鎌倉散策 『徒然草』第百八十三段から第百八十七段 | 鎌倉歳時記

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定年後、大好きな鎌倉での生活に憧れ、移住計画や、その後の鎌倉での生活の日々を語ろうと思います。家族を大阪に置き、一人生活を鎌倉の歳時記を通し、趣味の歴史や寺社仏閣等を綴っていきす。

第百八十三段 律の禁ずるところ

 人つく牛をば角(つの)を切り、ひとくふ馬をば耳を斬りて、そのしるしとす。しるしをつけずして人をやぶらせぬるは、主(あるじ)のとがなり。人くふ犬をば養い飼ふべからず。これみなとがあり。律の禁(いましめ)なり。

 

現代語訳

 「人をつく牛は角を切り、人に食いつく馬は耳を切り、そのしるしとする。しるしを付けずに人に怪我をさせた場合は、主人の罪となる。人に嚙みつく犬を養い飼ってはいけない。これらみな罪がある。律の禁ずる事である。

 

第百八十四段 障子の切り張り

 相模守時頼の母は、松下禅尼(ぜんに)とぞ申しける。守(かみ)を入れ申さるる事ありけるに、すすけたる明かり障子(しょうじ)の破ればかりを、禅尼手づから小刀(こがたな)して切りまはしつつ張られければ、兄の城介義景(じやうのすけよしかげ)、その日のけいめいして候ひけるが、「給はりて、なにがし男(をのこ)に張らせ候はん、さやうの事に心得たる者に候」と申されければ、「その男、尼が細工によりもまさり侍らじ」とて、なほ一間(ひとま)づつ張られけるを、義景、「皆を張りかえ候らはんは、はるかにたやすく候ふべし。まだらに候ふも見ぐるしくや」と重ねて申されければ、「尼も、後はさはさはと張りかへんと思へども、今日ばかりは、わざとかくてあるべきなり。物は敗れたる所ばかりを修理して用ゐる事ぞと、若き人に見習はせて、心つけんためなり」と申されける。いとありがたかりけり。

 世を治むる道、倹約を本(もと)とす。女性(にようしやう)なれども、聖人の心に通えり。天下を保つほどの人を子にて持たれける、まことに、だだ人にはあらざりけるとぞ。

 

現代語訳

 「相模守時頼(北条時頼)の母は、松下禅尼(秋田城介安達景盛の娘、北条時氏の室)と申される。相模守を自分の所に招じ入れられることがあり、すすけた明かり障子の破れたところだけを、禅尼が自身で小刀を用い切り取って張られた。兄の城介義景は、その日の接待の準備をして控えており、「そのお仕事はこちらにいただいて、なにがしかの男に張らせます。そのような事に得意な者です」と申されたが、尼は、「その男、尼の細工よりもまさっていますまい」と言って、なお一間ずつ張られた。義景が(それを見て)、「全部張り替えればはるかに簡単でしょう」と重ねて申された。「尼も、後はさっぱりと張り替えようと思いますが今日ばかりは、わざとこうしておくのが良いのです。物は破れた所ばかりを修理して用いることが若い人に見習わせて、注意しようというためです」と申された。世にも稀な殊勝なことであるった。

 世を治める道は、倹約を基とする。女性であるがその心は聖人の心に通じる。天下を保つほどの人を子に持って、実に、ただの人ではなかった事が窺える。

 

第百八十五段 道を知る者

 城陸奥守泰盛は、さうなき馬乗りなりけり。馬を引き出ださせけるに、足をそろへて閾(しきみ)をゆらりと超ゆるを見ては、「これは勇める馬なり」とて、鞍を置きかへさせけり。また、足をのべて閾に蹴あてぬれば、「これはにぶくしてあやまちあるべし」とて、乗らざえいけり。

 道を知らざらん人、かばかり恐れなんや。

 

現代語訳

 「城陸奥守泰盛(安達泰盛)は、並ぶ者の無い乗馬の名手であった。(馬屋から)馬を引き出させ、足をそろえて厩の入り口の閾をゆっくりと越えて行くのを見て、「これは気の立っている馬である」と他の馬に鞍を置き返させた。また、足を延ばしてまで閾に蹴り当てると、「これは鈍感であるに違いない」と言って、乗らなかった。(乗馬の)道を知らない人は、こんなにも恐れるのであろうか。

 

第百八十六段 乗馬の秘訣

 吉田という馬乗りの申し侍りしは、「馬ごとにこはきものなり。人の力、争ふべからずと知るべし。乗るべき馬をば、まづよく見て、強き所・弱き所を知るべし。次に、轡(くつわ)・鞍の具に、あやふき事やあると見て、心にかかる事あらば、その馬を馳(は)すべからず。この用意を忘れざるを馬乗りとは申すなり。これ秘蔵の事なり」と申しき。

 

現代語訳

 「吉田と言う馬乗りの名手が申す事には、「どの馬も皆手ごわい。人の力で、張り合う事は出来ないと知らなければならない。乗るべき馬は、まずよく見て、強い所・弱い所を知らなければならない。次に、轡・鞍の馬具に、危ない所があるかどうかを見て、気が着いた事があれば、その馬を走らせてはならない。この心使いを忘れないのを本当の馬乗りと言う。これ乗馬の秘訣成」と申した。

 

第百八十七段 慎めるは得のもと

 よろずの道の人、たとひ不勘(ふかん)なりといへども、堪能(かんんう)の非家(ひか)の人にならぶ時、必ず勝る事は、たゆみなく慎みて軽々しくせぬと、ひとへに自由なるとの等しからぬなり。

 芸能・所作のみにあらず、大方のふるまひ・心づかひも、愚かにして慎めるは、得のもとなり。巧みにしてほしきままなるは、失のもとなり。

 

現代語訳

 「どの様な方面であろうとその道の専門家は、たとえ下手であろうと、上手な専門外の人と並べた時に、必ず勝る事は、専門家は気のゆるむことが無く慎重に軽々しく行わなわず、素人がひとえに勝手気ままに振舞うのとは違う。

 貴族が身に付けていなければならない芸能・仕事として所作のみの話ではなく、一般の人の振る舞い・心使いも、不器用であって慎重に行う事は得の元である。巧みに好き勝手に行うのは、失敗の元である。