鎌倉散策 鎌倉歳時記『曽我物語』十三、伊東の次郎出家の事 付御房が生まれる、女房曽我へ | 鎌倉歳時記

鎌倉歳時記

定年後、大好きな鎌倉での生活に憧れ、移住計画や、その後の鎌倉での生活の日々を語ろうと思います。家族を大阪に置き、一人生活を鎌倉の歳時記を通し、趣味の歴史や寺社仏閣等を綴っていきす。

伊東の次郎出家の事

 嫡子である河津祐泰の突然の死で、女房は悲しみ、父の伊東次郎祐親は、親が子の菩提を弔うという逆様であったが、この者は菩提を弔うために、やがて出家して、六道(ろくどう:一切の衆生が、善悪の業因に応じて至るとされる、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間天の六種の世界)にあてて三十六本の卒塔婆を造立し、供養した。供養の日、説法や談義を聴く聴聞の貴賤男女が、数の限りを尽くして参詣した。そこに五歳になる一万は、父の蟇目(ひきめ:鏑矢)に鞭を取り添えて、

「これは父の物」と言って引っ提げて歩き回ると、母はこれを見て呼び寄せて、

「亡き人の物は持たないように。皆々捨てよ。将来がある者たち。汝の父は仏になって極楽浄土に行かれました。わらわも最後には参ります」と言うと、一万は喜んで、

「仏とは何でしょう。極楽とは、何処にあるのでしょう。急いで参りましょう。私も行きます」と母を責めれば、母は言う事も無く、卒塔婆の方に指を差し置き、

「これこそ、浄土の父です」と言い放つと、一万は、弟の筥王の手をひいて、

「いざ、御父の下に参ります」と、急いだけれども、齢が三歳であるため歩むには、はかどらず、急ぐ心に弟を捨てて、卒塔婆の辺りを走り廻り、空しく帰り、母の膝の上に倒れ伏した。

「仏の中にも、わが父はおられません』と泣き、乳母も共に涙を流した。その日の説法が行われていた時の、一万の振る舞いには、身分の高き者から低き者達まで涙で袂を濡らした。

 

御房が生まれる事

 そうして四十九日には、成仏の為に釈迦の霊塔を八所に供養されるという。

その次の日の夜明けの頃に、河津の女房は何時もと違って、妊婦が腹に巻く帯を解かれた。本当に今回の不幸により出産は、どうだろうと心配したが、何の支障もなく男の子を産んだ。母が申すには、

「私は、果報が少ないものです。この子が、いま少し早く生まれていたならば、父をも見ることが出来たのに。蜉蝣(ふゆう:かげろう)という虫こそ、朝に生まれて夕方に死ぬという。汝の命は、この様である。私も尼となり、山々の麓(ふもと)に閉じこもり、花を摘み、水を汲み、仏に供えることが、汝の父の孝養(こうよう)になると思えば、汝を側近くには置かない。決して恨んではなりません」と言って、やがて捨てようとした処に、河津三郎の弟の伊東九朗祐清と言う者は、一人も子を持っていなかったので、この事を聞いた、祐清の女房は急いでやって来た。

「本当でございますか、今、幼い子を捨てようと、仰せられていると聞いて、如何してその様な事がありましょうか。亡き人の形見で有りますのに、捨てようとされるのは罪が深い事でございます。また、善悪のことも、その折節と思えば、折々に思い出すきっかけになるものを。しかも男子にてあれば、私に下さいませ。養い育てて伊東の家の思い出の縁(よすが)にしましょう」と言うと、

「この身の有様において、身に添う事であります。思いもよりませんでした。そのように思いいただければ、」と言って、お渡しされた。やがて、親しい乳母を着けて養育し、名を御房(ごぼう:後の律師)と名乗らせた。

 

女房、曽我へ移る事

 そうしているうちに、河津祐泰の死後八十日が過ぎ、産後三十日が経つと、仏事の百ヵ日に当たる時、女房は必ず尼にならなければと思い、袈裟衣を用意した。伊東入道祐親は、この事を伝え聞いて、

「本当に、姿を変えて出家すると聞く。子供は、誰に預けて育てようと、そのような事を思い立ったのだ。老い衰える祖父祖母を頼りにするのか、それは叶うものではない。三郎なれども。幼い者どもを多くの子を持つことで、疎かに扱われるだろう。祐泰の形見として思い、いかなる様相であっても、出家などせずに、幼い子供たちを育て、人として成人させよ。そうすれば、今さらに親しくない方がおられるならば、私も人も、見守ることが出来る。相模国の曽我太郎と申す者は、私の諸縁のある者で、折節、この者、長年連れ添った妻と死別して、いまだに歎いているという。そこへ嫁ぎ、自らも心を慰めよ。私が扱うことであるので心配する事は無い」と、こまごまと言い渡した。そうして女房はやがて人を付けて厳しく守らせて、尼になる暇もなかった。すなわち、入道は、曽我太郎のもとに、この理由を詳しく文に書いて遣わすと、祐信はその文を見て、大いに喜び、やがて使いを伴い伊東に来て、子供諸共を迎え取り、曽我へ帰った。女房は、いつしかこのような振る舞いは、返す返すも、口惜しけれども、心ならざる事は、恨みながらも、月日を送った。これを以て昔を思うに、女性は夫の為に牢獄に入れられ監視され、遅れえびすの住家にも慣れたが、不本意な恨めしさを、今さら思い知った。   ―続く―