鎌倉散策 中世の古典との出会いと活用 | 鎌倉歳時記

鎌倉歳時記

定年後、大好きな鎌倉での生活に憧れ、移住計画や、その後の鎌倉での生活の日々を語ろうと思います。家族を大阪に置き、一人生活を鎌倉の歳時記を通し、趣味の歴史や寺社仏閣等を綴っていきす。

 長年、趣味の歴史探訪で、特に中世の歴史に興味を持っていた。定年退職後に鎌倉に単身居住して中世史の歴史を勉強する。妻と娘は、鎌倉居住に賛成し、大変喜んだ。世の中で言う「亭主元気で留守がいい」と言う事である。

 古代での我が国は、中国の律令制を模倣に国家体制を成立させて行く。決して模倣が悪いとは思わないが、やがて文化が形成しだすと律令制による社会構造が崩れる。政治は天皇制専制政治と共に朝廷の貴族主義的性格に変貌して行く。院政期に入って、その頃に日本独自の文化が形成され出した。本格的に変貌していくのが鎌倉期と言ってよいだろう。そして室町期を経て、戦国、安土桃山期にほぼ完成する。特に鎌倉期においてその律令制の矛盾が大きく問われることになった。貞永元年(1232)に施行された『御成敗式目』は御家人に対しての法典であるが、今歴史を振り返ると、大きな転換期であり、法を制定する天皇・朝廷から武士が制定したその意義は大きい。『御成敗式目』の原典を見ると日本的な漢文形式で、非常に難しい。この鎌倉期には、こういった古典的資料が多く存在するため、検知・検証により歴史的解釈が多く存在する。

 

 時代時代の大きな資料になるのが、公家による日記で、平安中期には、藤原実資の『小右記』九八二~一〇三二。藤原行成の『権記』九九一~一〇一一。藤原道長の『御堂関白記』九九八~一〇二一があるが、平安中期の社会や政治、宮廷の儀式、故実等を詳細に記され、それらを知る上では大変重要な資料である。特に藤原道長の『御堂関白記』は実筆十四巻が残されており国宝に指定され、またユネスコ記録遺産にも登録されている。仏教説話集では、平安末期に成立したとされる作者不明の『今昔物語』では、前九年、後三年の役も収録されており、興味深い。

 

 鎌倉期において、多くの日記、史書・史論書、戦記物語、随筆、伝記、唱導的説話集など多くの資料が編纂されて残された。藤原兼実の『玉葉』は長寛二年(1164)~正治二年(1200)の時期を記している。院政から武家政治への政治体制が変動した時期で、源平の争乱についての記述も多く存在する。また、公卿であり歌人である藤原定家『明月記』は、治承四年(1180)から嘉禎元年(1235)の期間を記しており、藤原兼実の『玉葉』と同じく鎌倉後期に編纂された史書の『吾妻鏡』にも影響を与え、平安末期から鎌倉初期の研究を行う上での基礎資料として位置づけられる。九条兼実の弟であり、比叡山延暦寺の天台座主であった慈円の史論書『愚管抄』も、慈円の道理に基づく史観と仏教的考察感を取り入れた解釈と救済論は興味深い。『愚管抄』もまた『吾妻鏡』に影響を与えたとされる。

   

 『吾妻鏡』は、北条氏による編纂であるため、北条氏の有利に曲筆されており、北条氏から見た物のである。しかし、『玉葉』や『明月記』は公家の京都側から見る歴史の変遷をたどることができ興味深い。『玉葉』、『明月記』、は、注釈本が現在手に入れる事も出来ず、古書店に並ぶ物は数十万円の値段が記されている。重要な部分は図書館に行きその部分を記述して資料に充てている。『吾妻鏡』は、記述されていない部分も多くあり、源頼朝の死亡時や夜北条泰時の死亡時の仁治二年から仁治三年の一年間の記述が記載されておらず、この一年の経過は、公卿の民部卿藤原経光の日記の『民経記(みんけいき)』、正二位民部卿平経高の日記の『平戸記(へいこき)』や、従三位参議であった葉室定嗣の『葉黄記(ようこうき)』等に詳細に記載に記載されている。

  

 鎌倉期に成立した戦記物語では、『保元物語』『平治物語』『平家物語』『承久記』があり、『平家物語』、語り本と読み本があり、戦記物でありながら、仏教的唱導を伴う事から日本人に愛読された傑作中の傑作である。唱導的伝記物語としての『曽我兄弟』は、日本文学の傑作中の傑作である。随筆集には吉田兼好の『徒然草』がある。

伝記としては、『西行物語』『法然上人絵伝』『明恵上人伝』『一遍上人絵伝』等が挙げられる。説話集には、村上源氏の刑部卿源顕兼が鎌倉初期に成立した『古事談』の人物評価に興味を持つ。仏教説話集は無住の『沙石集』があり、当時の社会を仏教説話によって窺うことができる。これらの諸本は、現在購入することができる物もあり、購入可能な値段である。しかし廃版となっている物も多く、古書店経由で購入できる物もある。

  

 現在に刊行されている歴史学者の諸本において原典を記載されている場合、私自身、検知・検証をしてみたくなる。本文の一説による部分的な解釈によるものか、本文全体なのか、その一節の前後の文章により、また違った解釈も現れる事がある。このように古典の原文を読み取ることに歴史の面白さを得ることもできる。『吾妻鏡』を読みながら当時の京側の公卿達の日記による検知・検証は非常に楽しい。

 私自身も原本を読む事は出来ずに注釈本に頼ってしまうが、現代語訳文よりも著者の本意を自分自身の認識で受け止め、歴史に近づける。また、現代語訳から入ってみるのも良いかもしれないし、現代語訳本しか手に入らない場合もある。現代語訳文から慣れて行き、注釈本に手を伸ばすのも良いかもしれない。日々高校の古典の参考書や古語辞典を引き悪戦苦闘しているが、認知症予防に最適かもしれないと今日この頃考える。 ―了―