鎌倉散策 この夏二度目の帰阪 | 鎌倉歳時記

鎌倉歳時記

定年後、大好きな鎌倉での生活に憧れ、移住計画や、その後の鎌倉での生活の日々を語ろうと思います。家族を大阪に置き、一人生活を鎌倉の歳時記を通し、趣味の歴史や寺社仏閣等を綴っていきす。

 梅雨明け後、鎌倉に来て四度目の夏を過ごしているが、年々暑さが増している。二週間前に歯の治療のために帰阪し、型を取った金属が出来た事と母の三回忌のため再び帰阪した。大阪行きのバスは、高速道路もすいていたため、予定よりも早く、夕方の五時には大阪駅に着いた。

 大阪駅から市バスに乗りニ十分弱で自宅近くのマンションに到着する。夕方の西日が体を刺すように照らす。やはり鎌倉とは違った不快な暑さである。自宅に着き、その夜は御馳走を食べる。鎌倉では週七日の内六日は自炊しているため、どうしても偏った食事になりがちだがだが、妻の作った料理は、美味しい。その日の夜は、一晩中クーラーを点けたまま眠った。

 

 翌日、歯科に行き、削った歯に金属を被せる。多少窮屈感はあるが、それは慣れるとの事であるが、かみ合わせが重要になり何度も調整してもらった。金属部分を高くなれば、その歯に負担がかかり過ぎて弱める。何度も何度も調整して点け終わった。自宅に帰り、妻が買ってきてくれていた「今井のきつねうどん」を食べる。子供の頃から慣れ親しんだ関西風の昆布かつおだしは絶品であった。

 夕方から、友人と甲子園に行き阪神対広島戦を見に行く。昨日、今年一勝もしていなかった広島にやっと勝つことが出来、一勝九敗二引き分けとなった。今日の日中は暑かったが、日が暮れると甲子園は心地の良い浜風が吹いていた。しかし、連勝と意気込んだが0対3で敗れ、満員電車に乗って帰った。「金返せと」言いたくなるような試合だった。それでも見に行くのが阪神ファンで自分なりに情けない。梅田に着くと都会のムッとした暑さが再び襲ってくる。自宅に戻り、風呂に入り、一晩中クーラーを点けて眠った。

 

 次の日は、一日中自宅で過ごす。朝の涼しい間に少しでも運動しなければと思い、自宅マンション群の脇から中を歩く。甲子園球場の三倍ほどある敷地は公園都市化としており、多種類の木々が多く植えられ、小山や小川や池もあるために都会でも、ある程度の四季を楽しむことが出来る。しかし、やはり今住む鎌倉の裏山である台峰には全くかなわない。三十分ほど歩き汗が噴き出してきた。そして、家に戻りパソコンをいじっていると携帯から安倍元首相の銃撃の速報が入った。まさか、この日本で、奈良でという感じであり、驚くだけだった。

 

 翌土曜日、友人二人と京都の納涼床を楽しむため午後三時前に阪急梅田駅で待ち合わせた。私は、四五回京都の納涼床に来ており、友人たちが一度連れていけとの事で決まった。本来なら貴船の川床は涼しく最高の納涼を楽しむことが出来る。一度接待で使った事があるが、個人的には驚くほどの値段のために行く事は出来ない。高尾の納涼床も良いが、昼に行く為にかなり暑い。四条周辺の床は、人も多く雑多な感じがするため、三条周辺の方が落ち着く。今日のお店は「露瑚」というお店で、夕方五時から七時半と七時半から十時までの二部制になっており、料金は懐石料理で六千円、八千円、一万円とある。だいたい真ん中の八千円にしていれば特に問題はない。

  

 今年、土日に限り阪急電車が日本の古都を感じさせる特別列車「京トレイン 雅洛」を運行している。各車両により雅な趣に変えており、通常運賃で乗ることが出来るのだ。京都までのおよそ四十分間を楽しませてくれる。ビールでも買って持ち込めばよかったと思った。

 

 

 そして、四条に付き先斗町を通り、三条まで歩く。今は携帯でのマップなどで便利になったが、京都のこのようなお店はだいたい路地を入っていくのでなかなか見つけにくい事もある。お店へとつながる路地に入り、お店に着いた五時には、ぱらぱらと雨が落ちてきた。納涼床での懐石料理は室内に替わり、室内から鴨川を眺め、水墨画の様に大文字の山が見える。食事も折り返すとき雨が止んだので料理の切りのいいところで床での食事が出来ると言う事で床に出たが、次の料理が来るまでに再び雨がパラパラと降り出した為、室内に戻る。少しでも床を感じることが出来たのは幸いだった。

 

 

 最終日、朝の九時から母の三回忌を行う。このコロナ過の中では、親類も呼ぶのは憚られ、姉と妻と娘の四人だけでの三回忌である。これも仕方のない事だろう。そして帰りは飛行機で羽田に向かい、大船で食材を買い住居に戻ったのが三時半であった。窓をシャッターで締め切った室内は、異常なほど熱く、シャッターを開け、風を通してクーラーを点ける。陽が落ちたころには涼しくなり、クーラーを止めることが出来た。鎌倉に戻ってくると何故か気が休まるようになり、ぐっすり眠ることが出来た。また八月の二十日過ぎに大阪に戻ることになる。ちょっとした旅行気分で大阪に帰るようで、すっかり鎌倉に根を下ろしたように感じる。