鎌倉散策 残暑の鎌倉 | 鎌倉歳時記

鎌倉歳時記

定年後、大好きな鎌倉での生活に憧れ、移住計画や、その後の鎌倉での生活の日々を語ろうと思います。家族を大阪に置き、一人生活を鎌倉の歳時記を通し、趣味の歴史や寺社仏閣等を綴っていきす。

 

 八月の中旬から全国的に前線による雨が続き、線状降水帯の発生による豪雨が今年も災害をもたらした。鎌倉においては、八月十二日から十七日までの約一週間、雨が断続的に降り続いた。幸いにも、被害はなかった。二年前の平成三十一年の九月・十月の台風は関東地方に多大な被害を与えた。特に九月の台風は、鎌倉に大きな被害をもたらした。周囲を山で囲まれた鎌倉は自然に恵まれたところであるが、木々の倒木や崖崩れ等の被害が多く出た。まだハイキングコース等は一部復旧されていないところが残る。\鎌倉に来て初めての年だったので、全てにおいて、どのような対応をしたらよいか解らない状態だった。降り続く雨と暴風により、雨戸を全て閉め、クーラーのあるリビングで寝たものだ。朝になる屋外駐車場に置いている車に看板が当たり大きなへこみ傷ができていた。その看板は私の住居の管理会社の物であり二か月ほどかけて交渉した結果、修理費用を出してもらった。あまりにも設置に対し針金だけで腐食も進んでいたため天災というより管理責任と言う事で交渉した結果である。

 

 今年の夏の集中豪雨で、鎌倉は被害を受けることはなかったが、お盆の時期の異常な低気温で朝方十九度、日中二十二・三度と二・三日続いた。二日ほどで気温は例年に戻ると言う事で、服を着込んで過ごした。そして、十八日には青空が見え、再び例年のように厳しい残暑が待ち構えていた。今日、二十三日だが、ようやく西日本も雨が降り止んだ状況だが、被害を受けられた方には、お見舞い申し上げます。

 この長期間の雨で、人流は減るかと思われたが、全国的に十パーセント位の低下率のようであるが、過去最大の感染者数を更新している。神奈川県では一日発生患者が二千五百人を超える日が続き、全国においても二万五千人を超えた日が出た。雨の影響やお盆休み等の夏休みによる自粛及び人流減少の結果は今週・今月末に傾向が推移されるだろう。しかし、現実を見ると、暑さもあるが、マスク着用者が少しずつ少なくなっているような気がする。布マスクやウレタンマスクの着用者が多いがいるが、それは付けていないと同じであることを認識してもらいたい。通気性がよいため、それで会話すると自身も無防備状態となり、自身が感染していた時は相手や周りにいる人にも感染させる恐れがある。特にデルタ株はその感染力が強いため。

 

 ワクチンを二回摂取して二週間以上経過したので免疫もできていると思われるが、一人暮らしのため、感染したらと思うと恐怖する。また、免疫抑制剤を服用しているため、中和抗体の産生量も少ないという事が示唆されているからだ。中和抗体が、どれぐらい出来ているのかという検査が、今後PCR検査と同じように必要になると考える。自身で、それを知ることで、感染対策の意識が変わるからであり、ブースター接種(三回目接種)の時期の必要性を得るためである。鎌倉は、土日祝日の小町通りはテーマパークのような状態になるであるが、失礼だが住民の人口は少なく、田舎町である。平成二年度のコロナウイルス感染症が世の中に広まり、鎌倉での感染症発生者数は八月二十三日現在で千七百三十人である。神奈川において横浜市が五万人(52340)を超え、鎌倉の隣の藤沢市では五千人(5204)に達している。日中人口の多い鎌倉において少ないと考えられる。しかし、八月六日の鶴岡八幡宮での「ぼんぼり祭り」以来、鎌倉市中に出かけていない。

 

  ブログの「鎌倉散策」で鎌倉公方を取り上げたが、そのため鎌倉に来て関東地方の中世の歴史的旧跡をめぐろうと考えてもいたが、一年も経たない内にコロナ感染症が広がり、書物と地図だけで勉強している。それも仕方がない。鎌倉公方も終了し、鎌倉期に対して南北朝期・室町期は日本国中の武士との相関関係を見なければならない点において複雑で難しい。室町期を体系的に見るよりも、一つの主題を持って系統的に追っていくことが理解につながったと思うが、独りよがりかも知れない。ブログのネタも行き詰まっている状態で、気晴らしに良い天気の早朝歩いてみたいと考えている。本当に日常を早く取り戻したいものだ。