功しているということは、必ず3人ともその「別の要素」を手に入れているに違いないと確信しているのです。そうでなければ漫画家としてやっていけるはずがないという確信が先生にはある。

そして、3人が成功したことそのものよりも、3人がその「別の要素」を手にしていることの方が先生は嬉しいのです。それはつまり、その「別の要素」は「成功」や「才能」なんかよりも人生にとって有意義なものだからです。それが何なのか?和は「運」なのではないかと先生に問いかけますが、先生は「運」ではなく「縁」だと言う。「人生は誰に出会うかで変わる」と先生は言います。実際、滝沢先生自身も18歳で漫画家デビューした後、連載が打ち切りになって完全に行き詰ってドン底に沈んでいた時期、現在のクローバー編集長の立浪さんがヒラの編集だった時に出会い、ペンネームを変えてイチからやり直すきっかけを与えてもらった。それで人生が変わったのだという。

そうした「自分を理解して応援してくれる人」との「縁」が自分をプロの漫画家にしてくれた。滝沢先生は「成功したこと」よりも「そういう人と出会い縁を持つことが出来た」ということが自分の人生を豊かにしてくれた、そのことの方が嬉しいのです。そして、自分の弟子たち3人も「成功した」ということはきっと誰かとそういう「縁」を築くことが出来たのであり、そのことが師匠として心から嬉しいのです。

そうした滝沢先生の話を聞き、双見は自分にとっての「縁」は佐藤さんとの「縁」だと言う。滝沢先生がドン底の時に立浪さんが救ってくれたように、双見が腐っていた時に引っ張り上げてくれたのが佐藤さんだったからです。すると梨田は自分にとってのそうした「縁」は連載打ち切りで落ち込んでいた時にスピンオフ連載の話を持ち掛けてくれた浅倉や、背中を押してくれた滝沢先生、そして連載打ち切りの後にファンレターをくれたゆきちゃんだと言う。また和は「私はその都度色んな人達に助けてもらってきました」と言い、双見や滝沢先生もその中に含まれるという。滝沢先生は「つまりは、しんどい時や落ち目の時に助けてくれた人との縁は今後も大事にするべき」「そして恩を返すべき」とまとめる。

つまり、どうやら特に「辛い時期」にこそ重要な「縁」というのは生じるようです。「縁」そのものは常に生じる機会はあるのでしょうけど、特に人生の転機となるような重要な「縁」は辛い時期にこそ生まれるようです。まぁよく考えれば「辛い時期」だからこそ人生を根本的に変革しようという気持ちになるものなので、そういう時期に生じた「縁」が人生の転機となる重要な「縁」になるのは当たり前なのかもしれませんが、そんな落ち目の時期の自分にあえて関わってくれた相手は、とてもかけがえのない相手に思えるものであり、その恩を返したいと思うのは当たり前といえます。

ここで、この場に双見と梨田だけでなく、早池峰和というキャラも居るというのがちょっとポイントです。この早池峰和というキャラは以前にも登場しましたが、エロ漫画家です。実はこの早池峰和はこの「笑顔のたえない職場です」の作者のくずしろ氏の別作品「少年少女18禁」の主人公でもあります。その作品においては和が16歳の頃にエロ漫画家を目指して奮闘する姿がコメディータッチで描かれているのですが、ここで和がエロ漫画家を志すきっかけとなった事件が描かれている。

和はもともと真面目な女子中学生だったのだが、第一志望の高校の受験で落ちてしまい、それで落ち込んでいたところ、幼馴染の男子の倫吾が慰めてくれて、気晴らしに読むように長編名作小説を渡してくれたのだが、それがカバーを付け替えただけの中身がエロ漫画であったのを倫吾が間違えて渡してしまったために、和は初めて読んだエロ漫画の魅力に目覚めてしまい、その後「エロ漫画家になりたい」と言い出し、エロい言動を繰り返すようになり倫吾を困惑させることになる。

「少年少女18禁」はそうした16歳の頃の和と倫吾と周囲の人たちのドタバタを描いた作品だったのですが、この「笑顔のたえない職場です」では成長して大人になり、滝沢先生のアシスタント時代を経て晴れてエロ漫画家となった早池峰和が登場しているわけです。その和が「しんどい時や落ち目の時に助けてもらった縁によって人生が変わった」と言っている中には、間違いなく倫吾のことも含まれている。「少年少女18禁」では勘違いコメディーとして描かれていますけど、高校受験失敗でドン底だった自分を助けようとしてくれた倫吾のお蔭で「エロ漫画を描きたい」と思えたことは和にとって最重要な「縁」であったはずです。

ここで重要なことは、和はそれ以前は「エロ漫画を描きたい」なんて全く思っていなかったということです。もともと「エロ漫画を描きたい」なんて思ってもいなかった、いやそもそも「描きたいもの」なんて無かった和が高校受験という挫折の時に生じた「ちょっとした縁」によって「エロ漫画を描きたい」と思えるようになったのです。

この「笑顔のたえない職場です」という作品中では「描きたいものがある=漫画家の才能がある」とされてきた。厳密に言えば瑞希がそう主張し、誰もそれに対して強く否定していなかったので、なんとなくそれが「真理」であるかのような印象になっていた。だが和の例を見る限りでは「描きたいもの」は「才能」によって生じるのではなく「縁」によって生じるみたいなのです。つまり「描きたいものがある」というのが「才能」という考え方はやはりどうも間違っている。私はやはり「才能」というのは「描きたいものを形にできる能力」なのだと思う。「描きたいものがある」のが「才能がある」ということではなく、「描きたいものが無い」から「才能が無い」ということではないのです。「描きたいもの」は例えば和と倫吾のように、誰かとの「縁」を結ぶことによって生まれてくるのです。特に「人生の転機」となるような「ドン底」の時期に誰か手を差し伸べてくれる人と「縁」を結ぶことによって「描きたいもの」「やりたいこと」は生まれてくる。

だから滝沢先生は「プロって実力だけじゃやっていけない」「縁が無いとやっていけない」と言うのです。プロ漫画家として必須の「描きたいもの」は才能で生まれてくるものではなく、誰かとの「縁」から生まれてくるものだからです。その「描きたいもの」を形にする「才能」や「実力」はもちろん必須であり、それもまた「覚えれば誰でも出来ること」などではなく、特別な資質を持った人間にしか出来ないことではあるのですが、創作の大元となる「描きたいもの」自体は才能によって都合よく湧き出してくるものではない。誰かとの「縁」があってこそ生じてくるものなのです。例えば双見が言っていた「描きたいもの」としてのバレーボール部や手話などの話は、双見が過去に結んだ「縁」から生まれたものです。

一方、双見が滝沢先生宅に行ってしまった後、打ち合わせ日を変更したことを失念していた佐藤さんが塔子を連れて双見の家にやってきてしまい、仕方ないので瑞希と3人で双見の家で夕食を食べて双見の帰りを待つことになったが、その際に佐藤さんが瑞希が双見のアシスタントをやることになったきっかけを質問してきたので、瑞希は「たまたまです」と答える。

自分が「描きたいもの」が無くて「漫画家としてやっていく才能も覚悟も無い」と落ち込んでした時に「たまたま」双見から電話がかかってきて、それを「救い」のように感じてアシスタントを引き受けたのだ。そのタイミングでなければ、落ち込んでいなければ断っていたかもしれないと瑞希は言う。確かに「落ち込んでいた側」から見れば、そういう「たまたま」が「縁」というものなのでしょう。双見のとっての佐藤さんも「たまたま戸田さんが異動になって新しく担当になった佐藤さんが理解のある人だった」ということであり、それが「縁」というものだと感謝しているのでしょう。

しかし、そこから話題はそれぞれの「縁」についてになり、塔子が双見の監修をやるようになったのも、佐藤さんが塔子を知ったのも全て「たまたま」だったという話題で盛り上がる。そして佐藤さんも「私も双見の担当になれたのはたまたまだったから」と言い、意外な事実を打ち明ける。実は最初は佐藤さんは双見と「縁」が無かったのだという。漫画家志望の若手の担当を決める際に編集部内でジャンケンをして決めるらしいが、双見の担当を狙っていた佐藤さんは戸田さんにジャンケンで負けて双見の担当になれなかったのです。だがその後、「たまたま」戸田さんが別の編集部に異動になって、そこですかさず佐藤さんは戸田さんに直談判して双見の担当を引き継いだのです。

佐藤さん視点では「たまたま戸田さんが異動になったから」だということになるのでしょうけど、こういうのは「たまたま生じた縁」とは言わないですね。佐藤さんは双見との「縁」を強引に結びにいっている。「運」や「縁」はやってくるのを待つものだと考える人も多い。特に落ち込んでいたりドン底に居る人はそう考えがちです。でも「運は掴みにいくもの」「縁は結びにいくもの」という側面も確かにある。自分に巡ってきた「縁」は相手側にとっては「強い意志で結びにいった縁」なのかもしれない。それはきっとその相手のことを「好き」だからです。相手が頑張っていることを知っているから、何とかしてあげたいと思って「縁」を結びにいく。立浪さんは滝沢先生の頑張りを見ていたのだろうし、倫吾も和の頑張りを見ていたのだろうし、佐藤さんも双見の頑張りを見ていたのだろう。

双見だって最初に瑞希に電話をかけた時は本当に「たまたま」だったかもしれないけど、その後の瑞希の頑張りを見ている。そうしてドン底に居た瑞希と双見の「縁」は強固なものとなっていった。そういう「縁」から瑞希の「描きたいもの」は生まれてくるはずです。「描きたいものが無いから自分には才能が無い」などと思う必要は無い。まだ瑞希にはそうした「縁」が足りていなかっただけであり、ずっと「描きたいもの」が無いなどということはないのです。才能など関係なく「縁」によって「描きたいもの」はきっと生まれてくるはずだからです。

そうして瑞希と佐藤さんと塔子が夕食を食べていると、双見と梨田が酔っぱらって帰ってきて、佐藤さんは双見と打ち合わせを始める。そこで佐藤さんは双見にサイン会の話をする。「昴へ」の第2巻の発売を記念して書店で双見のサイン会をやるのだという。しかも場所は双見の故郷の盛岡だとのこと。しかし双見には全てが初耳でした。おそらく佐藤さんが小心者の双見がプレッシャーを感じて原稿作業に支障が生じることを危惧して黙っていたのでしょうね。

そういうわけで双見は数日後、心の準備も出来ないまま佐藤さんと2人で新幹線に乗って盛岡に向かうことになった。双見は「サイン会に誰も来なかったらどうしよう」とマイナス思考に陥ってひたすら怯えていましたが、佐藤さんは事前応募制で定員は埋まってるのでそんなことになるわけがないと言い、書店さんも応援してくれるとか、読者も嬉しいはずだから濃いファンになってくれるとか、サイン会は各方面にメリットがあることなのだと双見に説明する。

そして「普段、孤独に描いている漫画家にとって、ちゃんと原稿の先に読者がいると実感できるのは一番のモチベーションになる」とも言う。そういえば梨田もゆきちゃんからのファンレターを貰った時も同じようなことを言っていました。漫画家はただ自分の「才能」と向き合って孤独に漫画を描くだけの人生ではないはずです。漫画家であるということは他人と「縁」を結ぶことだと滝沢先生も言っていた。読者との「縁」を結ぶにいくのも漫画家のとって大事なことであるはずなのです。そう思った双見は「自分の漫画を楽しんでくれている読者に会ってみない?」という佐藤さんの言葉を聞いて覚悟を決めた。

だが盛岡に到着すると雨が降っていて、また双見は弱気になってしまう。事前に来ると言っていても、やっぱり雨だから面倒臭くなって来ないんじゃないか。自分の漫画なんかのために雨の中わざわざやって来るわけがない。そんなふうにまたマイナス思考に陥り「もうダメだ」「おしまいだ」と喚き出す。しかし書店に着き、サイン会会場に行くと100人もの人たちが行列を作って待ってくれていた。応募があまりに多かったので当初の倍の人数に増やしたのだそうです。

人見知りの双見は最初はビビってしまったが、サイン会の来た人たちはみんな目を輝かせて「昴へ」への愛を語ってくれた。きっとこの人たちにとっては「昴へ」との出会いはかけがえのない「縁」なのです。その「縁」から「やりたいこと」が生まれてくる大切なものなのです。双見はこれまで発行部数などの「数字」では「昴へ」の評判は把握していましたが、こんなふうに生身の読者が自分の作品を大切に想ってくれているということを初めて実感し、感動した。そうして最初は硬かった双見の表情も次第に柔らかくなり笑顔になっていく。そんな双見の様子を見て佐藤さんも嬉しそうにするのでした。

サイン会には青森からねこのてもやって来てくれたりして、ようやく全員にサインを終えたが、100人の来場予定者のうち1人だけ来なかったという。雨だから仕方ない、むしろ雨の中99人来たのだから凄いと書店員さんは言ってくれるが、双見はもしかしたら何か事情があって遅れているのかもしれないと言い、もし書店の都合が良いのならこのままもう少し待ちたいと申し出る。時刻はもう20時を回っていたので、あまり遅れると帰りの新幹線が無くなってしまう可能性があったが、それでも双見は100人目の来場者を時間の許す限り待ちたいと思った。

そうして双見が書店で待っていると、閉店ギリギリに100人目の来場者が遅れて来店してくる。そして店員にサイン会に来たことを伝えようとするのだが店員と上手くコミュニケーションが取れない。だが、その様子を見た双見はその店員と話している少女の耳に補聴器が装着されているのを見て彼女が聴覚障碍者であり、店員がマスクをしているので読唇で相手の言葉を理解することが出来ずコミュニケーションに難儀しているということに気付く。

