鎌倉散策 『徒然草』第百六十八段から第百七十一段 | 鎌倉歳時記

鎌倉歳時記

定年後、大好きな鎌倉での生活に憧れ、移住計画や、その後の鎌倉での生活の日々を語ろうと思います。家族を大阪に置き、一人生活を鎌倉の歳時記を通し、趣味の歴史や寺社仏閣等を綴っていきす。

第百六十八段 今は忘れにけり

 年老いたる人の、一事(いちじ)すぐれたる才(ざい)のありて、「この人の後には、誰にか問はん」など言はるるは、老いの方任(かたうど)にて、生けるもいたづらならず。さはあれど、それもすたれたる所のなきは、一生、この事に暮れにけりと、つたなく見ゆ。「今は忘れにけり」と言ひてありなん。おほかたは、知りたりとも、すずろに言ひ散らすは、さばかりの才にはあらぬにやと聞え、おのづから誤りもありぬべし。「さだかにもわきまへ知らず」などと言ひたるは、まことに道のあるじとも覚えぬべし。まして、知らぬ事、したり顔に、おとなしく、もどきぬべくもあらぬ人の言ひ聞かするを、「さもあらず」と思ひながら聞きゐたる、いとわびし。

 

現代語訳

 「老人になった人で、何か一つの事で他の人にまさる才能があり、「この人のが死んだ後には、誰に質問したたらよいのか」などと言われるのは、老人のために気を吐く(心強い)もので、長生きしているのも無駄ではない。そうではあるが、(壮者辟易とするぐらい得々として、自分の知っていることを残りくまなく、まくしたてる)老人の衰えたところが無いのは、一生、この事だけで終わってしまったのだと、つまらなく見え、「(もう)今は忘れてしまった」と言っている方が良い。一般的に言って、知っている事でも、むやみに言い散らすのは、それほどの才能では無いようにと思われる。むやみに話すうちに、自然と間違った事も口にするのもあると言うことだ。「はっきりとは覚えていない」などと言う人は、やはり、本当にその道の第一人者とも思える。まして、知らぬ事を、得意な顔つきの、相当の年配で、こちらから論じ返す事も出来かねる人の言うのを聞いていると、「そうではない」と思いながら聞いているのは、やりきれないものだ。

 

(鎌倉 長谷寺)

第百六十九 何事の式

 「何事(なにごと)の式(しき)といふ事は、後嵯峨の御代(によ)までは言はざりけるを、近きほどよりいふ詞なり」と、人の申し侍りしに、建礼門院の右京大夫(うきょうのだいぶ)、後鳥羽院の御位ののち、また内裏住(うちず)みしたる事をいふに、「世のしきも変りたる事はなきにも」と書きたり。

現代語訳

 「何々のやり方と言う決まり事の「式」は、後嵯峨天皇の治める代までは言わなかったのだが、近ごろから言う言葉になった」と、人が話していた。建礼門院の右京大夫が、後鳥羽院の御即位の後、また、再び内裏に女官として仕える事を言うのに「世の景色(式)も変わっている事はないがのだが」と『建礼門院右京大夫集』に書かれている。

 

第百七十段 阮籍が青き眼

 さしたる事なくて、人のがり行くは、よからぬ事なり。用ありて行きたりとも、その事果てなば、とく帰るべし。久しく居たる、いとむつかし。

 人と向かいたれば、詞おほく、身もくたびれ、心もしづかならず。よろづの事さはりて時をうつす、たがひのため益(やく)なし。いとはしげに言はんもわろし。心づきなき事あらん折は、なかなかその由(よし)をも言ひてん。同じ心に向はまほしく思はん人の、つれづれにて、「いましばし。今日は心しづかに」などと言はんは、この限りにはあらざるべし。阮籍(げんせき)が青き眼(まなこ)、誰もあるべきことなり。

その事となきに、人の来たりて、のどかに物語して帰りぬる、いとよし。また、文も、「久しく聞こえさせねば」などばかり言ひおこせたる、いとうれし。

 

