鎌倉散策 『鎌倉殿と13人』の評価 | 鎌倉歳時記

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定年後、大好きな鎌倉での生活に憧れ、移住計画や、その後の鎌倉での生活の日々を語ろうと思います。家族を大阪に置き、一人生活を鎌倉の歳時記を通し、趣味の歴史や寺社仏閣等を綴っていきす。

 今朝、何時も見る朝ドラを見て、続く番組「あさイチ」を少し見て八時半には近隣の神明神社に参詣に行く。今日は、俳優の八島智人氏がゲストに出て「鎌倉殿と13人」の武田義信役を演じているという。「鎌倉殿と13人」では、当たり前だが眼鏡をはずしているので、誰だろうと気になっていた。番組で八島智人に三谷幸喜がメガネはどうすると尋ねたとか、眼鏡を着ければ日本史上で初めての人になると冗談を言ったとかを話していた。

 

 さて、大河ドラマの視聴率だが、初回第一話「大いなる小競り合い」では、番組平均世帯視聴率が17.3%で、順調な滑り出しをしたかに見えたが、毎回下降傾向を示している。四月十日の十四話「都の義仲」では、12.1%になった。現在の視聴率はタイムシフト視聴率と合わせて総合視聴率も見ており、第一話が25.8%で、三月二十七日の十話で20.5%であった。確定値が十三話・十四話が出ていないが20%を下回るかもしれない。

「鎌倉殿と13人」の感想を見ると三谷幸喜氏のファンが「脚本が面白い」、「展開や台詞が予想できない面白さ」、「登場人物・キャストが最高」。また批判的な物として「三谷幸喜の何時ものキャスト」、「面白いと言われ期待しすぎた」、「大河とは思えない軽さ」、「昔の大河は良かった…」「大河ドラマをコントにしないでくれ…」、「三谷幸喜の笑いのツボが古い」、「コメディ大河はもういらない」「こんなだから視聴率が落ちるんだ」、「悪乗りしすぎる」「NHK受信料の無駄使い」等、高齢者に受け難いように記載されている。若者でも絶賛・称賛する感想は、かなり少数派となっているらしい。しかし、芸能界関係では、高評価も得ているという。

 

 Y!テレビの「鎌倉殿と13人」での感想を見てみると、色々と賛否両論あるようだ。

「最初は違和感があったけれども慣れてきたせいで、だんだん面白くなってきた。血なまぐさくてドロドロした鎌倉を真正面から描くより、こういう変化球もいいのかもしれない…続きが楽しみ。」

 「この欄での皆さんの解釈や歴史の知識などを読ませていただき、ドラマを二倍楽しめそうです。私も勉強になります。大泉さんの頼朝に品がないなど本末転倒に拘わってはいられません(笑い)」。

「東海道と東山道、本当に鎌倉殿は歴史の勉強になりますね。別の意味で史実に沿う、と言うことを忠実にやっている素晴らしい大河です」。

 「北条義時は「坂東武者の世の中を作れるのなら担ぐのは誰だっていいんだ」という兄宗時の思いを受け継いでいるだけにしては魅力のない頼朝個人対する忠実さ、律義さが半端ないような気がする。だからよくわからない」。

 「義時は何をしたいのだろう」。

「時代考証の先生方は「言葉使いには現代語町だけれど、三谷さんに合わせている」…言葉使いの段階ですでに考証の専制が三谷さんに譲っているのがわかります。ましてや人物の内面にまでかかわる事は創作から、考証の先生が関与するところではないのではないでしょうか」

 他には、「キャストにお金を使いすぎ、合戦シーンや背景の大道具・小道具、美術が貧弱である」。

と言った意見などが挙げられている。

  

