鎌倉市岩瀬には二つの寺院があり大長寺と西念寺であり、社殿は岩瀬の鎮守である稲荷神社がある。すぐ裏手が横浜市の栄区になる。大長寺は山号寺号を亀鏡山(ききょうざん)大長寺と言い、創建は天文十七年(1548)北条綱成が後北条の玉縄城主(北条早雲の次男、嫡男氏綱の弟氏時が初代、綱成は福島氏から養子で三代玉縄城城主)として現在の大船周辺を治めていた時期に建立されている。
この時期、北条早雲が相模・武蔵などの領国の経営に力を入れ、各地で検地がおこなわれ、律令制下において国府が大田文と呼ばれる台帳を基に徴税の基礎資料としてきたが、国衙領と荘園と二分された土地の台帳として有効性を示せず鎌倉・室町時代によっても変わる事が無かった。日本で初めて検地が行われて土地の把握、収穫高、徴税の制定等が明確に算出され、嫡男氏綱も天文十七年も引き続き険地を行った時期である。
開山は後北条氏の家臣・大道寺氏の一族、感誉存貞(かんよぞん)である。四台目住職の暁誉源栄(ぎょうよげんえい)は家康に崇敬され、家康直々に来訪を受けている。大長寺は北条氏、徳川氏により代々崇められた格式のある寺院である。
宗派:浄土宗。山号寺号:亀鏡山大長寺。創建:天文十七年(1548)。開山:感誉存貞。開基:北条綱成。本尊:阿弥陀三尊。寺宝:俱利迦羅龍の図、木造為昌夫人像(天文十八年(1549)仏師宗琢作)、山越阿弥陀図、四季詠歌短冊一枚、起請文、槍、古文書など。
以前は茅葺門だったようだが、現在は門柱に変えられている。境内には石仏、石碑、石塔が置かれ、三つ葉葵の紋所の入った扉のある宝蔵が建てられており、ここには徳川家康と父の松平弘忠の位牌および家康像が安置されている。境内を進むと幅広の石段があり、それを上ると本堂が置かれている。本堂表欄間の龍の彫り物もみごとであり、その中には本尊阿弥陀如来像、法然上人像後北条氏二代氏綱の子為昌夫人像が安置されている。夫人像は室町期の作成年、文十八年(1549)、仏師宗琢作が残されている貴重な像であり、また寺宝の俱利迦羅龍の図は鎌倉期の仏画で珍しいもので、北条氏康の寄進とされている。
緑の樹木が生い茂る山に囲まれた境内には感誉存貞が開山の際に祈祷を行いえたとされる「吉祥水」「梅の井」の二つの井戸がある。裏山の墓地の木々に覆われたところに永禄元年(1558)に没した綱成夫人の墓標や後北条氏一族の墓と伝えられる、古い苔むした墓石がある。鎌倉市中から離れた岩瀬にも鎌倉らしき寺院を見つける事が出来た。
大長寺(だいちょうじ) 鎌倉市岩瀬1464 TEL0467(46)4428 拝観時間特に無し。拝観無料。大船東口より資生堂、岩瀬住宅経由鎌倉湖畔循環バス砂押橋下車徒歩三分。