鎌倉散策 三年目を迎えた鎌倉の初夏 | 鎌倉歳時記

鎌倉歳時記

定年後、大好きな鎌倉での生活に憧れ、移住計画や、その後の鎌倉での生活の日々を語ろうと思います。家族を大阪に置き、一人生活を鎌倉の歳時記を通し、趣味の歴史や寺社仏閣等を綴っていきす。

 

 この五月十七日で、定年退職後に鎌倉にて単身で住んでから三年目を迎えた。ブログの配信状況の予定で、今日の報告になってしまった。もうかなり鎌倉にも慣れ、一人前に鎌倉市民として、のんびりとした時間を過ごす。しかし反面、中世の鎌倉を綴るブログに熱が入り、材料を探しながら好きな事をする忙しい毎日を送っている。

 平成三十一年に、鎌倉に来て、初夏から梅雨、夏、そして九月と十月の台風で鎌倉の寺社仏閣にもかなりの影響が出た。それから秋、冬の年越しの行事にもできるだけ見て回った。何軒かの行きつけのお店やBar、寺院のご住職にも親しくさせていただけるようになり、それらのご縁を大切にしている。

 

 鎌倉にきて、当初家族も三・四か月ごとに遊びに来ていたが、令和二年二月に鎌倉に来て以来、春にコロナ感染症の非常事態宣言などが発令され、来ることができなくなった。妻・娘とも医療機関に勤めているために、もしも感染すると大変なことになる。非常事態宣言解除後に様子を見ていたところ、昨年の七月に母が急去し、大阪に戻った。そして一週間ほどで初七日を済ませて鎌倉に戻り、九月に四十九日、十二月に納骨と大阪に戻ったが、いずれも三泊ほどで、自宅でもマスクはつけた状態だった。

 昨年の春から鎌倉の行事は、ほとんどが中止になり、一年を過ごした。令和三年の春の非常事態宣言はアルコールが提供できなくなったため、行きつけのお店も休業されるところが、ほとんどで、一週間に一回の楽しみも今は無い。

 

 昨年の初めての非常事態宣言時は、鎌倉駅や小町通りは見たこともない程、ほとんど人がいない状況だった。その後の非常事態宣言が出されても、いつもの賑わいが続き、人出は日に日に増加していった。五月の連休に早朝に感染対策をして北鎌倉の寺院に出かけたが、昼近くになると人手が増し、住居に戻った。その後、大磯の鴫立庵、イワタバコを拝見しに浄明寺の松久寺と北鎌倉の東慶寺、そして二十九日には市中の材木座の寺社仏閣を散策した。昼前に鎌倉駅東口の人の混雑ぶりには目を疑い、早々に住居に戻る。

 外を歩くことが少なくなり毎月平均で一日の歩行距離は四・五キロほど歩いていたが、昨年と今年の五月の平均歩行距離は四キロに満たない。できるだけ近隣の台峰等の自然豊かな小径を歩くようにしている。そのおかげで、キンランや白いキンランを見ることが出来、また、白いイワタバコも観ることができた。植物にもかなり詳しくなったが、それでもまだまだ不思議な草花が多い。このような時こそ、前向きに考え、他力本願で過ごそうと思う。

 

 他力本願という言葉は、ご存じの方も多くおられると思うが、今は誤って使われることが多い。「他人の力を当てにする。他人まかせ」などがそうである。本来、仏教用語で浄土宗や浄土真宗では『教行信証(きょうぎょうしんしょう)「他力と言うは陀如来の本願なり」という。阿弥陀如来の本願である一切の生けるものの救済と極楽浄土へのお導きである。人は、なかなか悟りを開くことはできず、それを救済していただくことである。浄土真宗の親鸞が言う「他力を頼む」というのは、「あてにする」「頼む」という意味ではなく、本来は「憑む(たのむ)」は、よりどころにするという意味である。阿弥陀如来の信仰上においては大切な言葉とされる。また反対語として用いられるのが自力本願という言葉であるが、実際は仏教用語には無い。私の思うところ、いくら自分でもがいたところ、定められた運命は自身で帰ることはできず、阿弥陀如来の本願をよりどころに念仏することにより救済されるということではなかろうか。決して、努力が無駄であるという理由ではないため、仏教用語として存在していないと思う。

 

 昨年も梅雨に入るとどうしても運動不足と会話不足に陥る。趣味である歴史(中世史)を勉強して、その報告のようにブログを配信させていただいている。土日祝日以外は毎日配信させていただき、ブログのアクセスが昨年末から毎月二千二百ほど読んでいただけるようになりました。最高は今年の一月二千六百まで届いた時には、大変喜びました。拝読していただいている方々には大変感謝しています。今後も鎌倉の歳時記と中世の鎌倉の歴史、そして今の鎌倉を綴っていきたいと思っております。何卒よろしくお願いいたします。