御成敗式目五十一条を大湊文夫氏の『北条泰時』から記載させていただく。この現代語訳は多賀譲治氏の『知るほど楽しい鎌倉時代』から多くを掲載された。
第一条、可修理神社専祭祀事:神社を修理し、祭祀を専らにすべき事(神社を修理して祭りを大切にする事)。神は敬うことによって力が増す。神社を修理して祭りをさかんにすることはとても大切な事である。また供物は絶やさず、昔からの祭祀やお勤めはおろそかにしてはならない。関東御分国にある国衙領(公卿側領)や荘園の地頭と神主はこの事をよく理解して行う事。神社は、小さな修理は自分たちで行い、手に負えないものは幕府に報告する事。内容を調べた上で良い方法をとる。
第二条、可修造寺塔勤行仏事等事:寺塔を修造し、仏事等を勤行すべき事(寺や塔を修理し、僧侶としての勤めを行うこと)。寺も神社も異なると言え、敬うべき事は同じだ。そういう事なので、建物の修理と御勤めをおろそかにせず、後々非難されるような事があってはならない。また寺のものをかってに使ったり、お勤めをしない僧侶は直ちに寺から追放する事。※一、二条と、最初に神社や寺を尊ぶ条文を置いたのは公卿法の影響がある。当時の戦いは武力だけでは勝てない。神仏の加護が必要だった。武士達は神という形のはっきりしない魔力を信じていたので、祟りを恐れ、精神的なよりどころを神社や寺の仏像に求めた。そのような世相を反映したのが一、二条である。
第三条、諸国守護人奉行事:諸国の守護人の奉行の事(守護の仕事について)。『右大将家(源頼朝)』の時に決められて以来、守護の仕事は大番催促・謀叛人・殺害人(殺人犯・矢討ち・強盗・山賊・海賊)の取り締まりである。しかし近年、守護の中には代官を村々に送り、村人を思うがままに使ったり、税を集める者もいる。また、国司でもないのに地方を支配し、地頭でもないのに税を取ったりする者がいる。それらは全て違法なので禁止する。また代々の御家人といえども、所領を持たない御家人は勝手に大番役に付く事は出来ない。荘官の中には御家人と偽り、国司や領家の命令に従わない者がいる。このような者は、たとえ望んでも諸役を任せてはならない。また、守護の仕事は頼朝公の決めた時のように大番役を決める事と、謀反人の取り締まりや殺人事件の調査や犯罪者の逮捕であり、それ以外の事をしてはならない。この取り決めに背く守護が国司や領家に訴えられたり、あるいは地頭や庶民に対してその非法が明らかになり次第辞めさせて、新たに適切な者を守護に任命する。また、守護の代官は一人しか決めてはならない。
第四条、同守護人不申事由、没収罪科跡事:同じく守護人、事の由を申さず、罪科の跡を没収する事(守護が勝手に罪人から所領を没収する事の禁止)。重い犯罪は特に丁寧に取り調べた上で、その結果を幕府に報告し、幕府の指示に従わなくてはならない。この事を行わずに、守護が勝手に在任から没収した財産を自分のものにすることは許されず、これに従わない者は解任する。また、重罪人であってもその妻子の住む屋敷や家具を没収してはならない。共犯者の場合、没収すべき盗品が無ければ不問とする。
第五条、諸國地頭令抑留年貢諸當事:諸国の地頭、年貢所当を抑留せしむる事(集めた年貢を本所に納めない地頭の処分について)。年貢を荘園領主に納めない地頭は、領主の要求があれば、すぐそれに従わなくてはならない。不足分はすぐに補う事。不足分が多く、返しきれない場合は三年の内に領主に返す事。これに従わない場合は地頭を解任する。※こういう件は西国で多く発生したので特に明記したのだろう。
第六条、國司領家成敗不及關東御口入事:国司・領家の成敗は関東御口入(ごこうじゅ:干渉)に及ばざる事。(国司や領家の裁判には幕府が介入しない事)。公領や荘園の領主、あるいは神社や寺が起こす裁判に幕府は介入しない。領主の推薦状が無ければ、荘園や寺社の訴えは幕府では取り上げない。※幕府の徴税役人である地頭が横領・滞納した時の処置についてだが、式目は武士のみを対象と。公卿が訴える場合、関知しない。
第七条、所領之事:右大将家以後、代々の将軍に二位殿(北条政子)の御時に充て給わるところの所領等、本主の訴訟によって改補せられるるや否やの事(右大将家や二位殿から与えられた所領の扱いについて)。頼朝公を始め、源氏三代の将軍及び二位殿の時に御家人に与えられた所領は、荘園領主などの訴えがあっても権利を奪われることはない。所領は、戦いの勲功や役所などでの働きによって御家人に拝領された物であり、きちんとした理由がある物である。にもかかわらず、領主が御家人に配せられた領地を指して『先祖の土地』と言い張り、訴える事は、配せられた御家人にとっては極めて不満な事である。したがって、以後このような訴訟は取り上げない。但し、その御家人が罪を犯した場合は領主が訴えることは認める。だが、裁決が下った後に再び訴訟する事を禁止する。以前の裁決を無視することは許されず、そのような場合は不実であることを書類に記録する。
第八条、土地占有之事:御下文を対するといえども、知行せしめずして年序(年数)を経る所領の事(御下文を持っていても、実際にその土地を支配していなかった時の事)。頼朝公が取り決めたように、御家人が二十年間支配した土地は元の領主に返す必要はない。しかし、実際には支配していないのに支配していたと偽った者は、証明書を持っていても、その取り決めは適応されない。※この七・八条においては、全体の中でも極めて重要な事が決められている。それには、所有している土地の権利は『何に基づいているのか』が著されているのである。この二条は、要するに現在の領主の知行権を尊重するという現実肯定の考えである。泰時の政治は基本的には頼朝以降の方針の再確認と体系化にあった。その意味では泰時に創造性は無かった。今までに敷かれた危うい軌道をしっかりと直し頑丈なものにするという、多分に現実主義的な路線であった。ところで、頼朝以来政子に至る間に、与えられた所領が本主(元々の主)の訴訟から保護される理由としては、現在の領主がその所領を得た原因が、その領主の勲功にあったためである。そのことによって与えられたという事が、何にもまして権威であるとの見解に基づいている。泰時から見れば、頼朝から政子に至る時代は理想的な過去として受け止めている。したがって、そこに式目全体の「正義」を置いているのである。また、八条では、二十通年間自分の土地としている者は、どんな理由であろうと所有権を認めるというものだ。中にはその由緒が怪しいものもあったかもしれないが。しかし、二十年を一つの「時効」と考えたのである。後の江戸時代の「武士道」のようなきっちりとした考え方ではなく現実を見た、むしろ現代的な判断と思える。
第九条、謀反人事:謀反を起こした者の扱い。『先例に任せ』とある。※裁判官の裁量の幅が大きかったと言う事である。
第十条、殺害刃傷罪科事:殺害や刃傷などの罪科の事。言い争いや酔った勢いでの喧嘩であっても、相手を殺してしまったら殺人罪であり、その身は死刑か流罪とし、財産を没収する。但し、罪を犯した答人以外の父や子が無関係であるならば、その者たちは無罪であり、これは傷害罪についても同様である。子や孫、あるいは先祖の仇と称して人を殺害した場合は、犯人の父や祖父がその事を知らなくとも同罪とする。結果として、父祖の憤りを宥めるために宿意遂げる事になったからである。但し、子が地位や財産を奪うための殺人を犯した場合、父が無関係な場合は無罪とする。 ―続く―