大慶寺のある寺分の地名の由来は「寺領のあった所」を意味し、鎌倉朝時代後期から戦国時代に大慶寺の寺領であったことから「寺領を分けられた所」と寺名を略し「寺分」と称されたと言われる。記録によると正確な創建年は不明であるが、弘安年間(1278~87)に開かれ、無象静照(むしょうじょうしょう)という名の住職が棲んでいたと言う。
元享三年(1323)に大慶寺で九代執権北条貞時の十三回忌供養で八十三人の僧により行われたと伝えられている。また、塔頭五院を有し、関東十刹(五山に次ぐ寺格を持つ臨済宗の禅刹)の一つであり、地名のごとく大きな寺領を有した寺院であった。大川道通(だいせんどうつう)、傑翁是英(けつおうぜえい)等の高名な禅僧が棲んでいたとされる。大慶寺の付近には「ひげつ」、「かっけん」、「てんだい」、「だいどう」などの地名が残り、これらは指月軒、覚華庵、天台庵、大堂庵等かつての塔頭の名が残ったものと言われる。
戦国時代には多くの伽藍、塔頭が灰燼と帰したまま荒廃したが塔頭の方外庵(ほうがいあん))だけが残り円覚寺の末寺となり、大慶寺として復興した。この現在の片瀬地区は鎌倉時代末から戦国期にかけて鎌倉を攻める際、兵が通過する場所であった。永禄四年(1561)の上杉謙信の鎌倉乱入も,その中に入る。その際、本尊を円覚寺に避難させたが同六年(1563)円覚寺の大火で本尊が焼失してしまった。円覚寺の住職も兼務していたと言う奇文禅才(きもんぜんざい)は快円に新しく像野像率を依頼し、それが現在の本尊釈迦如来像である。
宗派:臨済宗円覚寺派。山号寺号:霊照山大慶寺。創建:弘安年間(1278~87)。開山:大休正念(仏源禅師)。開基:長井光禄大夫。本尊:釈迦如来。寺宝:木造釈迦如来像(市文)、木造大休正念像、木造秋澗道泉(しゅうかんどうせん)像等。
茅葺の山門の正面に本堂が立ち、境内の奥には樹齢七百年の栢槙の老木二本がそびえており、その木の間に市の有形文化財の宝塔二基が佇んでいる。その姿はひっそりと静かに大慶寺の歴史を物語るようであった。
大慶寺(だいけいじ) 鎌倉市寺分1-5-8 ☏0467(46)8481 拝観時間とくになし 拝観料志納