鎌倉散策 鎌倉歳時記 令和六年十二月帰阪 | 鎌倉歳時記

鎌倉歳時記

定年後、大好きな鎌倉での生活に憧れ、移住計画や、その後の鎌倉での生活の日々を語ろうと思います。家族を大阪に置き、一人生活を鎌倉の歳時記を通し、趣味の歴史や寺社仏閣等を綴っていきす。

 十二月に入り二十四節句の小雪、七十二候の橘始黄が始まり、橘の実が黄色く色づき始める頃である。と言っても旧暦であるため一月ほど早く、現実感は少ない。年に三・四回ほど帰阪するが、前回の帰阪は、八月初旬で、友人四人で甲子園での阪神戦の観戦と、京都の鴨川の川床での鱧鍋を食べに行く事であった。今回は、鎌倉に紅葉が彩るこの時期に帰阪する。鎌倉の気温が十六度程であったが、大阪に帰ると冷たい風が吹き十三度を示していた。冬は鎌倉の方が二・三度高く、夏は二・三度低い。気候的にも鎌倉は穏やかで空気も美味しく感じる。

 帰阪の目的は、歯科の定記診療と友人との忘年会である。大阪に戻り翌日には、歯医者に行き、その後ゆっくりと住居で過ごす。歯医者は、長年通いなれた医師の治療に限る。二十三年前に犬歯の奥二本が虫歯から欠損に至り、大金を払ってインプラントを設置した。まだインプラントの草創期だったため高額であり、よく持っても十年から十五年と言うものであった。手術により一週間ほど顔がはれ上がり、疼痛薬を飲んでも激痛が走った。今回の検診で四十分ほどかけて歯垢の除去とX線での上顎骨とインプラントとの歯の付着状況と、上顎骨の骨組織を見る。全く問題ないと先生も驚く限りであった。食べることに生きがいを感じる今では、食べることが健康であり、それを支えてくれるのが歯である。また当時ぐらいから歯間ブラシの必要性が言われ始、それから歯ブラシと共に歯間ブラシを行うようにしたため、歯垢が付きにくく、虫歯にも縁が亡くなった。

 

(猿沢池)

 金曜日の早朝から奈良に向かった。近鉄奈良駅から観光客が多い三条通りに行き、猿沢の池、浮御堂を歩く。次第に観光客も少なくなり、春日大社の脇道を歩くと群れから外れた鹿が佇んでいた。このあたりの高畑の地区を散策して新薬師寺に向かう。薬師如来像と薬師如来を守る十二神将を拝観するためである。昔二度ほど訪ねた事がある。素朴な本堂の佇まいは、質素であるが、何故か趣深い。そして本尊の薬師如来と十二神将は、天平の時代を彩り美しく、力強く何度見ても良いものだ。次回の投稿で新薬師寺について記載することにする。奈良に来て十時過ぎから歩きだし、新薬師寺を出たのが、十二時を回っていた。

 

(浮御堂)

 その後、いつも奈良に来ると寄る、三条通りのお蕎麦屋さんに向かう。一時には閉店すると思い、足早に急ぐ。「かえる庵」と言う霧下蕎麦の十割蕎麦を出してくれるお店であり、十年程前から通い続け、大阪にいた時は、月に一度は食べに来ていたお店である。奈良の地酒を二十種類ほど置かれ、柿の葉寿司や板わさ、昆布の佃煮、冷ややっこ、ほうれん草の御浸しの三品盛という肴で蕎麦が出来る間、酒を飲むと言ったお店である。よく十割蕎麦はぼそぼそすると言われ、なかなかこしのある蕎麦を打つのは難しいとされるが、「かえる庵」の十割の霧下蕎麦は、こしがあり、香りも格別で蕎麦好きの私にとって格別のお店である。鎌倉に居住してからは、年に一度程度は窺う事にしている。今回も暖簾をくぐるとおかみさんに思い出してもらい多くを語った。大将は、六十五歳の猪年の私と一回り上であり。私の後に入って来たご老人が、大将と中高同級生という事で、一時を過ぎるとお客さんも引き、その方と大将・おかみさんと私の四人で、奈良や鎌倉の事等を多く語った。何時もは、お酒は一合にしているが、話が盛り上がり二合いただく。あっという間に二時半を回り、店を出た。いつまでもお元気で美味しい。御蕎麦を食べさせていただきたいものである。

 

 

(新薬師寺)

「かえる庵」で何時も飲む「神仏習合」と言う八段仕込みで旨口、芳香で黄金色のお酒がある。「昔ながらの九十五%の精白で、奈良の神社で見つけし酵母(山乃かみ酵母)を使用し、奈良興福寺の多門日記の記述を基に古き時代の製法(八段仕込み)で醸造した」酒である。奈良の露葉風の米を精米歩合九十五%にして、山乃かみ酵母を使用し、アルコール分十七度の黄金色の酒を造る。本来酒は四段仕込みぐらいが多いが、手間をかけて、古酒のような甘口のお酒で、冷でも燗でも実に美味しい。今では、辛口淡麗大吟醸外相便一万円以上するものもあるが、幼少の頃、父の晩酌を一口飲まされ二級酒・一級酒を知る者にとっては、伏見の酒や奈良の酒が心地よい。JR奈良駅の二階にお酒屋さんがあり、ここで求めることが出来る。そしてこの日も四合瓶三本を買って、自分用と鎌倉の行きつけのお店のお兄ちゃんのお土産として買った。

 

 

 大和路線の電車に乗り、窓に映る奈良の風景は、趣が深く、法隆寺を過ぎ大和川沿いを走る柏原までの間は、古より続く道で、奈良・難波を行き来する古道でもあった。そして西日が傾きだし住居に戻って行く。また春には訪れたい思いでいっぱいであった。 ―続く