夏の終わりのハーモニー
ここ最近天気がすっきりしない。
じめじめとした湿度が残り不快ではあるが、気温は低くなってきた。
先日、出勤の為玄関を開けると、蝉の死骸があった。もう夏も終わりなんだなぁ。
何だかあちこちで言っているようなのだが、私は、広島、長崎の原爆忌で「夏の終わり」の始まりを感じ、終戦の日と京都五山の送り火でそれを確信し、高校野球の終了で「夏の終わり」を悲しむという流れを毎年辿っている。
正直な話、野球にも関心がなく、トトカルチョもしないので高校野球には全く興味がないのだが、子供の頃、朝日放送の高校野球中継で流れていた、住友グループのワイプ広告は非常に懐かしく思う。但し、楽しみにしていた子供マンガ大会の放送中止を恨みながら見ていた、というのが正しいのだが。
夏休みも盆休みもなく、粛々と仕事が続く職場なので感傷に浸ることも無いのだが、秋=非常に忙しい季節を迎えてしまう入口になるので思わずため息が出てきてしまう。まさにこの時期夏の終わりのハーモニーである。
ところで、京滋地区に。方で「KBS京都はいぱぁナイト」というラジオ番組を聴いていた方もいるのではないだろうか。
当時パーソナリティだった田原音彦さん、杉原徹さんと、沢田聖子さんが歌っているのを録音し何度となく聴いていた。ある意味本家の井上陽水と玉置浩二の歌よりも好きだったかもしれない。先日調べ事をしている時、田原音彦さんのHPを見つけた。はじめて買ったCDが音彦さんのCDだったので非常に懐かしく思った。20年以上前の「夏の思い出」を発見したかな、と思う。
吹田ぶらぶら
先日吹田に行ってきた。
JRで大阪に行く時いつも通過はするのだが、よほどの事がないと降りる事もない街である。何せ新快速と普通を乗り継いで吹田に行くよりも新快速乗りっぱなしで大阪に出るほうが速いし、吹田市内でも江坂や万博記念公園に行くのなら、地下鉄なりモノレールなりを使うのでやはり吹田駅では降りない。
吹田駅で降りるのは10ン年前、大阪の学校に通学していた頃、定期をフル活用してあちこちの駅前を散策していた時以来ではないだろうか。
何故吹田に行ったかというと、吹田勤務の友人と一杯やる為。私は休日、友人は仕事だったので、梅田で用事を済ませた後、大人しくJRで行けばいいものを、天六から阪急、しかも千里線の吹田ではなく、京都線の相川から歩いて吹田駅前に入るという、超へそ曲がりな方法で吹田に入り、待ち合わせの時間まで街をぶらぶらしていた。
比較的整備されているようであり、かと思うと商店街から一歩裏通りに入ると中々雑然とした街並みがありシャッター数がグングン伸びる。夏の強い日差しの中歩いているとすっかり日焼けをしてしまった。少し涼しくなったらまた徘徊してみようか。
さて、駅前の地下街によさげな呑み屋が数軒、今回は時間の関係で行けなかったが、次は撮影後に一杯引っ掛けて帰るとするかな。
路面電車のある街
今まで父親の仕事の都合で何度か引越しをした事があるが、結構路面電車に縁があったのかな、と思う。
神戸在住の時は、さすがにもう市電は廃止されていたが、当時通っていた小学校の隣にあった「本山交通公園」には市電の車両が保存されていて、よくそこで遊んだ。
その後、岡山、大津と移り住んだが、どちらもめったに利用しなかったが、路面電車の姿を目にする事ができる街に住んでいた。
とはいえ、一番利用した路面電車といえば、母方の実家のある高知の路面電車だろうか。
母の実家は、高知駅から有名観光地桂浜に向かう途中にあり、市内からはバスで行くのだが、帰省した際、よく親にねだって高知駅から岸壁通まで土電に乗せてもらった。(もっとも、高知駅から桂浜方面に向かうバスは非常に少なく、殆どが播磨屋橋近くの堺町バス停から出ていたのでどっちにしても播磨屋橋まで歩きか電車で行く必要があったのだが・・。)
先日、久しぶり土電に乗ったが、昔は桟橋通五丁目の電停なんてあやしさ全開で近寄りがたい雰囲気であったが、随分綺麗になったものだ。電車も僅かではあるが、新しい電車も入り、また昔は考えられなかった冷房車が多くを占めるようになって中々快適なものだ。
とはいえ、吊り掛け駆動の爆音を聞きながら、つり革がガチャガチャ当たるほど揺れまくる電車の乗るのもなんというか懐かしさを誘ってよいな、と思う。
願わくば伊野や後免町から市内までの長距離も乗ってみたいが次はいつ行ける事だか・・。
