鎌倉散策 鎌倉に居住する阪神ファンの昨夜 | 鎌倉歳時記

鎌倉歳時記

定年後、大好きな鎌倉での生活に憧れ、移住計画や、その後の鎌倉での生活の日々を語ろうと思います。家族を大阪に置き、一人生活を鎌倉の歳時記を通し、趣味の歴史や寺社仏閣等を綴っていきす。

 大阪生まれ、大阪育ちの私は平成二十九年(2019)に定年退職に伴い大阪に妻と娘を置いて、中世史の勉強をしたくて鎌倉へ単身居住した。年に三・四回大阪の住居に戻る。其の度に友人が二席持つライト年間席でともに観戦する。また毎年、京セラドームで行われる開幕戦で、外野の朝日ビヤホールのデッキ席を予約して間近に観戦する。昨年令和四年(2022)矢野監督が開幕前に、この年で退陣すると発表して物議を交わした。開幕戦は屈辱の逆転負けを見る。そして、この年三位で終了した。その年、九月に岡田彰布が新監督に就任することが発表され、阪神ファンは期待と不安がよぎった。私自身は若手が多いん選手の中で岡田監督がどのようにコミュニケーションをとっていくのだろうと思いながら、コミュニケーションが取れなければ途中で瓦解する可能性もあるだろうと思った。岡田監督のチームの改革は守備の固定と打線の固定であった。二月のキャンプを終え、開幕には中野のショートからセカンドにコンバート、ショートに小幡・木浪。一塁大山、三塁佐藤、外野にセンター近本、今年からチームに加わったノイジーがレフト、新人の森下がライトに選出された。  

  

 今年は、三月三十一日に横浜との開幕戦で6⁻3と青柳投手が勝利し、快勝した。開幕四連勝で上々のスタートを切る。三・四月は連敗が二度、13勝10敗と勝ち越した。五月も連敗は二度で19勝5敗と凄い勝ち方をした。この月に阪神ファンは、もしかして今年は優勝するのではと思うようになっていた。しかし、六月交流戦が始まり、7勝10敗1分けと負け越し、リーグ戦に戻ると横浜に三連敗し、首位を明け渡した。横浜がこの状態を保つかと思われたが、阪神戦で力を使い果たしたようで、三日後には首位を奪還した。六月は連敗1、三連敗1、五連敗1と8勝14敗1分けと、この月だけが負け越しの月となった。六月三十日の巨人戦に近本選手が巨人高階投手から四球を受けて、肋骨骨折という事態に陥り、巨人が勝利した。高階のSNSでのナイピ(ナイスピッチング)掲載により世間で波紋を呼んだ。七月に入りオールスター戦前に三連敗をして広島が首位に立ち、例年では、このまま阪神が急降下するのではと誰もが考えた。ましてオールスターには村上、岩崎、湯浅、梅野、大山、中野、佐藤、木浪、近本と九人がファン投票で選出される。近本骨折のため、湯浅体調不良のため辞退した。七月は、11勝8敗2分と勝ち越し、そして八月は十三日に梅野捕手がヤクルト今野投手から四球を受け左尺骨骨折する。今年のシーズン復帰はほぼ難しくなった。この死球と中日の石川選手の頭部に死球を与えたヤクルトの四球が物議を交わす。八月十連勝をなし、連敗は2であり、18勝7敗と11の勝ち越しを作った。広島が連勝をして猛追の気配を見せるが、九月八日からの三連戦で三連勝をし、マジック5とする。十二日からの巨人戦は1-0と勝利、M3。三日には4-0と勝利、M1。負けなしの十連勝を遂げた。

 

 令和五年(2023)九月十四日木曜日、プロ野球のセリーグ優勝をこめて、今日阪神甲子園球場で読売ジャイアンツ巨人と戦う。翌日からは広島に移動とテレビ中継の問題で今日の「ARE」を熱望した。阪神才木と巨人赤星は、五回まで好投をする。六回に才木は一番から始まる打線を三者凡退、その裏の阪神攻撃は、近本右安打、中野は中飛球で一死。続く森下の左安打で1.3塁とし、大山が中犠飛で先制した。そしてその後、佐藤のバックスクリーンにギリギリに入る本塁打で3‐1とする。七回巨人が岡本本塁打で1点を返すと、その裏阪神が坂本安打で木浪が送り、原口セカンドファウルフライで二死。近本が二死二塁の所セカンドゴロを打ちエラーを誘って二塁走者が生還して4-1とする。八回岩貞がマウンドに立ち二安打打たれ4⁻2とされ石井に後退。長野を打ち取り投手島本に代わり、二者三振を取った。九回表に岩崎がマウンドに上がり、岡本セカンドフライに打ち取るが、続く坂本が右本塁打で4⁻3に迫る。次の秋広が右フェンス直撃の二塁打を放った。しかし岩崎が冷静さを保ち梶谷・北村を打ち取り十八年ぶりの優勝を成し遂げた。05年の優勝時よりも一日早く、より強くなった感じがする。今年の春には優勝する戦力はあったが、まだ選手も若く固定できる戦力ではなかった。投手陣も青柳・西の不調が続いたが救世主のように村上とソフトバンクからの現役ドラフトで取った大竹、そして伊藤と若手投手陣が頑張りを見せた。五月には打線も繋がり、近本・中野・大山・木浪が続く打戦を形成し、どこからも得点につながる打線となる。

 

 岡田監督が試合を決める月は九月で今はまだまだと、選手にマスコミを使い浮かれる事、緊張させる事は無かった。05年より丸くなった岡田監督は、勝利の采配をそれ以上になったと思う。そして先発・中次・クローザー・野手と一致団結を強めてゆく。そこには、本年七月十八日に将来を嘱望された横田選手の闘病による死があった。同期入団の選手が、今多く活躍する中での出来事で、追討試合に勝利することが一層のAREへの決意が固まったようだ。九回に岩崎が登板するときに自身の曲ではなく横田選手の「栄光の架橋」が流れた時には涙がにじみ出た。そしてAREの封印が説かれ岡田監督が六度宙を舞う中、横田選手の背番号24も宙を舞っていた。私は、選手全員と横田選手にMVPを託したい。岡田監督に感謝を込めて「ありがとう」と。今日は選手スタッフが喜びをかみしめて欲しい。そしてまだまだ次はクライマックスシリーズと日本一への「SORE」が待っている。 ―了ー