鎌倉散策 『徒然草』第十九段から第二十段  | 鎌倉歳時記

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定年後、大好きな鎌倉での生活に憧れ、移住計画や、その後の鎌倉での生活の日々を語ろうと思います。家族を大阪に置き、一人生活を鎌倉の歳時記を通し、趣味の歴史や寺社仏閣等を綴っていきす。

第十九段 移り変わる季節

 折節の移りかわるこそ、ものごとにあわれなれ。

「もののあわれは秋こそまされ」と、人ごとに言ふめれど、それもさるものにて、今ひときは心も浮き立つものは、春の気色にこそあめれ。鳥の声などもことの外に春めきて、のどやかなる日影に、垣根の草も出でずるころより、やや春ふかく霞みわたりて、花もやうやうけしきだつほどこそあれ、折しも雨風うちつづきて、心あわたたしく散り過ぎぬ、青葉になり行くまで、よろづにただ心をのみぞ悩ます。花橘は、名にこそおへれ、なほ、梅の匂ひにぞ、いにしえの事もたちかへり恋しう思ひ出らるる。山吹のきよげに、藤のおぼつかなきさましたる、すべて、思い捨てがたきこと多し。

 

現代語訳

 「季節が次々に移り変わって行くのは、その折々の風物につけて趣の深いものである。

「しみじみとした情趣きは、季節の中で秋がまさる(『拾遺集』巻九。春はただ 花のひとへに 咲くばかり もののあはれは 秋ぞまされる)」と、誰もが言うようだが。それも最もな事であるが、なお一段ともののあはれを深く、しかも心も浮き立つような季節は、春の景色にこそあるようだ。鳥の声なども事の外に春らしく聞こえて、のどやかな日差しの下に、垣根の草も生えてくる頃より、次第に春が深く霞が掛かり、桜の花もようやく咲き始めるちょうどその折、折しも風雨が続けば、心があわただしく成り散ってしまうという風で、青葉になっていくまで、万事にただ気ばかりになり悩ませる。橘の花は懐旧の情をそそる花として有名であるが、なを、梅の匂いには、かなたに過ぎ去った昔の事をその当時に立ち返って恋しく思い出させる。山吹の美しさに、藤のぼうっとした様子で咲いているなど、全て、見過ごし難いものが多い。

 

「灌仏(くわんぶつ)のころ、祭りのころ、若葉の梢(こずゑ)涼しげに茂りゆくほどこそ、世のあはれも、人の恋しさもまされ」と、人のおほせられしこそ、げにされるものなれ。五月(さつき)、菖蒲(あやめ)ふくころ、早苗(さなえ)とるころ、水鶏(くひな)のたたくなど、心ぼそからぬかは。六月のころ、あやしき家に、ゆうがほの白く見えて、蚊遣火(かやりび)ふすぶるもあはれなり。六月祓(みなづきはらへ)またをかし。

 七夕まつるこそなまめかしけれ。やうやう夜寒(よさむ)になるほど、雁なきてくるころ、萩の下葉色づくほど、早稲田かりほすなど、とりあつめたる事は、秋のみぞ多かる。また、野分(のわき)の朝(あした)こそをかしけれ。いひつづくれば、みな源氏物語・枕草子などにことふりにたれど、おなじ事、また、今さらに言はじとにもあらず。おぼしき事いわぬは、腹ふくるるわざなれば、筆にまかせつつ、あぢきなきすさびにて、かつ破り拾つべきものなれば、人の見るべきにもあらず。

 

現代語訳

 「灌仏(陰暦四月八日の釈迦の生誕日)のころ、祭りのころ(京都上賀茂、下賀茂両神社の祭り。四月の中の酉の日に行われた。)、若葉の梢が涼しげに茂りゆく頃こそ、世の趣の深さも、人の恋しさもます。」と、ある方が言われる事こそ、本当にその通である。五月、菖蒲の端午の節句のころ、苗代を移し植えるころ、水鶏(クイナ科の渡り鳥)の鳴き声など、まことに物寂しい事である。六月のころ、貧しい家に、夕顔の花が白く見えて、蚊遣火(蚊よけの火)を煙らすのもしみじみとした趣きがある。六月祓いもまた風情がある。七夕の祭りこそ優雅なものである。次第に夜が寒くなるころ、雁が鳴きながらやって来るころ、萩の下の方の葉が色づくころ、早稲田刈り取って乾かすなど、あれやこれやと哀れ深い事など、秋ならではの事が多くある。また、二百十日前後には暴風こそ心惹かれる。言い続ければ、皆源氏物語・枕草子などに言い古されてしまっているが、おなじ事、また新しく、今さらになって言うまいと思っているのでもない。思っている事を言わないのは、心中に不満をためる事だから、筆にまかせて書くものの、つまらない慰み書きで、すぐに破り捨てる物であり、人が見るはずのものでもないのだ。

