信じる力 | i

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Thank you!!

 
 
どうも、木全です。
 
 
しかし、とんでもないニュースが入ってきたもんだ。
 
この時代に暗殺だとか、敵対するものを根絶やしにするとか。
時代錯誤も甚だしい。
しかし、そういう国があるのも事実だ。
そういう国を必要とする現実があることも否定できない。
 
難しいね。
 
我々では計り知れない世界の事情はおいといて。
 
 
哀しいね。
ここまで人を信じられないとは。
すべてを疑心暗鬼に、猜疑心の塊になって向き合わなければならない。
あまりにもかわいそうだ。
 
 
信じるということを、人はいつどこで学ぶんだろう。
もちろん、学校の授業では教えてくれない。
その答えはやっぱり、生まれ育つ環境のなかにあるんだろう。
 
家族や周囲の背中をみて育つなかで、愛ややさしさ、温もりや信頼、
人との関わり方、マナーやルールといった大切なことを学び取っていく。
その機会を損失した場合、いったいどこで感じ取ればいいのか。
 
われわれ凡人なら、友達がいたりするだろう。
なんらかのサークルだったり、趣味のあう仲間だったり。
そこでカバーされることも大きい。
しかし、彼には心を許せる友達も、本気で向き合ってくれる友人も
いなかったんだろう。
 
まわりは大人ばかり。
それも権力という未知なるもの、自分ではどうにもならないものに取り巻かれ、
彼自身おぼれそうになりながら、必死でたどり着こうとしているんじゃないのかな。
 
 
人は平等なんかじゃない。
生まれ落ちたその時に、すでになんらかの違いはある。
それを普通の人なら努力で乗り越え、変えていくことができる。
しかし、どう努力しても、どうにもできない人たちがいる。
それが宿命というものであれば、あまりにも重すぎる。
 
 
だけど、「信じる人がいない」と嘆くことは間違いだ。
自分から信じる勇気をもたなきゃ、誰もキミに手を差し伸べてはくれない。
 
信じてほしいなら、信じることだ。
実はそれがとても難しいのだけれどね。
それでも、信じなければはじまらない。
信じてくれなきゃ、助けたくても助けられないんだよ。
 
 
 
 
 
 
 
ひとりでも心許せる人がいたら、
少しでも心安らぐ場所があるのなら、
その人はしあわせだ。
 
そんな場所を探しつつ、
みずから誰かのそんな場所となれるよう、
生きていくことも大切なんじゃないかな。
 
だれだって、ひとりでは生きていけない。
誰かの手を必要としている。
 
差し伸べられた手を握り返せなくても、
指先のぬくもりだけでも伝えられる、
そんな人でありたいと思う。