 私見を述べさせていただくと、「鎌倉殿と13人」はドラマであり、三谷幸喜氏が、どう描こうと問題ない。ただ評価されるのは視聴率である。ドラマにおいて創作は、当たり前で史実とは大いに異なる事もある。主人公の北条義時を見てみると、治承二年(1179)に源頼朝と北条政子が長女大姫をも受けたとされ、婚姻はそれより以前と考える。したがって頼朝が北条に移り北条義時と出会うのが安元三年(1177)頃で、頼朝数え年で三十一歳、政子二十一歳、義時十五歳の頃と考えられ、義時は元服前後だったと思われる。ドラマで、挙兵時に義時が頼朝へ提言するなど考えられず、『吾妻鏡』においても石橋山の合戦で北条親子と記されいるだけである。宗時は、実名が記され石橋山の合戦で伊東祐親の軍勢により討死している。『吾妻鏡』の義時の初見は、養和元年(1181)四月に義時十九歳で、頼朝は、北条義時等寝所周辺の祇候衆に定めとある。あまりにも大きく史実に反する場合作者の意図が視聴者に届かない事もある。視聴者が、大河ドラマの全てが史実として認識する事は誤りである。しかし、ドラマ、小説において、その創作には何ら問題は無い。史実を知って視聴者が判断すべきことである。

 

 その分、時代考証や言語指導などが重要になる。朝ドラにしてもその点は抜かりはなく、時代、場所に合わせてその役割を果たしていることが今も人気を得ていると考える。今回の時代考証を担当されている創価大教授の坂井孝一氏は、義時の妾の阿波局(三代執権北条泰時の母)を『鎌倉殿と執権北条氏―義時は以下に朝廷を乗り越えたか」NHK出版で「推論に推論を重ねることを承知のうえで、いささか想像をめぐらしてみたい」「単なる推論、憶測と退けられるかもしれないが」「不明な点、論証できない点は少なくないが」と断ったうえで源頼朝の最初の妻であった八重姫と同一人物ではないかと仮説を提示されている。この仮説を三谷幸喜氏が「鎌倉殿と従三人」に取り入れ八重姫を描いていると思われる。私が今年の「鎌倉殿と13人」を見るのは、学者が提示した仮説(論証であってこそ仮説だが)をどのように描くかのみを見ている。私は、昔の大河ドラマが良かったと思う派であり、「竜馬がゆく」「天と地と」「もみの木は残った」「国盗り物語」「花神」等素晴らしい作品があった。特に「天と地と」の川中島の合戦は今では制作できないほどの規模と演出であった。

 

 今回の「鎌倉殿と13人」の時代には、それぞれの人物が多く輩出され、すべてが大きな役割を担っている。頼朝挙兵から、平家討伐、朝廷工作と奥州合戦、富士の巻狩りに頼朝の死、比企の能員の変、畠山重忠の乱、二代将軍頼家の死、三代将軍実朝、和田合戦、実朝暗殺と後鳥羽上皇、承久の乱まで描くことになる。あまりにも丁寧な演出をすれば、描き切れず、単的に描けば意味が解らなくなる。そのため毎回始まる前に長澤まさみさんがナレーションで補っている。しかし、それにも賛否両論あるらしい。私見であるが、ドラマ内でも数回ナレーションをこまめに入れる方法も良かったのではないかと思う。また、三部作構成とする事で描写しやすかったのではと思う。

 

 今後どのようになるかも楽しみであるが、ドラマが評価されるのは視聴率であり、その低下の責任は脚本家、演出家、時代考証、そしてNHKにすべて責任があり、出演している俳優に対して何ら責任は無い。平成二十七年(2015)の「花燃ゆ」では視聴率の低下で主演の井上真央さんが謝罪会見をしている。この事で自身激怒したことを覚えている。また今回、描かれている中の坂東武者は、それぞれの地域では、銅像まで建てられ、そこに住まわれている人々に尊敬され、敬愛されている人物である。そこで軽薄な演出と描写は、視聴者の反感を買う事を知って、真摯に脚本造りと演出をしてもらいたい。三浦義澄にしろ、土肥実平にしろ、千葉常胤にしろ、畠山重忠にしろ、伊東祐親にしろそうである。最後に一つ「鎌倉殿と13人」のタイトルであるが「鎌倉殿と十三人」と漢数字にしてもらいたかったと思う。最近はNHKは大河ドラマの視聴率の低下で、多くの他番組に主演者をゲストに招き、視聴率上昇を狙っている。何とか興味を持ってもらおうと躍起になっているようだ。しかし本質は脚本が優れた物であり、如何に興味を引き立てる演出をするかにかかっている。民間だと切り上げ終了になるが、NHKの大河ドラマは、お役所仕事のように思えるのは私だけだろうか。