鎌倉散策 『徒然草』第百六十二段から第百六十七段 | 鎌倉歳時記

鎌倉歳時記

定年後、大好きな鎌倉での生活に憧れ、移住計画や、その後の鎌倉での生活の日々を語ろうと思います。家族を大阪に置き、一人生活を鎌倉の歳時記を通し、趣味の歴史や寺社仏閣等を綴っていきす。

第百六二段 大雁を殺す法師

 遍照寺(へんぜうじ)の承仕(じようじ)法師、池の鳥を日ごろ飼ひつけて、堂のうちまで餌(ゑ)をまきて、戸一つあけたれば、数も知らず入りこもれける後、おのれも入りて、たてこめて、捕へつつ殺しけるよそほひ、おどろおどろしく聞えけるを、草刈る童(わらは)聞きて、人に告げければ、村のをのこども起こりて入りて見るに、大雁(おおがん)どもふためきあへる中に、法師まじりて、打ち伏せねじ殺しければ、この法師を捕らへて、所より使庁へ出だしたるけり。殺すところの鳥を頸にかけさせて、禁獄せられにけり。基俊(もととし)大納言、別当の時になん侍りける。

 

現代語訳

 「遍照寺(へんぜうじ:京都市右京区北嵯峨広沢池西北に会った真言宗広沢流本寺。現在の遍照寺は近世再建された物)の承仕法師(じようじ法師:寺社内の雑役に従事する僧で、内殿の掃除、仏具の管理、燈火、香華の用意をする僧)は、池の鳥を得ずけて、堂の入り口まで餌をまき、入口の戸を一つ開けでいた。(鳥が)数も分からないほど(多く)入り込んだ後、自身も室内に入り、戸を閉め切って、鳥を捕らえては殺した。その様子が、ひどく物騒がしく聞こえたので、草刈りの童子が聞き、人に告げた。村の男が大挙して詰めかけてみると、大きな雁がばたばたと騒ぎ合っている中に、法師がまじって、雁を討ち伏せねじり殺していた。この法師を捕らえて、その地元から検非違使庁へ突き出したのである。殺された鳥を頸にかけさせて、牢獄に拘禁された。基俊大納言(堀川基俊)検非違使庁の別当(長官)の時の事である。」。

 

(横浜市金沢区 称名寺)

第百六十三 太衝の太字

太衝(たいしょう)の太字、点打つ、打たずといふ事、陰陽(おんやう)のともがら、相論の事ありけり。盛親入道申し侍りしは、「吉平が自筆の占文の裏に書かれたる御記(ぎよき)、近衛関白殿に有り。点打ちたるを書きたり」と申しき。

 

現代語訳

 「太衝の太の字が、「太」と書くのか、「大」と書くのかどちらが正しいかと言う事を陰陽師の者どもが相論し合った事があった。盛親入道(伝未詳)が申したのは、「平親(安倍晴明の子)が自筆の朝廷が審議官・陰陽師に吉凶を占わせた時、その占いの結果を書き起こして差し出す文書(「うらぶみ」とも言う)に記したと上皇・天皇や高貴な方の日記に記され、その日記が近衛家平関白殿の所にある。それには太と点を打つ字が書いてあった」と申された。」。

 

第百六十四段 無益の談話

 世の人あひ会ふ時、暫(しばら)くも黙止する事なし。必ず言葉あり。その事を聞くに、多くは無益の談なり。世間の浮説、人の是非、自他のために失多く、得(とく)少なし。これを語る時、たがひの心に、無益の事なりといふ事を知らず。

現代語訳

 「世間の人がお互い顔を合わせた時に、暫く黙っている。しかし、必ず何か話そうとする。その事を聞くと、多くは無益な会話である。世間の噂話は、他人を悪く論じ、自分にとっても、話し相手にとっても、損になる事が多く。得るものは少ない。世間の噂話を語る時、お互いの心に、無益な事であると知ってはいない。」。

 