双見は以前に佐藤さんに「描きたいこと」を列挙した際に「手話」を題材とした漫画も描いてみたいという話をしていたが、それは自分の家族にも聴覚障碍者がいて、自分も手話が出来るからだと言っていた。そういう家庭環境で育った双見だからこそ、一瞬でその少女が何を困っているのか察知することが出来たのでした。それで双見はその少女に駆け寄ったが、手話は使わなかった。その少女はちゃんと発語が出来ていたので後天的な難聴だと思われ、その場合は覚えるのが面倒な手話を使わず読唇や筆談で済ますことが多いからです。難聴の人と直に接してきた双見ですから、そのあたりの見極めも素早く、双見は大きく口を開いて発声しジェスチャーもまじえて「オーケー!オーケー!サイン会!セーフ!」と簡易な言葉を笑顔で伝えたのでした。

そうして双見はその少女にサインし「昴へ」の2巻を渡すことが出来た。サインの宛名は「及川奏音」という。彼女はこの「笑顔のたえない職場です」の作者くずしろ氏の別作品「雨夜の月」の主人公の高校1年生の女子高生です。ちなみに「雨夜の月」はアニメ化が決定しているそうです。その主人公の及川奏音は聴覚障碍者です。子供の頃ピアノを習っていたが小学5年生の時に難聴になってしまいピアノを辞めたというキャラ設定になっている。双見が察したとおりの経歴でした。なお「雨夜の月」でも奏音は盛岡在住という設定になっています。

双見は帰り際、奏音が傘を持っていないのに気付いて自分の傘を渡してやった。それで双見は奏音が昼間からずっと雨が降り続いていたはずの盛岡市内を移動してこの書店に来るまでに何処かで傘を無くしたのだとを察した。それだけ慌てていたのだろう。聴覚障碍者の奏音が1人でここまで来るのは大変であり何かアクシデントもあったのだろう。遅れても電話で連絡することも出来ない状況で焦ってやってきたのは大変なことだっただろうと察した双見は、それだけ奏音が「昴へ」を大切に想ってくれているのだと実感した。

おそらく奏音は「昴へ」の主人公の三月が女流棋士を目指すという夢に挫折した後、昴との出会いをきっかけに形を変えて昔の夢を再び追いかけようとしている姿を、難聴のためにピアノの夢を挫折した自分と重ねて見ているのだろうと思われるが、そんな奏音の個人的事情はもちろん双見は知らない。だが、きっと普段の生活の中でも辛いこともあるのだろうということは想像はついた。そんな中で「昴へ」の物語が奏音にとって何か前を向くきっかけとなる「縁」を生んでいるのだとすれば作者としてこんなに嬉しいことはないと双見は思った。そう思えたことが嬉しくて、双見は佐藤さんに向き直り「佐藤さん!私、サイン会やって本当に良かったです!」と感謝の言葉を伝えるのでした。そういうところで今回のお話は終わり、次回の最終話に続きます。

 

 

デブとラブと過ちと!

最終話、第12話を観ました。

今回はまず夢子と出川が梨香子のマンションに行くと聞いた前園課長は、今は梨香子は不安定だから止めた方が良いと言う。出川は前園が無責任だと詰りますが、夢子は前園課長を信じると言う。そして今は前園の助言を受け入れて梨香子に会うのは止めておくことにして、夢子は前園に「傷は必ず癒える」「愛を信じて」と励ます。出川も前園に「一度ちゃんと梨香子と話した方が良い」と助言します。

しかし前園は「心の傷はそうもいかんだろう」と言う。それがどうも夢子は引っかかる。一方、梨香子のマンションでは結城が梨香子にどうしていきなりバーベキュー会場に来たのかと問い質していたが、梨香子は結城が夢子と接触していたことを責め「彼女の記憶が戻ったら困るのは君なんだぞ」などと言う。まるで結城が梨香子側に立って夢子を監視しているかのような印象だが、梨香子は結城の本心がそうではないことを疑っているようです。結城の本心は梨香子から夢子を守ることだと梨香子は思っており「圭介もあの子の味方なのね」と結城を詰る。

どうも梨香子は夢子に嫉妬している様子であり、結城も前園も夢子の味方だと言って怒っている。自分がこんなふうになったのも夢子のせいだと恨んでいる様子で、それなのに結城も前園も夢子の味方なので激怒し、ベランダから飛び降りて死のうとしたりする。だが息子のユウが悲しむと結城に言われると死ぬのを思いとどまる。どうも梨香子はかなり情緒不安定な様子ですが、前園はさっきの夢子や出川の言葉が胸に残って思い切って梨香子に会おうとマンションにやってくる。だが梨香子は寝ており、結城は行き違いで部屋におらず、呼び出しても返事が無いので前園は帰ってしまう。

その後は夢子がこれまでの物語内容を振り返ったり、皆に感謝の印にスイーツを作ったりする。そして最後に企画部にイケメンの新入社員hが入ってきて夢子に弟子入りしたいと言ってきたところで最終話は終わります。最後に「To be continued?」というように続編制作の可能性を示唆するようなテロップは出ましたが、ハッキリと続編告知はありませんでした。

 

 

機械じかけのマリー

最終話、第12話を観ました。

今回はアーサーの記憶喪失を治すための解毒剤を手に入れるためにマリーがメイナードの屋敷に変装して忍び込んだ場面から始まります。アーサーはメイナードが雇った殺し屋の吹き矢の毒の後遺症でマリーに関する記憶だけを失ってしまったが、そのせいでマリーと出会ったことで取り戻していた人間への信頼感も失っていない以前の人間不信な状態に戻ってしまっていた。マリーに対してだけは優しいアーサーであったが、それはアーサーにとって不幸な状態だと考えたマリーはアーサーの記憶を取り戻さねばならないと考える。記憶喪失になる直前、アーサーが「マリーはロボットではなく人間である」という事実に気付いていたという事実を知ってしまったマリーは、もしアーサーの記憶が戻れば自分は「ずっとアーサーを騙していた」という罪で罰を受けてメイドをクビになる、いやもし優しいアーサーがそれを赦したとしても、嘘つきの自分はアーサーの傍に居る資格は無いのだとマリーは思い、屋敷を出ていくことを決意していた。

だから解毒剤を手に入れるということはアーサーとの別れを意味する。さっそくノアに変装を見破られて「何をしに来たの?」と問われたマリーは「解毒剤を手に入れてアーサー様とお別れするためです」と答える。ノアは面白がって嘘の解毒剤の隠し場所ばかり教えてマリーをからかいます。その上でノアはマリーに「別れるってことはもうアーサーのことを諦めるってこと?」と尋ねる。もしマリーがアーサーを諦めるというのなら自分に振り向いてくれるかもしれないとノアは思う。

だがマリーは「諦めるなんて出来ません」「好きだからもう嘘をつきたくない」「好きだから本当のことを伝えてサヨナラするんです」と答える。それを聞いてノアは結局マリーは自分に振り向いてくれないのだと思いガッカリする。だが、それでもノアは「マリーには解毒剤を手に入れてほしくない」とも思った。どうしてなのだろうかと自問自答すると、それは「マリーが解毒剤を手に入れてアーサーのもとを去ると、自分もマリーに会えなくなるから」だとノアは気付く。「マリーは自分に振り向いてくれないのに、それでも会いたいなんて、僕はそこまでマリーのことが好きだったのか?」とノアは驚く。

その後、マリーはメイナードのアーサーへの歪んだ愛情の詰まった部屋を発見し、そこでメイナード達に見つかって追い詰められる。そして解毒剤を求めると、メイナードは「そもそも解毒剤など入手していない」と衝撃の事実を明かす。それでマリーがアーサーを救うことが出来ないことに絶望して涙を流すのを見て、ノアは「僕が見たかったマリーちゃんはこんな姿ではない」と思う。そこで初めてノアは自分が本当に好きだったのは「アーサーへの愛を一途に貫くマリー」だったのだと気付き、独自に作っていた解毒剤をマリーに渡す。

マリーは解毒剤を持ってアーサーのもとに帰ろうとするがメイナードはそれを邪魔しようとする。だがマリーが屋敷の案内役として段ボール箱の中に隠して一緒に来てもらっていたメイナードの婚約者のイザベルが飛び出してきてメイナードに「もう悪いことは止めて!」と説く。そしてアーサーと仲良くしていたのはメイナードに振り向いてもらうためだったと打ち明け、ずっとメイナードを好きだったと明かす。

それでもメイナードの護衛達はマリーを邪魔してくるのでノアが護衛達を引き受けてマリーを逃がしてくれる。マリーはノアに「助かりました」と感謝し、別れを告げる。そうしてメイナードの屋敷から脱出したマリーを更に巨大ロボ試作機26号が追撃してくるが、マリーを追いかけてきたマリー2が割って入り、試作機26号を引き受けてくれて、マリーはアーサーの屋敷に戻り、まずはロイに解毒剤を手に入れたことを告げる。

ロイはアーサーに解毒剤を飲ませてマリーの記憶を戻すことには反対であった。そんなことをしたらマリーが屋敷から出ていくことになるのは明白であったからでした。ロイはマリーがアーサーの傍に居て、それを自分やマリー2が見守る、そんな日々が永遠に続いてほしいと思うようになっていたのだ。

だがロイは「マリーに任せる」と言ってくれる。ロイだけがアーサーの傍に仕えていた頃はアーサーを幸せに出来なかった。だがマリーが来てからはアーサーは幸せそうに見えた。自分よりもマリーの方がアーサーの真の幸せとは何なのか分かっているのだと思ったロイは、アーサーの幸福のためにマリーの判断を信じようと決意したのだ。

そうしてマリーはアーサーのもとへ行き「これを呑めば記憶が戻ります」と言って解毒剤を差し出す。だがアーサーはここ数日のマリーの不自然な態度から察して「記憶が戻ると君が居なくなってしまう気がする」と言って呑むのを拒む。そして「俺はこのままでいい」「前の記憶は無くてもロボットメイドの君さえいれば他に何も要らない」と言う。それに対してマリーは「あなたは辛い過去を乗り越えて少しずつ他人と向き合おうとしていた」「アーサー様が頑張ってきたことが無くなってしまうことはダメです!」と必死にアーサーを説得しようとするが、アーサーは頑なに拒む。

そこでマリーは解毒剤を口に含んでアーサーにキスをして口移しに解毒剤を飲ませてしまう。そして、まだ解毒剤の効果が現れておらず呆然としているアーサーに向かって「ロボットメイドというのは嘘」「私は人間です」「最初はお金のためにロボットのフリをしていました」「でも貴方を知っていくたびに守ってあげたい気持ちが大きくなって、貴方に辛いことや悲しいことが起きないように、ずっと傍で見守りたいと思ってしまった」「嘘をつき続ける私が一番あなたを傷つける存在だったのに」と想いの全てを打ち明ける。記憶が戻ってしまうとアーサーは既にマリーが人間だと知ってしまっている。だからマリーが「本当にアーサーに対してやりたかった罪の告白」が出来るチャンスは、この記憶が戻る前のほんの一瞬しか無かったのだ。

そして「こんな私の顔なんて二度と見たくないでしょう」「裏切り者は貴方の前から消えます」「さようなら」と言い残すとマリーは立ち去っていく。その瞬間、解毒剤の効果が現れてアーサーの記憶が復活し、風呂場でマリーに愛の告白をしようとしていた途中の記憶が戻ってきて、アーサーは「さようなら」と言って去っていくマリーを見て慌てる。そして「人間だったとしても関係ない」「傍に居てくれ!」とマリーを呼び止める。

マリーはアーサーの記憶が戻ったのだと気付き喜ぶが、記憶が戻った心優しいアーサーが自分を赦そうとすることも予想の範囲内であり、その優しさに甘えることは許されないと最初から心に決めている。「私は貴方を陥れてきた悪人です」「アーサー様の傍に居ることは許されません」「私を嫌いになってください」と言って走り去る。だがアーサーは「そんなこと出来るか!」「君を愛しているのに!」とマリーを追いかける。

そして屋敷の玄関でマリーに追いつくと「君のついてくれた嘘は最初からずっと優しくて俺を幸せにしてくれた」とマリーに告げる。アーサーの言っているのは最初にマリーがアーサーを助けた時の話でした。あの時、マリーは「ロボットだから大丈夫」だという「嘘」をついて自分の身を危険に晒してアーサーの命を救った。あの時、アーサーは確かにマリーの「嘘」に騙された。だが回収したマリーは衰弱しており、マリーに騙されていたアーサーは「ロボットにとっても火の中で放置されるのは危険なことだったのだ」と思い、アーサーは「大丈夫」だと言っていたのはマリーの「嘘」だったのだと認識した。

最初からアーサーはマリーを「嘘をつくロボット」だと認識していたのです。いや、その時からアーサーは本当の意味でマリーというメイドロボットを心から信頼するようになったのだといえる。「嘘」を何よりも嫌うアーサーがどうして「嘘をつくロボット」を信頼したのか。それは「優しくて自分を幸せにしてくれる嘘」だったからです。つまり、最初からアーサーはマリーの「嘘」は赦していたのです。そして、そんなマリーと時間を共にしていくうちに、他の人間たちにも心を許せるようになっていき、アーサーは幸せになっていった。

