鎌倉散策 『徒然草』第二百四十二百段から第二百四十三段 | 鎌倉歳時記

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定年後、大好きな鎌倉での生活に憧れ、移住計画や、その後の鎌倉での生活の日々を語ろうと思います。家族を大阪に置き、一人生活を鎌倉の歳時記を通し、趣味の歴史や寺社仏閣等を綴っていきす。

第二百四十二百段 欲望を捨てよ

 とこしなへに違順(ゐじゆん)につかはることは、ひとへに苦楽のためなり。楽といふは、このみ愛することなり。これを求むること止む時なし。楽欲(げうよく)する所、一つには名なり。名に二種あり。行跡(かうせき)と才芸との誉れなり。二つには色欲、三つには味はひなり。よろづの願ひ、この三つにはしかず。これ顚倒(てんだう)の想よりおこりて、若干(そこばく)のわづらひあり。求めざらんにはしかじ。

 

現代語訳

 「人間がいつまでも逆境と順境とに支配されて、それを超越できないのは、ただただ苦をまぬかれ、楽をもとめようとするからである。楽と言うのは、好み愛する事である。(人間は)これを求める事を止める時はない。(人間が)願い欲するものは、一つは名誉である。名誉には二種類がある。行状が優れているという名誉と学問芸能に優れているという名誉である。二つ目は色欲であり、三つ目は食欲である。あらゆる願いは、この三つより大きな物は無い。この三つの欲望は真実をさかさまに見る間違った考え方から起こったもので、あれこれと多くの苦悩を引き起こすものである。求めない事に越した事はない。」。

 

第二百四十三段 仏はいかなるものか

 八つになりし年、父に問ひていわく、「仏はいかなるものにか候ふらん」といふ。父がいはく、「仏には人の成(な)りたるなり」と。また問ふ、「人は何として仏には成り候ふやらん」と。父また、「仏の教へによりて成るなり」と答ふ。また問ふ、「教へ候ひける仏をば、何が教へ候ひける」と。また答ふ、「それもまた、先の仏の教へによりて成り給ふなり」と。また問ふ、「その教へはじめ候ひける第一の仏は、いかなる仏にか候ひける」といふ時、父、「空よりや降りけん、土より脇けん」といひて笑ふ。「問ひつめられて、え答へずなり侍りつ」と、諸人に語りて興じき。」。

 

現代語訳

 「(私が)八つになった年に、父に問いかけて言ったのは、「仏はどのようなものででございますか」と言った。父が言うのは、「仏には人がなったのだ」と。また父に問う、「人はどのようにして仏になったのでしょうか」と。父がまた、「仏の教えによってなられた」と答える。また問う、「その教えて下さった仏は誰が教えられたのですか」と。また答え、「それもまた先の仏の教えによって(仏に)成られたのだ」。また問う、「その教えを始められた第一の仏は、どの様な仏でございますか」と言った時、父は、「空から降って来たのか、土より湧いて来たのか」と言って笑った。「問いつめられて、答えられなくなりました」と父は人々に語って面白がった。」。

 

(鎌倉長谷寺)

 ※つれづれなるままに、心にうつりゆく、よしなしごとを、そこはかなく書き記してきた兼好は、結局、所願はみな妄想であり、自分が心から求めているものは、仏道を志向する事によって得られる静穏な境地以外にないことを確認するに至る。そこで、はしなくも、仏について父に問いつめた少年の日のことを思い起こし、それを書き記して、序段に対応させたのであろう。  

―了

 

(鎌倉長谷 光則寺の海棠)