久しぶりに阪堺電車でも乗ってみようかな。
センチメンタルな旅
と、聞いて荒木経惟を思い出す人もいるかもしれないが
全く関係のない話である。
先日、高知に行ってきた。
以前書いた事があるが、齢90になる私の祖母が年始に脳出血を起こし、入院している。
その影響なのか、少しづつ進行していた痴呆が急速に進行し、夏前には、自分の子供や孫の事についてほぼ判らなくなっていたなっていたらしい。
もう私の事を完全に忘れているのならその事をしっかり確認しておきたいと思い、見舞いに行く事にした。
想い出を辿るという意味で、出来れば宇高航路で四国入りしたかったのだが、仕事終わりの出発では時間的に厳しいので、三宮新港第三突堤よりジャンボフェリー夜行、高松から特急しまんとで高知へと向かう。ちなみにこのルート高速バスとそんなに変わらない運賃で横になって行けるので、お気に入りのルートでもある。
朝のうちに高知に到着し、面会時間までにはかなり時間があるので高知市内を歩いた。閉店し、更地になって久しかったとでん西武の跡地はパチンコ屋になっていたのには驚いたが、子供の頃にあちこち連れて行ってもらった高知大丸や帯屋町、大橋通などなど・・じっくりと見て回った。
午後の面会時間に病院へ向かったのだが、正直少し緊張をした。分かってはいる事なのだが、もし怪訝な顔をされたらどうしようかという気持ちがどこかにあったからだ。
いざ会って見ると、基本誰が誰なのかというのは判っていない、例えば次男である叔父が、長男になったり、自分の子供が自分の兄弟になったりするのだが、案外と話は通じる。リハビリとしてやっている、吹くと巻いた紙が伸びる笛も上手に出来ている。随分と小さくはなっていたが顔色もよく安心した。
今回高知を訪れるにあたり、「最後から2番目の高知行き」と思っていた。もう生きて会えるのは今回が最後かもしれない、と。
しかし、比較的調子のよい日だった様だが、話に聞いていたよりずっとよい感じだったので、また高知を訪れる日もあるかなと、気分が晴れる旅であった。
ちなみに、祖母は、自分の子供や夫(といっても40年以上前に死別しているが。)、入院するまで住んでいた家の事などはほぼ判らないらしいが、自分の兄弟や生まれた家の事などは比較的判る事が多いらしい。祖母の世話の為に帰省している私の母が「こうなると結婚というのは何なのだろうか。」と一言つぶやいたのが頭に残る。
私もそうなってしまうのだろうか・・。
D200と遊ぼう
私の手元のデジタルカメラ・・・
アンチキヤノン派なのでキヤノンのカメラは一台も無く、ニコンのD3とD200、そしてリコーのGX200といった布陣である。(仕事ではしゃーなくキヤノンのカメラも使ってはいるが・・。)
そういえば最近D200、殆ど使ってなかった。仕事でどうしてもサブカメラが必要な時に持っていく程度。やはり画質の差や、カメラ自体の質感や操作性の事もあり、D3導入後は自然とD3ばかり使うようになっていた。
先日、D3のイメージセンサーの汚れが目立って来たのと、グリップのゴムが剥がれてきてちょっと使いにくくなってきたのでメーカーに入院させた。
約2時間の入院時間、サービスセンターで待つには時間が長すぎ、かといってその辺で呑んでクダを巻いていると呑み代がかかって仕方がない。やはり街中をぶらぶらしたいのが本音なので、約半年ぶりのD200出動となった。
趣味の撮影でD200を使うのは正直3年ぶり位になり、また、普段FXフォーマットでの17-35mmをメインとしていて、D200がメインだった頃は、12-24mmを使っていたので、DXフォーマットでの17-35mmちょっときついかなとも思ったが、案外とすんなりと使えた。逆光とか、極端に明るい部分が画面にあったりしなければ画質的にもそんなに気にならない。久しく会っていなかった元カノにバッタリ会って、その魅力を再認識したというところだろうか。
そして何より軽い。どちらかというと重くでかい機材が好きなのだが、この時期やはり軽い機材はちょっと嬉しい。
お陰で珍しく軽快に撮影を楽しむ事が出来た。
と、なると軽くて新しいカメラが欲しくなってくるのが人情というもの・・。宝くじでも当たらないかなぁ、と妄想にふける夏の日であった。(注、買っていない宝くじが当たる事は絶対にありえません。)





















