冶金学について全く無知なのですが、興味深い資料をみつけたので「なぜ日本にだけ折り返し鍛錬・たたら製鉄が残ったのか」について自分なりに考えて書いてみたいと思います。

 

http://arai-hist.jp/magazine/baundary/b22.pdf

 

・・・・・

 

 

 

↑製鉄方法は大別すると「直接製鉄方法」と「間接製鉄方法」にわけられます。

 

直接製鉄方法:

たたら製鉄がこれ。固体直接還元という理屈で、鉄を融解させず個体のまま精錬する方法。融解させないので低い温度で精錬可能。ただし「介在物=石などの非金属物:ゴミ」が多量に混入するので、ハンマーで叩いて(鍛錬して)物理的にゴミを排出する必要がある。熱して叩くとゴミが表面に浮き出る。つまり折り返し鍛錬をしないと利用できない。

 

間接製鉄方法:

鉄鉱石を高温で融解して液体にする方法。溶融した鉄に炭素を溶け込ませてて還元する。鋳鉄=鋳物は高炭素なので硬くて脆い。「介在物=石などの非鉄物:ゴミ」は液体の鉄の上に浮くので製鉄段階ですべて取り除ける。

 

・・・・・

 

前にも書いた事がありますが、隕鉄をのぞく鉄器の利用は3400年前くらいに現在のトルコではじまりました。中東全域で本格的な鉄器時代を迎えるのは紀元前12世紀:ヒッタイト帝国の衰退期のようです。

 

その頃の製鉄方法は現在の日本のたたら製鉄とほぼ同じ方法。直接製鉄法。この方法で製造した鉄は折り返し鍛錬をしないと鉄器として利用できません。折り返し鍛錬を日本刀独特の方法だと思っている人も多いようなのですが、折り返し鍛錬というのは人類が本格的に鉄器利用を開始した頃からの加工方法です。古代の中東地域:おそらくはヒッタイト帝国の領域内(トルコ)で発明され、その衰退によって世界中(まずオリエント地域から)にその技術が拡散されたと考えられています。

 

紀元前6世紀頃までに中国に伝わり、日本には古墳時代:5世紀頃までに伝わった。もう少し早く弥生時代には鉄器といっしょに製鉄・加工技術が伝わっていた可能性も高い。

 

たたら製鉄で作った鉄鋼は不純物が多くてゴミだらけ。加熱して叩くと鉄の中のゴミが表面に排出される。叩いていると伸びていくので折り返す。基本的にはこういう単純な理屈です。

 

では、なぜこの方法が日本以外の世界ではなくなってしまったのかというと、鋳鉄の技術:間接製鉄法が発展したからのようです。

 

鉄を完全に液体にしてしまう。

 

鋳物の鉄はそのままでは炭素量が多くて硬すぎて脆くて刀剣や農具には使えません。

 

そこで「焼きなまし」という作業を行って炭素を減らして柔らかく粘りある鉄鋼に作り替える。これを可鍛鋳鉄といいます。鍛造加工を行える鋳鉄素材です。刀剣であれば炭素量の高い硬い鋼材を芯鉄にして炭素の少ない柔らかい鉄を皮鉄にして硬さと柔らかさのバランスをとる。現在の「割り込み」と呼ばれる技術です。


 

この方法で作った鉄鋼にはゴミやカスが混入しないし、炭素量の調整も製鉄段階で為されている。折り返し鍛錬をするほど叩く必要がなくなりその方法は消えていった。これが世界中に広まって世界中で折り返し鍛錬の技術は消滅した。しかし、なぜか日本では鋳鉄の技術がなぜか広まらなかった。

 

 

・・・・・


中国では紀元前6世紀頃、鉄器の利用が西方から伝わってすぐに鋳鉄の製造方法を開発したようです。その後しばらくは(といっても1000年近くですが)直接製鉄法と間接製鉄法が並行して行われていたようです。上の表では紀元前5世紀頃には可鍛鋳鉄の製造がはじまっているようなのですが、それでも鋳鉄の脆さを克服できなかったのかもしれません。しかし5世紀頃には灌鋼法の普及によって直接製鉄はほぼ淘汰されたようです。日本ではまだ古墳時代の話です。

 

その後、鋳鉄技術は世界に広がる。ヨーロッパで本格的に普及するのは18~19世紀頃のようなのです。なぜ1000年以上かかったのでしょう? そして日本では全く鋳鉄技術が普及しなかった。なぜなのでしょう?