第百六十五段 わが俗にあらずして人に交われる

 あづまの人の、都の人に交はり、都の人の、あづまに行きて身を立て、また、本寺・本山を離れぬる顕密の僧、すべて、わが俗にあらずして人に交はれる、見苦し。

 

現代語訳

 「関東の人が、京都の人と交わり、京都の人が、関東に行き立身出世をして、また本寺・本山を離れる(浄土・禅・転だい・華厳・法相宗等の)顕教の僧が、すべて、その人本来の習俗の中に身を置かないで、外部の人と交わり暮らすことは、見苦しいものだ。」。

 

(北鎌倉 東慶寺)

第百六十六段 春の日の雪仏

 人間の営みあへるわざを見るのに、春の日に雪仏(ゆきぼとけ)を作りて、そのために金銀珠玉の飾りを営み、堂を建てんとするに似たり。その構へを待ちて、よく安置してんや。人の命ありと見るほども、下より消ゆること、雪のごとくなるうちに、営み持つこと甚だ多し。

 

現代訳語

 「人間の社会でお互いに精を出して働いている仕事を見ると、春の日に雪で作った(雪だるまのような)仏像をつくり、その雪仏のために金銀珠玉の装飾を苦労して取り付け、雪仏を安置する堂を建てようとする事に似ている。そのお堂の出来上がるのを待って、よく安置できようか。人の命が長いと見えるほどにも、その内部から消耗していくことは、雪の解けてゆくようなものであるが、そのはかない期間にあくせくと働いて、将来に期待する事が非常に多いのだ。」。

 

(鎌倉 鶴岡八幡宮)

第百六十七段 人と争うなかれ

 一道(いちだう)にたづさはる人、あらぬ道のむしろに臨みて、「あはれ、わが道ならましかば、かくよそに見侍らじものを」といひ、心にも思へる事、常のことなれど、世にわろく覚ゆるなり。知らぬ道のうらやましく覚えば、「あなうらやまし。などか習はざりけん」といひてありなん。わが智を取り出でて人に争ふは、角(つの)あるものの角を傾(かたぶ)け,牙あるものの牙をかみ出だすたぐいなり。

 人としては、善にほこらず、物と争はざるを徳とす。他にまさることのあるは、大きなる失なり。品(しな)のたかさにても、才芸のすぐれたるにても、先祖の誉れにても、人にまさりりと思へる人は、たとひ言葉に出でてこそ言わねども、内心にそこばくのとがあり。慎みてこれを忘れるべし。をこにも見え、人にも言ひ消されたれ、禍(わざわひ)をも招くは、ただこの慢心なり。

 一道にもまことに長じぬる人は、みづから明らかにその非を知る故に、志(こころざし)常に満たずして、終(つい)に物にほこる事なし。

 

(鎌倉 鶴岡八幡宮 手斧始式)

現代語訳

 「ある一つの専門に関係している人が、自分の占文外の席に参加し、「ああ、自分の専門の事であったなら、この様にむなしく傍観はしないものを」と、心に思う事を言う。普通よくあることだが、まことにみっともない事に思える。知らない専門の事を羨ましく思えば、「ああ羨ましい、何故その道を習得しなかったのか」と言って済ませておけばよい。自分の収得した知恵を持ち出して人と争うのは人のみで、角や牙のある動物が、すぐ自分の得意とする武器を掲げて争うのに似た事である。

 人間の、大きなる欠点である。家柄や身分が高いと言う事でも、学問や芸能の優れているのも、先祖に立派な人が出ている事でも、人よりまさっていると思う人は、たとえ言葉に出して言わないが、その心の中に多くの非難される点があるのだ。自ら戒めてこれを忘れるように。ばかげたことに見られ、人にも非難され、災いを招くのは、この慢心である。

 一つの専門でも本当に長じた人は、自ら自分の欠点を知っているために、望むところは、何時も満たされる事は無く、最期まで人に自慢するということが無いのだ。」。