鎌倉散策 駒形神社(こまがたじんじゃ) | 鎌倉歳時記

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定年後、大好きな鎌倉での生活に憧れ、移住計画や、その後の鎌倉での生活の日々を語ろうと思います。家族を大阪に置き、一人生活を鎌倉の歳時記を通し、趣味の歴史や寺社仏閣等を綴っていきす。

 

 駒形と言う社は関東から東北にかけて社が存在する。関西以南ではほとんど聞かない社である。特に優秀な馬の産地であった宮城県、岩手県には馬の守護神として駒形神社が多く、信仰されている。本社としては雄略天皇の御代(456)に駒形さまが祀られた陸中一宮の駒形神社(岩手県奥州市水沢中の町、奥宮駒ヶ岳山頂)が考えられる。桓武天皇御代(802)坂上田村麻呂征夷大将軍が蝦夷討伐の戦勝祈願を行い、蝦夷のアテルイとの無血の戦いの後、蝦夷の守護神でもあった駒形神社の神階昇格を幾度も朝廷に申請し、貞観四年(862)に東北地方で最高階位の神格を得、馬の御祭神とした起源であると考えられる。

  

 寺分の駒形神社は寺分の鎮守で、創建は治承年間(1177~1181)に邇邇芸命(ににぎのみこと)を祀られたと伝えられ、農業の守護神として崇敬が厚く、坂東八平氏の一つの鎌倉氏の大庭景親の所領にして、天候不順の折は時折代参を派遣して水害早魃の災いならんことを祈願したと伝えられている(引用:神奈川県神社庁「駒形神社」)。源頼朝の奥州征伐での影響や、本来の東北馬が優秀な事から馬の守護である駒形大神を祀り駒形神社と改称されたのではないかと私は考える。

  

祭神:駒形大神(駒形の大神)。例祭十月第一日曜。神事芸能:正月に初穂を串にはさみ神前に捧げる儀式が大正期まで行われていた。宝物:中国風木像人形七体と木像新馬。神徳:農業守護、産業振興。

 東光寺と大慶寺をつなぐ道沿いに鳥居が立ち奥の急な階段を上がると樹木に覆われた境内があり、拝殿の後ろの小さな階段を登ると本殿がある。鬱蒼とした境内には他に、やぐら内の弁財天像や富士信仰の文政五年(1822)銘の石碑が置かれ、天満宮の碑、稲荷社も置かれていた。また、江戸時代までは本尊として千手観音が安置されていたらしいが現在本殿には中国風木像人形七体と木像新馬が安置されているとの事。

 
 現在の社殿・拝殿は天保十四年(1843)九月十四日の旨札があり「東光寺旭範」と書かれており、寛文三年(1663)の棟札には二十八人の官途衆(かんどしゅう)が書かれていると言う(官途衆:室町期以降、各村々で責任ある年齢に達した人、鎮守の造営の寄付を行った人に対して村の合意によって与えられた人の衆)。かつては東光寺が管理されていたと言う。

 

駒形神社(こまがたじんじゃ) 鎌倉市寺分1-10-12