現代語訳

 「これという用事もなくて、人の家へ行くのは、よくない事である。用があっていったとしても、その用事が終われば、早く帰る事だ。長く居るのは実に煩わしい。人と対座していると、口数も多くなり、身体もくたびれ、心も落ち着かない。万事差し障りがあって時間を過ごすのは、お互いに利益が無い。嫌々ながらに話をするのも好ましくない。気乗りがしない事がある時ならば、かえってその理由も言ってしまおう。お互いによく気心があって対座したいと思うような人が所在無くしていて、「もうしばらくいてください。今日は落ち着いてゆっくり話しましょう」などと言うのは、この限りにない。阮籍(げんせき:中国三国時代の晋の七賢の一人)が嵆喜(けいき)の弟嵆康(けいこう)が酒を持ち琴を携えて来た時に大変喜んで青眼で迎えたという事は、誰もがありがちな事である。

 是と言う用事もないのに、人が来て、のどかに物を語って帰るのは、実に良いものである。また、手紙も、「長い間おたよりを差し上げませんでしたので」などのように言ってよこしたのは、「実に嬉しいものだ。

 

第百七十一段 手元を正せ

 貝をおほふ人の、我が前なるをばおきて、よそを見渡して、人の袖のかげ、膝の下まで目をくばる間に、前なるをば人におほはれぬ。よくおほう人は、よそまでわりなく取るとは見えずして、近きばかりおほふやうなれど、多くおほうなり。碁盤の隅に石をたててはじくに、向かひなる石をまぼりてはじくは、あたらず。わが手もとをよく見て、ここなる聖目(ひじりめ)を直ぐにはじけば、立てたる石必ず当たる。

 よろずの事、外(ほか)に向きて求むべからず。ただ、ここもとを正しくすべし。清献公(せいけんこう)が言葉に、「好事を行(ぎやう)じて、前程(ぜんてい)を問ふ事なかれ」といへり。世を保たん道もかくや侍らん。内を慎まず、軽くほしきままにしてみだりなれば、遠き国必ずそむく時、はじめて謀(はかりごと)を求む。「風にあたり、湿に臥(ふ)して、病を神霊に訴(うつた)ふるは、愚かなる人なり」と、医書に言へるがごとし。目の前なる人の愁へをやめ、恵み施し、道を正しくせば、その化(くわ)遠く流れん事をしり知らざるなり。兎(う)の行きて三苗(さんべう)を征せしも、師(いくさ)班(かへ)して徳を敷くにはしかざりき。

 

(鎌倉 稲村ケ崎 江の島)

現代語訳

 「貝おおいと言う遊びをする人で、自分の前の貝を差し置いて、外を見渡して、人の袖の影や、膝の下まで目をくばる人は、その間に、自分の前にある貝を覆われる。よく覆う人は、よそまで無理して取るようには見えず、近くばかりを覆うようで多くの貝を覆うことが出来る。碁盤の隅に石をおいてはじく(遊戯)に、向かいに置かれた石を見つめてはじくのは、あたらず。わが手もとから見て、その前の聖目(ひじりめ:碁盤の外側から四線目にの四隅にとその中間と、中央の一点)を真直ぐにはじけば置いた石に必ず当たる。万事、自分の外に向かって求めないこと。ただ、最も手近な所を正しく行うように。清献公(せいけんこう:中国の宋の名臣趙抃〔ちょうべん〕)が言葉に「ただ、良い事を行って、将来の事を問題にしてはならない」と言う。世の中を治めてゆく道もこのようである。内政に心を用いず、軽率で気ままにしてでたらめであれば、遠き国が必ず背くその時、初めてその対策を立てる。「風にさらされて、湿気の多い所に寝て、病気になり、その上で病の治療を神に祈るのは、愚かな人である」と、医書に書かれているのと同様である。目の前に起こる人の愁いを考えるのは止めて、恩恵を施し、政治の道を正しくしなければ、その感化が遠くまで及んでゆく事を知らないのである。(中国古代の伝説上の聖天子夏王朝の始祖)兎が帝舜(ていしゅん)の命を受けて三苗を討った時、益と言う人の諫めに従って軍を引き上げて徳政を行ったところ、七十日で三苗が帰服したという。」。