鎌倉散策 『徒然草』第百七十二段段から第百七十四段 | 鎌倉歳時記

鎌倉歳時記

定年後、大好きな鎌倉での生活に憧れ、移住計画や、その後の鎌倉での生活の日々を語ろうと思います。家族を大阪に置き、一人生活を鎌倉の歳時記を通し、趣味の歴史や寺社仏閣等を綴っていきす。

第百七十二段 若人と老人

 若き時は、血気(けつき)うちに余り、心、物に動きて、情欲多し。身を危(あや)ぶめて砕けやすき事、珠(たま)を走らしむるに似たり。美麗を好みて宝をつひやし、これを捨てて苔の袂(たもと)にやつれ、勇める心盛りにして、物と争ひ、心に恥ぢうらやみ、好む所、日々に定まらず。色にふけり情けにめで、行ひをいさぎよくして、百年(ももとせ)の身を誤り、命を失へるためし願はしくして、身の全(また)くを久しからん事をば思はず。好(す)ける方に心ひきて、ながき世語りともなる。身を誤つ事は、若き時のしわざなり。

 老いぬる人は、精神おとろへ、淡くおろそかにして、感じ動く所なし。心おのづから静かなれば、無益(むやく)のわざをなさず。身を助けて愁へなく、人の煩ひなからん事を思ふ。老いて智の若き時にまされる事、若くして貌(かたち)の老いたるにまされるがごとし。

 

現代語訳

 「若い時は、活力が体内にあふれ、心、物事に触れて動揺し、情欲が多い。自分の身を危険にさらして破滅させやすい事は、球を大変な速度で転がすのと同じことだ。華美を好み財宝を使い果たし、そうかと思うと、それを捨てて黒染の衣に身をやつす。また、勇みはやる心が盛んで、人と争い、心中に恥ずかしく思ったり、人を恨んだりする。好む所は日々変化して定まらない。恋愛に熱中して人の情けに感激し、思い切りの良い行動をして、百年の天寿を全うすべき大事な身を誤り、命を失う前例が好ましく思われて、身を安全にして長生きする事を思わない。自分の好きな方に引かれて行き、後々までも世間話の種ともなったりする。身を誤る事は、若い時の所業である。

 老いたる人は、精神衰え、(万事に)淡泊で大まかであって、物に感じて動揺しない。心がおのずと静かになり、無益の所業を行わない。わが身を労わって嘆くことなく、人に迷惑をかけないようにと心がける。老いてその知恵が若い時にまさる事は、若い時にその要望が老人よりもまさっているのと同じようなものだ

 

(写真:ウィキペディア引用 小野小町 狩野探幽『三十六歌仙額』)

第百七十三段 小野小町が事

 小野小町(おののこまち)が事、きはめてさだかならず。衰えたるさまは、玉造(たまつくり)といふ文に見えたり。この文、清行(きよゆき)が書けりといふ説あれども、高野大師(かうやのだいし)の御作(ごさく)の目録に入れり。大師は承和(じょうわ)の初めにかくれ給へり。小町が盛りなる事、その後の事にや。なほおぼつかなし。

 

現代語訳

 「小野小町の事は、全くはっきりとしていない。(年を取って)衰えた様子は、『玉造小町壮衰書』という手紙に書かれている。この手紙は、三善清行が書いたという説があるが、弘法大師空海の作の目録に入れられている。弘法大師は承和年間の初めに亡くなられ、小野小町が若くして美しかったのは、その後の事である。やはりはっきりとはしない。」。

 ※小野小町(おののこまち)、仁明・文徳・清和天皇頃の平安前期九世紀の歌人で六歌仙の一人。『古今集』以下の勅撰集に合計六十二首入集。歌人であり絶世の美人であったという伝承が残される。系図修『尊卑分脈』によれば、小野一族である小野篁(たかむら)の子息である出羽郡司・小野良真の娘とされる。しかし、小野良真の名は『尊卑分脈』にしか記載が無く、他の資料には全く見られない。加えて、数々の資料や諸説から小町の生没年は、天長二年〔825〕昌泰三年〔900〕の頃と想定されるが、小野篁の生没年を考慮すると篁の孫とするには年代が合わない。篁の娘とする説もある。京都市山科区小野は小野氏が栄えた土地とされ、生没の地とする説があるが、全国各地に生没の地として伝承が残されている。また、平安時代くらいまでは天皇以外、貴族であっても風葬が一般的で京都東山区の鳥辺野がその由来とされ、後に墓地として形成したものとされる。花やかな宮中で過ごした歌人として名を高めたが、晩年は不幸であったともいわれる。小野小町の死体が腐乱していく様子を九段階に分けて描かれた「小野小町九相図」などあるが存在するが、鎌倉期以降の作として世の無常を伝えている。小野小町の家系・伝記とも明らかではない。

 

第百七十四段 大につき小を捨つることわり

 小鷹によき犬、大鷹(おほたか)に使ひぬれば、小鷹にわろくなるといふ。大につき小を捨つることわり、まことにしかなり。人事多かる中に、道を楽しぶより気味深きはなし。これまことの事なり。一たび道を聞きて、これに志ざさん人、いづれのわざか廃(すた)れざらん。何事をか営まん。愚かなる人といふとも、賢き犬の心に劣らんや。

 

現代語訳

 「小鷹狩り(秋季に隼やハイタカ、ツミ、サシバなどの小型の高を使ってウズラ・ヒバリなどの小鳥を取る狩り)に適した犬は、大鷹狩り(唐木に普通の高を使い、雉やウサギ、鶴を取る狩り)に使うと、小鷹狩りに適さなくなるという。大につき小を捨てる理由は(大きな獲物を追い立てるのになれた犬は、小鷹狩りの小さな獲物を問題にしなくなる)、実にもっともな事である。人間のする事の中に、仏道に精進する楽しみより味わいの深い物は無い。(人生にとって)これは真の大事である。一たび仏道を考え、これを志そうとした人は、仏道以外のどんなことも、自然にやめてしまうようになるものだろう。愚かな人といっても、賢い犬の心よりも劣っていないのである。」。

 

(鎌倉 杉本寺)