そんな中でアーサーはマリーが実は人間だったと知ってしまい、「ロボットだと偽っていた」という嘘のことよりも、まず真っ先にあの火事の中で自分についた「嘘」の重大性のことを想った。あの時、マリーは自分が死ぬかもしれないのに「大丈夫」と嘘をついて自分を助けようとしてくれた。そう思うとアーサーはマリーを大切に想う気持ちがこみ上げてきて、一番大切な気持ちに気が付いた。それは「自分が最初にマリーを好きになったのはロボットだったからではない」「あの時、マリー・エバンズという人間が示してくれた優しい嘘を好きになったのだ」ということであった。だからアーサーにとってはマリーが自分に嘘をついていたことなどどうでもいい。嫌いになることも離れることも出来ない。その気持ちを伝えると、マリーは涙を流し「アーサー様を好きでいてもいいんですか?」「ずっとずっと傍に居たいと思ってもいいんですか?」とアーサーの腕の中に飛び込む。

そうして最後は時が流れてアーサーとマリーの結婚式の場面となる。結婚式場である屋敷の中庭に今まで登場したキャラたちが招待される中、イザベルと共に招待されたメイナードに対してアーサーはずっと親指に嵌めていたゼペス家の後継者の証の指輪を渡して後継者の座を譲ろうとする。これまで自分がその指輪に拘っていたのは後継者の座が欲しかったからではなく、父親に愛されている証が欲しかったからだと告白したアーサーは、今はもうそれは要らないのだと言う。マリーという愛し合う相手を得たからです。そして最初から自分が他人の愛を信じることが出来てメイナードに素直な気持ちを接することが出来ていれば、あんなに関係が拗れることは無かったと反省し謝罪する。だがメイナードは「後継者の座は実力で奪い取ってみせる」と言い、指輪の受け取りは拒否します。そんなメイナードとイザベルの前にはあの事件以来ずっと行方知れずだったノアもひょっこり現れて、マリーの門出を見届ける。そしてウェディングドレスを着たマリーがアーサーを抱えてバルコニーから中庭に飛び降りてきて、2人が幸せなキスをして物語は終幕となります。

2026年冬アニメのうち、2025年12月21日に録画して12月22日に視聴した作品は以下の1タイトルでした。

 

 

青のオーケストラ(第2期)

第12話を観ました。

今回から後半クール分として扱い、2026年冬アニメ分として扱います。今回は前回の秋音の母親の誕生日会の3日後、ファミレスで青野と佐伯と山田の男子3人が期末テストに向けての勉強会をしている場面から始まります。12月に入ると期末テストがあり、今はその1週間前、成績の悪い青野と佐伯は成績優秀な山田に勉強を教えてもらっている。期末テスト期間中はオケ部の活動も休止しており、青野はどうも調子が出ない。

といっても調子が出ないのは色々と気が散っているせいです。3日前、母親の誕生日回の帰りの夜道で秋音にいきなり頬にキスされて青野は混乱していた。秋音の口ぶりだと「誕生日会を手伝ってくれたお礼」みたいだったが、それにしても凄い展開で、青野の頭ではどうにも理解出来なかった。翌日学校で会っても秋音の態度は普段通りであったし、本当に単に「お礼」であったのかもしれないとは思えたが、やっぱりキスのことが頭から離れなかった。

更に期末テストの後にはオケ部のクリスマスコンサートがあり、更にそのコンサートが終わるとオケ部のクリスマス会もあるという話になり、山田が「クリシマスに部活ってのは寂しい」「クリスマスはやっぱり彼女とデートしたい」と彼女も居ないクセに言い出すと、青野の脳裏には小桜と2人で出かけた日のことが思い出された。

「あれはもしかしてデートということになるのだろうか」などとモヤモヤと考えてしまい、さっきまで秋音のキスのことを考えていたばかりだというのに今度は小桜とのことを考えてしまっている自分を青野は「これは良くない」と苦悩する。ただでさえ普段から1つのことしか集中できない性分なのに、女の子2人のことを同時に考えて、そんな調子では期末テストやクリスマスコンサートの演奏など、全部が中途半端になってしまいそうに思えて不安になってくる。

「とにかく今はテスト勉強に集中しよう」と気合を入れ直して、ファミレスではそれなりに勉強も進んだ青野であったが、その帰りに駅で秋音と小桜が一緒に居るのにバッタリ会ってしまい、また集中が乱されそうになってしまう。相変わらず秋音は普段通りのノリで話しかけてきて、テスト勉強が1人じゃロクに出来ないだろうと青野をからかってくる。青野としても実際今日も山田がいなければ上手く出来なかったので返す言葉も無いが、すると小桜が自分の得意科目なら教えられると言ってくる。それで青野も喜んで教えてもらうことにした。

小桜は青野と2人きりでテスト勉強が出来ると内心嬉しく思うが、帰りの電車では青野は秋音に「ハルが教えてくれるなら私は教えなくていいね」と突き放されてしまい、秋音にも頼ろうと思っていた青野は「それは困る」と情けなく泣きつく羽目となる。結局、青野は皆にテスト勉強ではお世話になることになったが、青野ばかりズルいと同じく劣等生の佐伯も一緒に教えてもらいたがったので、結局は小桜は青野と2人きりで勉強するというわけにはいかず、ちょっと残念に思います。

一方で秋音の方は、実はあの母親の誕生日会の帰り道で青野にいきなりキスをしてしまった後、青野の前では平静を装って別れましたが、1人になってからパニックになり「どうして私、あんなことしちゃったんだろう?」と悩み、その結果、自分が何時の間にか青野のことが好きになっていたことに気付いた。そして翌朝、学校で青野の姿を見た時、どう話しかけたらいいのか分からず、しかし避けて疎遠になることだけは嫌だと思い、とりあえず普段通りに接するよう努めたのでした。

実際はあの日以来、秋音は青野の前で平常心でいられたことなどは無いのだが、今は2人の関係が妙な感じに変化して壊れてしまうのが怖くて、結論を先送りにする形で現状維持にだけ努めていたのでした。それでも青野がテスト勉強で困っている様子を見て、2人でテスト勉強が出来たらいいなと思ってそれとなく話題を誘導していたら、小桜が青野と勉強すると言い出し、それに青野がデレデレする姿を見ていると腹が立ってきたりして、つい自分も一緒に勉強会をするとかも言えず、ついつい拗ねたことを言ってしまったりもしてしまう。

そんな感じで期末テストも何とか乗り切り、オケ部はクリスマスコンサートに向けて部活動を再開して、さっそく合唱部との合同ミーティングに臨むことになった。実は今年のオケ部のクリスマスコンサートは初めての趣向で合唱部と合同で行うことになっているのだ。なんでも合唱部の顧問の瀬能先生の強い希望で、同じ音楽系の部活同士の親睦を深めるために実現したのだそうですが、鮎川先生も何だかそれなりに思惑はあるみたいです。

オケ部が演奏して、それに合わせて合唱部が唄うという趣向で、地域との交流も兼ねて市内の教会で開催されるという、クリスマスコンサートらしい本格的な形となりますが、それだけではなくもう1つ特別プログラムが用意されているという。それはなんと、オケ部のメンバーも合唱に参加してもらうというものでした。普段は合唱部はもちろん演奏などは無くてアカペラで合唱だけでやっているわけですが、その合唱隊を合唱部とオケ部で一緒に組んで唄う曲ももう1曲やるわけです。それが讃美歌の「もろびとこぞりて」なのですが、まずその合唱練習を合同でやることになりました。

ただ青野はもともと歌があまり得意ではなく、特に人前で歌うことが苦手で、恥ずかしくて大きな声も出せず、何度も注意されてしまう始末。すると瀬能先生が「2人一組で練習してみよう」と提案し、青野は佐伯と組むことになった。瀬能先生は「目をしっかり合わせて唄うように」「人を意識すると発声も安定するから」と助言してくれるが、青野は恥ずかしくて佐伯と目を合わせず、口もあまり開くじことが出来ず全然ダメでした。すると佐伯は呆れて「青野くん、真面目にやってよ」「演奏じゃないからって手を抜いてるでしょ」と文句をつけてくる。同じように小桜も恥ずかしくて声をあまり出せず、ペアを組んだ立花に「ビビってる」と指摘されたりします。

青野は佐伯に散々言われて腹を立てて「じゃあお前は出来るのか?」と言って山田と組んで唄わせてみたところ、2人ともムチャクチャ上手く唄って皆の注目を浴び、青野は悔しい想いをした。山田は普段はオケ部の演奏ではこんな至近距離で音を合わせるという経験が無いので、こんな貴重な経験を楽しまない手は無いという前向きな気持ちで楽しんでいました。そして佐伯はそもそも母親がドイツでシンガーをやっており幼少時から毎日母親の唄を聞いて育ちましたし、佐伯本人もドイツの故郷の町の聖歌隊に所属して唄っていました。だから歌は上手だし、恥ずかしがることなく堂々と唄えていました。また同じ中学だった山田と佐伯は合唱祭などで一緒に唄うこともあったので息も合っていました。

練習の後、職員室で瀬能先生は鮎川先生に練習が上首尾だったことを伝え、「オケ部と合唱部、普段関わらない者同士だからこそ、普段以上に練習に身が入る」と、この合同イベントは互いに得るところが多いことを強調する。特に佐伯の唄の上手さが合唱部のとって良い刺激になったので、今回の試みは合唱部にとって得るところの方が多かったと、変なところでマウントを取ってくる。だが鮎川先生も「佐伯は起爆剤のようなものです」と言い、普段は控えめな佐伯をこの合同イベントで刺激を受けて行動を起こせば、それがオケ部全体にも波及して良い効果を得られるのだと強調する。特に佐伯の成長を期待しているという鮎川先生はどうやら今回の合同イベントを了承した狙いはそのあたりにあるようで、「来年は色々あるので」と微笑む。その視線の先にあるプリントには「世界ジュニアオーケストラコンクール」などと書かれている。一方で練習後も帰り道で佐伯ばかり仲間達や、更には合唱部の本郷部長にまで褒められることに嫉妬した青野は悔しがり「明日の演奏の練習では負けないからな!」と吠える。そういうところで今回のお話は終わり、次回に続きます。

2025年秋アニメのうち、12月21日深夜に録画して12月22日に視聴した作品は以下の3タイトルでした。

 

 

ウマ娘 シンデレラグレイ 第2クール

最終話、第23話を観ました。

今回で2クール全23話かけて描かれてきた「ウマ娘シンデレラグレイ」の物語は一旦終幕となった。もちろん原作漫画はこの後も続いていく。いや今週の木曜日に週刊誌連載では遂に完結するのだが、アニメ版がそこに追いつくのはかなり先のことになりそうです。今回の放送内で2期制作の告知などは特にはありませんでしたが、今回の最終話の内容そのものが言語化せずとも明快な形での2期の告知のようなものなので、間違いなく2期は作られるだろうし、おそらく3期、4期と重ねていき物語の完結までアニメ化されるでしょう。

それでも今回で一旦物語は締められた。それは春に放送された前半クールの終盤、第10話から今回の第23話まで、足かけ14話にわたって描かれてきた「白い稲妻篇」の終幕を意味している。前回、遂に主人公のオグリキャップのゾーン「灰の怪物」が覚醒したのだが、それならこの第2章のタイトルは「灰の怪物篇」でも良かった気もする。しかし第2章をあえて「白い稲妻篇」にしたということは、原作者がここで真に描きたかったのは「白い稲妻」の異名を持つライバルキャラであるタマモクロスというウマ娘の在り方であったのだと思われる。そして、それを描いたところで物語が一旦、中締めされるということは、タマモクロスというウマ娘の「引き際」を描くことがこの作品のテーマに通じるということなのでしょう。

そのタマモクロスの引退について、前回まで劇中で明確な理由は描写されてこなかった。そして今回も結局あまり明確には描かれないままタマモクロスの物語は幕引きとなった。例えば「隠していた怪我の悪化があった」とか「もう体力の限界だった」とか、そういうスポ根ドラマにありがちなドラマチックな展開は描かれなかった。ラストシーンで示唆された「おっちゃんの晩年に寄り添うため」というのがおそらくストーリー的には正解なのであろうし、そこは一応ちょっと感動的に描かれた。だが、あくまで匂わせる程度で薄味な描写であった。描き方によってはもっと涙腺崩壊させる強烈で濃厚なドラマに仕上げることは出来たはずです。だが、一貫してそういう描き方をすることはなく、ラストシーンでさりげなく示唆するに止めた。それは「作者が本当に伝えたいこと」は別にあるということなのでしょう。

「明確に描写されない」ということ自体が1つのメッセージなのであり、それは「明確に描写する必要が無い」ということを意味する。ウマ娘ならあまりにも当然のことなので、あえて理由など詳しく描く必要は無いということです。この作品は人間のスポーツ競技者の物語なのではなく、あくまで「ウマ娘」の物語なのです。「ウマ娘」ならば、こんなふうに引退していくのが当たり前なのだということを描くことが、そのまま「ウマ娘の物語」を描くということになるのでしょう。

「ウマ娘」は現実の世界の競走馬を擬人化したものですから、競走馬の世界が反映されています。つまり「競走馬の引き際とはそういうものなのだ」ということがここでは擬人化されて描かれている。もちろん、それはリアルなものではない。実際の競走馬の引退理由は様々であり、そこには怪我や病気なども当然含まれる。ここで「白い稲妻篇」のラストで描こうとしている物語は、あくまでイメージの世界です。「競走馬の引き際、競走馬の在り方とはこういうイメージなのだ」という1つの理念を示したいのだと思われる。

