鎌倉散策 『徒然草』百二十六段から第百二十九段 | 鎌倉歳時記

鎌倉歳時記

定年後、大好きな鎌倉での生活に憧れ、移住計画や、その後の鎌倉での生活の日々を語ろうと思います。家族を大阪に置き、一人生活を鎌倉の歳時記を通し、趣味の歴史や寺社仏閣等を綴っていきす。

百二十六段 ばくち

 ばくちの、負きはまりて、残りなく打ち入れんとせんにあひては、打つべからず.たち返り、続けて勝つべき時の至れると知るべし。その時を知るを、よきばくちといふなり」と、ある者申しき。

 

現代語訳

 「「博打の、負け切ってしまって、残った物を全てを賭けて勝負しようとするような者にはは、(博打を)してはいけない。(今度は逆に相手の方に)たち返り、負けの窮まった状態から、続けて勝つ常態にもどる時を知らなければならない。その時期を知る者を、良い博打打と言う」と、ある者は申していた。」。

 

第百二十七段 あらためて益なきこと

 あらためて益なきことは、改めぬを良しとするなり。

 

現代語訳

 「改めても益のない事は、改めない事を良いとする事である。」。

 

(鎌倉 鶴岡八幡宮)

第百二十八 慈悲の心

 雅房(まさふさ)大納言は、才かしこく、よき人にて、大将にもなさばやと思しけるころ、院の近習(きんじふ)なる人、「ただ今、あさましき事を見侍りつ」と申されければ、「何事ぞ」と問はせ給いけるに、「雅房卿、鷹に餌をはんとて、生きたる犬の足を斬り侍りつを、中垣の穴より見侍りつ」と申されけるに、うとましく憎く思しめして、日ごろの御気色もたがひ、昇進もし給はざりけり。さばかりの人、鷹を持たれたりけるは思はずなれど、犬の足はあとなきことなり。虚言(そらごと)は不便なれども、かかることを聞かせ給ひて、憎ませ給ひける君の御心は、いと尊き事なり。

 大方生ける物を殺し、いため、たたかはしてめて、遊び楽しまん人は、畜生残害のたぐひなり。よろづの鳥獣(とりけだもの)、小さき虫までも、心をとめて有様を見るに、子を思ひ、親をなつかしくし、夫婦をともなひ、ねたみ、怒り、欲多く、身を愛し、命を惜しめること、ひとへに愚癡(ぐち)なる故に、人よりもまさりて甚だし。彼に苦しみをあたへ、命を奪わん事、いかでかいたましからざらん。

 すべて、一切の有情(うじやう)を見て、慈悲の心なからんは、人倫にあらず。

 

(京都 御所)

現代語訳

 「土御門雅房大納言は、学識が優れ、身分が高く、教養があり、立派な人であった。上皇は近衛の大将にさせようと思っていたところ、院の近習なる人が、「ただ今、まったくひどい事を見て参りました」と申されると(上皇は)、「何事だ」と問いかけた。(その近習は)「雅房卿、鷹に餌をやろうとして生きている犬の足を斬っているのを、隣家との境の垣根の穴から見ました」と申されたところ、上皇はいとわしく憎くお思いになり、普段の機嫌も変わり、以後(雅房卿の)昇進をさせなかった。あれほどの人が鷹を持っていたとは意外な事であったが、犬の足の話は証拠なき事であった。虚言により(その後昇進できなかったのは)不便な事だが、この事を聞いて、憎まれる上皇様の御心は大変尊いものである。

 大方、生きている物を殺し、傷つけ、お互いに戦わせて、遊び楽しむ人は、畜生が互いに食い合い傷つけあっているのと同類である。多くの鳥獣、小さな虫までも、注意してその様子を見ると、子を思い、親を慕わしく思い、夫婦連れ添って、ねたみ、よく多く、身を愛し、命を惜しめること、ひとえに愚かで物の道理が分からない故に、(鳥獣らは)人よりまさりて甚だしい。それらがに苦しみを与え、命を奪おうとする事は、どうして不便でない事があろうか。

 すべて、一切の生きている物を見て、慈悲の心の無い者は、人間ではない。」。

 

(京都 東寺)

第百二十九段 心をいたましむること

 顔回(がんくわい)は、志、人に労を施さじとなり。すべて、人を苦しめ、物を虐(しへた)ぐる事、賤しき民の志をも奪ふべからず。また、いとなき子をすかし、おどし、言ひはずかしめて、興ずる事あり。おとなしき人は、まことならでは、事にもあらず思へど、幼き心には、身にしみて恐ろしく、恥ずかしく、あさましき思ひ、まことに切なるべし。これを悩まして興ずる事、慈悲の心にあらず。

 おとなしき人の、喜び、怒り、悲しび、楽しぶも、みな虚妄(こまう)なれども、誰が実有(じつう)の相に著(ぢやく)せざる。身をやぶるよりも、心をいたましむるは、人をそこなふ事なほ甚だし。病を受くる事も、多くは心より受く。外よりきたる病はすくなし。薬を飲みて汗を求むるには、験(しるし)なきことあれども、一旦恥ぢ恐れることあれば、必ず汗を流すは、心のしわざなりといふことを知るべし。凌雲の(りよううん)の額を書きて白頭の人となりし例(ためし)なきにあらず。

 

(鎌倉 建長寺三解脱門)

現代語訳

 「顔回(がんくわい:中国、春秋時代の人。高氏第一門弟。字は子淵〔しえん〕。学徳ともすぐれていた。)は、信条を、他の人に苦労をかけまいとした。すべて(の行動は、)、人を苦しめて、人を残酷に扱う事があり、下賤の民の意志をも奪ってはならないととする。また、幼い子供をだましたり、脅したり、からかってたりして、面白がる事がある。大人は本当の事でないならば、たいした事とも思わないが、幼い者の心には、身にしみて恐ろしく、恥ずかしく,情けない思うのが、本当に痛切なのである。これを悩まして面白がることは、慈悲の心が無い事である。

 大人が、喜び、怒り、悲しみ、楽しむのも、みな迷いから起きる現象で真実ではないが、迷いの心によって実在しているかに見え、誰もがこの世のもろもろの事象に執着しないで射られようか。身体を損傷するよりも、心を悩ませるほうが、人は損なう物が甚だしく大きい。病気になるのも、多くは心よりなる。他より罹患する病は少ない。薬を飲んで汗を出そうとする場合は、効果が無い事がある。一度恥て恐れる事があれば、必ず冷や汗を流すのは、心のしわざと言う事を知るべきである。凌雲の(りよううん:魏の文帝が建てた高楼の名)額の字を書き忘れて白髪の人となった例はない事ではない。」。

 ※凌雲(りよううん)は、魏の文帝が建てた高楼の名で、明帝の時に壊れて再建される。高さ二十五丈(七十数メートル)あり、河南省の東にあった。明帝が凌雲観を再建した時、誤ってその額に字を書かずに打ち付けたので、能書家の韋誕(いたん)を額に乗せて、ろくろで七十メートルほど引き上げて額の字を書かせた。誕は危惧して、後に子孫を誡めて、この楷法を絶ったと『奉書要録』(唐、張彦遠撰)に見える。恐怖あまり、誕の頭髪が白く変わったと言う事は、『世説新語』に見られる。