鎌倉散策 東慶寺 拝観無料 | 鎌倉歳時記

鎌倉歳時記

定年後、大好きな鎌倉での生活に憧れ、移住計画や、その後の鎌倉での生活の日々を語ろうと思います。家族を大阪に置き、一人生活を鎌倉の歳時記を通し、趣味の歴史や寺社仏閣等を綴っていきす。

 

 六月二十日土曜日、梅雨の中休みの晴れ間が広がり清々しい朝だった。久しぶりに、今日午前中、北鎌倉を歩いた。今年はコロナ自粛等で東慶寺のイワカガミ、イワタバコを見る事ができなかった。北鎌倉に着くと、都府県移動自粛要請が解かれ、かなりの人が出ていた。私の好きな東慶寺に行くとかなりの参拝客であり、階段を上がった山門の門前に立札が置かれていた。門前には当寺院は観光寺院でなく宗教施設の為、御本尊に手を合わせて、お参りくださいと記載があった。

 

 六月十八日から拝観料が無くなったと言う。私は以前から寺社仏閣に参拝し、本殿で手を合わせ、先祖、家族、自身の悩み事、そして何気なく罪を犯していることに対し懺悔と許しを請うてきた。寺社仏閣は本来、宗教施設である。しかし、現在、そういう人が少なくなり境内がデートコース、写真だけ取りに来る人が多い。周りを見ていると三分の二がそういう人で目に付く。やはり寺院において御本尊に手を合わせ今日の一日を感謝したいものだ。

 

 仏教では特に禅宗における、この梅雨の季節では、お釈さまは弟子に行脚(あんぎゃ:修行に出る)出歩くことを禁じ、安居(あんご)をすることを指示した。何気なく罪を犯していることに対して先述した事は、お釈迦様の教えで生命が芽生える、この季節に出歩くことは、芽吹きする草花や昆虫類などの生命を踏みにじり殺生する事と説き、一つの住居で修行僧達が共同で暮らし説法、教義、座禅を組む安居(あんご:原始共同体)にふけたと言う。夏安居(げあんご、結夏:煩悩を縛られ自由でないことの悟りを得て煩悩を脱する修行が行われる)は寺の始まりである。旧暦四月十六日に始まり、その九十日間を夏安居と言う。そして、夏安居が陰暦七月十五日に終わり、その解けた日を解夏(げげ)と言う。そして修行僧が再度行脚に出る。

  

 京都、奈良の寺院の拝観料は驚くほど高い。堂ごとに分けられ共通拝観料は二千円前後するケースはまれではない。御住職が拝観無料と決められ、どのような経緯で打ち出されたのかは解からないが、このコロナの世界的危機、人種差別等、また信仰宗教についての考えがあったのではないかと考える。拝観無料は私自身も本来はそうあるべき事と思う。しかし、本尊が何方なのか、どのような仏様なのかくらいは知って頂きたい。知ることで有意義な生活が生まれると思う。拝観と言うより参拝と考えたい。

 

 御本尊に手を合わせる事が一番である。庭の手入れ等、大変だと思う。お参りをさせて頂き、お賽銭を納めさせていただいた。私の大好きな水月観音の拝観は月の十八日のみ予約なしで拝観できるようになったとの事である。如意半跏像それは、よりくつろいだ姿勢で魅力的な微笑みを抱き、水面に浮かぶ月を見つめながら人々の苦難を救う観音像である。

 

追補:十一月二十三日

 東慶寺が参拝者の拝観無料をされて、その夏には理由がわかり、追記しなかったことに深くお詫びいたします。東慶寺に掲げられている文面から

「東慶寺では現在、「杜の学校」代表矢野智徳氏の指導の下、境内の土壌と水脈の改善(大地の再生)に取り組んでおり、あえて雑草や落ち葉などを放置している箇所がございます。見苦しく映ることと存じますが、上辺だけ美しい庭園造りではなく、本当に豊かでたくましい自然環境つくりの為の処置でありますので、寛大なお心で今後の変化を見守って頂ければ幸いです。」

 この様に従来、草花を見せていた庭園、よりよく良くするため、庭園の手入れが怠るため拝観を無料にされたことをお伝えしたい。しかし、何度か東慶寺を参拝させて頂いたが、依然と同様に人が多いが、半数の人達が本殿の釈迦如来坐像に参拝もせず、境内を歩き、帰って行く。東慶寺は寺院であり、訪れる人は、やはり自身の事や家族、亡くなりし家族の事を手を合わせ祈る場所であることを礼節をもって参拝していただきたい。ここには私が鎌倉で一番好きな水月観音様が安置されている。また夏前のイワカガミ、イワタバコと言った植物は北鎌倉で東慶寺だけである。大切にしていきたい寺院である。