鎌倉散策 令和四年五月の鎌倉 | 鎌倉歳時記

鎌倉歳時記

定年後、大好きな鎌倉での生活に憧れ、移住計画や、その後の鎌倉での生活の日々を語ろうと思います。家族を大阪に置き、一人生活を鎌倉の歳時記を通し、趣味の歴史や寺社仏閣等を綴っていきす。

 この五月の十七日に鎌倉に来て三年が過ぎ、四年目に入った。平成三十一年五月十七日に胸をワクワクさせながら鎌倉での生活を始める。当初は、家族は大阪で、心配したようであるが、今では、これが自然といった状況だ。

 

 鎌倉での生活の当初は、住民票・保険証や公的関係書類の発行、車の免許や車検証等の変更などで、忙しい日が続いた。少しずつ生活に慣れゆき、暑い夏、紅葉の秋、鎌倉の冬を過ごした。一年が過ぎると、生活も昨年の事を思い出し対応していった。鎌倉市中と北鎌倉では気温の変化は少々違いがあり、私の住む北鎌倉周辺の山崎地区は自然も多く樹々が多いため、夏場は涼しく、冬場は寒いが鎌倉の気候は、やはり穏やかである。しかし翌年、思いもよらぬコロナ感染症で、関東圏での中世史の歴史史蹟の取材に行くことが出来なくなった。鎌倉に来て早々、車もナンバープレートを横浜ナンバーに替えたが。しかし、早く変えたことで、コロナ過の中でも神奈川県での移動は問題なく行うことが出来た。あの頃は、他県ナンバー車の移動に移動先の住民の不評もあった。原因不明のコロナ過では、仕方が無かったのかもしれない。

 

 その後、毎日をブログ配信に費やすことになる。土日祝日以外は配信を続け、かなりの量を配信続けた。しかし、三年が経過した今後は、少し自身の知識も充実し、古典等や他の書物も読み通したいと考えている。そのため、配信に凝り固まらず、長い目で続けてゆきたいと思っている次第である。

 

 今年の五月の連休は、中半の三日間は良い天気に恵まれた。その後、雨の日や、晴れの日が交互にやって来て、二十日過ぎから晴れの日と夏日になる日が続いている。昨年の五月は中半過ぎの十六日から一週間程雨の日が続き、全国的にも大雨による冠水などが生じた。中国地方以南は五月十二日に梅雨入りの宣言を行い、近畿地方以北は、その後、一日で晴から雨に替わったりする日が続く。関東甲信越も梅雨入りの宣言を出すタイミングが見計れず、六月十四日に梅雨入りを宣言した。

 五月の新緑の香りが漂う頃に、雨に悩まされ、そして七月十七日に梅雨が明け、あっという間に猛暑の夏がやってきた次第である。今、ブログの記事を打っている間、窓から緩やかな風が入ってくる。この数年、自然災害が急増しているが、今年は何も起こら 

 

 昨年の日記を見ていると丁度二十六日に、鎌倉の十二所の松久寺、北鎌倉の東慶寺にイワタバコを見に出かけている。紫の可憐な花は、この時期の一週間ほど楽しむことが出来る。また昨年、東慶寺で白いイワタバコを見つけることが出来た。このように鎌倉の季節の移り変わりを楽しんでいる毎日である。