今日令和七年六月二十七日金曜日、鎌倉は青空が広がる晴の天気で、湿度も低く爽やかな天気である。昨日は、二十四日、二十五日と降り続いた雨により曇時々晴の天気で、湿度気温とも高く不快な梅雨のひと時と言った天気であった。鎌倉の梅雨の期間は特に湿度が高く、毎朝の散歩がてらの神社への参詣で、住居に戻ると朝が噴き出してくる。今年は空梅雨のような気候であったが、久しぶりに今週は二日間雨が降った。近年梅雨入りは早くなっているが、昨年の関東地方の梅雨入りは六月二十一日であり、梅雨明けが七月十八日であった。今年は六月七日に梅雨入りが発表され、梅雨明けは七月十九日ごろと予想されている。しかし八月が過ぎて秋口に入ると、この梅雨入り、梅雨明けが精査され、発表された日も覆る事がある。
今年の夏至は六月二十一日土曜日で、晴の天気で気温が二十九度であった。夏至とは、一年を四季・気候などで分けられた二十四節気の十番目の節気のことを言う。御存知の通り北半球で一年のうち最も昼の時間が長い日のことである。例年梅雨の真っ最中なので、陽の長さを感じるのは難しいが、今年は晴れて長く感じられた。私は大阪で生まれ六十年を過ごした事から鎌倉の陽は短く感じる。もともと関東地方と近畿地方は時差が十五分程遅れるため、わずか十五分であるが、西に行けば行くほど本当に長く感じる。反対に鎌倉では、日の出がわずか十五分であるが早く感じるが、鎌倉の谷あいにある小さな平地を谷戸と言い、そこに住居があると陽の長さが少なく感じるのだ。
(阪神甲子園球場)
毎日天気図や天気予報も見ていると、どうも今年の梅雨は早く開けそうだ。そしてその後は極端な暑さが九月いっぱいまで続くようである。梅雨が明けると、海と山、そして野球のシーズンである。私自身も軟式であるが学生の時や、社会人になってからも社内野球部があり、草野球程度であるが、三月から十二月初めまで月にニ・三回、一塁手として三十七歳までおこなっていたため野球が大好きである。仕事をしていた時は、甲子園球場に年三・四回は甲子園に行っていた。もちろん大阪出身者である事から阪神タイガースの大ファンである。三・四月のホーム開幕戦には、毎年友人たちと京セラドームホーム開幕戦に観戦している。この開幕戦初日に行くと、その年のデザインモデルの帽子がプレゼントされるのだ。また、友人が甲子園球場のバックスクリーン横に年間指定を二席持っており、帰るたびに連れて行ってもらっている。七月には、ウル虎の日と称し、特別ユニホームを配布する日である。その日は、四年前から連れて行ってもらい、ウル虎のユニホームを頂く。今年も行くので四着目になり、好きな選手のユニホームを合わせると十枚ほど集まっている。鎌倉に居住してからは、横浜球場へは四十五分程で行けるため、横浜対阪神戦は、年六試合ほど見に行っている。東京ドームにも一時間に十分ほどで行くことが出来るので、年四試合ぐらい見に行っている。巨人は親の仇の如く、また血が巨人を嫌うが、東京ドームは見やすく良い球場である。
(東京ドーム)
神宮球場は、年二回程度である。神宮球場は、甲子園と違い時間的に東京ドームと同じくらいで行くことが出来るが、帰りは、歩道が狭いため五分程度の駅までの過程がニ十分ほどかかる。梅雨明け以降の夜は激暑の東京では相当きついものがある。また、阪神戦や巨人戦は、料金を高く取るシステムにしており、入場料が高いため年に二回程である。あの巨人でさえ土日にしか観戦することが出来ないお客さんもいるため、このシステムは採用しておらず一律料金である。
(神宮球場)
神宮球場は、開場大正十五年(1926)で、甲子園球場は大運動場として大正十二年(1924)八月一日に開場されたのが、野球専用球場として改修されたのが昭和四年(1929)で世界恐慌が始まった年であった。プロ野球球団本拠地球場としては、現存する最古の球場であるが、明治神宮の方が野球専用球場として立てられたのは古い。東京六大学の聖地とされ、内外野席外観にアーチ状設計が使用され、今ではこの工法が残る唯一の球場である。また、昭和九年(1934)十一月に神宮球場で日米野球が開催されベーブルースが来日し、多くの野球ファンが駆けつけた球場である。試合は、十八試合が行われ、うち十五試合は全日本との試合であった。そのメイン球場が神宮球場で、他に横浜公園球場(建て替えられ現横浜スタジアム)、甲子園球場、仙台の八木山球場、小倉致津球場、大宮球場、宇都宮常設球場、愛知県の鳴海球場で行われた。これをきっかけに同年十二月二十六日に読売ジャイアンツの前身である日本初のプロ野球チームである「大日本東京野球俱楽部」が創設され、翌昭和十年(1935)に「大日本東京野球俱楽部」のオーナー正力松太郎が東京・大阪・名古屋の三大都市圏での福数球団による職業野球リーグの結成を画策し、我が阪神タイガースはこの年に球団を創設した。翌昭和十一年(1936)に日本野球連盟が発足され、七チームでの試合が行われて現在のプロ野球に繋がっていくのである。大学野球の聖地とされる神宮球場は、明治神宮外苑地区再開発の一環として秩父宮ラグビー場を取り壊しその後に新しい球場の建設がされる。2032年の完成を目指しているとの事だが、野球ファンにとってはなぜか悲しい思いである。老衰化と時代に適応する球場の建設は必要だが、ただ単に新しい球場を建設するだけでなく、歴史的にも貴重である事から、現在のアーチ状外観をそのまま新しい球場に活用してもらいたいと思うのは私だけだろうか。
(横浜スタジアム)
鎌倉の居住により、東京ドームや横浜スタジアム、神宮球場へも行けることは、本当に楽しい。球場としては、やはり甲子園であり、その声援のすごさは、メジャー選手であっても驚くという。しかし昨年、横浜が下克上で日本一になったせいか、ファンの数も増え、前年まで阪神ファンが半分近くだったのが、三割ほどに狭められ、座席を取るのに苦労する。甲子園での圧倒的な声援であるが、他球場に行くと声援は五分であり、緊迫感を増すのも面白い。また他球場それぞれの試合前、試合中、試合後のイベントがそれぞれあり、夏には、浜スタでの試合終了後に花火が打ち上げられる日もある。これも綺麗な物である。今回は野球について語らせてもらったのは、今日神宮球場でのヤクルト阪神戦に応援に行くからである。二週間予報でこの日が晴れることを毎日願っていた。
―了―
(2023年阪神タイガースリーグ優勝)