鎌倉散策 『徒然草』第八段から第十段 第八段 式欲の魅力 | 鎌倉歳時記

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定年後、大好きな鎌倉での生活に憧れ、移住計画や、その後の鎌倉での生活の日々を語ろうと思います。家族を大阪に置き、一人生活を鎌倉の歳時記を通し、趣味の歴史や寺社仏閣等を綴っていきす。

第八段 色欲の魅力

 世の人の心まどわす事、色欲にはしからず。人の心は愚かなるものかな。

匂ひなどは仮のものなるに、しばらく衣装に薫物(たきもの)すと知りながら、えならぬ匂ひには、必ず心ときめきするものなり。久米の仙人の、物洗ふ女の脛(はぎ)の白きを見て、通(つう)を失ひけんは、まことに、手足はだへなども、きよらに肥えあぶらづきたらんは、外の色ならねば、さもあらんかし。

 

現代語訳

「世の人の心まどわすものは、性欲に及ぶものはない。人の心は愚かなものである。匂いなどはかりそめの匂いで、一時的に衣装に香のたきしめた事を知りながら、何とも言えない良い匂いに、必ず心ときめいてしまうものである。

(今昔物語巻十一「久米の仙人」)久米の仙人が洗濯している女の脛の白さを見て、神通力を失ったのは、女性の手足・肌などがすごく清らかで、ふっくらした脂肪がついているの肉体そのものの美しさなのであり、なるほどそれは無理もない。」。

 

第九段 女の髪

 女は髪のめでたからんこそ、人の目たつべかめれ。人のほど・心ばへなどは、物言いたるけはいにこそ、ものごしにも知らるれ。

 ことにふれて、うちあるさまにも人の心をまどはし、すべて、女の、うちとけたる寝も寝ず、身を惜しいとも思ひたらず、堪ゆるべくもあらぬわざにもよくた堪へしのぶは、ただ、色を思ふがゆゑなり。

 まことに、愛着の道、その根ふかく、源とほし。六塵(ろくじん)の楽欲(げうよく)おほしといえども、皆厭離室べし。その中に、ただかの惑ひのひとつ止めがたきのぞ、老いたるも若きも、智あるも愚かなるも、かはるところなしとみゆる。

 されば、女の髪ずぢをよれる綱には、大象も良くつながれ、女のはける足駄にて作れる笛には、秋の鹿、必ず寄るとぞ言ひつたへ侍る。みずから戒めて、恐るべく慎むべきは、このまどひなり。

 

現代語訳

 「女性は髪が見事であってこそ、人の目を引き付けるようである。人の身分・心だてなどは、物を言う様子でこそ、物越しを隔てて聞いても分かるという。

何事につけてもちょっとした身のこなしや素振りでも人の心を惑わすのは、すべて女性がくつろいで寝る事もなく、わが身を顧見る事もせず、とても耐えられそうにない事にもよく耐え偲ぶのは、ただ男の愛を得ようと思っているからだ。

 本当に、男女の愛慾の道は、その根が深く、根源は、遥かに遠い。(仏教では人間の知覚を眼・耳・鼻・舌・身・意の六つに分けて考え、これを「六根」と言い、六根を通じ感受される外界の刺激を、色・声・香・味・触・法の六つに分類しこれ等が人間の清浄な心を汚すものとであるから「六塵」という)六塵によって引き起こされる欲望と言えども、仏道の修行によって遠ざけることができる。しかし、その中に愛慾の迷いというものは、止めがたく、老いたる者も、若い者も、智あるものも愚かな者も変わる事は無いと見る。

 そうであれば、女性の髪で編んだ綱は虚像も繋がれ、女性の白下駄の木で作った笛には、(発情した)秋の鹿が必ず集まって来ると伝えられている。男が自らを戒めて恐れ慎むべきは、この愛欲の迷いである。」。

 

第十段 住居について

家居のつきづきしく、あらまほしきこそ、仮の宿りとは思え土、興きあるものなれ。

 よき人の、のどやかに住なしたる所は、さし入りたる月の色も、一きはしみじみと見ゆるとぞかし。今めかしくきららかならねど、木立ものふりて、わざとならぬ庭の草も心あるさまに、簀子(すのこ)・透垣(すいかい)のたよりをかくし、うちある調度も昔覚えてやすらかなるこそ、心にくしと見ゆれ。

 多くのたくみの、心をつくしてみがきたて、唐の、やまとの、めずらしくえられなぬ調度なども並べおき、前裁の草木まで、心のままならず作りなせるは、見る目もくるしく、いとわびし。さてもやはながらへ住むべき。また、時の間に烟(けぶり)ともなりなんとぞ、うち見るより思はるる。大方は、家居にこそ、ことざまはおしはからるれ。

 

現代語訳

 「住居が、住んでいる人に似つかわしく、また好ましく感じないのは(仏教での現世を借りの世と見なしているので)、その仮の世における一時的な住居としても、感興を催すものである。

 身分が高い人の、ゆったりと落ち着いて住んでいるところは、差し込んでくる月の色も、日と記は心にしみて見えるものだ。現代的な華美な感じはなく、木立も何となく古びて、特に手を入れたと思われない自然のままの二羽の草木も趣きがある様子で、緑・透ける垣根を配置の仕方に趣きがあり、何気なく置かれた調度も古風に思えて落ち着いた感じこそ、奥ゆかしく見る事が出来る。

 多くの職人が心をつくして技を磨いて、中国や日本の、珍しく何とも言えぬ立派な調度を並べ置いて、草木を植えこんである庭園は、自然のままでなく作られるのは、見る目も苦しく、たいそうわびしい。そうしたままで何時までも長生きして住んでいることが出来ようか。また、たちまちに焼失してしまうだろうと、見た目にも思わせる。

 

 後徳大寺大臣(おとど)の、寝殿に鳶ゐるさせじとて縄を張られたりけるを、西行が見て、「鳶のゐたらんは、何かは苦しかるべき。この殿の御心、さばかりにこそ」とて、その後はまゐらざりけると聞き侍るに、綾小路宮のおはします小坂殿の棟に、いつぞや縄を引かれたりしかば、かのためし思ひ出出られ侍りしに、まことや、「鳥(からす)の群れゐて池の蛙をとりければ、御覧じかなしませ給ひてなん」と人の語りしこそ、さてはいみじくこそと覚えしか。徳大寺にも、いかなるゆゑかはべりけん。

 

現代語訳

 「後徳大寺大臣の藤原実定の寝殿に鳶を飛ばせまいとして縄を張られたが、西行法師がそれを見て、「鳶がいたとしても、何のさしつかえがあろうか。この殿の心情は、その程度のものであったのだ。」と言って、その後は参上されなかったと聞いたが、綾小路宮(亀山天皇の皇子・性恵親王)がおられる小坂殿の棟に、縄を引かれた時にあの後徳大寺大臣の例が思い出され、本当の事は「烏の群れる事から池の蛙を取っているのを御覧になって可哀そうにと思い、そうなさった」と人が語っており、なるほどそれならばたいしたものだと思った。徳大寺にも何かの理由がございましたでしょうか。」。