鎌倉散策 鎌倉の仏像四、慶派の躍進と特徴 | 鎌倉歳時記

鎌倉歳時記

定年後、大好きな鎌倉での生活に憧れ、移住計画や、その後の鎌倉での生活の日々を語ろうと思います。家族を大阪に置き、一人生活を鎌倉の歳時記を通し、趣味の歴史や寺社仏閣等を綴っていきす。

 

 承元二年(1208)に興福寺北円堂の諸像の造作が東大寺・興福寺の南都復興事業の完結であった。特に興福寺北円堂の弥勒如来像の脇侍する無著(むじゃく:一九四・七センチ)・世親(せしん:一九一・六センチ)兄弟の立像は、運慶の指導の下に無著像が運慶の六男・運助、世親像が運慶の五男・運賀による造作したとされている。無著・世親兄弟は、釈迦入滅後約千年を経た五世紀頃、北インドで活躍し、法相教学を確立した。この両像は、桂材、寄木造、彩色、玉眼の手法を用い、奈良仏師集団の慶派が天平彫刻の写実性と後人彫刻の地から強い量感を合わせ持っている。また、玉眼が嵌められた事で自然と人間らしく、教学に自信に満ち溢れた強烈な姿を示しており、日本肖像彫刻史上において最高傑作というにふさわしい。そして、四天王立像も運慶率いる慶派の一門により最盛期の技術が用いられた。

  

(写真:奈良興福寺北円堂無著菩薩立像、世親菩薩立像、ウィキペディアより引用)

 運慶による慶派の特徴として、

・「生身(しょうしん)の仏」として運慶は終生求め、写実性を追求した。

・「生身(しょうしん)の仏」として生きている躍動感と肉体表現を追求。

・法衣・天衣(てんね)等は流れるような繊細で優美な作風を用い、衣紋など写実性に富んだ仏像の造作に至った。

・寄木技法により仏像の表現を自在に表現することを可能にし、誇張することで見る者に対しての表現性を高めた造形を意識している。

・寄木技法により工房制作が可能とし、短期間での造立と大量生産を可能とした。

・仏像に水晶を用いた玉眼技法と、さらに色彩を変え現実性と表現性を巧みに使い分けている。

 

(写真:奈良興福寺北円堂弥勒菩薩坐像、奈良円城寺大日如来坐像、ウィキペディアより引用)

 康慶(奈良仏師、康朝の弟子)による奈良仏師集団の慶派一門の仏師の名は実弟子・運慶、運慶の弟弟子・快慶、運慶の弟、定覚、康慶の弟子とされる定慶、運慶長男・湛慶、運慶次男・康運、運慶三男・康弁は奈良興福寺の龍燈鬼が現存、運慶四男・康勝は空也証人立像(京都六波羅蜜寺)が現存、運慶五男・運賀、運慶六男・運助、円覚は定覚の子息又は弟子とされる。行快は快慶の高弟、栄快、長快は快慶の弟子であった。南北朝・室町期になると名に慶の一字から康の一字に替わり、康俊は運慶から第五世にあたる。康俊の弟に康誉、江戸期に入ると七条仏所慶派二十一代・康正と続く。

 

(写真:京都六波羅蜜寺運慶像 ウィキペディアより引用)

 貞応二年(1223)年に運慶が七十四歳(生誕が久安六年(1150)とすると)で没した後は、湛慶が一門を率いて慶派の繁栄は続くが、仏像彫刻の質そのものは、運慶の技術と表現力は、誰も超えることが出来なかった。しかし、そこに、運慶の仏像の素晴しさは語り継がれ、時代を超えても崇敬され続けた。鎌倉の金沢街道にある明王院の不動明王像は康運の作とする説がある。京都六波羅蜜寺に運慶本人の像が安置されており、三十三間堂には運慶の長男・湛慶作の千手観音坐像が安置されている。

運慶が作った仏像は、現存するのは三十五体とされる。諸説あるが鎌倉期の慶派一門の作とも考えられる京都浄瑠璃寺の十二神将像を入れると四十七体であり、それらを挙げてみる。

・奈良県 円城寺 大日如来坐像 安元二年(1176)国宝

・奈良県 興福寺 仏頭 文治二年(1186)重文

・静岡県 願成就院 毘沙門天立像 文治二年(1186)国宝

・神奈川県 浄楽寺 阿弥陀如来坐像及び両脇侍立像、三体 文治五年(1189)重文

・神奈川県 浄楽寺 不動明王立像 文治五年(1189)重文

・神奈川県 浄楽寺 毘沙門天立像 文治五年(1189)重文

・栃木県 光得寺 大日如来像 建久十年(1199)以前の作、十分

・京都府 六波羅蜜寺 地蔵菩薩坐像(十二世紀)重文

・和歌山県 金剛峯寺 八代導師立像 六体 建久八年(1197)国宝

・奈良県 興福寺 無著菩薩立像・世親菩薩立像 二体 健暦二年(1212)国宝

・神奈川県 称名寺光明院 大威徳明王坐像 健保四年(1216)重文

・愛知県 瀧山寺 聖観音菩薩立像 正治三年(1201)重文

・東京都 真如苑真澄寺 大日如来像(十二から十三世紀)重文

・奈良県 東大寺 重源上人坐像 十三世紀 国宝

・静岡県 願成就院 阿弥陀如来坐像 文治二年(1186)国宝

・静岡県 願成就院 不動明王及び二童子立像 三体 文治二年(1186)国宝)

・愛知県 瀧山寺 梵天立像及び帝釈天立像 二体 正治三年(1201)国宝

・奈良県 興福寺 弥勒如来坐像 健暦二年(1212)国宝

・奈良県 東大寺 金剛力士像 奈良東大寺 二体 建仁二年(1203)国宝

・奈良県 興福寺南円堂 四天王立像 四体 文治五年(1189) 国宝

・京都府 浄瑠璃寺旧像 十二神将像 健暦二年(1212)重文、現在東京国立博物館に(辰神、巳神、未神、申神、戌神)五躯と静嘉堂文庫美術館に子神、丑神、寅神、卯神、午神、酉神、亥神七躯に分蔵)

―続く