鎌倉散策 三嶋神社(みしまじんじゃ) | 鎌倉歳時記

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定年後、大好きな鎌倉での生活に憧れ、移住計画や、その後の鎌倉での生活の日々を語ろうと思います。家族を大阪に置き、一人生活を鎌倉の歳時記を通し、趣味の歴史や寺社仏閣等を綴っていきす。

  

 三嶋神社は笛田の鎮守で、源頼朝挙兵時の平氏側の大将として石橋山の合戦で頼朝を窮地に追い込んだ大庭景親が再建したとされる。「新編相模国風土記稿」によると、もとは谷ひとつ隔てた村の北端、笛田宮ヶ崎という地にあったが、「水上に祀れ」との神託を受け笛田川上流の萩郷(笛田二丁目萩郷会館付近)に移され、その後、現在の地に遷座されたと言われる。社の傍に喨々と、湧く泉が田を潤したことから。村人に篤く信仰された社である。

 

三嶋神社の北側にある佛行寺と言う日蓮宗寺院があり、明治期まで仏行寺が管理をされ、現在は正月三が日に僧により経があげられ、一月十五日には神前で題目を唱えられる慣わしがある。

祭神:大山津見命(おおやまつみのみこと)。例祭十一月第二日曜。神徳:農業守護、産業振興。

三嶋神社の祭神は大山津見命(大山祇神)で伊予大三島の大山祇神社もしくは伊豆の三島大社も大山津見命を祀るため関係する社ではないかと、関東七平氏の大庭氏の影響も考えられるのではと思う。また、三島大社は鎌倉武士が崇敬した神社であり、三島大社より勧請されたのではないかとも考えられている。『吾妻鏡』文治四年(1188)正月二十日条で源頼朝も東国平定後、奥州討伐前に三島大社に参詣している。

 一の鳥居の急な階段を上り、二の鳥居をくぐると左の狛犬が鞠を抑え、右の狛犬は子を手にし、龍の台座に珍しい姿で座っている。二の鳥居からも石段が続き、結構な高さに境内がある。本殿で手を合わせ、後ろを振り返ると笛田の家々と鎌倉山の稜線が青い空の下に移されていた。

 

三嶋神社(みしまじんじゃ) 鎌倉市笛田3-31-1 大船駅東口(京急バス:十二分)梶原口下車徒歩十分。鎌倉駅東口(京急バス:十九分)梶原口