鎌倉散策 四月中旬の鎌倉 | 鎌倉歳時記

鎌倉歳時記

定年後、大好きな鎌倉での生活に憧れ、移住計画や、その後の鎌倉での生活の日々を語ろうと思います。家族を大阪に置き、一人生活を鎌倉の歳時記を通し、趣味の歴史や寺社仏閣等を綴っていきす。

 

 今年一月末から二月にかけて住居裏の南斜面の竹林がすべて伐採された。今はまだ斜面の地肌がむき出しだが、この夏には緑に移り変わる斜面となるだろう。伐採後は、室内も明るくなり風通しも良くなった一方。十メートルほどの崖の上の住宅からは、丸見えになり恥ずかしい気がする。竹林があった時は、家の中で何をしようと問題は無かったが、伐採後、何かと気を付けるようになった。今までは、夏は涼しく、クーラーは一夏に七日程点けるのみで、扇風機だけで十分だった。ただ、湿度は高く、冬場は寒く、日中でも暗かったため電灯の明かりが必要だった。こうして朝昼と文章を作成する中で灯が必要であったが、今は必要としない。今週から予想外に気温が上昇する中、書斎兼寝室の部屋の窓を開けて作業をすると涼しい風が心地よく入ってくる。

 

 私の住む北鎌倉周辺では、海辺に面する市中と比べ気候はやや低めである。夏場は市中よりも涼しく、冬場は寒い。今週の日曜日に市中に出たが、急な二十五度の気温は体に堪えた。もともと関東以北に住む人には、あまり感じられないと思うが、鎌倉に住んだ当初から日中の時間に戸惑う事がある。もともと関西人であった私にとって、その差を感じる。どういうことかと言うと、四月十三日の鎌倉の日の出の時間が五時十一分で、日没が十八時十二分である。自宅のある大阪では、日の出が五時二十八分、日没が十八時二十八分で、僅かであるが十七分の差がある。大したことは無いと考えがちであるが、何かと影響してくる。特に冬場は午後三時を過ぎると夕暮れの気配になり、関西では、四時前後に夕暮れの雰囲気になる。太陽の移動する傾斜により感じられ、日の出・日没以上に感じられるのだ。何か損をしている気分になりがちだが、日の出が早いため日の出・日没の時間は同じである。朝がとにかく早いのである。

 

 先日、市中の行きつけのお店に行くと私の座るカウンターの横の席に四五十代の女性が座った。女将さんと話しているうちに(もちろんマスク会食)、その女性も話に入り、鎌倉に着いて話すようになった。東京の国分寺の方から一年に数回、鎌倉に泊まって散策されるという。私が大阪から中世史の歴史を勉強するため退職後に鎌倉に来た事を告げると、その方もいずれ鎌倉に住みたいと言い、物件を探していると言われた。鎌倉市中に住むと物価の高い事や、車での移動に時間がかかる事など話すと、その人も鎌倉のホテルで必要なものを忘れ市中のお店に行くと物価の高い事に気づいたと言われた。また、車で何時も来られるため、何時も渋滞に巻き込まれているという。私の住む山崎は、北鎌倉にも近く、大船にも近いため物価も低く自然に恵まれていることを話した。その方も今、玉縄・植木の方で良い物件があるらしいとの事で、その地域の状況や気候などを聞かれた。


 

 鎌倉は、桜も散り、海棠も終わりを告げ、新緑の季節に入っていく。例年六月七日辺りが梅雨入りに入るが、昨年は梅雨入りが六月十四日と遅く、気温は高く気候は不安定であった。これから多くの花が咲き始め、五月下旬には東慶寺の白いイワカガミ、紫の色のついたイワタバコなどが咲く。まれに白い花びらを持つイワタバコもみられる。昨年から東慶寺のイワカガミの特別拝観は残念だが中止となっている。東慶寺は拝観料も今はとっておられない。色々と事情があるが、宗教施設としての寺院であり、観光施設では無い点、まずは本堂で御本尊に手を合わせ、先祖や家族の事を拝んでほしい。そしてその寺院がどうしてここに立てられたのか、寺院の歴史を知ってもらいたい。というのがご住職の御意見だと思う。