鎌倉山神社は鎌倉山の鎮守であるが、もともとは笛田の農民の鎮守で、また津村の漁民の海上守護の神であった。鎌倉山は万葉集に歌われ、平安・鎌倉期に名称が資料等に表記されるが、特定した山ではなく、「鎌倉の山」という意味合いである。この丘陵は海抜百メートルほどで丘陵の頂上から見る景観は美しい。近世、現在の鎌倉山周辺を農耕地として開発した際に笛田の鎮守三島神社の分霊を祀ったのが始まりとされる。地元では通称「山・神社(山の神)」と呼ばれ崇高された。昭和三年(1928)から鎌倉山周辺が高級別荘地と住宅分譲地とし開発されるに伴い昭和十年(1935)に鎌倉山住人による有志の浄財で社殿が改築され現在の「鎌倉山神社」に改名された。社殿には釈迦、亀に乗る摩利支天の木像などが安置されているが、多くは笛田の鎮守の三嶋神社に移されたと言われる。
この鎌倉山は日本初の丘陵型住宅地(別荘地)として造成され、昭和四年から(1929)に分譲が開始され、同年八月大船江の島を結ぶ日本で初めて開通した有料自動車道(大船―江の島自動車専用道)である。汽車・電車等の交通アクセスはないが自動車を所有する人にとって東京へのアクセスの良さと上下水道、電気・電話完備を強調した富裕層を狙った分譲地で有った。坪単価は安かったようだが最低販売坪数が五百坪からと言う「高級別荘地」であった。近衛文麿、藤原義江など角界の著名人が購入したが一般分譲は振るわず倒産、箱根土地株式会社から西武へと売られ、戦後進駐軍に接収された後、高度成長期に入り住宅地として再開発された。現在も高級感を漂わせる住宅及び有名なレストラン等が点在する。常盤口から鎌倉山ロータリーに至る桜並木は鎌倉でも有名な桜の名所として知られる。鎌倉山ロータリーの石柱は関東大震災で倒壊した鶴岡八幡宮の鳥居を流用したものである。
祭神:大山津見命。例祭:八月八日。宝物:近衛文麿の御神号額。神徳:農漁業の守護神。
鎌倉山神社には京急バスで大船から鎌倉山経由旭ヶ丘で二十七分ほど、鎌倉駅東口から鎌倉山経由旭ヶ丘で十九分ほどである。旭ヶ丘から歩いて十分程度であるが道標等が無いので地図は必見。携帯があれば十分で季節の良い時はハイキングコースにもなりえる。
この日、天気が良く鎌倉山神社のベンチに二人の七十前後の御婦人が座って、お弁当を食べておられた。スニーカーを履きリュック姿の為、近隣の人ではないらしい。階段を上がり挨拶をして写真を撮っていると、ベンチの間を詰めて「どうぞ」と席を作って頂いた。どこかの知事の様に三密ですとは言わず、ソーシャルディスタンスを保ちながら「ありがとうございます。今日はいい天気ですね」と答えた。ご婦人方は来る途中に見た海がとても綺麗だったと言われ、少し会話は続いた。実際に今日の相模湾は乳白色に近い青色を彩っていた。三嶋神社にも行く予定であったので「お先に失礼します」と言い鎌倉神社を後にした。
鎌倉山神社(かまくらやまじんじゃ) 鎌倉市鎌倉山2-27-11