岩瀬のもう一つの浄土宗寺院が再念寺である。山号院号寺号を岩瀬山正定院(がんらいざんしょうじょういん)西念寺は、天文三年(1534)示寂(僧がなくなられる)した運誉光道(うんよこうどう)により天文年間に開かれ、裏山にある現存する「開山修行窟」と呼ばれる石窟に住み布教活動が行われたとされる寺院である。寺伝では本殿が建立されたのが元亀元年(1570)とされている。この年、織田信長が浅井・朝倉氏を破る姉川の戦いが行われている。
宗派:浄土宗。山号寺号:岩瀬山正定院西念寺。創建:天文年間(1532~55)。開山:運誉光道。本尊阿弥陀如来。寺宝:本尊木造阿弥陀如来像(桃山時代の作風)、木造善導大師座像(江戸初期)、木造法然上人座像(江戸初期)等。
本堂内には江戸日本橋の「木屋」の当主の大旦那木屋夫妻が安置され「首抜け木像(非公開」が安置されている木屋当主は水田などを寄進し西念寺の為に尽くした人物である。自身の姿を後世に残すため造らせ、顔の色を塗り返すことが出来るように首が抜けるように作られた。命日が来るたびに、生前の顔色を保つため塗り替えたと言われる。昔、塗り替えで包みに入れ江戸に持って出た寺の者が宿に泊まった際、宿の女中がその包みを開け生首と勘違いし気絶をし、大騒ぎになったとの逸話が残されている(『かまくら子供風土記』から引用)。また、小ぶりの夫人像の首の中には歯骨が納められている。
天保七年(1836)に寺院は再建され、本堂庫裡が一棟となった「本堂庫裡合造」で、鎌倉において唯一の建造物だった。しかし二度の火災に遭ったと伝えられ平成五年(1993)に鉄筋コンクリートで新築された。その際に発掘調査で、地中から九十センチメートル間隔の土台石が発掘され、石の柱部分を残して火に煽られて風化している状態であり、火災があったことを実証した。
西念寺は幼稚園を併設されており、参拝当日は本殿の工事が行われ、院内に入れそうでは無かったが保母さんが気づいてくれて、御住職に合わせて頂いた。少しの時間ならと言う事でお話をお伺いする事が出来た。工事中なので写真等は後日撮ったものを入れ替えたいと思う。梅雨の一間の晴れの中、門の横に山百合が見事に咲いていた。
西念寺(さいねんじ)鎌倉市岩瀬1527 ☏0467(46)2625 拝観時間特に無し、拝観無料 大船駅東口より鎌倉湖畔循環、地蔵前行バス下関下車徒歩五分