鎌倉散策 『徒然草』第三段から第七段 | 鎌倉歳時記

鎌倉歳時記

定年後、大好きな鎌倉での生活に憧れ、移住計画や、その後の鎌倉での生活の日々を語ろうと思います。家族を大阪に置き、一人生活を鎌倉の歳時記を通し、趣味の歴史や寺社仏閣等を綴っていきす。

第三段 色好みについて

 よろずいみじくとも、色好まざらん男は、いとさうざうしく、玉の巵(さかづき)の当(そこ)なきここちぞすべき。

 露霜にしほれて、ところさだめずまどひ歩き、親のいさめ・世の謗りをつつむにこころのいとまなく、あふさきるさに思ひみだれ、さるは独寝(ひとりね)がちに、まどろむ夜なきこそをかしけれ。

 さりとて、ひたすらたはれたる方にあはらで、女にたやすからず思はれんこそ、あらまほしかるべきわざなれ。

 

現代訳語

 「万事に優れていても、恋に夢中になれないような男は、本当に物足りなくて、玉の盃の底無きは宝といえども用いる事が出来ない。露霜にぬれ浸って女を求めてさまよい歩き、親の諫めや世の謗りを気兼ねするので心休まる暇もなく、あれやこれやと思案に暮れ、そのくせ独り寝がちに、おちおち眠る世も無いと言ったのがおかしい。さりとて、ひたすら女色におぼれ、自己の本心を失うというのではなく、女に自分の思い通りにはならないと思われるのが〔男としては〕望ましい事なのだ。」

 

 

第四弾 仏の道うとからぬ

 後の世の事、心に忘れず、仏の道うとからぬ、こころにくし。

 

現代語訳

 「来世の(極楽往生を願う)事を、仏道に無関心ではないのが実によい。」

 

第五段 配所の月 

 不幸に愁へに沈める人の、頭おろしなど、ふつつかに思ひとりたるにはあらで、あるかなきかに門(かど)さしこめて、待つこともなく明かし暮らしたる、去る方にあらまほし。顕基中納言のいひけん、配所の月、罪なくて見ん事、さもおぼえぬべし。

 

現代語訳

 「(大事な人に死なれたり)不遇で深い悲しみに沈んでいる人の、頭を剃って出家する等、深い思慮分別もなく決心したというのではなく、生きているかいないのかわからないくらいにひっそりと門を閉じて、将来に何を期待する事もなく暮らすことがまことにありがたい事である」。

 

 

第六段 子というものなくてありなん

 「わが身のやんごとなからんにも、まして数ならざらんにも、子といふものなくてありなん。

 前中書王・九条太政大臣・花園左大臣、みな族絶えん事を願ひ給わり。染殿大臣も、「子孫おわせぬぞよく侍る。末のおくれ給わへるは、わろき事なり」とぞ、世継ぎの翁の物語には言へる。聖徳太子の、御墓をかねて築かせ給へける時も、「ここを切れ。かしこを断て。子孫あらせじと思ふなり」と侍りけるとかや。」

 

現代語訳

 「わが身の身分が高いような場合にも、まして人の数にも入らぬような場合にも、子と言う者がいないままでいたいものだ。醍醐天皇の皇子中務卿兼明親王・藤原信長、後三条天皇の孫である源有仁らは、皆一族が絶える事を願った。清和天皇の祖父藤原義房も「子孫はいないのが良い。子孫の劣っているのは良くない事だ。」と、(『大鏡』の)世継ぎ翁の物語で語っている。聖徳太子の御墓を生前に築かせた時も「(子孫が無いと思って)ここを切れとか、あそこを断てとか言っておられたように子孫は無い者として思われた。」と、仰せられたとかいう事だ。

 

 

第七段 世は定めなきこそいみじけれ

 あだし野の露消えゆる時なく、鳥辺山の烟(けぶり)立ち去らでのみ住はつる習ひならば、いかにもののあわれならん。世は定めなきこそいみじけれ。

 命あるものを見るに、人ばかり久しきものはなし。かげろふの夕を待ち、夏の蝉の春秋を知らぬもあるぞかし。つくづくと一年(ひととせ)を暮らすほどだでにも、こよなうのどけしや。飽かず惜しいと思はば、千歳(ちとせ)を過すとも、一夜(ひとよ)の夢の心ちこそせめ。住みはてぬ世に、みにくき姿を待ちえて何かはせん。命長ければ辱(はぢ)多し。長くとも、四十(よそじ)に足らぬほどにて死なんでこそ、めやすかるべけれ。

 そのほど過ぎぬれば、かたちを恥ずる心もなく、人に出で交はらん事を思ひ、夕(ゆうべ)の陽に子孫を愛して、さかゆく末を見んまでの命をあらまし、ひたすら世をむさぼる心のみ深く、もののあはれも知らずなりゆくなん、あさましき。

 

現代語訳

 「(京都嵯峨野の奥の愛宕山の麓にあった墓)化野の墓地の露が消えることが無いように人の命ははかなく、(東山の清水寺の南)鳥部山の煙も立ち去らない中、(人がこの世に)住み通せる習わしであったならば(死ぬことが無いならば)、本当に物の情緒も無い。この世は(未来が)不定であるからこそ素晴らしいのだ。

 命あるものを見ると、人間ほど長生きする者はない。陽炎は朝生まれて夕方に死に、夏の蝉は春秋を知らず、しみじみと一年を暮らすあいだにさえ格別のんびりしたものである。逆に命を惜しいとも思えば、千年生きても短い一夜の夢の心地だろう。住通す事の出来ないこの世で長生きして、醜い姿で生き延びたとしてなんになろうか。長命であれば恥をかく事も多い。長くとも四十歳に足らないところで死んでこそ、無難であろう。

その年配を超してしまうと、みにくい容貌を恥じる心もなくし、人と会って交わろうと思い、傾きかけた夕日のように死に行く者が子孫を愛して、子孫の栄えて行く将来を見届けるまでの長命を期待し、ひたすら世間的な名誉や利益を飽きることなく求める心だけが深くなっていく、物のあはれを知らなくなっていくのは情けない事だ。」