まず今回の冒頭で描かれたのは、前回描かれた12月25日開催の有馬記念レースの約1ヶ月前、11月23日にカサマツレース場で行われた地方ウマ娘レースの各地交流戦の最高峰レースの1つ「全日本ウマ娘カップ」でした。ここで新たに登場するのはイナリワンというウマ娘です。2期においてオグリキャップの新たなライバルとなるウマ娘なのですが、この時点ではかつてのオグリと同じように地方ウマ娘レースである東京にある大井ウマ娘レース場を本拠地として走る地方ウマ娘でした。

そのイナリワンはこの全日本ウマ娘カップでは2着となり、敗れてしまいました。今年に入ってこれで5連敗中と、どうも成績は芳しくない。昨年は8勝した期待の地方ウマ娘なのですが、今年はどうも勝ち運に恵まれていないようです。ただ実力は確かにあるのでいつも人気順は上位で、本人もかなり勝ち気で自信満々な様子。いずれオグリキャップみたいに「地方から中央に移籍して大活躍したい」と思っており、一方的にオグリをライバル視してるようです。そのイナリワンの次のレースは約1ヶ月後、中央の有馬記念レースの4日後、11月29日に大井レース場で開催される「東京大賞典」と決まります。

一方、有馬記念でオグリキャップがタマモクロスに競り勝ち中央移籍後のGⅠレース初勝利を飾った翌日の12月26日、タマモクロスは空港で小宮山トレーナーに別れを告げて何処へ飛び立っていき、トレセン学園では1日遅れのクリスマスパーティーが開かれます。パーティー会場には有馬記念で敗れたスーパークリークやディクタストライカの姿もあり、クリークはまだ失格の件で後悔していたが「後悔なんて時間のムダ」「反省だけして次に活かそうぜ」というディクタの言葉で少し元気を取り戻します。

一方でオグリは寝坊してパーティーに遅刻しており、マーチやノルンたちカサマツ組は東京観光に行き、北原は次の中央トレーナー試験に向けて猛勉強するためにカサマツに帰っていった。トレーナーの六平はオグリに「頂点立って終わりじゃねぇ」「レースは続くんだ」とハッパをかける。そして「以前のお前みたいに頂点目指して駆けあがってくる新たな怪物だって現れるかもしれねぇ」と、オグリにウカウカしていられれないと警告します。

この後、オグリはベルノライトと共に急いでトレセン学園のクリスマスパーティー会場に向かいますが、その12月26日の話はここで一旦中断して、場面はその3日後、12月29日に大井レース場で行われた東京大賞典のレースの場面に変わる。六平の言っていた「新たな怪物」であるイナリワンの見せ場がやってきます。イナリワンはこのレースに勝って中央に移籍しようと考えているのです。そして闘争心の強さゆえにペースを乱されると崩れやすいという欠点を克服してイナリワンは勝利をもぎ取ります。

この最後の直線での猛スパートで差し切っての1位に立ってのゴール直前、イナリワンは何かの「壁」を破ってその先にあるものを掴みかけますが、結局ここでは「壁」は破らないままゴールしてしまい、勝利の歓呼の中、少し消化不良な感じを抱く。おそらくゾーンの「壁」を破る寸前までいったのでしょうけど、イナリワンが前回のオグリのように「壁」を破ってゾーンの領域に入る姿は2期までお預けということになりそうです。

このイナリワンの回想シーンがレース前に描かれましたが、イナリは子供の頃に大井に引っ越してきて以来、ずっと大井の地元の人たちに家族のように可愛がってもらい、地元の人たちが一丸となってイナリを盛り立ててくれて、イナリは大井レース場でウマ娘として成長してきました。だから大井の人たちはイナリが大井から中央へ移籍してしまうことを寂しがる者も多かった。もちろんイナリ自身も寂しかった。だがイナリはそれでも中央へ行く。それは自分の栄光のためではない。自分の家族である大井の人達が「イナリワンは大井のウマ娘だ」と世界中に誇れるような、そんなウマ娘になって家族である大井の人たちに恩返しをするためなのだ。そのことを高らかに宣言してイナリワンは中央へ旅立っていった。

そして話は12月26日のトレセン学園のクリスマスパーティーの場面に戻り、遅刻したけど何とかパーティーに間に合ったオグリとベルノは皆と一緒に楽しい時間を過ごし、パーティーが終わった後、2人で寮に戻ろうとする。その途中でベルノはそういえば昨日からバタバタしていてまだオグリにちゃんとお祝いを言えていなかったことを思い出し、オグリに「日本一、おめでとう!」「これからもよろしくね!」と笑いかけ、オグリも幸せそうな笑顔で「ああ!」と返す。

その夜、オグリは久しぶりに母親に手紙を書いた。そこでオグリは「色んなレースに出て、色んなウマ娘と戦って、色んな経験をした」と綴り、その上で、でも変わらず心にあったのは「走るのが楽しい」という気持ちだったのだと告白する。そして、その気持ちを「お母さんが私にくれた一番のプレゼントだったと思う」とオグリは感謝の言葉を綴る。母が立って歩くことも出来なかったオグリを励まし続けてマッサージをし続けてくれたからこそ、オグリは立って走れるようになった。だから「走るのが楽しい」と思えるようになった。その想いがあったおかげでオグリはこれまでウマ娘としての様々な勝負や経験を乗り越えてくることが出来て、有馬記念では遂に壁を突破して勝利して「日本一」になることが出来た。

その「走るのが楽しい」という気持ちを自分にプレゼントしてくれた母親にオグリは深く感謝し、手紙に「私はこれからも走り続ける」「だから、どうか見守っていてください」と綴った。オグリは自分の栄光のために走っているのではない。自分を走らせてくれた母親に自分が母の託した夢や希望を実現する姿を見てもらうために走っているのだ。それはイナリワンと同じ姿勢だと言える。そして、それはタマモクロスもまた同じであった。タマモクロスは「日本一」の座を掴んだ時も、秋の天皇賞でオグリに勝って日本一の座を死守した時も、自分をウマ娘として見出して、夢を託して走れる場を与えてくれた「おっちゃん」に見てもらうために走っていた。

タマモクロスは有馬記念であれだけの走りをしたのだから、まだまだ勝ち続けることは出来たはずです。春の天皇賞ではオグリにリベンジして日本一の座を奪還して再び栄光を掴むことも出来たかもしれない。だがタマモクロスもまた自身の栄光のために走っているのではない。現実の世界の競走馬も同じです。自身の栄光のために走っているのではない。「走るために生まれてきた」サラブレッドといっても、全てのサラブレッドが「走ることの出来る晴れ舞台」を与えられるわけではない。その「走る場」は誰かから与えられるのであり、サラブレッドに「走る場」を与えてくれる人たちはみんなそれぞれ何らかの形の「夢」を競走馬に託すのだ。競走馬は人々の「夢」のために走るのです。そして「夢」を叶えると、「夢」と共にターフを去っていき、応援してくれた人々の心に帰っていく。競走馬とはそういう存在なのだ。

この「ウマ娘シンデレラグレイ」の物語におけるタマモクロスもまた、おっちゃんの夢を叶えて、おっちゃんのもとへ帰っていった。シンプルにそういう話だったと考えればいいでしょう。タマモクロスは大阪の病院に入院中のおっちゃんの病室に駆け付けると、おっちゃんは有馬記念のタマの走りを見たお蔭なのか少し病状が良くなっていて、ベッドに座っており「おかえり」と言う。それに対してタマモクロスも涙を溢れさせながら「ただいま!」と笑顔で応える。そうして「白い稲妻篇」は終幕となり、タマモクロスはウマ娘として、夢と共に去って行き、想ってくれた人々の心に戻っていく。それはきっといつか未来のオグリキャップの姿でもあるのでしょう。

 

 

野生のラスボスが現れた!

最終話、第12話を観ました。

今回は魔神王オルムとの戦いから離脱したルファスがオルムの話が途中で終わってしまったのでモヤモヤする場面から始まる。どうも主人公をルファスとしてこの世界に転生させた女神アロヴィナスがこの世界の謎に深く関与しているようだが、詳しいことは分からない。そうしている間にルファス一行はヴァナヘイムに到着する。そこはルファスの故郷であり、今は十二星天の1人である乙女のパルテノスが住民を追い出してその地を守護しているという。

しかしパルテノスは人間族の魔導士であったので200年も生きているのだろうかとルファスは不安を抱くが、案の定、パルテノスは1年前に亡くなったのだという。まぁ200年近く生きていたのだから十分凄いのだが。パルテノスが亡くなったと教えてくれたのはパルテノスの孫娘だというウィルゴという少女であったが、ウィルゴは天翼族なので義理の孫なのだろう。そのウィルゴの言うにはパルテノスは幽霊となってこの地に留まっており、定期的に結界を張り直すために姿を現わすらしい。

そこでパルテノスを呼び出すためにアイゴケロスが結界を壊したりしてルファスにシバかれる。しかし機嫌を損ねたのかパルテノスは現れず、仕方なくルファス達は山頂にあるルファスの故郷の村の廃墟を訪れる。200年前に封印される以前の本物のルファスは毎年欠かさず亡き母の墓参りをしていたとリーブラが言うので、今のルファスにとっては知らない相手だが母の墓参りに行くことにしたのだ。しかし故郷に村に入ると本物のルファスの記憶が頭に浮かんでくる。そのことを知るとディーナは自我が無くなる危険があるので気を付けるようにと忠告してくれます。

そうしてルファスが生家の廃墟に着くと、そこにパルテノスの幽霊が現われ、ルファスに「女神のシナリオ」について教えると言う。しかもパルテノスはルファスが本来の記憶を失っているということも知っていた。そもそも「女神の小細工で自分の記憶が失われるであろうからこの地を守護するように」と200年前にパルテノスに向かって命じたのは本物のルファス本人だったのだとのことです。

ここからはルファスとパルテノス2人きりの会話となったが、この地には女神の使役する「五龍」と呼ばれる5体の龍のうちの1体である「天龍」が封印されていた。パルテノスがルファスに命じられた役目はこの天龍が動き出さないように封印することであった。他の行方知れずの十二星天たちも他の五龍を封印するためにルファスが各地に派遣していたのです。

かつてルファスは女神のシナリオに抗うことを企て五龍を封印したのだが、ルファス自身は魔神族に勝利した後に魔神族も配下として連合軍で女神に挑もうとしていたらしい。だが女神の策略でルファスは七英雄によって封印されてしまったのだという。そういうことも見越してルファスはパルテノス達に五龍の封印の監視を命じて自身の復活を待つようにと言い残したようです。但し女神の小細工で自分の記憶が奪われ弱体化することも予期していたみたいです。

そういう真相を聞かされ、主人公は自分こそが女神に利用されてルファスの弱体化の道具に使われた者なのだと悟り、女神への意趣返しを決意する。なお女神はアバターを使ってこの世界の何処かに潜んでいるともいう。それも踏まえて、主人公は女神に会って真意を問い質そうと思い、そのためにこれから自分は本物のルファスのやろうとしていたことを突きとめて、それをやることで女神を誘き出そうと決意した。そうして主人公が女神への逆襲を決意したところで最終話は終わりますが、最後に「第2期制作決定」という告知が出ました。

 

 

顔に出ない柏田さんと顔に出る太田君

最終話、第12話を観ました。

今回はまず太田と柏田が子供たちと一緒にカブト虫相撲をする話から始まります。前回から引き続き夏休みエピソードですね。太田は佐田たちと待ち合わせをしていたらしいですが、柏田が子供たちと一緒に虫取りをしているのが見えて、虫取りで柏田に勝とうと思って参戦したらしい。しかし虫取りでも虫相撲でも柏田に完敗の太田であった。太田は顔に「虫を捕まえたい」という気持ちが出過ぎるので虫が怖がってすぐに逃げてしまうみたいです。一方で柏田は顔に出ないので虫に警戒されずに近づいて捕まえることが出来るようで、柏田の圧勝となる。

子供たちの中にはゆうちゃんという女の子と、ようた君という男の子がいましたが、ようた君はゆうちゃんに意地悪なことばかり言うので、柏田はそのことを聞いて、ようたのことを「太田みたい」と評します。そうしていると、ゆうちゃんのお母さんが迎えに来て、ゆうちゃんが実は病弱であんまり外で一緒に遊んでくれる友達がいないのだと言います。でも、ようた君だけはゆうちゃんと外で遊んでくれるのだとのこと。

まるで幼稚園の時の柏田に対する太田の態度そっくりです。それでも、ゆうちゃんは「でも、ようた君は意地悪ばっかり言う」と悔しそうに言う。すると柏田はゆうちゃんに「それは多分、ゆうちゃんと仲良くなりたいからだよ」と諭す。それでゆうちゃんは安心して嬉しそうにようたの方を見ますが、ようたは真っ赤になって照れて走り去ってしまう。そんなようたの後ろ姿を見て佐田は「とんだ太田ジュニアだな」と言い、田所も「太田の生き写し」とからかう。柏田は太田が自分に意地悪をするのは自分と仲良くなりたいからだと分かっているのです。それは幼稚園の時から気付いていることなのでした。

続いては同じく夏休み中の出来事で、柏田は田淵と小田島と一緒に浴衣を着て夏祭りに出かけます。柏田は後で行われる打ち上げ花火を心待ちにしつつ屋台を回りますが、そこで太田が佐田と田所の一緒に夏祭りに来ているのにバッタリ会います。すると田所や佐田が女性陣の浴衣を可愛いとか言って褒めたので田淵は照れてしまったりする。だが太田が何も言わないので、柏田は太田に「浴衣をどう思うか」と質問する。しかし太田は気持ちを悟られないように顔を背けて「全く似合ってねぇ」と捨てゼリフを残して立ち去ってしまう。太田に浴衣を褒めてもらいたかった柏田はちょっとしょんぼりします。

