インバルとウィーン響によるショスタコーヴィチ交響曲全集。発売されたのは2010年で12年すでに経過しているが、ムラヴィンスキーやコンドラシンらのような往年の時代における解釈とは違うインバルのアプローチを一曲一曲聴き進めていくのは中々に面白い。いずれフランクフルト放送交響楽団との交響曲第5番も聴いていきたいところ。最終日となる本日はより重く、深いテーマとなっている曲が多い第11番〜第15番をみていこう。
ショスタコーヴィチ:交響曲第11番「1905年」 1992年5月23〜27日録音
・・・今回の全集の中で一番躍動的かつ劇的な演奏とも思えた第11番。第2楽章の銃撃が始まった瞬間のインパクトはより一層凄まじいと言えるだろう。音質が良いことによって細部まで細かく聴き込むことができるようになっているため、弦楽器のうねるように柔軟性のあるスケールや打楽器の歯切れ良さなどは非常に良い。やや重心が低く、テンポに重みがある演奏となっているのだがオーケストラ全体のボルテージが最高潮に達した際の破壊力や「緩→急」、「急→緩」の変化も大分差がつけられて演奏されているのである意味では今回どの交響曲よりも壮大な大きな姿をした名演として聴くことができるかもしれない。
交響曲第12番「1917年」 1993年6月9〜13日録音
・・・ショスタコーヴィチの交響曲作品の中でも疾走感と金管楽器特にトランペットへの難易度が尋常でない第12番。それによって演奏は荒々しくなったりする録音が多いのだが今回のインバルとウィーン響の演奏はどうだろう?クリアなサウンドでスッキリとしていながら緩急からなるダイナミクス変化が明確なものとなっている。こんな演奏は聴いたことがない。歯切れの良さもさることながら前向きでぐんぐんと進んでいくエネルギーは今回の全集の中で一番推進力があったと思う。
交響曲第13番「バビ・ヤール」 1993年5月13〜17日録音
・・・バス独唱とバス合唱、オーケストラによる交響曲。今聴くからこそ意味がより引き立つと思われるショスタコーヴィチの交響曲の一つではないかと私は考えている。とは言っても中々演奏される回数が多くない交響曲となっているのが現状だろうか。全楽章通して一貫性のある音色と響きがあり、各楽器ごとにもサウンドは統一されている。バス独唱及びバス合唱の太い歌声も中々の存在感となっているのに加えて、低弦の安定感はこの曲における軸になっていると言っても良いだろう。
交響曲第14番「死者の歌」 1993年4月26〜29日録音
・・・マーラーの交響曲「大地の歌」と同じように歌手とオーケストラによる演奏となっている第14番。現代音楽と言っても差し支えないだろう。前衛技法が全面的に使われたその陰鬱とした曲からは弦楽器と打楽器によって奏でられた不気味ながら奥深い音色と不協和な響きを聴くことができる。毎回述べている私の考えだが現代音楽の録音は音質が良い方が細部をより細かく聴き込むことができるので良い。今回の第14番もその一つである。常に暗い交響曲となっているのに加えてあまり緩急を感じない印象だがそのテーマの重みも含めて聴くことによってさらにこの曲を楽しむことができるだろう。
交響曲第15番 1992年10月16〜19日録音
・・・ショスタコーヴィチ最後の交響曲はユーモアたっぷりになっている面白い曲というイメージが強い。ロッシーニの「ウィリアム・テル」序曲やワーグナーの「ニーベルングの指環」から「運命の動機」が引用されている。ポップでキャッチーな作りがされており、室内楽的なオーケストレーションになっている。今回の演奏では個々の楽器の音色は明確かつ透明度の高いものとなっており、なおかつ第14番ほどではないが現代音楽的な部分も見え隠れするためそれを明瞭なサウンドで聴くことができるようになっている。音質が良いことによる細部まで細かく聴き込むことができるのも素晴らしい点と言えるだろう。
インバルとウィーン響によるショスタコーヴィチ交響曲全集、一気に聴いたがこれまで聴いてきたショスタコーヴィチの交響曲とはまた違うアプローチとなっていて非常に面白い演奏ばかりだった。インバルの録音はマーラーの交響曲に関して言えばこれまで積極的に聴いてきたこともあるので、今後はマーラー以外の録音も聴くということも含めて今回ショスタコーヴィチ交響曲全集を聴いたのは良いタイミングだった気がする。近いうちにブルックナー交響曲全集やベルリオーズ作品集成を聴きたいと思う。
https://tower.jp/item/2773788/ショスタコーヴィチ:交響曲全集(全15曲)