津の鎮守社で、もとは片瀬の龍口寺隣にあり、関東大震災等で崩壊したが、刑場であった為、移転による祟りを恐れ、その地に再建された。安政二年(1773)龍口が片瀬村に編入され、その後、境内が鎌倉市の藤沢市内にある飛び地であった為、昭和五十年(1978)氏子の要望などからこの地に移った。
創建は欽明天皇十三年(552)とされ、鎌倉市では最も古いとされる神社である。縁起によると江の島弁財天に悪行を行い、改心した龍とされる。この五頭龍を岩上(龍口)に社を建て白髭明神として祀ったのが始まりとされる。伝説として五頭龍は(令和二年四月二十二日の「鎌倉散策:腰越」で詳細を記載)古代の深沢地区に四十里もあると言う湖があり五つの頭を持つ竜が棲んでいた。津村の長者に五頭竜が現れ十六人の子供を食べたとされる。また深川から龍ノ口に至る山の景観が龍に似ていたことから呼ばれるようになったともされる。片瀬・津において古代は沢がいくつも流れ、沼地あるいは大きな池が存在していたことは地形学的に述べられている。大雨・洪水等により、子供が無くなり、住民は山を越して現在の地に移ってきた為、腰越とも呼ばれるようになった説もある。
養老七年(723)江の島岩窟中にて、泰澄大師が神行修行中、夢に現れた神々を彫刻し、弁財天は江の島明神、玉依姫命(約十五センチ)、五頭竜大神(約三十センチ)は白髭神社へ納められ、この時龍口明神社と改名されたと伝わる。このような伝説から江の島神社と龍口明神社は夫婦神社とされている。
祭神:玉依姫命(たまよりひめのみこと:神武天皇の母)・五頭竜王大神。例祭十月第一又は第二土曜日。境内社:経一稲荷。神事芸能:六十年に一度行われる江の島神社大祭の際、故事に倣い五頭龍大神の御神体が開帳され神輿が江の島に渡り、中津宮で弁財天と共に安置される。神徳:家庭円満、勝運守護。
経六稲荷は龍口明神に安置され、龍口寺に祀られている経八稲荷、法源寺には経一文殊稲荷大善神と同様に日蓮上人を守護したと伝わる。龍口明神社の道路を隔てた駐車像の奥に祀られており、鳥居をくぐると江戸時代の庚申塔が置かれている。腰越、大船千の県道の拡張工事で経六稲荷境内に置かれた。弘安五年(1282)国宝の『一遍聖絵』に一遍上人が社前で念仏勧化を行った様子が描かれている。
龍口の龍口寺西隣の旧社殿
龍口明神社(りゅうこうみょうじんしゃ)鎌倉市腰越1548-4 ☏0467(32)0833 湘南モノレール西鎌倉駅より徒歩五分