 

↑ダマスカス鋼の包丁。

 

日本刀の折り返し鍛錬と同種の方法で折り返して層を作って模様を出します。現在売られているものは32層か64層、つまり4~5回折り返したものが主流。本物のダマスカス鋼がどういうものであったのかは解明されてはいないのですが、中東やヨーロッパでも折り返し鍛錬でこうやって昔から作られているわけです。ちなみに日本刀では10~15回折り返しますが、折り返す回数を増やすと炭素が抜けてやわらかくなるので折り返し回数が多いほど優れているわけではありません。

 

刀身の肌模様は細かい目の砥石で磨き上げないと見えません。上質な天然砥石が日本以外では稀だったそうで、日本刀のように地鉄の肌模様が見えるくらいまで磨き上げられた刀剣は世界的に稀です。日本刀も内曇砥までかけないと肌模様は見えません。研磨剤で磨いてしまうと肌目が消えてしまってツルツルの鏡面仕上げ=ミラーフィニッシュになってしまいます。

 

現在ナイフ用鋼材として売られているダマスカス鋼は肌模様を出すためだけのもので性能とは関係ありませんし、材料も玉鋼のような直接製鉄法でつくられたものではありません。

 

最終的には世界中で間接製鉄法が普及して折り返し鍛錬の技術は消滅する。日本でも明治以降はほぼ消滅していますね。幕末に各地に鉄を溶かすための反射炉が建てられたのは有名だと思います。21世紀の現在、産業として折り返し鍛錬をして物を作って売っているのは日本の刀鍛冶だけだと思います。

 

・・・・・

 

間接製鉄法で鉄を完全に溶解させて鉄鋼を作る方が圧倒的に生産性が優れています。刀剣の個別の性能は折り返し鍛錬した日本刀の方が優れているかもしれませんが、鋳鉄刀剣の方が圧倒的に生産にコストが安い。だからこの方法が普及すると直接製鉄法は廃れてしまった。だから折り返し鍛錬も世界中で行われなくなった。

 

日明貿易では日本の刀剣が多く中国に輸出されていますが、当時の中国では鋳物ではない高性能刀剣は輸入に頼るしかなかったという理由もあるのかもしれません。日本では中国の陶磁器の価値が高かったので、中国から陶磁器などを持ち込んで日本刀と交換して持ち帰るのは利ザヤの良い貿易になったのかもしれない。中国で鍛造刀剣を作るよりも、陶磁器を作って日本刀と交換する方がコスパが良かったと言うべきか。

 

・・・・・

 

実用的な鋳鉄の利用が中国ではじまってから、西の端のヨーロッパで普及するまでなぜ1000年もかかったのか、なぜ日本では普及しなかったのかはわかりません。鉄鉱石がなかったからでしょうか? でも砂鉄でも鋳鉄にしてしまう方が効率的に思えるのですが、違うのでしょうか。

 

素人考えですが書いてみます。本格的に利用可能な鋳鉄を作るには、ある程度の領域と人民を支配する強力な権力者と、大量に生産した鉄を売りさばける広域な市場が必要だったのではないでしょうか? 間接製鉄法は大量生産が可能です。でも大量に生産した鉄鋼を常時売りさばけるだけの大きな市場がなければ意味がありません。産業革命以前の前近代に大量の鉄鋼を売りさばくには多数の人口を抱える広域な市場が必要だったのではないでしょうか。コストのかかる大型の溶鉱炉を維持・運営するにはそれなりの需要・市場が必要でしょう。18世紀後半にはじまる産業革命後の世界では大量の鉄が必要な時代になるので各地域で間接製鉄法が普及したが、それまでは各地域での鉄鋼の需要はそこまで多くはなかったとか。

 

 

ヨーロッパではローマ帝国の崩壊以降は諸侯による小規模な領邦支配体制であり、王はその代表者に過ぎない。一国を完全に支配する強力な支配者は絶対王政期まで現れない。例えばフランスでは17世紀。ドイツやイタリアは19世紀まで統一されない。

 

日本でも荘園が広がる平安時代から徳川期の終わりまで同じです。小さな領地を各地の殿様が支配していた。19世紀後半の廃藩置県により統一された。

 

これに対して中国では分裂時代であっても各地の王・皇帝の支配地域が日本全域より広かったりするわけです。唐や明のように広域を数百年の長きに渡り支配した王朝もある。中国の王朝は広い地域を諸侯ではなくて皇帝直轄の官僚が支配している。中国では諸侯が領地を支配する「封建制」が早い時期に消滅して「中央集権制」が伝統として続きます。中欧や日本では19世紀まで封建制。これと関係がありそうな気はします。

 

たたら製鉄は現在でも一部の刀匠が自家製鉄を行っていますが、小規模なものならば個人~家族レベルでも可能です。

 

 

たたら製鉄↓

 

 

近代的な間接製鉄法には大規模な高炉が必要。

 

↓幕末の反射炉:間接製鉄法

 

 

・・・・・

 

 

 

 

↑過去に書いたこの二つの内容から、思う所あって少し製鉄の歴史について調べて書いてみました。

 

産業革命以前の世界で、間接製鉄法を実用化するのにそんなに大きな市場や広域支配者が必要だったのかどうかはわかりません。冶金学にも無知なので前提になる知識・情報が全て間違っているかもしれません。すべて私の妄想です。

 

・・・・・