その後、打ち上げ花火が始まりますが、柏田は皆とはぐれてしまい、田所たちからそのことを聞いた太田は柏田を探します。すると人気のない場所で怪しい男に声をかけられている柏田を見つけ、男が柏田に「彼氏はいるの?」と言って迫ろうとしているのを太田は後ろから肩を掴んで「いる!」と凄み、男が怯んだスキに太田は柏田の手を掴んで引っ張り寄せて、そのまま手を掴んだまま柏田を連れてその場を離れます。

そうして太田が怒った様子なので柏田が「怒ってる?」と聞くと、太田が「当たり前だ!何があるか分かんないだろうが!」と怒鳴る。それを聞いて柏田は太田が自分のことを心配してくれていたのだと嬉しく思う。その上で「でも、私、いないんだけど」「彼氏って誰?」と太田に質問する。さっき太田が怪しい男に「彼氏はいる!」と言って柏田の手を掴んで連れていったのは、まるで太田が柏田の彼氏だと宣言したみたいだったからです。

柏田は太田の手を掴み、そのまま太田が告白してくれても受け入れる構えになったが、もちろん太田がそんなことが出来るとも思っていないので半ばからかっているつもりだった。すると太田は案の定「あれは咄嗟に出た言葉で」「知らねぇよ」と真っ赤になって誤魔化す。それで柏田も残念ではあったが面白がりますが、太田は真っ赤になったまま、さっき意地を張ってしまって言いそびれてしまった言葉を口にする。それは「浴衣、かわいい」という言葉であったが、ちょうど花火の音と重なってよく聴こえず、柏田は「え?」と聴き返すが、そこに田所たちがやってきたので、そこで会話は終わってしまい、あとは皆で河原で手持ち花火で遊んで夏祭りの日は終わったのでした。

そして夏休み最後の日の夜、太田は残っていた夏休みの宿題を必死にやっていたが、柏田もカバンの底に忘れていた宿題が出てきて片付ける羽目になった。そうして深夜に宿題が終わって柏田はどうせ太田は徹夜で宿題をやるから起きているのだろうと思いスマホで「今宿題が終わって寝るところ」メッセージを送る。太田はからかわれてると腹を立て無視したが、柏田は太田から返信が無いので「楽しみ」「明日、太田に会える」と更にメッセージを送る。太田は「別に」と返信し、柏田は太田から返信が来たことを喜んで寝ようとする。しかし太田の姉がふざけてキスを求めるようなスタンプを送ったので、柏田は興奮して眠れなくなってしまい、翌朝の二学期初日、2人とも寝不足で登校したのでした。

そういうところで最終話は終わりましたが、2期の告知などは無かったです。原作漫画は全10巻で完結しているのですが、どうも今期の内容は3巻までの内容みたいであり、まだまだお話は続きがあるみたいです。だから2期を作れるだけの原作ストックは十分なんですけど、それでも2期の告知は無かったので、まぁ2期を作る気は無いのでしょう。こういう作風ですから、まぁここで終わりでもそれはそれで良いんじゃないかと思います。

2026年冬アニメのうち、2025年12月20日深夜までに録画して12月21日に視聴した作品は以下の3タイトルでした。

 

 

青のミブロ 芹沢暗殺編

第1話を観ました。

この作品は少年マガジンで連載中の漫画が原作で、幕末の京都を舞台にして新選組隊士たちの姿を描く青春群像劇であり、今期は2024年秋クールから2025年冬クールにかけて連続2クール全24話放送された第1期の続きの第2期にあたります。作品タイトルにあるように、今期は新選組(壬生浪士組)の初代局長である芹沢鴨の暗殺事件が描かれることになりますが、第1期は架空の事件がベースで物語が進んでいたのに対して、この第2期以降は割と史実に沿った話が描かれていくことになり、もちろん芹沢鴨の暗殺事件というのも史実において実際にあった話です。まずはその暗殺事件に至る物語が描かれていくことになりますが、話の展開は史実に沿ってはいるものの主人公のにおが架空の人物であることからも、基本的にはフィクションの物語です。

第1期は京都にやってきた壬生浪士組の皆と出会ったにおが入隊し、様々な出来事を経て少しずつ成長していき、血の立志団というテロ集団との戦いの中で悲しい別れなども経験し、「誠」の文字を入れた揃いの羽織もようやく出来上がり、共に人々を守るという絆を結んだ若き将軍徳川家茂公が江戸に去っていくのを見送るという場面で終わっていました。今回はその続きから話が始まります。家茂公は大阪から船で江戸に戻っていき、壬生浪士組の皆は大阪まで見送りをした後、仕事が終わったので大阪に宿泊して束の間の休暇を過ごすこととなった。

しかし大阪の町を歩いていると、いつの間にか近藤の姿が見えなくなっていることに気付いたにおが近藤を探すと、近藤は街角で商家を覗き込んでいる怪しい男を見つけて監視していた。もしかしたら空き巣狙いかもしれない。壬生浪士組はあくまで京都の治安を守るために剣を振るうことを許されている組織であり大阪は管轄外なのだが、犯罪を見過ごすことは出来ないということで近藤とにおがその怪しい男を呼び止めると逃げ出し、かなりの手練れのようで刀を構えて抵抗してきたが近藤は流石に強く、無手で取り押さえた。

男は山崎丞という町人であったが剣で身を立てようと実家を飛び出し修業したが仕官が叶わず浪人中の身だという。さっき覗き込んでいたのは実家の鍼医院であり、父親が面倒な相手から借金をして困っているというので気になって見ていたのだという。近藤は手を貸すと言うが、山崎は「借金取りは大阪奉行所の与力と裏で繋がっている」と言い、近藤達が壬生浪士組だと知ると、立場上面倒なことになるから手を引くようにと忠告する。だが近藤もにおも全く意に介することがなく、むしろ与力ともあろう者が違法な金貸しとつるむことは見過ごせないと憤る。

山崎の実家に行くと同心が十手を手にして借金の取り立てに来ており、借金は返したらしいが法外な利子を要求していた。すると近藤は自分の自慢の虎徹(偽物)を差し出し、これを売って利子に充ててほしいと同心に迫る。同心が断ると近藤は更に迫り同心の腕を捩じ上げたりするので同心は捨てゼリフを吐いて去っていく。近藤たちも帰っていくが、山崎の父は実家に戻った方がいいんではないかと申し出る山崎に「剣の道に進むんだろ」と言い、息子が近藤たちに惹かれているのを察して、壬生浪士組に行くよう勧めます。

一方、大阪に逗留中の芹沢は太郎に刀を買ってやり持たせてやる。これで太郎も他の隊士たちと同じように二本差しで歩けるようになったわけだが、正直言って刀を振るって戦うなんて怖くて真っ平だと思っている太郎には迷惑であった。それでも芹沢が自分の頑張りを認めてくれた証なのかもしれないと思うと太郎は少し嬉しくもあった。しかし太郎は大阪の町で力士にぶつかってしまい因縁をつけられる。

その後、場面は飛び、その力士を芹沢が斬り殺す場面が描かれ、そこに太郎が真っ青な顔でへたり込んでいた。更に場面が飛び、その夜、逗留している宿で土方や山南たちが芹沢に「どうして力士を斬ったのか」と血相変えて問い詰めている場面となるが、芹沢も太郎も事情を詳しく話そうとしない。そうしていると殺された力士の仲間たちが集まって宿の前に押しかけてきて殴り込みをかけてきた。すると太郎が1人で謝罪に行ったが力士たちに蹴り飛ばされ、そこに芹沢が乱入して力士たちを次々と斬っていく。土方らは慌てて芹沢を止めようとするが芹沢が強すぎて止められない。するとそこに近藤が割って入り芹沢をようやく止めたところで今回のお話は終わり、次回に続きます。

 

 

不滅のあなたへ Season3

第12話を観ました。

今回から後半クール分として扱い、2026年冬アニメ分として扱います。今回はフシが色々と思い悩む場面から始まります。もちろんノッカーのことで悩んでいる。ノッカーは死にたがっている人間の身体の中に入り込み、基本的には生きた人間の命を奪ったりせずに身体のに棲みつき、人間の痛みを肩代わりしたりして過ごしている。人間の痛みを肩代わりする時は意識も乗っ取ることになり、表にノッカーの人格が出てくるが、その際も周囲には宿主の人格を演じてみせるので正体がバレることはない。また、その際の宿主の人間の方の記憶は残らないので、宿主は自分がノッカーに寄生されていることも、時々ノッカーに意識を乗っ取られていることも自覚していない。この状態のノッカー奇生体のことをボンや観察者は便宜的に「半ギョウ体」と呼ぶ。

そして宿主の人間が死んだ場合、その身体をノッカーが完全に奪いとり、宿主のフリをして生活しているものを「全ギョウ体」と呼ぶ。例えばミズハは半ギョウ体だ。一方でみもりノッカーは全ギョウ体であったが、その前は半ギョウ体の時期もあった。みもりが自殺した後にノッカーが身体を奪って全ギョウ体になったのだ。イズミもフウナも現在は全ギョウ体だが、以前は半ギョウ体だった。宿主であるイズミやフウナが死んで全ギョウ体に変化したのだ。こうして見てみると、半ギョウ体は全ギョウ体の前段階に過ぎないように見える。人間はどうせいずれ死ぬからです。

ただ寿命で死んだ人間の身体をノッカーが全ギョウ体となってその後も自由に使い放題になるというわけではない。宿主が天寿を全うすると寄生しているノッカーも死んで楽園に行くらしい。それは半ギョウ体も全ギョウ体も同じであり、例えばイズミやフウナの全ギョウ体はイズミやフウナの身体がもともと天命として持っていた寿命が来ると身体と共にノッカー自体も死んでしまい楽園に旅立っていくようです。観察者の言うには「子供が親から与えられた玩具で遊んでいるようなもの」であり「所詮は人間の真似事にすぎない」のだそうです。

フシから見ればノッカーはずいぶんと無意味なことをしているように見える。だから「きっと何かを企んでいるはずだ」と疑っている。だが何を企んでいるのかよく分からない。だが何かを企んでいるのは間違いない。問題は、そういう危なっかしい存在を人々が知らず知らず受け入れてしまっていることです。ノッカーが人間に寄生していることをバレないように用心深く「共存」や「平和」に努めているのも、きっとそうやってジワジワと人間社会に浸透していくためなのだ。その先で何かとんでもないことが起きるに違いないとフシは思った。

ただ、それ以上にフシが危機感を抱いたのは、みもりやイズミの事例などを見る限り、明らかに違和感のあるケースでも周囲の人間が全ギョウ体のノッカーを受け入れてしまっているケースが散見されることだった。例えばみもりの全ギョウ体はひろとしはずっと違和感を覚えていたが、父親や母親は問題視していなかった。イズミの全ギョウ体も娘のミズハはノッカーだと分かっていながら母親として受け入れてしまっている。それは「彼らにとって本来の人格よりも全ギョウ体のノッカーが作った偽の人格の方が都合が良いから」であった。そうした人間が増えると、ますますノッカーを駆逐することが難しくなる。実際、フシはそのせいでイズミの全ギョウ体を殺すことが出来なかった。いや、それ以前にフシ自身が全ギョウ体のノッカーの人間と同じように感じる「痛み」が気になって殺すことが出来ない状態になってしまっている。これは由々しき事態だった。

そこでフシは「このままではいけない」と危機感を募らせ、まずはノッカーの生態を観察して「ノッカーとどう戦うべきなのか」の手掛かりを探すことにした。それで鳥に変身して中学で学園の日常生活を送る半ギョウ体のミズハや全ギョウ体のフウナを観察していた。すると調理実習の時にイジメっ子たちの意地悪でミズハが怪我をして、保健委員であるフウナがミズハの怪我の治療をすると言ってミズハを廊下に連れだして水道で手を洗う。

フウナは全ギョウ体なので常に人間のフリをして演じているのだが、ミズハは半ギョウ体なので怪我をした時点では人間のミズハであった。だが廊下に出て水道で手を洗う段階では既にノッカーが意識を乗っ取っており、そうしてノッカーが表に出てきている状態では手の怪我はみるみる治癒して消えてしまった。それを見たフシは「半ギョウ体はノッカーが表に出ている時はノッカー並みの治癒力や身体能力を発揮するのだ」と理解した。もちろん全ギョウ体の場合は常にノッカーの能力を使えるのだろう。

なおミズハノッカーもフウナノッカーもフシが鳥に化けて自分たちを観察していることはお見通しのようで、からかってきます。確かに学校の廊下に鳥が潜んでいるのも不自然ではありますが、廊下に出てきたばかりですぐに身を隠している鳥になったフシの存在に気付くというのはちょっと勘が良すぎる。

すると、そこにユーキがやって来てミズハとフウナに向かっていきなり「2人はミュータントと人間、仲良くなれると思いますか?」と素っ頓狂な質問を大声で投げかける。調理実習室の2年生の生徒たちも思わず振り向いてユーキとミズハ達を見てしまうほど大声でした。フシもミズハもフウナも驚いてユーキの方を見る。フシはいつも変な言動の多いユーキがまた変なことを言いだしたと思って呆れて見ますが、ミズハとフウナはユーキを警戒する態度となる。

