令和五年十二月、今年は暖冬との事で、ようやく十五日を過ぎ寒くなってきた。また十八日から就寝時に湯たんぽを入れる。今日は二十日で、今年もあと十日あまりになった。例年のごとく十一月末に帰阪し、十二月三日に友人たち四人と忘年会をした。今年はコロナ過で鍋を控えていたため知人の北新地の店で鍋をつついた。友人の一人が私のブログをその場で開いて見ていると、友人から投稿数九九八との事で、もうすぐ千投稿になりますよとの事であった。自分でも気にしていなかった事だが、五年近くも続けているとそれくらいにはなるのだろうと思う。集まった友人皆が、もうそろそろ大阪に帰って来てはというが、書籍類が余りにも増えて、引っ越し時には大変だと思うし、わずらわしくも思う。そして正直に言うと、健康でさえあればこの自由な時間を手放したくない。
(杉本寺)
毎年の忘年会に参加する友人の一人が、今年の十月に松任谷由実のコンサートのチケットが当たったため、十二月九日に鎌倉に来るとの事で、私の住居で一泊して十日の昼過ぎに東京に向かいコンサートに参加するとの事であった。友人が来るのは二人目である。来てもらうのは良いのだが、布団干しや、住居の掃除など大変であり、一度に行う事は非常に疲れる。十一月に入ると少しずつ行っていった。年一回の年末の大掃除以上に大変であった。忘年会で宜しく頼みますとの事で、参加した他の者も知り驚いていた。大まかに、羽田から京急にて横浜に出て、横浜からJRにて横須賀線に乗るようには伝えていたが、当日七時半の伊丹からの飛行機に乗るとの事で、空港に着くとLINEでのやり取りをすることにした。忘年会の二次会は、昔行きつけだった老松町のバーに行き話は続いた。
十二月九日の朝、八時四十五分に羽田に着いたとの連絡が入り、乗車する京急の電車を指定する。横浜に着けば、JRの横須賀線のホームと乗る電車を指定する。私も大船に出向き、彼の乗る電車に乗ることを決めていた。富士見町のモノレールに着くと、ギリギリ横須賀線に乗れたと言う連絡が入る。ANAの飛行機で来たため、京急の横浜駅の南口に出た為にJRの改札が遠かったためである。私は何時もJARを使うため、京急横浜駅の北口に着くとJRの改札と連結しているのを忘れていた。しかし無事に乗れたことで一安心。つい三十年ほど前は、携帯電話などどこのような連絡が出来ようとは考えなかった。本当に便利になったが、これからの便利という物の仕様と使用が時代の行く先に不安を生じさせるのも私だけだろうか。
(覚園寺)
五号車に乗ったと言う事で、大船駅横須賀線の五号車の着く場所に行き、到着した電車に乗り込み、一週間ぶりの再会をする。しかし、新鮮だった。北鎌倉を過ぎ、鎌倉に着くとコインロッカーに荷物を預け、今日の鎌倉観光の一日が始まった。気温が二十度前後と十二月としては考えられない暑さである。ワークシャツ一枚になり歩いた。彼も歴史好きな事で、鎌倉で一番古い杉本寺・鎌倉宮・覚園寺・荏柄天神。そして昼食にドイツパンのベルグフェルドに行く。何時も昼食時は混んでいるのだが、日頃のおこないが良いので待つことなく入れ、ベルグサンドを食べ、ビールを一杯ひっかける。友人も美味しいと好評であった。白旗神社、源頼朝墓、法華堂跡に行き、大江広元墓は倒木のため登る事が出来なかった。それから東御門・大倉御所・西御門を通り、鶴岡八幡宮を参詣する。もうこの時間になるとかなりの人出であった。各寺院の内容はこのブログの令和元年から令和二年に詳細に掲載しているので省略させていただく。自分自身で、鎌倉に初めて来る人に紹介するコースを幾通りかは考えている。
(荏柄天神)
今夜は、鎌倉市中で食事をするため、丸一日歩くことは大変と思い一度住居に戻り休憩を取ることにしていた。鎌倉駅には、小町通りは八幡宮に逆行するので、若宮大路を歩き鎌倉駅へと着く。バスが到着しており、調度良い時間で、彼はコインロッカーに荷物を取りに、私は駅前の鎌倉ニュージャーマンで鎌倉カスターというお菓子を四個買ってバス停に向かう。巨福呂坂トンネルも鎌倉街道もスムーズに通り、私の住居の最寄りのバス停である小袋谷に休日とは思わないほど早く着く事が出来た。住居までの十二分ほどの住宅街を歩くと、「おしゃれな家がありますね」と言う。住居に戻ると、三時近くになっていた。友人は四十七平米の住居の中に入り、書斎兼寝室とリビングとダイニングキッチンになりそうなキッチンを見て「広いですやん」と関西弁で言う。また家賃も聞きて来たので答えると安いですやん」と再び関西弁で言った。竹林で囲まれた二階建ての各階一戸の住居は、世間から隔絶された空間で、遁世者にとっては格別な空間であることを話した。
(白旗神社 源頼朝墓)
コーヒーを淹れ、鎌倉カスターを食べながら話をすると、あっという間に時間が過ぎて四時十五分になっていた。大急ぎで出て、モノレールの富士見町駅に行き、江の島駅または腰越あたりからで夕日が沈む富士山を見せようと思ったが、江の島に到着すると既に日は沈んでいた。それならばと、長谷寺のライトアップが今日までなので向かう。以前来たときは、無料だったように思えたが。入場券を購入して中に入ると黄色と強い青色に照らされた境内は美しく、友人も感激していた。京都の寺院でも、この様なライトアップが行われるが、予約制、もしくは通常の参拝料以上の金額になり、友人はこの行き当たりばったりな行動と参拝料の安さに驚いていた。私自身は、高いのではと思うが。駆け足に長谷寺のライトアップを見て、再び江ノ電に乗り由比ガ浜にある魚源さんに行く。予約は六時にしていたが、五分ほど遅れてはいることが出来た。友人は酒が飲めないが、何時も私が大阪に帰ると付き合ってくれる。私はビールと日本酒、彼はウーロン茶で鎌倉懐石を共に食べた。彩られた八寸、今年初めての松茸、六種の刺身や鰆の焼き物など、鎌倉でとれた鎌倉前の魚を十分に楽しませてくれた。この魚源さんも以前のブログで紹介しています。一時間半ほどで夕食を食べて、支払いの料金に友人は驚いていた。元漁師の対象は自分の趣味のようにこの店を開き、昔の漁師仲間から鎌倉前の魚を買っているとの事で、格安の料金であるが、味は本格的である。ぜひ鎌倉に来られた時は、楽しんでいただきたいと思うが、予約でないとだめで、携帯での予約は出来ず、固定電話に限られる。何時も魚源さんに行く時は大阪の妻から予約している。
(湘南モノレール 江の島駅展望台から見た富士山)
再び江ノ電に乗って鎌倉駅に戻り、バスに乗って住居に戻った。友人は、阪神甲子園球場のライト外野席バックスクリーン横に二席の年間席を持っている。帰阪時には二人で甲子園にも出かけ、生粋の私以上の阪神ファンである。日本シリーズ七戦のうち六戦を見に行ったと言い、日本一になった時は涙が出たという。住居で録画していた日本シリーズ第七戦を見て、この時はこうだったとか、この時はこうした方がとか色々と話しながら、優勝の瞬間を見た。そしてその日は、十二時過ぎに床に就いた。明日はどうしようかと思いながら。 ―続く
(長谷寺ライトアップ)