先日の記事に助光刀匠からコメントを頂き、新たな知見を得たのでちょっと自分なりに考えをまとめて書いてみようと思います。

 

「折り返し鍛錬」て、日本刀だけのものだと思っている人が結構多いようです。

 

でもこれは誤解で、かつては世界中で行われていた鍛錬方法です。

 

鍛錬する(叩く)と鉄の中の不純物が表面に排出されます。叩いているうちに伸びてしまうので途中で折り返す。これが折り返し鍛錬。古代中国では折り返す回数が多いほど上等な刀剣とされ、折り返しの回数から三十錬鋼・五十錬鋼・百錬鋼などと呼ばれて珍重されていました。実際には鍛錬回数が増えると不純物だけでなく炭素も抜けてやわらかくなってしまうので、回数が多いほど良いわけではないのですが。

 

 

 

 

↑漢の時代の刀剣とのことです。折り返し鍛錬特有の鍛え肌がよく見えますね。

 

 

 

↑これは私が博物館で撮影したもので、古墳時代の鉄剣を現代の研ぎ師が研磨したもの。これも折り返し鍛錬特有の肌模様が見てとれます。

 

なぜ日本以外で折り返し鍛錬が行われなくなったのか。溶鉱炉を使用した製鉄法が普及して、はじめから不純物がさほど含まれなくなったからです。つまりそんなに叩かなくてもよくなった。

 

中国で2世紀頃に発明され南北朝時代(5~6世紀)までに普及し、その後ヨーロッパにいたるまで広がり現代の製鉄法の基礎となっているとの事。

 

興味ある人は下のリンク先を読んでください↓

 

 

 

中国では5~6世紀頃までに折り返し鍛錬の肌模様がある百錬鋼の刀剣は作られなくなるわけです。

 

日本では鉄鉱石が産出しないため、原始的な「たたら製鉄」と「折り返し鍛錬」が残った。

 

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ところで、日本刀が好きな人に有名な詩「日本刀歌というものがあります。長いので最後に全文載せます。

 

北宋時代の有名な詩人の欧陽脩(1007~1072年)が読んだもので、「日本には宝刀があり、越の商人が輸入して中国の好事家が大金を払って購入している」と書いています。

 

欧陽脩の生きた時代・11世紀は平安時代後期。日本刀が誕生してまださほど経過しないこの時代に、すでに中国に輸出されて珍重されていたことがわかります。

 

ところで、何をもって中国人は日本刀を「宝刀」と評価したのでしょうか。

 

以下は私の推測に過ぎないのですが、日本刀の折り返し鍛錬による鍛え肌こそが宝刀の証であり珍重された理由なのではないでしょうか。

 

百錬鋼の刀剣は王者の持ち物として長く珍重されたようです。現代の中国人にも一部の知識人・富裕層にはこの思想があるようです。

 

欧陽脩の時代には中国で百錬鋼が作られなくなってからすでに500年以上経過しています。一部の権力者などは古代の百錬鋼の刀剣を所有していたのだと思いますが、健全な状態のものはとても少なく希少だったはずです。しかしその百錬鋼の鍛え肌を持つ刀剣が日本から出てきた。中国では遥か古代に失われた百錬鋼の刀が日本ではいまだにつくられていた。

 

日本刀歌の他の内容とあわせて考えても、そういうふうに考えると自然な気がするのですが、いかがでしょうか。

 

 

 

以下、日本刀歌の全文

 

昆夷道遠不復通。世出切玉誰能窮。
宝刀近出日本国。越賈得之滄海東。
魚皮装貼香木鞘。黄白間雑鍮与銅。
【真鍮似金 真銅似銀】
百金伝入好事手。佩服可以禳妖凶。
伝聞其国居大島。土壌沃饒風俗好。
其先除福詐秦民。採薬淹留丱童老。
百工五種与之居。至今器玩皆精巧。
前朝貢献屡往来。士人往々工詞藻。
徐福行時書未焚。逸書百篇今尚存。
令厳不許伝中国。拳世無人識古文。
先王大典蔵夷貊。蒼波浩蕩無通津。
令人感激坐流涕。錆渋短刀何足云。
(書き下し文)
昆夷は道遠くして復通ぜず。世に伝うる切玉誰か能極めん。宝刀近く出ず日本の国。越賈は之を滄海の東に得たり。魚皮に装貼す香木の鞘。黄白間雑す鍮と与に銅。【真鍮は金に似て真銅は銀に似る】。百金伝えて入る好事の手。佩服し以て妖凶を禳う可し。伝え聞く其の国大島に居り。土壌沃饒にして風俗好し。其の先に除福は秦民を詐り。薬を採り淹留し丱童老ゆ。百工五種は之と与に居す。今に至るまで器玩は皆精巧。前朝は貢献して屡往来し。士人は往々にして詞藻を工にす。徐福行く時書未だ焚けず。逸書百篇今に尚存す。令厳にして中国に伝うるを許さず。世を拳って人の古文を識る無し。
先王の大典夷貊に蔵す。蒼波浩蕩し津に通ずる無し。人をして感激し坐に流涕令む。錆渋の短刀何ぞ云うに足らん。
(訳文)
昆夷の国は遠い所にあり、行き来も出来ない。世に昆吾刀という玉をも切る事が出来る名刀があることを伝えているが、誰も確かめた者は居ない。ところが最近宝刀が日本の国より出てきた。越の商人がこれを青海原の東に求めてきたが、それは香木の鞘に鮫の皮が貼ってあり、真鍮と白銅を取り混ぜて飾ってある。【真鍮は金によく似ており、白銅は銀によく似ている】百金という大金を払って好き者の手に入った。佩用していると悪魔を払ってくれるという。伝え聞くところによると日本の国は大きな島であり、土地は沃えて風俗は好い。その昔徐福は秦の始皇帝に仙薬を取ると偽って、童男童女五百人余を率いて日本国に渡ったが、久しく滞留して皆年を取ってしまった。多くの工人や農民達がこれと共に残って、今に至るまで器物は皆精巧である。日本国は前朝である唐の時代には貢物を献じてきて屡行き来していた。日本の地位のある人達は往々にして詩や文章を作るのに巧みである。徐福が行ったときにはまだ焚書が行われていなかったので、中国では失われてしまった孔子が書いた(書経)百篇が今なお日本に存在している。法令が厳しくて中国に伝える事が許されていない。このため今の世の中の全ての人達は古文を知る事がない。孔子の(書経)は異民族の国にある。青海原は果てしもなく遠く、港にたどり着くことも出来ない。空しく人をして嘆かせひとりでに涙が流れてくる。之を思うと錆びた短刀などなんで古文に代えることが出来ようか。

 

 

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