ミズハ達はユーキがフシの仲間だということは分かっている。だからユーキがフシから自分たちがノッカーだという話も聞かされている可能性は高いと思っている。だから、そのユーキが「ミュータントと人間が仲良くなれると思いますか?」と質問してきたのは、それなりに意味のある質問なのだと判断した。「ミュータント」というのは「ノッカー」を指す隠語に違いない。おそらく真意を試そうとしているのか、あるいは衆人注目の中で際どい質問をぶつけて動揺させてボロを出すよう仕向けようとしているのか、そんなところだろうと思ったミズハとフウナは、自分たちがフシに「人間との平和と共存」を説いたのと矛盾しないように「もちろん仲良くなれると思う」と答えることにした。ただ、あまり具体的に踏み込んだ会話をすると周囲に違和感を与えてしまうので、とりあえず「ええ」と軽く受け流すことにした。

するとユーキはその答えに満足したようで「ですよね!僕も思います!」と歓喜し、「じゃあ僕と握手しましょう!」とミズハに向かって両手を差し出す。どうやらユーキは相手がノッカーだと分かった上で握手をしようとしているみたいです。以前から「ノッカーと平和協定を結ぼう」などとワケの分からないことを言っていたユーキですから、また甘いことを言ってるのかと思いフシは呆れます。一方でミズハとフウナはユーキの真意が掴み切れず困惑した表情を浮かべますが、無視したり拒絶すると周囲に違和感を持たれると思い、ひとまずミズハはユーキに「仲良し~」と冗談めかして言って握手してあげます。

するとユーキは「やった~!僕、人間以外の友達が欲しかったんです!」と万歳して「それじゃまた後でおしゃべりしましょう!」と上機嫌で去っていく。フシはユーキがまた甘いことを言っていると思い呆れ、ミズハとフウナもユーキを「バカみたいにお人よしな人間だ」と呆れて見送る。そしてフウナはミズハの手の怪我が一瞬で治っていることを隠すために手に包帯を巻き、次の瞬間、ミズハの本来の人格が表に出てきて、ミズハはいつのまにか手に包帯が巻かれていて、手に痛みも無いことに戸惑いますが、先生に呼ばれて調理実習室にフウナと一緒に戻っていく。

その日の夕方、アオキ家ではユーキが「ノッカーに気付かれずにフシと会話する方法」を模索しており、500年前のカハクの故事を調べて、カハクの左腕のノッカーが筆談をしていたという記録を見つけて「筆談でもダメだ」と気付き、会話や筆談以外の方法、つまり「言語を使わないコミュニケーションする方法」が必要だという考えに至り、エコたち土器人の土器を使ったコミュニケーション法に辿り着きます。

エコたち古代の土器人はかつて「土器に想いを込めた紋様を練り込み、それを心で読み取ることでコミュニケーションをとっていた」のですが、土器人以外の人間は土器に込められた紋様を心で読み取ることは出来ないが「紋様を練り込むこと」自体は出来るということをユーキは発見したのです。つまりユーキが自分の考えを土器に紋様として練り込むことによって、土器人であるエコの弟に変身したフシがユーキの考えを「言語を介することなく知ることが出来る」のです。

「これでノッカーに気付かれずにフシと会話が出来る」とユーキは喜んだ。これはつまり言い換えれば「通常の会話や筆談ではノッカーに筒抜けになる」ということです。どうしてユーキがそう思ったのかというと、それはフシ自身がそう言っていたから。フシは「ノッカーは俺を監視している」と言っていた。フシがそう思った根拠はノッカー自身が「楽園からみもりやミズハを観察していた」と言っていたからです。ノッカーは何らかの方法で人間たちの生活を観察している。フシの居場所もみもりノッカーに見つかったりしていた。みもりノッカーとフシが戦っている場所にフウナノッカーが現われたりしていた。つまり人間やフシやノッカー同士も、全てはノッカーによって監視されている。

フシはそれを単に「監視されている」としか考えていなかった。だがユーキは更に一歩踏み込んで考えた。ユーキは確かに変人だが、オカルト研究が大好きで超常現象に関する知識は豊富であったし、フシ関連の古代文献などにも詳しかった。だからフシよりも深く考察することが出来た。ユーキは「ノッカーは目も耳も無いのに一体どうやってフシや人間を監視していたのだろう?」と根本的な疑問を抱いた。確かに半ギョウ体や全ギョウ体のように人間の身体に寄生したノッカーは人間の目や耳を介して他者を監視することは出来る。だが古代文献を当たると、500年前のカハクの左腕のノッカーは他のノッカーとコミュニケーションをとっていたし、レンリルに攻めてきたノッカー達も明らかに連携した動きを示していた。だが当時はまだノッカーは生きた人間に寄生することは出来ていなかった。目も耳も無い肉球のような姿だったはずだ。それなのにコミュニケーションは取れていた。じゃあテレパシーのような方法でコミュニケーションを取っていたに違いない。

だが、これまで何度かノッカーと対峙した経験と照らすと、ユーキには違和感があった。例えばみもりノッカーがもしテレパシーでフシの思考を読むことが出来たとしたら、あんなに一方的にフシに負けたりしなかったはずだ。「個々のノッカーにはテレパシー能力は無いのではないか?」と考えたユーキはそのことを検証するために調理実習室の外でミズハノッカーとフウナノッカーに話しかけたのです。

あれは「ノッカーに衆人環視の中で正体がバレるかもしれない想定外の質問をぶつけた場合の反応」を確かめるための実験だったのです。ユーキが「ミュータントと人間が仲良くなれると思いますか?」とか「僕も仲良くなれると思います!握手しましょう!」などという想定外の「対応を誤れば面倒なことになりそうな言動」をいきなりぶつけられてミズハノッカーもフウナノッカーも一瞬戸惑った。その時、2人は「どう対応すべきか」について意見の一致を図ろうとした。テレパシーを使えるのなら瞬時に頭の中だけで解決するはずです。だが、あの時、ミズハとフウナはアイコンタクトで意思疎通を図っていた。それを確認してユーキは「個々のノッカー同士はテレパシーで意思疎通は出来ない」と結論づけた。

だが間違いなくノッカーはテレパシーによって情報を共有しており、人間やフシの言語コミュニケーションも傍受している。それなのに個々のノッカー同士でテレパシー通信さえ出来ない。そこから導き出される推論は「何処かにテレパシー能力を持った中枢ノッカーが存在しており、その中枢ノッカーがフシや人間を監視しており、個々のノッカーはその中枢ノッカーから指令を受けている」ということになる。

その中枢ノッカーの居る場所が「楽園」なのだ。それでもうほとんどユーキは話の全体像は見えてきたが、更に傍証を得るためにボンを介してフェンやニクソンたち霊体に「テレパシーを使えるか?」と質問した。だがフェンやニクソンは「テレパシー」という概念自体を知らず、もちろんテレパシー能力などは無かった。だがテレパシー能力自体はノッカーが使っている以上は存在しているのは間違いない。だがフェンやニクソンが知らないということは「おそらく彼らがずっと地上に留まっている霊体であり、楽園に行ったことがないからなのだろう」とユーキは思った。つまり「地上にいる限りテレパシーは使えないという制約を受ける」「だが天に昇り楽園に行けばテレパシーは使える」のだ。

要するにノッカーの本拠地は地上の遥か上の宇宙空間に存在し、そこが「楽園」と呼ばれており、人間に寄生する微細なノッカーはその「楽園」からやって来ているのだ。そして人間に寄生した個々のノッカーは「楽園」に居るノッカーから一方通行のテレパシーで情報提供を受けて情報を共有している。一方通行だからフシとの戦闘時とかユーキとの会話時に臨機応変な情報提供はしてくれない。「楽園」から地上を監視して掴んだ情報のうち適切なものを地上に居るノッカーのうち作戦遂行に関係する個体だけに選択的に一方通行に送信してくるだけなのだ。

そういう仕組みだと理解した上で、ユーキはその楽園ノッカーからの監視網をすり抜けてフシと意思疎通をする特殊な方法が必要だと考えて、土器を使ったコミュニケーションに辿り着いた。それは「ノッカーにどうしても知られたくない秘密の作戦」があるからでした。ただユーキは「ノッカーを殲滅する作戦」を思いついたわけではない。ユーキがミズハ達に言った「ミュータント(ノッカー)と人間が仲良くなれる」というのはテレパシーの有無を確認するための方便なのではなく、あれはあれで本心なのです。ユーキは本気で「ノッカーと平和協定を結ぼう」と考えている。

ただもちろん「握手をするだけで平和協定を結べる」なんて能天気なことを考えているわけではない。ノッカーが何かとんでもないことを企んでいることは承知している。それについてもユーキは推論を進めていた。その推論をまずノッカーに知られたくないので土器を使った秘密の暗号通信法を思いついたのだ。そこから先、ユーキは土器を使ってフシに自分の推論を伝えた。

古代文献を精査し、更にみもりノッカーの言動なども照らしてノッカーの生態や思想を考えると、やはりノッカーの基本理念は「死こそが救い」「肉体はファイを閉じこめる檻」なのであり、肉体を殺して人間の霊体(ファイ)を楽園に連れていくことを最終目標としているはずだと思えた。だがその目標達成の最大の障害となるのがフシだ。何せ死んだ人間を復活させて地上に留める力を持っているからだ。そもそもフシが作られた目的が「世界を保存して再現するため」なのだから、ノッカーが世界丸ごと滅ぼして人間の霊体を全て楽園に招待しようとしても、その苦労がフシ1人居るだけで全て一瞬で無に帰す可能性があるのだ。

だからノッカーの最大の悲願は「フシを殺す方法を見つけること」にある。本来は人間の肉体を嫌悪するノッカーがわざわざ人間の身体に寄生して地上で活動している目的は「世界平和」「人間との共存」などではない。それは「フシを殺す方法を見つけるため」なのだとユーキは推論した。実際、みもりノッカーの任務についてミズハノッカーも「フシの命の在処を探すため」と言っていた。地上に降りてきている全てのノッカーがそうだとは限らないが、ノッカーの主要目的が「フシを殺すこと」であるのは間違いないだろう。

そして、ここからが最重要な推論だが、なかなかフシを殺す方法が見つからない中、おそらくノッカーは観察者、つまりサトル少年を狙うだろうとユーキは推論した。何故なら観察者こそがフシの生みの親であり、フシの全てを知る存在だからです。観察者を殺せばフシの秘密が明らかになるかもしれない。そうノッカーは考えるだろう。ノッカーにとって幸いなことに観察者は現在サトル少年となり弱体化している。今なら殺せる可能性が高いと判断し、行動を起こすだろう。だからサトル少年が危ないのだとユーキはフシに伝えた。

その日の夜、サトル少年の住む児童養護施設にフウナが忍び込み、サトル少年を殺そうとした。だがフシが待ち伏せしており、それを予期できていなかったフウナは慌てて養護施設の子供を人質にとった。その子は養護施設の最年長の女子であるスミカの2人の妹のうち最年少のミチであった。フウナは薙刀の刃でミチの喉に傷を負わせ、フシが怯んだ隙にミチを連れて施設内に侵入し、サトルの部屋に行った。フシは追って施設内に入るとますミチの無事を確認したが、ミチの喉の傷は消えており、フシはミチに毒針で襲われる。なんとミチはノッカーだったのです。

だがフシは一瞬で分身を作り出してそちらに意識を移して毒針攻撃をしのぎ、逆に反撃してミチを倒して、すぐにサトルの部屋に向かった。だがフウナはサトルに簡単に返り討ちに遭って殺されていた。しかもサトルは一瞬でフウナを一輪の花に変えてしまい、その茎からノッカー本体を取り出して燃やしてしまったのだ。圧倒的な力であった。弱体化したというのは嘘だったのか、それとも弱体化してもなおそれだけの力があるということなのか、とにかく観察者がノッカーを簡単に殺す力があるということを知ったフシは驚き、これまで自分を騙していたことで観察者を責め「これからは協力してもらうぞ」と迫る。

だが観察者はフシの「ノッカーを全滅させる」という計画に手を貸す気は無いと言う。まずあまりに地上に散らばったノッカーの数が多く、全滅させるのに膨大な年月がかかるというのがある。それで世界を平和にした頃にはフシの仲間たちはもう寿命でみんな死んでいるだろう。せっかく仲間と共に平和を謳歌するために生き返らせたのに、その仲間達が死ぬまで平和は到来しない。フシの方針だとそういうことになる。それで本当に良いのか?目的達成のためには別の方法を検討した方が良いのではないか?そう観察者は言うのだ。

また、観察者の考えではノッカーを全滅させるにはもっと時間が長くかかりそうだ。何故なら観察者は「殺すべきノッカーとそうではないノッカーを見極めなければならない」と考えているからです。例えばさっきフシを襲ったミチは全ギョウ体だ。ミチは幼少時から酷い病気に冒されていて「早く死んで楽になりたい」と望んでいた。だからノッカーが身体に寄生した。そして本物のミチは死んで、その霊体は楽園に行った。姉のスミカとトモリは嘆き悲しんだが、ミチは生き返り健康体になり、スミカ達は「奇跡だ」と大喜びした。もちろん実際はノッカーが身体を奪った全ギョウ体なのだが、それが分かった上で観察者はスミカ達の幸せを奪いたくないと言う。

