鎌倉散策 令和三年の冬至の鎌倉 | 鎌倉歳時記

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定年後、大好きな鎌倉での生活に憧れ、移住計画や、その後の鎌倉での生活の日々を語ろうと思います。家族を大阪に置き、一人生活を鎌倉の歳時記を通し、趣味の歴史や寺社仏閣等を綴っていきす。

 

 二十四節気で令和三年の冬至は、十二月の十二日であり、一年で最も昼の時間が短い時期にあたる。また古代では冬至が一年の始まりとされた。二十四節気の冬至は二十二日から七十二候の初候の乃東生(なつかれくさしょうず)、二十六日から次候の麋角解鶴(しかのつのおつる)、三十一日から末候の雪下出麦(せつかむぎをいだす)で来年の一月四日までを指す。今日の十二月十日の私の住居がある鎌倉の山崎では日の出は6時47分で日没は16時32分だ。しかし、十二月一日ぐらいが日の入りが一番早く夜が訪れ、一月の五日ぐらいまでが日の出が一番遅く、その一月ほどが、日の出から日没までの日昼の時間がほぼ同じの9時間45分の時間で推移する。

 

鎌倉の日出と日没

 月 

 日

  日出

   日入

12

1

6:30

16:30

10

6:40

16:30

20

6:40

16:30

1

1

6:50

16:40

10

6:50

16:50

20

6:50

17:00

2

1

6:40

17:10

10

6:30

17:20

20

6:20

17:30

(灰色部が9時間50分での表示)

 科学的に説明すると情緒が失われるので、やめておくが、ただ夕刻の日没の時間が遅くなると日が長くなったように感じる。大阪にいた時は、この期間の日没は午後五時前であった。正確には鎌倉と十七分ほどの差があるが、日の落ちる傾きと山に囲まれている鎌倉では、それ以上の時間差があるように感じられ、憂鬱な夜長が続く。

 

 平成三十一年(2019)、五月に鎌倉にやってきて、その年の七月の夏至から令和二年(2020)、七月の大暑まで一年ほど二十四節気を「鎌倉散策」で記述させていただき、その当時を思い出す。不慣れであった事や地名の読み方も理解し、三度目の冬至である。しかし、寒がりの私にとっては辛い期間であるが、冬至と聞くと何故か明るくなり「冬来たれば夏遠からず」といった気分になるのも事実だ。

 冬至の七二候である初候の乃東生(なつかれくさしょうず)は、夏枯れ草が芽を出すころで、うつぼぐさの芽が出てくる頃を言う。次候の麋角解鶴(しかのつのおつる)は、大鹿の角が抜け落ちて生え変わる頃を言う。末候の雪下出麦(せつかむぎをいだす)は、雪の下で麦が芽を出す頃を言う。冬至には、湯治とゴロを合わせて「ゆず風呂」に入り、柚子胡椒や柚子ポン酢で温かい鍋を楽しみたいものだ。また、カボチャは本来夏が旬であるがベータカロチンやビタミンⅭが豊富で当時にカボチャを食すると風邪をひかないともいわれる。そして百合根もこの時期が旬であり、古くから滋養強壮の薬とされ、温かい茶碗蒸しに入れると格別である。そして旬の魚介は鮪と伊勢海老である。

  

 鎌倉では鶴岡八幡宮の御鎮座祭も終わり、長谷の歳の市も終わった。これから年末にかけて忙しい時期に入るが、美味しいものを食べて健康には気を付けて休息を取っていただきたいと思う。また少しずつコロナの発症患者も増加傾向に入っており、忘年会もまだまだ控えられているようである。十二月に入り鎌倉は、良い天気に恵まれているが十七日の金曜日は、神奈川県で雷注意報、波浪注意報、強風注意報が出され特に鎌倉は風が突風のように吹いた。また日中の寒暖差が大きく体調管理が大変である。土日は、観光客も小町通を行き交うが、以前に比べると若干少なくなっている。平日の夜は、六時を過ぎると極端に人気が引き、御成町の行きつけのお店も人出が少なくなった。十二月下旬には鎌倉の寺院で「水仙」、一月上旬から「ろうばい」「冬ボタン」が咲く時期に入り寺社を歩くことも風情を感じ取れる。