作々日の十六日、ようやく関東甲信越地方に梅雨入りしたと思われるとの発表があった。近畿・東海は五月十六日に梅雨入り宣言が出て、鎌倉も同じようにその時期には、雨が続き湿っぽい日が二十日ぐらいまで続いた。しかしその後は三日に一日晴、二日曇、一日雨という日が続き、十六日に雨が降った為に気象庁も出さざるを得なかったようである。例年は六月七日が前後、梅雨入りが発表されるが、今年は九日遅い梅雨入りとの事である。今朝は少し日差しが出ていたが新明神社にお参りに行くと次第に曇天になってきた。そして、また昼前から日差しが出てきて、思った以上に暑くなる。
鎌倉に住んで梅雨を迎えるのは、三回目であるが、五月の連休以降に雨が続き、コロナウィルス感染症の継続で一番良い季節を味わえなかった。世の中ではワクチン接種が進んでいるが、なぜ東京は接種が早いのだろうか、区によって違いはあるが、接種券が十七日前後から六十四歳から二十歳までの住人に配布されるとの事である。鎌倉市は、非常に遅い。そして、スケジュールの見通しが、全く見えてこなかった。五月下旬から始まった六十五歳以上高齢者の接種は、市の情報連絡が行き届かず六月十七日に三回目の接種受付が行われる。鎌倉市の六十五歳以上老人口は、五万二千人ほどであり、まだ五十パーセント位の接種率である。免疫抑制剤を飲んでいる私は、基礎疾患を有するため、今までかなりの自粛に努めてきた。市のワクチン接種の情報を毎日見るが、六月十六日の夜、急にサイトに五十九歳から二十歳までの基礎疾患のある人の先行予約が表示され、鎌倉市に適応疾患の届、あるいは手帳を持っている方は接種券がなくとも予約できるようになった。それでは六十四歳から六十歳までの基礎疾患を有する人の対応は記載されていなかった。何か見捨てられたようである。十七日、相当数の苦情があったようで、十八日サイトに六十四歳から六十歳までの基礎疾患を有する人は七月上旬に接種券を配布し、中旬以降には接種受付を開始するとの事でもうしばらくお待ちくださいと記載がされていた。順番は逆ではないかと思う。
鎌倉は、のんびりした町であり、時間の経過ものんびりしている。しかし行政は、この時期はそうであってはならない。特に道理に合わないことは。市長の松尾氏の能力を疑うことが多い。二年住むと色々と解る事がある。現在鎌倉市役所は鎌倉行政区域いわゆる鶴岡八幡宮のある鎌倉市中に存在する。しかし、老朽化のため深沢地区に移転の計画が進められ、反対者も多数存在する。鎌倉の交通はバスにしろ、電車にしろ鎌倉駅に向かっており、各行政区域から行くことが可能であり交通費も限られるが、移転すると乗り換え等で費用もかさんでくる。デジタル化が進み市役所に行く必要がなくなるとも言われているが、それでは、市役所も大きくする必要はないと思う。災害についても考慮されている模様だが、現市役所の標高と建設予定をする深沢地区の標高はむしろ深沢の方が低い。そのため土地を底上げすると言う事だが、膨大な建設費用が当てられる。
先日、京都市が財政破綻の可能性が非常に高いとの報道があった。京都市が北海道の夕張市のようになると思えば、大阪出身の私にとって嘆かわしいことだ。京都市と言えば任天堂、京セラ、村田製作所、ワコールなどの優良企業の本社が多く存在し、京都市と夕張市の破綻原因は違うが、優良企業の法人税は国に治められる。消費税もそうである。市町村の財源は住民税と固定資産税、政府の地方交付金である。京都市の場合は人口が多いわりに固定資産税の税収入が非常に少ない。条例により建築物の高さ制限があるため、土地の評価が低いためであり、また寺社の広大な土地が存在するためである。市民税等の財源があるが、高齢者率が高く、また学生が多いため市民税の税収は少ない。そして、市民税は高齢者や学生に、そのサービスに対する費用がかなり充当される。そして、バブル期に作られた公共施設の維持費、そして最大の原因は公共事業として地下鉄東西線の建設と運営である。京都市周辺のベットタウン化が進まず、集客数が低い。従来からのJR,阪急電鉄、京阪電鉄の路線が京都と大阪間にあるため、人気が高く今でも開発が進められている。このような状況において京都市が昭和六十年(1985)に市内の文化財の保存整備推進のため古都保存協力税を議会で承認された。寺社の拝観料に古都税を上乗せし徴収することで京都市が担っている文化財の保存整備の費用に充てその分を他の事業に回すのが目的であった。しかし、市内の寺社が反対し、有名寺院による拝観停止や条例の施行差し止めを求めた裁判の訴訟や反対運動が行われた。この経緯上、神社は拝観料を取るところはほとんどないため、京都仏教界と市による対立であった。結末として京都仏教界と市による和解し、固都税は撤廃されたが和解案は非公表であった。そして和解会議で仏教側がその時の録音テープを開示し、次期選挙戦の内容が含まれていたとして検察が動き出したが、選挙への誘導操作がなかったとして不起訴となっている。しかし、本当の結末は清水寺及び京都東山の寺院の拝観停止により、観光客が減少し、京都四条通り及び東山の寺院参道の土産物、飲食店の減収に落ち込み、店主及び組合組織が寺院と市に和解を要請したことが結末である。
清水寺は拝観するには、非常によい所であり現在でも拝観料二百円は変わらない。それは、この古都税に対する反対した経緯によるものが大きいと私は考える。二百円でやっていけるのだ。寺院は宗教施設として、本来は人のためにならなくてはならない。京都の寺院は総本山が多く、その土地も広大で、宗教法人であるがため固定資産税等が免除されている。私は、このように京都は寺により社会が回っている点が気に入らない。私が企業人であった時、接待で行った祇園の店で坊主が酒を飲み、またベンツを乗り回す光景は、これは世も末だと思った。そして、素朴に感じた鎌倉にやってきた。
長くなりすぎたが、鎌倉市も京都と似たところが多い。行政がしっかりし、市民に信頼され、身の丈を考えたしっかりとした行政を行わなければ、財政が破綻することを切実に考えなければならないと考える。