ノッカーはスミカ達を幸せにしている。確かに宇宙空間の「楽園」に居るノッカーは人類滅亡を企んでいるのかもしれないが、地上に居る個々のノッカーはその指令を受けて動いているに過ぎない。実態は様々であり、邪悪な個体もあれば、割と無害で周囲を幸せにしている個体もある。後者のようなミチのような個体は観察者は殺したくはないと言う。何らかの可能性を秘めており、その可能性に賭けてみてもいいのではないかと考えている。そういう「殺すべきノッカー」「殺す必要のないノッカー」を見極めなければならない。そう考えると更に事態の解決までには長い年月が必要となる。

こうした観察者の考え方は実はユーキの考え方に近い。ユーキも全てのノッカーを倒すには時間がかかり過ぎるし、無害なノッカーも居るはずだと思っている。問題なのは「地上のノッカーに悪しき計画の指令を送ってくる楽園の中枢部のノッカー」なのだ。だからその計画をまずは挫く必要がある。完全に潰すことは出来なくても、ある程度の打撃を与えて計画を一旦頓挫させ、その上で「平和協定」を結んで、今度こそ本気で人類と共存させるよう交渉するのだ。ユーキがフシと暗号通話をしてでも作戦を練ろうとしているのは「ノッカーを全滅させる戦い」のためではない。「ノッカーと講和するための戦い」のためなのです。

しかしフシは観察者の意見に賛同はしない。「ノッカーにどんな理由があろうとも、他人の人生を代わりに生きようなんて傲慢だ!許しておけない!反吐が出る!」と怒鳴り返す。だが観察者は「お前がそれを言うのか?」と静かに問い返す。それを聞いてフシはギクリとして言葉に詰まる。確かにフシこそがこれまで数多くの「他人の人生」を生き直してきた。つい先日もミアやウーパやウーロイの人生を代わりに生きたような気になってトナリに非難されて反省したばかりだった。

それでもフシも必死で「俺はノッカーとは違う!」「俺は奪ったりしない!」「対話も無しに黙って身体を使うなんて、奪ってるのと同じだ!」とノッカーの非道を訴える。だが、その言葉もまたブーメランのようにフシ自身に返ってきて突き刺さる。観察者はフシに「ではお前はその身体の少年と対話したのだな?」と冷たく問いかける。フシの現在の姿は、あの最果ての村で出会った最初の少年の姿であったが、確かにあの時、フシは彼と対話はしなかった。何せ犬だったし。それにあの少年は「僕の身体を使って、代わりに僕の人生を生きてほしい」などとは言っていなかった。ただ「僕を忘れないでいて」と頼んだだけだ。フシは彼を忘れないように彼の姿になっただけであり、確かに彼と対話して彼の許可を貰ったわけではない。フシの定義に照らせば、フシはあの少年の身体を奪って、勝手に人生を代わりに生きている傲慢な行為を平然と続けていることになる。そんな自分がノッカーを非難する資格があるのだろうかとフシは怯んだ。

だがフシはそれでも必死に「俺は皆のために平和にしなくちゃいけないんだ!」と抗弁する。それに対して観察者は「やりなさい」「私はもう止めない」と言って立ち去ってしまう。フシはもうそれ以上、観察者に協力するよう強く迫ることは出来なかった。そうしてフシが呆然としていると、そこにボンがやってきて、フシの苦悩を理解しているかのように「僕に何か出来るかい?」と聞いてくる。それに対してフシは「俺はまだ剣を振るう勇気が無い」「その代わり、別の方法を試してみる」「協力してほしい人がいる」と言う。

そしてラストシーンは不可解な描写となる。なんとフウナが登場するのである。だがフウナは身体は花に変えられてしまい、ノッカーとしての本体は取り出されて燃やされてしまったはず。フウナは全ギョウ体だからノッカーが死ねばもう他には何も無いはず。そこで完全に死んでしまったはず。身体も花になったのでもう無いはず。それなのに普通にフウナは生きて動いている。しかも全ギョウ体であった時の記憶も無いみたいです。

考えられるのは「フシが身体を新たに作って、そこに元の人間フウナの霊体が入って復活した」というみもりと同じパターンしか無いのだが、みもりの場合は霊体が地上に留まっていたのでそれが可能だった。だがフウナの霊体が地上に留まっていたという描写は無かった。あのトンネルで殺された後、フウナの霊体は登場していない。しかし登場していなかっただけであり、実際は地上に留まっていた可能性はある。そういえばトンネル事件の直後、ボンが誰か姿の見えない相手と会話して「僕はオジサンなんかじゃない!」とかキレてた場面があったが、あれがどうも怪しいような気がする。そういうところで今回のお話は終わり、次回に続きます。

 

 

グノーシア

第11話を観ました。

今回から後半クール分として扱い、2026年冬アニメ分として扱います。今回はまた新たなループが始まりますが、今回はユーリは男の身体に戻っていました。そして今回はユーリとSQの2人が「留守番」ということになります。つまりルーアンでグノーシア汚染騒動が起きた際に宇宙船内で留守番していて降りていなかったので、この2人だけは人間であることが確定している。そして今回の乗船者はユーリとSQに加えてセツ、夕里子、しげみち、シピ、レムナン、ジョナス、ククルシカの合計9人、そのうちグノーシアは2人であり、エンジニアとドクターと守護天使は1人ずつ居るらしい。

ユーリとしてはグノーシア探しも重要ではあるが、もう1つ「銀の鍵が今回の世界線では何を求めているのか」という点も重要です。つまり、自分は今回の世界線ではどういう人間に関する新たな情報を手に入れるよう仕組まれているのか、それを見極めなければならない。まずこれまでのループの中でユーリ自身が気になっていることは「夕里子が何かを隠していること」「ククルシカは一体何者なのか」「レムナンはどうしてあんなに怯えているのか」あたりです。

そして今回はジョナスとククルシカが同時に乗船している。前回のループではユーリがジョナスにククルシカについて質問したところ「ククルシカが乗船していなかった=ユーリはククルシカと会ったことがないはず」ということをうっかり忘れていたユーリのミスでジョナスが警戒してしまい情報を聞き出せなかった。だが今回はジョナスとククルシカが一緒に乗船しているから、ジョナスにククルシカについて質問する機会はありそうです。

ただ前回のループで「ジョナスがククルシカとそっくりの人形を船内に隠し持っている」「ククルシカも人形である可能性が高い」という、なんともややこしい状況であることが分かってしまった。そうなると逆にジョナスに質問するのが難しくなってくる。そんなに簡単に正直に本当の事情をジョナスが話すとは思えないし、質問の仕方次第ではジョナスに敵意を持たれてしまう危険もあるからだ。

1日目の会議の方は、まずしげみちとレムナンの2人がエンジニアだと名乗り出た。ドクターは毎度のごとく1日目の会議では名乗り出なかった。守護天使が名乗り出ないのもいつも通り。ただエンジニアも「誰がグノーシアなのか」について調べることが出来るのは会議が終わった後の今晩ですから、現時点では有意義な情報は無い。結局、1日目の会議は「何となくの印象」で凍らせる者を選んでしまうことになりがちであり、今回はなんとククルシカが選ばれてコールドスリープされてしまった。

こうなるとユーリはジョナスにククルシカのことを質問出来なくなってしまう。何故ならユーリは「記憶喪失になってしまった」という設定になっているので、ユーリ視点では同乗者とはほぼ初対面だったということになっているからです。つまりククルシカとも「さっき会ったばかり」なのであり、その後すぐにククルシカがコールドスリープされたので、実質的にユーリとククルシカは「面識が無い」状態となっている。船内でこれから何日か共に過ごしていくうちに、ジョナスにククルシカに興味が湧いたフリをして質問するのならば可能だが、こんな面識がほぼ無いまま終わってしまったククルシカについて質問するのは不自然極まりないのです。

これは言い換えると「今回の世界線で銀の鍵が自分が知ることを期待しているのはククルシカに関する情報ではない」ということを意味する。それならば一体何なのだろうかと、ユーリが自室で銀の鍵を取り出して眺めながら物思いに耽っていると、そこにSQがやって来た。いつも冗談めかしたことばかり言って捉えどころの無いSQだが、今回はユーリとは「共に人間であることが確定している同士」として信頼を寄せてくれている様子。それで「誰がグノーシアだと思うのか」など情報の共有をしようと思ってやって来たようです。

だが「人間であることが確定している=グノーシアだと警戒せずに信頼し合える」ということは「今回の世界線で自分が得るべき情報はSQに関する情報かもしれない」と思ったユーリは焦ってSQと距離を縮めようとして、かえってSQはちょっとドン引きしてしまい帰ってしまう。それで慌ててユーリはSQを追いかけていき変な態度を取ったことを謝る。するとSQはちょっと嬉しそうにして、その後2人で「誰が怪しいか」などと会話するうちに、ユーリは前のループでSQがレムナンのことを「パパ」などと呼び、レムナンがSQのことをひどく恐れていたのを思い出した。

それでユーリは「もしかして今回の世界線ではSQを通してレムナンの情報を得ることが自分のやるべきことなのかもしれない」と思い、SQにレムナンのことを質問するが、あまり要領を得ない。そうしているうちにSQはユーリが何か隠し事をしていることに気付き、ユーリも人間であることが確定しているSQを過度に警戒する必要も無いと思い、銀の鍵の件やループの件を打ち明ける。するとSQはユーリがレムナンの件を知りたがる理由や、自分と距離を詰めようとしてきた理由が納得いったようであるが、同時にちょっと寂しそうに「そういう事情でもなければ近づく人もいないか」と自嘲する。

ともかく、SQはユーリの事情を知って「自分のこと」と「自分の想像のつくレムナンのこと」を教えてくれる。まずSQの正体は「ママ」と呼ばれる人物の若返りのために人工的に作られた511個目のスペアボディなのだそうです。そのスペアボディに「ママ」の意識を移したところ、実験は失敗して自我が芽生えてしまい「ママ」の記憶の断片と自我を繋ぎ合わせた「失敗作」なのだという。その失敗作が周囲を騙して嘘をつき人間のフリをしているだけ。だからいつも冗談めかしてウソとも本当ともつかないようなことを言っているだけ。そんな存在に近づきたいと思う者なんているわけがないとSQは自嘲する。

なお、SQがユーリのループの話や、それら他の世界線でユーリが出会った様々なSQの話を聞いて推理したところによると、おそらく「ママの意識の移植が成功したSQ」が存在する世界線もあるのだろうと言う。たぶんレムナンが怯えていたSQは「ママの意識が移植されたSQ」だったのです。つまりレムナンが過去に飼われていたという、あそこまでレムナンを怯えさせていた相手というのは「ママ」だったということになる。SQの言うには「ママ」はかなり恐ろしい人物のようです。

ユーリはそれらの話を聞いて愕然としますが、その様子を見てSQはちょっと寂しそうにする。おそらく自分の正体を知ってユーリがドン引きしたと思ったのでしょう。その後、空間転移の時間が迫ったのでSQは自室に戻っていきますが、その際に髪留めをユーリの部屋に忘れていく。ユーリはそれを見つけて、それは「SQが追いかけてきてほしくて置いていったもの」なのではないかと思う。そして自分が情報を得ることに夢中になってSQを傷つけてしまったこと、それでもSQは自分に振り向いてもらい追いかけてきてほしいと思っていることに気付く。

それでユーリは慌ててSQの部屋の前まで駆けていくがドアの前で空間転移が始まってしまい時間が止まってしまう。再び時間が動き出した時には翌日になっており、空間転移中にジョナスが消されていた。そして部屋から出てきたSQにユーリは話をしようとしますが、すぐに2日目の会議となったので話をすることは出来ず一緒にメインコンソールに行き、2日目の会議に臨むことになりました。

2日目の会議ではまずセツがドクターだと名乗りを上げ、他に誰もドクターだと名乗りを上げなかった。それは「当然のこと」だとセツは言う。何故ならセツが昨晩コールドスリープされたククルシカを調べたところグノーシアだったので、残るもう1人のグノーシアは既に偽のエンジニアとして名乗りを上げてしまっているからドクターに名乗りを上げることは出来ないからだとセツは言う。

だが、実はククルシカこそが真のドクターであり、グノーシアであるセツが「ククルシカがグノーシアだった」という嘘を言っている可能性もある。ただ、昨日の1日目の会議の際にレムナンはククルシカに投票していたので、もしククルシカがグノーシアならばレムナンは人間だと確定することになる。何故なら「グノーシア同士は互いの正体を知っているので、グノーシアがグノーシアに投票することは有り得ない」からです。つまり、「セツがドクターならばレムナンがエンジニアと確定する」ということになります。

もちろん「セツとレムナンがグノーシアである」という仮定ならばこれはひっくり返る。つまり、この2日目の会議の論点は「セツとレムナンがグノーシアである確率」と「しげみちとククルシカがグノーシアである確率」のどちらがより高いかという点に絞られてくる。そうなると1日目の会議で、セツは夕里子に投票し、レムナンはククルシカに投票し、しげみちはセツに投票し、ククルシカはセツに投票しているというのがポイントになってくる。

1日目の会議における投票は判断材料が少なくて不確定要素が多い。誰でもコールドスリープされてしまう可能性がある。だから「自分たちがコールドスリープされないように複数人が結託して誰か1人選んだ生贄に票を集中させるよう事前工作する」というのが当然の自衛策となる。だが人間側は「誰がグノーシアであるか」が分からないので、うっかり事前相談など出来ない。事前相談が可能になるのは互いの正体をあらかじめ知っている「グノーシア側」だけということになる。