 

 さて、冬枯れのけしきこそ、秋にはをさをさ劣るまじけれ。汀(みぎわ)の草に紅葉の散りとどまりて、霜いと白うおける朝(あした)、遣水(やりみず)より、烟(けぶる)の立つこそをかしけれ。年の暮れはてて、人ごとに急ぎあへるころぞ。またなくあはれなる。すさまじきものとして見る人もなき月の寒けく澄める、廿日(はつか)あまりの空こそ、心ぼそきものなれ。御仏名(おぶつやう)・荷前(のさき)の使立つなどぞ、あはれにやんごとなき。公事(くじ)どもしげく、春のいそぎにとり重ねて、催しおこなはるるさまぞ、いみじきや。追儺(ついな)より四方拝につづくこそ、おもしろけれ。つごもりの夜、いたうくらきに、松どもともして夜半過(よなかす)ぐるまで、人の門たたき走りありきて、何事にかあらん、ことことしくののしりて、足を空にまどふが、暁がたより、さすがに音なくなりぬるこそ、年のなごりも心ぼそけれ。亡き人のくる夜とて魂(たま)まつるわざは、このごろ都にはなきを、東のかたには、なほする事にてありしこそ、あはれなりしか。

かくて明けゆく空のけしき、昨日(きのふ)にかはりたりとは見えねど、ひきかえめずらしき心ちぞする。大路(おほち)のさま、松立てわたして、花やかにうれしげなるこそ、またあはれかな。

 

現代語訳

 「さて、冬枯れの景色こそ、秋にはほとんど劣るまいと思われる。庭の池の水際の草に紅葉が散りとどまり、霜柱が真っ白に生える朝、庭の中へ川水を入れる水路に湯気が出ているのも情緒がある。年が押し詰まって、誰もが忙しくしているころは、特に感慨深いものである。殺風景なものとして見る人もいない月の光には冷たく澄み切り、二十日過ぎの夜空こそ、物寂しいものである。御仏名(清涼殿で十二月十九日から三日間、僧が仏名経を読み賛成の諸仏の名号を唱え年内の罪を滅する法会。)・荷前(十二月中旬に諸国から奉る調物の初穂を十陵八墓に備える。)の勅使が出立するなど、情緒深く、高貴なものだ。宮の諸行事が(司召の除目・御仏名・荷前・追儺やその他の政務や儀式)、新春の準備の忙しい時に重なって催しが行われる様子こそ、結構な事である。大晦日の疫鬼を祓う追儺の儀式から元旦の朝の四方拝まで続け行われる事こそ実に面白い。大晦日の夜、ひどく暗い中、松明などを灯して、夜中過ぎまで、人の家の門をたたき走り回って、何事だろうと、大仰に騒ぎ立てて、足を宙にあたふたしているのが、明け方までくるとさすがに音も無くなってしまい、過行く年との別れも心寂しいものだ。亡くなった人の霊魂が帰ってくるという夜に魂を祀る行事は、この頃では都では行われないが、東国では、今なを行なわれるのはのは、感慨深い事であった。こうして明けて行く空の景色も、昨日とは変わったとは見えないけれど、うって変わって実に清心な心地がするものだ。都大路の様子も家々に門松を立て、華やかに嬉し気な事こそ、また、趣の深いものである。

  

第二十段 空のなごり

 なにがしとかやいひし世捨人の、「この世のほだし待たらぬ身に、ただ空の名残(なごり)のみぞ惜しき」と言いひしこそ、まことにさも覚えぬべけれ。

 

現代語訳

 「なにがしかといった世捨て人の「この世で身の自由を束縛する物は、何一つ持っていない身には、空と分れる事だけが心残りだ」と言った事こそ、本当にそう思われるに違いない。