鎌倉散策 鎌倉歳時記 『徒然草』の完読と現代語訳を終えて | 鎌倉歳時記

鎌倉歳時記

定年後、大好きな鎌倉での生活に憧れ、移住計画や、その後の鎌倉での生活の日々を語ろうと思います。家族を大阪に置き、一人生活を鎌倉の歳時記を通し、趣味の歴史や寺社仏閣等を綴っていきす。

 

 昨年の令和五年十一月から『徒然草』の序章から最後の第二百四十三段までの完読と現代語訳に挑戦した。令和六年三月で完了したが、五か月も掛かってしまった。週に三回の投稿で、一回に何時ものA4サイズ二貢半前後にし、四段程ずつにしたからである。

 今回『徒然草』を選んだのは、兼好法師が鎌倉に四度程下向し、当時の鎌倉の様子や鎌倉幕府五代執権北条時頼の話や、また、母の松下禅尼の話などを記しているからだ。そして、『平家物語』の作者を記述している内容も、原文で知ってもらいたかった事もある。

 

 

(北鎌倉 明月院)

 新潮日本古典集成の木藤才蔵氏校注を選定したのは出版されている中で注釈本として非常にまとまっているから使わせていただいた。『徒然草』において木藤氏は、「つれづれなるままに、心にうつりゆく、よしなしごとを、そこはかなく書き記してきた兼好は、結局、所願はみな妄想であり、自分が心から求めているものは、仏道を志向する事によって得られる静穏な境地以外にないことを確認するに至る」。「人間の願望は全て妄想に過ぎない事、万事を放下して仏道に向かうべき事などについては、これまでにも何度か説かれているけれども、人間の願望の数々を列挙する事に起筆した」。と記載されている。『徒然草』は、兼好法師の随筆であり、また、仏道における説話集的な要素も含まれており、自分自身も心中に不快感を示した時に読んで見ると、心が洗浄されるような事もある。

  

 

 

 今回の『徒然草』の完読と現代語訳は、自己満足の挑戦でありながら、達成感は心に重いものがあった。自分が若かりし頃、山にあこがれ、大阪府山岳連盟に入って、夏には北アルプス縦走や中央アルプス、南アルプスそして東北の山々を巡り、冬には、八ヶ岳や北アルプス、大山で訓練したものだ。春秋には関西の山や兵庫県の道場という場所でクライミングの練習もしていた。今でもその道場の不動岩のスクーリーンという場所で私達が何ルートも開拓してルート名を付けた。今もその名が残り、クライマーの練習場所になっている。私の娘の名前を取って「マイちゃんルート」と付けた場所も残っており、クライマーたちのブログにも登場していて非常に面白く懐かしい。その中で五十代に病気のため本格的な山は終了して、アラスカやカナダ、スイスなどでトレッキングを楽しんだ。今は鎌倉に移住して鎌倉アルプスを歩くのを楽しみにしている。このように山での達成感を知った事が、自己管理をしながら、仕事においても、何事も少しずつでも進むことを覚えて、達成感を知ることが出来た。自身の人生において今があるのだと確信している。

 

(北鎌倉 建長寺)

 この十年ほどの間に古典として『陸奥話記』『将門紀』『大鏡』『保元物語』『平治物語』『平家物語』『源平闘掾録』『建礼門院右京大夫集』『西行物語』『愚管抄』『今昔物語』『法然上人絵伝』『承久記』『太平記』『神皇正統論』等を読んできた。どれもが非常に面白く、千年から七百年前の人がどのように物事を考えていたのか。また、今とそんなに変わらない点も多く見られる事に興味が引かれる。そして、古語の難解な文章がパズルのように溶けて行くのも楽しい。これは認知症予防によいのではとも思う事があり、今後も続けていきたいと思う。次に挑戦したいのは、『曽我物語』『沙石集』『増鏡』などであるが、しばらく考えを置いておき、再び鎌倉時代の歴史に戻りたいと思っている。鎌倉幕府五代執権北条時頼について記述していきたい。鎌倉には、頼朝の時代から多くの社が建てられ、現在においてもその名は残されているが、その当時の寺院はほとんど廃寺となっている。時頼は信仰心が強く、多くの仏教に帰依し、この時代に多くの仏閣を建立した。それらは、今の鎌倉に残されている寺院が多い。これらの寺院についても開基の理由と寺院建立に際しての記述も特筆していきたいと考える。

  

 鎌倉は、例年と違った気候で、今、菜種梅雨で、二三日雨が降り続くと、一日晴れ間が出る。梅が綺麗に咲いたが、もうすぐ桜と海棠が咲き、鎌倉観光の一番の季節になる。そして、毎日参詣する近くの神社には、桃の花が綺麗に咲きだした。はやく菜種梅雨も終わり穏やかな日差しが欲しいものだ。春の花々が咲く鎌倉の寺社は、もうそこまで来ている。  ―了

  

(鎌倉 台峰のキンランと海蔵寺の海棠)