だから「事前相談をして同じ相手に投票した形跡がある側」がグノーシアである確率が高いということになる。そうして1日目の投票結果を見てみると、セツとレムナンはそれぞれ別々の相手に投票しており、事前に相談した形跡は無い。一方でしげみちとククルシカは2人ともセツに投票しており事前相談の形跡がある。そうなると、やはり「しげみちとククルシカ」のチームの方が「セツとレムナン」のチームよりもグノーシアである確率は高い。すなわち、レムナンではなくしげみちの方がグノーシアである可能性が高い。そういうわけで2日目の投票ではしげみちが選ばれコールドスリープされ、その結果、船内のグノーシア反応は消えたのでした。

これでハッピーエンドとなったが、ユーリにとっては次の世界線へのループの始まるカウントダウンが始まったことを意味する。その残された僅かな時間を使ってSQと話をしなければいけないと思ったユールは慌ててSQを追いかけていくが、その先にはホログラムで「ママ」の大量のスペアボディが培養液の中で眠っている光景となる。しかし、その中からすぐにSQを見つけ出したユーリは髪留めを渡して昨晩の自分の態度がSQを傷つけたことを謝る。

そしてユーリはSQに「SQは嘘で固めた失敗作なんかじゃない」「スペアなんかじゃない」と言う。SQは自分がスペアであるのは事実だと言い返すが、ユーリは自分がこの他の多くのスペアボディの中からSQを見つけ出したことを指摘し「多くの世界線で何度も色んなSQに出会ってきた僕にとってのSQは君なんだ」「君が本物なんだ」と言う。そして「SQのこと、知ることが出来て嬉しかった」と続ける。

結局、この世界線でユーリが得た新しい情報はSQに関することだった。でも、それはSQの正体がスペアボディであるということではない。今までの世界線では冗談ばかりではぐらかされてばかりだったSQの本当の気持ちを知ることが出来たことがユーリは本当に嬉しかったのだ。「銀の鍵を満たしてループを終わらせるため」なんかじゃない。1人の人間としてSQという人間の心に触れたかった。それが叶ったことがユーリは心の底から嬉しかったのです。

「やっと本心に触れることが出来た」「やっと掴まえられた」とユーリは嬉しそうにSQの手を握る。SQはそれで嬉しそうに微笑むが、同時にもうすぐユーリが別の世界線にループするのだと察して、寂しそうに手を離して、別に世界線で「ママ」の移植に成功したSQに出会ったら信用しないように忠告し、更に涙を浮かべて「このSQちゃんのこと、忘れないでほしいな」とユーリに懇願する。ユーリも「絶対忘れない」と約束し、SQは泣き崩れて「行っちゃ嫌だよ」「一緒にいてよ」と泣きわめき「ユーリなんて大嫌い」と嘘を言い、お別れとなる。そういう感じで今回のお話は終わり、次回に続きます。

2025年秋アニメのうち、12月20日深夜に録画して12月21日に視聴した作品は以下の2タイトルでした。

 

 

SPY×FAMILY  Season3

第49話を観ました。

今回を含めて残り2話となりました。次回で最終話となりますが、この作品はどうせ続編は最後まで作られるでしょうから、いずれは確実に4期の制作は告知されるでしょう。もしかしたら次回の最終話後にすぐに4期の告知があるかもしれません。

さて今回はワイズ本部に潜入していたオスタニア工作員のウィーラーを確保するためのロイド達のミッションの続きが描かれます。ロイドの役割はウィーラーに変装してオスタニア保安局員たちと接触して時間稼ぎをすることであり、その間に本物のウィーラーを潜伏先のホテルでフィオナ達が確保する手筈となっていました。しかし保安局のあらかじめ決めていた符牒の罠に引っかかってしまったロイドは偽者だと見破られてしまい一気に窮地に陥りました。

そこでロイドは保安局との待ち合わせ場所に指定していた公園で万が一の逃走時に使うために設置してあったトラップを作動させて混乱状態を作り、その隙にその場を脱出します。そして追手の目を逃れたところでユーリに変装し、黄昏にやられたフリをして保安局員たちを別方向に誘導し、そのまま下水道に逃げ込む。だが本物のユーリが自分の靴と全く同じ足跡を発見して「もしかしたら黄昏が自分に変装して逃げているのかもしれない」と思ってその足跡を追い、下水道への入り口を発見し「黄昏は下水道に逃げ込んだ可能性がある」と考え、単身で下水道に入りロイドを追う。

そうして下水道の中でユーリに変装したロイドとユーリ本人が遭遇し戦闘になりますが、ロイドは相手がユーリだと気付くと撃つのを躊躇ってしまう。ヨルが溺愛している弟のユーリが死んでしまうとヨルが悲しむということが頭をよぎってしまったのでしょう。そのせいでユーリの反撃を受けてしまいロイドは右腕を負傷してしまう。互いに拳銃を下水道に落してしまい近接戦闘となるが、それでもロイドはユーリを圧倒する。一方ユーリはあまりに黄昏の自分への変装が完璧なことに驚き、もしかして黄昏は自分の身近に潜伏している人間なのかもしれないと考えたりする。

だがユーリはロイドに倒され、気絶したユーリを殺さずにロイドは立ち去ろうとするが、子供の頃からヨルの暴力的なスキンシップに晒され続けてきたユーリは異常に頑丈で、すぐに復活してロイドを攻撃してくる。そこでロイドは業を煮やして手加減なしの攻撃でユーリを倒し、今度はユーリも完全にノックアウトされます。しかし、それでもロイドはヨルのことが頭をよぎり、ユーリにトドメを刺すことが出来ず、そのまま逃走しました。彼はワイズの諜報員の「黄昏」であるはずなのに、ミッション遂行のための偽の家族であるはずのヨルに情が移ってしまい、仮初の姿であるはずの「ロイド」を捨てきれなかった。一方、ユーリは15分ほど経ってから仲間の保安局員たちに下水道内を倒れているところを救出されますが「どうして黄昏は僕にトドメを刺さなかったのだろうか?」と疑問を覚える。

その頃、フィオナたち「ウィーラー確保班」の方はホテルで待ち伏せしてもウィーラーが出てくる気配が無いので焦った。保安局内部からスパイがもたらした情報ではこの時間には外で保安局員と接触する手筈だったからだが、どうやら何らかの変更があり、ウィーラーはホテルに籠っているか、あるいは既に別の場所に移動して潜伏しているのだろうと推測した。実際のところ、ウィーラーは本部内でワイズのスパイが拘束されたことや、ロイドが保安局員と大立ち回りを演じたことなど何も知らなかったが、それでも用心深い彼は一旦ホテルを出て別の場所から様子を窺っていた。

そこでフィオナたちは、保安局員に変装したワイズ諜報員をわざと街中を歩かせて、それをワイズ諜報員に尾行させる作戦をとった。そうすればウィーラーが何処かでそれを見て「自分と接触する予定の保安局員がワイズ諜報員の尾行を受けて作戦遂行に支障をきたしているのだな」と思い込み、それを尾行してくることを期待したのです。そして保安局員に変装したワイズ諜報員が突発的行動をとり、思わずそれを目で追うであろう人物を群衆の中から特定する役割をフィオナが果たし、遂にフィオナはウィーラーを発見する。

そうしてフィオナ達はウィーラーを追跡し、遂に追い詰めて機密ファイルを奪還する。しかしウィーラーが機密ファイルの内容を覚えていて保安局に伝えればワイズのオスタニア国内での工作活動に支障をきたすため、念のためにウィーラーを逮捕しようとする。しかしウィーラーは見事にフィオナ達を出し抜いて逃走し、フィオナは迷ったが追跡を決断する。

おそらく戦闘になれば自分ではウィーラーに勝てない可能性が高いだろうとフィオナには分かっていた。機密ファイルの内容を全てウィーラーが覚えている可能性も低いので、ここでは安全優先で追跡しない方が賢明に思えた。だがロイドは「東西和平のために任務は絶対優先だ」という強固な意志を示していた。そのロイドを敬愛しているフィオナはそうしたロイドの覚悟を自分も共にしたいと思ったのです。

フィオナは「先輩は自分が幸せになろうなどとは考えていない」「東西和平のために命を犠牲にしてもいいと思っている」「だから自分も命など惜しくはない」「任務のためには先輩の命さえ見捨ててもいい」「それが自分の先輩への愛なのだ」と覚悟を決めている。しかし、そのロイドは現在のヨルとの幸せな偽装夫婦生活が頭をよぎって任務完遂のためには必要だったユーリの始末を出来ず、無用の負傷まで負ってしまっていたのは何とも皮肉なことです。

そしてフィオナもまたロイド同様に任務のために非情にはなり切れていなかった。下水道に逃げ込んだウィーラーはその中でユーリに変装したまま逃げてきたロイドと遭遇し、戦闘になるがユーリの銃で右腕を負傷していたロイドは敗れて捕らわれてしまう。そして追って来たフィオナはウィーラーにロイドを人質に取られて銃を捨ててしまう。「任務のためには先輩の命さえ見捨ててもいい」などというのは嘘だったのです。

そんなフィオナを見て、ウィーラーは「ワイズの諜報員は甘ちゃんばかりだ」「それに比べて俺は誰との繋がりも情も求めない完璧な冷徹さを持っている」「だから俺には誰も勝てない」と自信を深める。だが気絶しているロイドを足蹴にするウィーラーを見て激怒したフィオナは感情剥き出しの攻撃を繰り出し、ウィーラーはそのような非合理な攻撃は軽くいなせると思う。確かにウィーラーの行動は徹底的に感情を排して合理的で効率的であった。しかしフィオナの「愛する人を守るために自分を犠牲にして任務も放棄してもいい」というスパイとしては非合理の極みのパンチは全身の力を拳に乗せて自らの右腕を複雑骨折するほどのイカレた威力であったのでウィーラーは防御することが出来ず倒される。

任務達成そのものが絶対なのではない。「誰かを守りたい」という人間らしい感情があるからこそロイドもフィオナもスパイをやっているのだ。そういう人間ドラマはこの第3期を通して一貫して描かれてきたことである。その根っこがある人間が、根っこの無い人間であるウィーラーを撃破したのであった。そういうところで今回のお話は終わり、次回の最終話に続きます。

 

 

終末ツーリング

最終話、第12話を観ました。

今回はヨーコとアイリは長野県のビーナスラインに来ています。前回は埼玉の吉見百穴遺跡で話が終わりましたので、そこから西に進んでビーナスラインに移動してきたようですね。山中でテントを張って野宿してから夜明けを待ってセローで走り出しますが、霧が深くて道の状態も悪くてなかなか大変です。遂にガケ崩れで通行止めになっていたので止まることになってしまった。此処に来た目的はビーナスラインの絶景を眺めることだったので先に進めないのはヨーコも残念そうです。そこでアイリがここから30分で山頂に登ってお手軽に絶景を見られるポイントとして三峰山に行こうと提案します。頂上からは富士山や諏訪湖などのパノラマ絶景が楽しめるらしい。

ただ今登っても霧で何も見えないだろうとアイリは言いますが、ヨーコは勝負しようと提案する。もし山頂に登って富士山が見えたらアイリがこれから1週間の洗濯当番をする、富士山が見えなかったらヨーコが洗濯当番という勝負です。アイリがその勝負に乗って2人は三峰山の山頂を目指して徒歩で登り出す。すると30分ぐらいで山頂に着き、ブロッケン現象が起きてヨーコが雲に映った自分の影を誰かが居ると誤認して転落しかけたりもしますが何とか無事にやり過ごし、雲が晴れて富士山などのパノラマ絶景を拝めました。

そこでヨーコとアイリは三峰山の山頂でパノラマ絶景を眺めながらこれまでの旅を振り返ります。旅の出発点はシェルターであり、そこは「富士山の向こう側」だったという。三峰山から眺めて「富士山の向こう側」ということはおそらく箱根あたりであり、第1話で描かれた箱根はシェルターを出た後の旅のごく最初の場面だったのだということが分かります。

ここでシェルターで暮らしていた頃のヨーコの回想シーンが描かれます。シェルターはまるで学校みたいな環境で、窓からは外の景色が見えますが、どうやらこれは人工的な映像のようで、実際はシェルターは地下深くにあるみたいです。お姉ちゃんのオンライン授業を受けて毎日同じような管理された生活を送っていたヨーコはお姉ちゃんのスマホのツーリングラムの画像を見て外の世界に憧れていたのだが、ある日、お姉ちゃんから「安全が確認されたからシェルターの外に出てもいい」と言われて、アイリと2人でセローに乗って地上に出て旅を開始したのです。

その際、お姉ちゃんは「貴方達は何処へだって行けるわ、私たちの代わりに」と言いました。つまり普通の人間にはやはり外の環境はまだ安全ではないということです。ロボットであるアイリはもちろん、ヨーコもまた特別な存在なので外の世界で旅をすることが可能なのでしょう。この言い回しだと、やはり人類は完全に滅んでいるわけではなく、何処か安全な地下か、あるいは宇宙空間などで生き残りがいるような気がします。そしてヨーコとアイリが出ていくとシェルターは機能を停止したようですので、そもそもこのシェルターは2人のためだけに存在していたのだろうと思われる。

そして2人は地上に出てからの旅を振り返り、これからの旅に想いを馳せて、旅を続けていくというところで最終話は終幕となります。結局、世界の謎はほとんど解明されないまま終わってしまいましたが、原作漫画は現在も連載中であり、まだまだ物語は続いており、2人の旅も続いているようです。そこでは徐々に謎解きも進んでいるのかもしれない。とりあえず2期の告知など全くありませんでしたが、いずれ続編がアニメでも描かれることを心待ちにしたいと思います。