鎌倉散策 『徒然草』第四十一段から第四十三段 | 鎌倉歳時記

鎌倉歳時記

定年後、大好きな鎌倉での生活に憧れ、移住計画や、その後の鎌倉での生活の日々を語ろうと思います。家族を大阪に置き、一人生活を鎌倉の歳時記を通し、趣味の歴史や寺社仏閣等を綴っていきす。

第四十一段 木の上で居眠りする法師

 五月五日(さつきいつか)、賀茂のくらべ馬を見侍りしに、車の前に雑人(ざふにん)立ち隔てて見えざりしかば、おのおの下(お)りて、埒(らち)のきはに寄りたれど、ことに人多くたち込みて、分け入りぬべきやうもなし。

 かかる折に、向ひなる楝(あふち)の木に、法師の登りて、木の股についゐて、物見るあり。とりつぎながら、いたう睡(ねぶ)りて、落ちぬべき時に目をさますこと、度々なり。これを見る人、あざけりあさみて、「世のしれものかな。かくあやふき枝の上にて、安き心ありて睡るらんよ」と言ふに、わが心にふと思ひしままに、「我等が生死の到来、ただ今にもやあらん。それを忘れて、物見て日を暮らす、愚かなる事はなほまさりたるものを」と言ひたれば、前なる人ども、「まことにさにこそ候ひけれ。もつとも愚かに候」と言ひて、みな後(うしろ)を見かへりて、「ここへ入らせ給へ」とて、所を去りて、呼び入れて侍りにき。

かほどのことわり、誰かは思ひよらざらんなれども、折からの思ひかけぬ心ちして、胸にあたりけるにや。人、木石にあらねば、時にとりて、物に感ずる事なきにあらず。

 

現代語訳

 「五月五日、上賀茂神社の競馬を見に行くと、牛車の前に下賤な者が立ち塞がって見る事が出来ず、それぞれ牛車から下りて馬場の周囲の柵まで近づいたが、特にこのあたりも人が多く、分け入って行けそうな様子ではなかった。

そんな時に、向こうに立つせんだんの木に、法師が登って、木の枝に腰を下ろして、見物している。木につかまりながら、すっかり眠りこけて、今にも落ちそうになっては目をさますこと、度々であった。これを見ている人は、あざけりあきれ見て、「なんという馬鹿者だろうか、あのような危険な枝の上にいて、よくも安心して眠っているものだ」と言っている中、我が心に思うままに「我等の生死も何時やって来るかわからない。たった今のことかもしれない。それも知らずに、見世物を見て日を暮らすのが、愚かなることで(あの法師より)まさっているのか」と言えば、前にいる人たちが、「本当にその通りでございます。私たちこそ愚かでございました」と言って、みな後ろを振り返り、「ここへお入りください」と、場所を開け呼び入れてくれた。

 これくらいの道理は、誰が思いつかないはずもないが、この時(場合が場合だけに木の上で居眠りする法師の愚かさを口々に非難しながら、誰もが自分の足元を見る事を忘れていた)思いがけない心地がして、胸に強く響いたのであろうか。人は、木石ではなく、時によって、何かに感動することが無い事もないのだ。」。

※くらべ馬の見物に集まってきた雑人たちが、兼好の一言に深く共感したのは、彼らの心の底に、死はいつやって来るかはわからないという気持ちが、潜在していたことを物語っている。本来なら、兼好がこのようなくらべ馬に行くこと自体を疑問に思うが、それと見物人が「なんという馬鹿者だろうか、あのような危険な枝の上にいて、よくも安心して眠っているものだ」と言った言葉に対しての兼好の発言であるため、見物人と兼好の共感した思いを述べたものである。

 

(写真:鎌倉極楽寺)

現代語訳

 「唐橋中将(からはしのちゅうじょう:源雅清)という人の子に、行雅僧都(ぎゃうがそうづ)と言う、密教の教理を志す教相方面の人が師事する層がいた。のぼせ上がる病があり、次第に年を取っていくうちに、鼻が詰まり、息も出来なくなってきた。様々な治療をしたけれど、病気がひどくなっていくばかりで、目・眉・額などもやたらにはれ上がって、おおいかぶさって来たので、物も見えず、二の舞の面(舞楽「案摩〔あんま〕」の次に、その手ぶりをまねて舞う滑稽な舞。男女二人が、それぞれ、「咲面〔えみおもて〕」と「腫面〔はれおもて〕」の二種の面をつけて舞い、ここでは「腫面」をさす。)のように見受けるが、(その内)、ただ恐ろしく、鬼のような顔になって、目は頭のてっぺんの辺りにつき、額の辺りが鼻になる。その後は僧坊の人にも会わずにこもって、長年たつうちに一層病気が重くなって、亡くなった。このような病気も世の中には存在するのだ。

 

第四十三段 書を読む男

 春の暮れつかた、のどやかに艶(あでやか)なる空に、いやしからぬ家の、奥ふかく、木立ものふりて、庭にちりしをれたる花、見過ぐしたがたきを、さし入りて見れば、南面の格子みなおろして、さびしげなるに、東に向きて妻戸のよきほどにあきたる、御簾の破れより見れば、かたちきよげなる男の、とし廿(はたち)ばかりにて、うちとけたれど、心にくくのどやかなるさまして、机の上に文をくりひろげて見ゐたり。

 いかなる人なりけん、たづね聞かまほし。

 

(写真:鎌倉 長寿院)

現代語訳

 「晩春の頃、優艶な感じの大空の下、相当な身分の人と思われる家の、奥深くに、木立もどことなく古びていて、庭に散ってししおれた花、このままに見過ごすのは惜しいので、庭に入って見ると、母屋の南側の格子の建具は皆おろして、寂しげである。東に向いた開き戸がちょうど良い具合に開いている。御簾の破れたところから見ると、容貌の美しく、年は二十歳ほどの男で、くつろいで入るが、奥ゆかしく、ゆったりとした様子で、机の上の書物を広げて見ていた。どういう人なのだろうか、尋ね聞きたいものだ。」。