毎日が本当に暑い。年々気温が高くなり、季節の移り変わりも明瞭でなくなりつつあるようだ。今日六月二十日金曜日、何時もの時間に起床して、近隣の神社に参詣に行く。八時半気温は二十七度で、歩いている時は相でもないが、毎日唱えるお祈りの言葉を念じている間の日差しが、しきりと暑さを感じる。また住居に戻ってからの汗にまみれる。そして体を濡れタオルで拭き、何時ものブログ作成を行うのである。今日の気温予想は三十度であるが、実質二十九度止まりではないかと思う。
昨日の木曜日は、鎌倉地区にある行きつけのお店を毎週順繰りに行く日になっている。もう六年を過ぎると親しくなり、一月一度の訪問であるが楽しみの一つである。リーズナブルなお店でブログにも紹介したいが、どうしても混雑すると大変なため、自身のわがままだが紹介を控えさせている。さて、私の住む山崎・台の住民は、小袋谷というバス停から鎌倉方面に行くことが多い。地元の人は鎌倉街道と呼び、大船から小袋谷。北鎌倉、建長寺、鶴岡八幡宮の横を通り、若宮大路を経て鎌倉駅につく。源頼朝の中世の時代において、東海道は伊豆を回るか峠越えを行うかして鎌倉に入った。鎌倉街道は上道・中道・下道の三つの道が造られた。鎌倉上道は、鎌倉の化粧坂から現在の東京都の府中・多摩に繋がり甲斐国と中山道や越後道に続いていく。鎌倉中道は巨福坂から武蔵・下野・上野の国々を経て白川関に向かう。鎌倉下道は、朝比奈切通から下総・常陸国を通り奥州へと向かっている。関東地方にはどの県も鎌倉街道と称される道があるようだ。現在、鎌倉市に古くから住む住民の人々は鎌倉街道の中道を鎌倉街道と呼ぶ。畿内の五畿七道と比べると道幅の不ぞろい、曲がりが多く、複線も少なかった。しかし、同様に国府を通る過程は同様である。また、通商・軍事道としての割合は、鎌倉道は、軍事道としての比率が高いと考えられる。鎌倉道の話を述べると非常に長くなるので、詳しくは令和三年(2021)四月十五日に「中世の道 鎌倉街道」で記載しているので閲覧していただきたい。
さてこの鎌倉街道であるが、大船・鎌倉地域の生活道路でもあり、普段は小袋谷から鎌倉駅まで十五分程で行けるが、年々渋滞がひどくなっており、昨日の十九日木曜日は、三時五十三分のバスで鎌倉へ行き、三十分を要し、帰りは五時三十五分、鎌倉駅から三十五分を要した。オーバーツーリズムの被害のひとつである。この暑さのせいで車での移動が増えたせいなのかは、不明であるが要因の一つではないかと考える。鎌倉地域は、駐車場も少なく、鎌倉の風情や寺社巡りなどでは、歩いて回る方が効果的であるが、この暑さならばとも思う。昨日外人観光客はゆで蛸のような赤い顔をして、汗まみれで鎌倉駅周辺を歩いていた。湿度の高い日本では、汗が引かない事にどう思っているのだろうか。日本人観光客の女性は電動の扇風機を片手に持ち、へそ出しルックで胸元をあらわに出して歩く。先日東京に行ったが、この様な様相をした女性は見かけなかったが、鎌倉という土地がそうさせるのだろうか。海水浴シーズンが七月から始まる。由比ガ浜周辺では、ゲストハウスも増え、周りの住宅街でも水着姿で平気で歩いている様を見ると嘆かわしく、これが現在の鎌倉と思う。
鎌倉に居住してから毎日日記をつけるようにしており、鎌倉のその日の天候と最高気温を記載している。昨年の五月六月と今年の五月六月をと比較して見ると、昨年の五月は、今年より暑さが早く訪れている。そして六月は、五月の流れを続けるように気温が上がりつつ、月末にはかなり上昇した。今年は五月の気温が上がりながらも、末には気温が下がり平年を下回った。六月に入ると昨年は、少しずつ上がるものの例年の気温よりも低く、昨年の六月に三十度を超えるのは、二十四日であったが、今年は十七日に越えている。今年の五月が例年より低く、五月末に二十五度を下回る日が続き、六月の十五日過ぎから急激に気温が上がったために、体が悲鳴を上げているのかもしれない。しかし住居に居て昼間テレビを見ていると、クーラーは、よっぽどでないと付けない。扇風機で十分であり、夜も寝る前の二時間タイマーをかけて眠る。朝も屋内は適温で目覚めるのだ。鎌倉は、谷戸という谷間にある平地のため居住地の地形により温度と湿度の条件が全く違ってくる。しかし、電車で五十分ほど離れた東京よりは、夏は気温が低く、冬は気温が高い事は、事実である。晴れの日が続き、暑さが続けば梅雨の季節もいずれ失われるのではないかと感じる。 ―了―