鎌倉散策『徒然草』序段から二段 | 鎌倉歳時記

鎌倉歳時記

定年後、大好きな鎌倉での生活に憧れ、移住計画や、その後の鎌倉での生活の日々を語ろうと思います。家族を大阪に置き、一人生活を鎌倉の歳時記を通し、趣味の歴史や寺社仏閣等を綴っていきす。

『徒然草』新潮日本古典集成 木藤才蔵氏校注

 烏丸光広本、慶長十八年(1613)八月十五日付、烏丸光広の奥書を有する古活字本(新典社の復刻版による)を底本に用いられた。

 

序段 徒然の所産

 つれづれなるままに、簸暮らし、硯に向かひて、心に移り行くよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。

 

現代訳

 「所在なさにまかせて、終日硯に向かって色々な事を、何という事も無く書き綴れば、妙にキチガイじみた気持がする事である」。

 

第一段   願望の数々

 出や、この世に生まれてからは、願は然るべきことこそ多かめれ。御門(みかど)の御位は、いともかしこし。竹の園生(そのふ)の末葉まで、人間の種ならぬぞやんごとなき。一の人の御有様はさらなり、ただ人も舎人(とねと)など給わるきはは、ゆゆしと見ゆ。その子・孫までははふれにたれど、なほなまめかし。それより下つかたは、ほどにつけつつ、時にあひ、したりがほなるも、みずからはいみじと思ふらめど、いとくちをし、

 

現代語訳

 「さて、この世に生まれたからには、願わしく思う事が多いようである。天皇の御居はたいそう畏れ多いものだ。後続の本流の御子孫までもが人間界の血筋でないのが実に尊い事である。摂政関白の御様子は言うまでも無く、普通の貴族で、舎人など朝廷から頂く身分の人は、大した者に見える。その子孫までは落ちぶれてしまっていても優がである。それより下の身分の者は、その家柄に応じて時流に乗り、得意顔をしているのも自分ではえらいえらいものだと思っているがはたから見るとまことにつまらない」。

 

 

 法師ばかり羨ましからぬものはあらじ。「人には木のはしのように思はるるよ」と清少納言が欠けるも、下にさることぞかし。いきほひまうに、ののしりたるにつけて、いみじとは見えず、増賀(そうが)ひじりの言ひけんやうに、名聞ぐるしく、仏の御教えたがふらんぞとぞおぼゆる。ひたふるの世捨人は、なかなかあらまほしきかたも。ありなん。

 

現代語訳

 「法師ばかり羨ましからぬものは無い。「取るに足らない者ように思える」と清少納言も書いているのも射、いかにももっともな事だ。増賀上人言ったとかいうように世間的な名声に執着して、仏の身をもって仏の教えに背いているだろうと思う。一途な世捨て人は、かえって望ましい方もいるに違いない」。

 

 人は、かたち・ありさまのすぐれたらんこそ、あらまほしかるべけれ。物うちいひたる、聞きにくからず、愛敬(あいぎやう)ありて、言葉ほからぬこそ、飽かず向はほしけれ。めでたしと見える人の、心おとりせらるる本性見えんこそ、口をしかるべけれ。しな・かたちこそ生まれつきたらめ、心はなどか、賢きより賢きにも、移さば移らざらん。かたち・こころざまよき人も、才なく成りぬれば、しなくたり、顔憎さげなる人にも立ちまじりて、かけずけおさるるこそ、本意なきわざなれ。

 

現代語訳

 「人は、容貌・風采が優れているようなのこそ、望ましい事だろう。何か少し言っているのmの聞きにくくなる優しく温かみのあり、口数の少ない人は、何時までも対坐していたいものである。立派だと見受ける人が、期待はずれに思われる本性を見せる事こそ、残念な事である。人品(人の等級)・家柄や容貌は生まれ尽き備わっているのであろうが、心はどうして今より賢い上にも賢い方へ、移そうとするならば、移らない事があろうか。容貌や・気立ての良い人でも学才(学問的な教養)がないと言う事になると下品で家柄も劣り、顔醜い人と立交わり、たわいもなく圧倒されるのは、本当に残念な事である」。

 

 

原文

 ありたき事やは、まことしき文の道、作文(作問)、若、管絃(くわんげん)の道。また、有識(いうそく)に公事(くじ)の方、人の鏡ならんこそ、いみじかるべけれ。手などつたなからず走りかき、声をかくして拍子とり、うたましうするものから、下戸ならぬこそ、をのこはよけれ

 

現代語訳

 「身につけたいことは、本格的な学問の道、漢詩・和歌を作る事や、音楽の道に通じる事である。朝廷の官職・制度・服飾・殿舎の知識や朝廷で行われる政務や諸儀式の知識の方面で、人の手本となるようなことが、素晴らしいに違いない。筆跡も下手ではなく、すらすらと書き、良い声で拍子をとり迷惑そうな顔をしているものの、酒が飲めることこそ、男としては良い」。

第二段   倹約のすすめ

 いにしへのひじりの御代の政(まつりごと)をもわすれ、民の愁へ、国のそこなわるるをも知らず、よろづにきよらを尽くしていみじりと思ひ、所関様したる人こそ、宇多て、思ふところなく見ゆれ。「衣冠より馬・車にいたるまで、あるにしたがひて用ゐよ。美麗を求むる事無かれ」とぞ、九条殿の遺誡(ゆいかい)にも侍る。順徳院の禁中の事、ども書かせ給へるにも、「おほやけの奉り物は、おろそかなるを持て良しとす」とこそ侍れ。

 

現代訳語 

 「昔の聖徳太子の御代の倹約を旨とした政治を忘れ、人々の嘆きを愁い、国が衰えていくのも知らず万事に贅沢をの限りを尽して得意に思い、所せましと大きな顔をしている人こそ、何ともはや、思慮が無さ過ぎるように思われる。「公卿が朝廷に出仕する際の装飾や馬・車に至るまで有り合わせの物を用い、美麗を求むことが無いように」と、九条殿(藤原師輔)の遺訓にもあります。順徳院(後鳥羽天皇の皇子)の『禁秘沙』にも書かれているものも「公の貴人の衣服は粗末な物を良しとする」とあります」。